IMprevu ―予期せぬ出来事―

天野斜己

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本編

No,109 澤木晃と云う男性(ひと) 【後編】

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……悪いけど一瞬アタシは、この【澤木 晃】と云う男性ひとの正気を疑ってしまった。


「…っ! ゲホッ、ゴホッ! …す、すみませ…ゲホ、ゲホッ!!」
飲んでいた珈琲は噴き出す事は免れたけど、気管の方に入ってしまったらしく、咳が止まらない。……いっそ、この澤木さんの澄ましたお顔に吹き掛けてあげた方が良かったかしらン。
真唯がそんなキケンな事を考えているとも知らずに、澤木さんは心配そうな表情かおをしてくれて…「まあ、まあ! 大丈夫?」とリザさんが立ち上がり、真唯の横に座り背中を摩ってくれた。

……ダイジョーブじゃないです……

真唯の心の声が聴こえた訳でもないだろうに、リザさんは「…晃。貴方が真唯ちゃんを気に入ったのは理解ってるけれど、その申し出はいきなり過ぎるわよ。」と真唯を援護してくれた。
心の中でブンブンと音がしそうなほどの勢いで首を振り大きく肯定している真唯には、「…真唯ちゃんは、普段、晃がお相手しているマダムとは、まったく違う人種なんだから…」と云うリザさんの言葉はまったく意味不明だったけれど。



「…そんなにおかしな事を、提案した心算はないんだけれどな…
 …貴志の婚約は本当に喜ばしいし、私なりに祝福したいんだが…」

……そんな言い方をされてしまえば、真唯とても困ってしまう。……そうなのだ。これは、真唯のリングの話ではない。あの一条さんの指環リングなのだ……。おまけに、かなり親密な関係らしい方に、ここまで言われてしまうと…


真唯が困ってしまっているのを感じたらしいリザさんが、助け舟を出してくれた。


「…真唯ちゃん。念のために聞くけど、貴女が困っているのは、あのトパーズが気に入らないからじゃないわよね…?」
「…っ! と、とんでもないです…っ!! 正直言えば、喉から手が出そうなほど欲しいです!! 今まで見て来た物の中では、別格に素敵なんですものっ!!」

「…それは、そうだろう。ブラジルのミナスジェライス州で採掘された、クラックのまったくない極上品なんだから。」
リザさんとの会話に割り込んで来てくれた澤木さんの言葉に、真唯は呼吸いきを呑む。

……特に高値で取引されていると言われる噂の土地だ。
……まさに、キング・オブ・インペリアルトパーズ…!!


真唯の顔色を読んだリザさんが、優しく聞いてくれる。
「真唯ちゃん。…ちなみに、今回のご予算は?」

「…100万です。…アタシには、それが限界です。」
キヨブタどころか、某冒険家のように富士山から直滑降気分で告げた金額に、リザさんは朗らかに微笑ってくれる。


「聞いた? 晃。…充分よね?」
「…いや、俺は、金なんかいらないんだが…」
「お黙んなさい。」
「…ハイ。」
「ダメよ、お金はちゃんと受け取ってあげなくっちゃ。…そのトパーズをカッティングして加工して、指環にするのに100万もあれば充分よね?」
「…デザイン料を含めても、充分だぞ。」
「そうよね! あの子もそうしたんだもの! …真唯ちゃん! 宝石デザイナーを何人か紹介するから、デザインから起こしてもらって、世界で唯一の指環を作りましょう! 勿論、貴志のためのね♪」


……あれよ、あれよと云う間に、真唯の預かり知らぬ処で進められてしまう話に、(お~い、待ってくれ~~)などと心の中で突っ込んでいた真唯は、『はい、これで決まり!』とばかりにリザさんに宣言された台詞に……逆らう事が出来なかった。




あのトパーズ単体で、下手をすれば、○百万単位に違いない。
それをデザインから起こすなんて……真唯の常識からは、考えられない。
しかし、リザさんや澤木さんにとってみれば、それが“普通”なのだろう。

……リザさんが言っていた、“あの子”と云うのは、誰の事だか理解らないが……

……もしかして、一条さんが最初に真唯に贈ってくれた月長石ムーンストーン指環リングも、そう云ったデザイナーズリングだったのかも知れない。


……そう考えてしまうと、もうダメだった。
何度でも思うが、あの一条さんのする指環なのだ。

何よりも。

“一条さんのための、世界で唯一の指環”と云う言葉が、真唯のココロを心地良く擽ってくれる。


リザさんの店アンティークショップで、あの景徳鎮のペアのマグカップを買った時の事が鮮やかに蘇る。……これも、リザさんが言うところの“お友達価格”なのだろうか。


……だったら、有り難く甘えさせて頂こう。


真唯との短い会話の後、リザさんがある処に連絡し出すのを、フロレンティーンターコイズのカップを両手で持ちながら嬉しく有り難く、ほっこりした気分で見守ってしまったのだった。



