IMprevu ―予期せぬ出来事―

天野斜己

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本編

No,118 【十年愛】 No,3

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―――……俺は、一体ここで、何をしているのだろう……? ―――


頭の中で、冷静な声が問い掛けてくるが、俺は敢えて、その“声”に耳を塞いだ。



※ ※ ※



俺は、真唯の熱心なブログの読者になると同時に、ハッキングを開始した。


……少しでも、上井真唯と云う女性を知りたかったのだ。


彼女のPCに侵入し、彼女の作成したファイルを読み漁った。
そして彼女の、もう一つ別の顔を知る事になる。彼女はもう一つ、別のブログを持っていた。“Mr.D”なる人物に教えを乞い、半永久的に金銭が稼いでいける仕組みを構築していたのだ。そのブログの存在を知り、巧いものだと感心しながらも、この謎の人物に怪しさを覚えた俺は、この“D”の正体を追跡した。そして、【CLUB NPOE】で旧知の人物へと辿り着き……世界中にネットビジネスの教え子のいる事も知った。……後に、俺のハッキングに気付いていたD氏にチクリと嫌味を言われた楽しい思い出は、完全な余談だ。


しかし、これで納得もした。
まだ、大学生……しかも、短大生らしい彼女が、決して安くない舞台のチケットを購入したり、その行きや帰りに寄る穴場の店で飲み食いする金銭の出所に、不審を抱いていたからだ。学生の小遣いにしては高額だし、バイトで稼いでいるとしても、そのバイトをしている時間がないだろうと思っていたのだ。ただ、不正な事をしているとは、露ほども思わなかったが……謎が解かれた事に安堵し……彼女の秘密を知っている事に、一人優越感に浸っていたりもした。




そして、何より重要な事。
ブログの運営会社のセキュリティを突破し、彼女の個人情報を手に入れる事に成功したのだ!

本名は、牧野秀美。

ようやく知る事が叶った名前を、口中で愛し気に転がす。


生年月日は、一九八三年六月二十四日。

太陽の祭りインティ・ライミ】である事はブログの中で公表されていたが、正確な年齢を知る事が出来て、心秘かに浮かれる。


住所は千葉県長生郡。

嗚呼、彼女は、千葉県在住だったのだ!
お茶の水からのJRを千葉駅まで乗っていたのかと思うと、あの初めて出会った日に尾行して行けば良かったなどと、馬鹿な事を考えてしまう。


本人確認のための秘密の質問として、「嫌いな食べ物は?」と設定していて、「紅生姜」と答えている事に微笑ましさを覚える。


……これが、「初恋の人の名前は?」などでなくて、本当に良かった。

……嫉妬のあまり何をしてしまうか……自分でも理解らなかったから……




その内に、彼女は就活を始めた。
様々な会社を検索している中、建設業界も視野に入れている事を知って、心を躍らせた。
……出来る事なら、広報部にヘッドハンティングしたい。これからは、ネットの時代だ。自力でこれだけのブログを創り上げる事が出来るのだ。その文章力と構成力を、是非とも我が社のために…! などと思いながらも、一方では、誰にも真唯の…秀美さんの実力ちからを知られたくないなどと云う我儘な欲望もあって……制御に困る。

……だが本当に、緋龍院建設に入社してはもらえないだろうか……彼女が入社試験を受けに来たら、普段は忌み嫌う実家の権力ちからを使ってでも合格させてしまうのに…! (まあ、頭の隅の冷静な部分で、それがまったく実現不可能な事も理解っていた。彼女は短大生であり、我が社は四年大学の新卒からしか受け付けていなかったからだ。まったく、頭の固い会社だっ!!)


そんな馬鹿な事を考えていた罰が当たったのか、それから間もなく彼女はKY商事などと云う聞いた事もないような会社に入社してしまった。

しかし、それに伴い、彼女が東京で一人暮らしを始めた時には、心底、心配させられた。
俺はすぐさま、東京へ引っ越す事を決意した。ただ、どこに住むべきか、悩んだ。彼女のご近所さんになるには近くに適当な物件がなく、KY商事の近くにするにしてもあまり利点は見つからない。

悩んで悩んで……仕方なく自身の都合を優先した。
あくまでセキュリティーに拘り、緋龍院警備保障の管轄の通勤に便利な物件を探して……結局、台場のタワーマンションに引っ越す事にした。別に拘りはない。ただ、セキュリティーがしっかりしていて、通勤に便利であればどこでも良かったのだ。