※ ※ ※



「真唯ちゃん、無事に決まりそうで良かったわね!」
「私も、宝石いしを提供した甲斐がありましたよ。」
にこやかに微笑っているリザさんと澤木さんには悪いが、真唯は渇いた引き攣り笑いしか返す事が出来ない。

ここは帝都ホテルのメインダイニング、フレンチレストランの特別な個室。

リザさんが夕飯を食べて行けと言ってくれて。最初は一条さんが待っていてくれるはずだから、断ろうと思っていた。しかしリザさんが、一条さんに許可を取ってあげるからとスマホで連絡をしたら案の定、
「貴志、悪いけど、今日の夕飯は1人で寂しくとってね。真唯ちゃんをちょっとお借りするから。」
『ハ? なに、寝言言ってるんだ、リザ。真唯さんとご一緒なのか? 真唯さんを返せ!!』

隣で話しているスマホの会話が聴こえてくるほど、一条さんは大声で怒鳴っていた訳だけど、次の一言に一条さんの態度は豹変した。


「…そんな事、言って良いのかな~~。
 …晃と一緒なんだけど。」


突如、無言になってしまった一条さん。それからは普通の声で喋りだしたらしく、リザさんとの会話は一条さんの台詞は聞こえなかったけど、どうやら一条さんの承諾が得られたようだった。
そして。
「真唯ちゃん、貴志がかわって欲しいんだって。」
と差し出されたスマホをこわごわ受け取った真唯を、一条さんは更に困惑させる。


『…真唯さん…本当に、澤木さんにお会いになったのですね…?』
「…はい。お会いしました。 …あの…いけませんでしたか…?」
『いえ、そんな事はありません! …そうですか…お会い出来たんですか…』
「…一条さん…?」
『…真唯さん。実は以前、お話ししました私の恩人とは、澤木さんの事なのです。くれぐれも失礼のないようにお願い致しますね。』
「…っ! …は、ハイッ!理解りました!気を付けますっ!!」
『…とは言っても、実は私はそんなに心配はしてないんですがね。』
「そんな~、一条さァ~~ん…」
『…真唯さんなら、大丈夫ですよ。澤木さんとの食事、楽しんでいらして下さい。 …もし万が一、何かがあったとしても、リザがフォローしてくれると思いますから、気楽に、ね。』


あんまり長電話になっても澤木さんに失礼だからと、一条さんは早々に通話を切ってしまった。
……切れてしまった、リザさんのスマホを持って呆然としてしまっても、真唯に罪はないと思う。


……リザさんが内線で呼んだ、コンシェルジュの松田さんの反応もおかしかった。ドアベルを鳴らして入って来たのだが、真唯の顔を見た瞬間とき、それはそれは驚いた表情かおをしたのだ。……初めてだった。いつもにこやかな笑みをたたえた、あのプロフェッショナルに徹したホテルマンがあんなに動揺するなんて……。その後の澤木さんとの会話も意味不明だった。

「…見ての通りだ。以後は、そのように接するように。」
「…お言葉、肝に銘じまして…」



「祝杯を上げたい気分なんだ。松田、手配を。」
との澤木さんのお言葉に、当然のように案内されたのが、ここ、帝都ホテル本館にあるメインダイニングの特別室VIPルームだったりする。
(…ま、まってよ、待ってよ! 今日、そんなおめかししてないんだからっ!!)
なんて抗議の声も、実際に言える訳もなく。

(…絶対、一番、安いコースにしよ…!)と言っても、ディナーになれば最低でも一万は超してしまう店にビビっていると、早速のように挨拶にやって来たフランス人の料理長さんは、アタシを見るとやはり驚いた表情をしたものの、笑み崩れてアタシを少し安心させてくれた。
が、それも束の間、澤木さんとフランス語で話し始めたため、会話の内容はチンプンカンプン。……多分、今日のお薦めなんかを話してるんだと思うが、アタシにもメニュー・プリーズ!
その後、やって来たシェフ・ソムリエさんも、澤木さんにしかワインリストを見せない。