短大の卒業旅行で、念願の奈良旅行をしたらしい真唯さんのブログの記事は、素晴らしいものだった。
奈良市内のホテルを根城として、サイクリングで興福寺、東大寺、春日大社と巡ってゆき。新薬師寺、白毫寺と足を伸ばした彼女は、その甲斐があったと大感激している。しかも、奈良駅からバスに乗って京都府との県境まで出掛けて行き、浄瑠璃寺では、“この世の極楽を体感させて頂いた”と大興奮だ。


真唯さんの視点は、一風、変わっている。
興福寺で有名なのは阿修羅像だが、真唯さんが興福寺の国宝館で一番気に入ったのは、【天燈鬼】と云う鬼の像だった。顔と手の表現に着目し、『仏燈籠を灯すために、“俺は此処で頑張っているんだ~!”感を発散させている』と評している。

東大寺でも大仏は中学の時に観たからと大仏殿は素通りし、法華堂(三月堂)や戒壇堂、観光客が殆ど行かないような四月堂や手向山八幡宮まで丁寧に拝観しているのは、神社、仏像好きの真唯さんらしいと思う。
“天平彫刻の宝庫”法華堂でも、真唯さんは“らしさ”を発揮している。日光菩薩、月光菩薩を脇侍とした本尊の不空羂索観音ふくうけんさくかんのんに素直に感嘆しながらも、その四方を守護している四天王の足元に着目し、二人(?)の踏み付けられている邪鬼像を風刺している表現力には唸らせられる。

彼女は二00二年のGW、大仏開眼千二百五十年を記念して特別公開された秘仏【執金剛神立像しゅうこんごうしんりゅうぞう】を拝観する事が出来たそうなのだが、一緒にいた友人たちのお目当てが京都だったらしく、奈良での滞在時間がごく限られていて執金剛神立像の特別な御朱印を頂くだけで終わってしまったそうだ。……ブログの開設は、その一月後。六月二十四日。あとひと月ズレていたら、京都と奈良の神社仏閣、仏像巡りの旅行記も読めたかも知れないと思うと、非常に残念である。
……だがしかし、ここで一つの不審を抱いた。二00一年のバレエの鑑賞記は、あんなに詳細を語っているのに…と。……もしかして京都旅行は、友人たちの意向が反映された、彼女の意に沿わぬ不本意であったものなのかも知れないと推測して自分を慰めた。(後年、その推測は肯定された。真唯さんの目的の参拝が叶ったのは広隆寺のみであり、友人たちの目的は「新撰組」にあったと云うのだから、何とも気の毒な話だ/笑)


新薬師寺は十二神将像が有名だが、円を描くような形でメリーゴーラウンドに乗っているかのように、その像の周りを何回でも飽きる事無くグルグル周ってしまうのを、【グルグル族】と自らを称している。
ちなみに、東大寺の戒壇堂でも塑像の四天王像を拝観し、その足元の邪鬼像も拝観してしまうため、【グルグル族】になってしまったそうだ(笑)。

そして白毫寺では地蔵菩薩立像を拝観し、仏像を観て初めて涙してしまったと恥ずかし気に告白している様には、何と云う柔らかな精神こころの持ち主なのかと感嘆してしまった。

ラストの浄瑠璃寺は、かの有名な秘仏【吉祥天女立像】の御開帳の日を狙って参拝し、その華麗にして流麗な像に初めて拝謁が叶ったと素直に感激しているが。
宝池ほうちと呼ばれる池を挟んで建立されている本堂と三重塔が一体となって織り成す庭園そのものののありように、いたく感銘を受けたようで。庭の【グルグル族】になってしまい、立ち去りがたくて新幹線に乗り遅れそうになってしまった様を軽妙に、それでいて、しっとりとえがき出す筆致には、ただただ感心させられてしまう。



……あの岩屋が、“ダイヤの原石”とまで称していた理由わけが、良く理解る。



ただ一つ、気になった事があった。
それは、二泊三日の女一人旅であると云う点だ。

……危ないではないか。

真唯さんは、妙齢の可愛い女の子なのだ。
……何かあったら、どうするのだ。


……いや、理性では、理解っているのだ。奈良や京都は神社仏閣巡りのメッカであり、女性の一人旅も珍しいものではない。おそらく地球規模で考えれば、日本ほど安全な国も珍しく、奈良や京都観光など大した危険がない事も。
それでも万が一・・・、と云う事がある。

……俺は、緋龍院警備保障の“SP”を付ける事が出来ないか、真剣に検討を始めた。





岩屋はブログにメッセージを送って電子書籍出版を勧誘したそうだが、けんもほろろに断られたと楽しそうに笑っていた。
直接交渉すべくメッセでアタック中なのだと笑っていたが……【がんちゃん】のお手並み、拝見といこう。



……岩屋は、いい。

しかし、勘違い野郎はどこにでもいるもので、ただのファンレターならまだしも、中には恋文ラブレターのようなメッセを寄越す奴らがいる。真唯さんは優しいだが、どこか鈍なトコロもある。それは明らかに口説き文句だろう…!と思われる台詞も綺麗にスルーし、丁寧に返信している様子には、もしかして天然なのか?との疑念も浮かぶ。
業を煮やした俺は、彼女の代わりにキッパリ振って差し上げた。……クラッキングしたのだ。普通、返信済みのメッセには注意は払わないだろう。そこに侵入し、返信メッセを改ざんし再び返信したのだ。……あくまでソフトに丁寧に。それでいてキッパリと、貴方の気持ちには応えられないと書いてやった。すると案の定、そいつらからのメッセはパッタリと止んだ。ファンは数人減ってしまったかも知れないが、罪悪感は欠片もない。真唯さんのブログには、日々新しいファンが増え続けているのだから。却って、害虫を退治してやったような清々しさを覚えたものだ。



俺はメッセの類は送らなかった。
ただの一ファンに埋もれたくなかったのだ。
……彼女の中で、“その他大勢”と一緒にされたくはなかった。



※ ※ ※



……だからと云って、渡す事も出来ない誕生日プレゼントを抱えて、こうして路上に立ち尽くし、君のアパートの明かりを見上げていると云うのも、どう云うものだろう……




四月にKY商事に入社して、五月にブログに新しい書庫カテゴリーが一つ増えた。『カップ&ソーサー』だ。
今まで、喫茶店に入った時の記事で感じていたのだが、真唯さんはコーヒーカップに並々ならぬ思い入れがおありのようだ。初任給で買ってしまったと云うWEDGWOODのマグカップには、思わず嫉妬の念をいだいてしまった。

……真唯さんの、あの愛らしい唇に、当然の如く触れる事が許されている事に…っ

もともと海外出張が多い俺が、英国へ行った時に、いつもは近寄る事もないWEDGWOODの直営店に足を運んでしまったのも、仕方のない事だろう…?

今月は【インティ・ライミ】…真唯さんの誕生月であるのだから……

そこで真唯さんのお好きそうなカップ&ソーサーをセレクトして、購入してしまったとしても……不思議はないだろう…?



……今頃、真唯さんは、PCに向かって、何百と寄せられる「お誕生日とブログ開設の記念日、おめでとうございます」とのコメントやメッセに、一つ一つ丁寧に「ありがとうございます」と返信しているのだろう。


……自分でも、何をやっているのかと思わないでもない。………真っ赤なリボンと、「Happy Birthday to MAI」のメッセージカードが眼に痛い。

……何故だか、「Hidemi」と書く気にはなれなかった。
自分おれの中では、彼女は『牧野秀美』ではなく、あくまで【上井 真唯】なのだ。



いっそピンポンダッシュでもして、彼女の部屋の外に置いておこうか、なんて危険な考えが浮かんでしまう。

……喜んでもらえるどころか、即ゴミ箱行きか、下手をすれば警察が動き出す事態になりかねないし、最悪、彼女はブログを閉めてしまうだろう。
変質者に狙われてしまったと云う、最低最悪の思い出を作って。



フ…ッ



自嘲の笑いが漏れる。
……その変質者ストーカーになってしまった自覚があるからだ。



俺は停めてあった車に乗り込み、エンジンをかけるとすぐに発進した。
後ろ髪を引く未練を断ち切って。


……結局、真唯さんへの誕生日バースデープレゼントは、ロンドンの自分土産として食器棚の中にディスプレイされると云う、何とも侘しい結末を迎える事となってしまったのだった。







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