「リザ、真唯さんはアルコールは大丈夫なんだよな?」
「ええ。かなりイケるくちよ。」

……澤木さん……聞くなら、アタシに聞いて欲しかった。……そしたら、下戸ですって答えて、ペリエにでもしたのに……。澤木さんの注文に、やって来たのは【クリュッグ・クロ・ダンボネ】なる聞いた事のないシャンパンだった。……仮にもクリュッグの名前が付いているのだから、きっとお高いのだろう……。人数分、注がれるシャンパンに、いつものようにウットリするココロの余裕がまったくない。


「貴志の婚約に。」
「真唯ちゃんの幸せを願って。」
「…ありがとうございます。」

グラスを掲げてのお2人の祝福の言葉には、そうとしか答えられなかった。……席が離れているし、正式な席ではマナー違反かも知れないが、バカラのグラスかクリスタル・グラスか確かめるためにも……ヨーロッパの食卓のように悪魔払いのためにもグラスをぶつけてみたかったが……よそう。ヒビでも入って○十万円の請求書が来たら、怖すぎる。……勿論、そのシャンパンの味なんて、まったく分からなかった。リザさんや澤木さんが満足そうな表情かおをしてるので……多分、美味しいのだろう……タブン。



次々と運ばれて来るお皿は、どれも芸術品のようで。
お2人は優雅にカトラリーを操っていらっしゃるが、一般ピーポーなアタシはせめて傍から見て見苦しくないよう少しでも綺麗に食べようと必死だ。


そんな中、指環の話題を出されて、午後いっぱいを潰してしまった騒動を思い出して、遠い眼になってしまったとしても、誰も真唯を責めはしないだろう。




デザイナーズリングを作ろうと決まった、あの時。
見積もりをとるためにも、複数のデザイナーさんに依頼した方が良いと言われて、そんなものかと思いつつも軽い気持ちで、「…リザさんのお薦めの方はいらっしゃいますか?」と聞いてみたら、「…いるにはいるけど…真唯ちゃんはそれで良いの…?」と聞いて下さる。アタシは、勿論です!と、大きく頷いた。

「リザさんのお薦めの方だったら、間違いないと思います♡」


にっこり


リザさんと澤木さんの気持ちが嬉しくて、精一杯笑った心算の笑顔に、リザさんも優しく微笑み返してくれて。


「…計算でないところが、コワいな…」

澤木さんがポツリと何か呟いたみたいだったけれど、それは小さ過ぎて真唯の耳には入らなかった。



……その後がスゴかったのだ。
スマホで連絡すると飛ぶようにやって来た、リザさんお薦めの方と云うデザイナーさんは老年のドイツ人女性で、いかにも“マイスター”と云った風格がアタシを圧倒した。……リザさんや澤木さんに丁寧なのは理解るのだけれど、初対面のいかにも小娘なアタシにもお世辞的で儀礼的な笑顔ではなく、物腰柔らかに微笑んでくれたのには真唯を感動させた。

しかし“感動”と云うなら、この女性、アレクサンドラ、通称サンドラさんの【インペリアル・トパーズ】を見た瞬間の感激振りも凄かった。きっと感動したのだろう、それまで英語で丁寧に話してくれた言葉が、いきなりドイツ語になったかと思うと凄く早口になってしまったのだ。……まあ、ゆっくり喋ってくれていたとしても、ドイツ語の理解らない真唯には理解不能だっただろうが。

そして、『×××××××!!』と何事か叫ぶと、いきなり持参のスケッチブックを広げて、猛烈に何かを描き出したのだ。


思わず助けを求めるようにリザさんを振り返ると、肩を竦めて微笑ってくれた。
「…サンドラは、『閃きましたわ!』と言ったのよ。 …彼女は天才型なの。良かったわね、真唯ちゃん。きっと、素敵なデザインをしてくれてよ。」

「…きっと、あの宝石いしに、インスピレーションを刺激されたんだと思います。
 …他に何をおっしゃっていたのか、差し支えなければ教えて頂けませんか?」

「…こんな素晴らしい石のデザインが出来るなんて光栄だ、なんて言うから、貴女に決まった訳じゃないと云う事はキッチリ言っておいたから安心して。」


……安心出来ない……と云うか、真唯はもう、この女性マイスターさんに頼む心算になっている事を自覚していた。

『アレクサンドラ』とは、『アレキサンダー』の女性形だ。
この男性名は、ギリシア神話の『アレクサンドロス』…“戦士の庇護者”のラテン語形だ。
……戦士…いつも見えない巨きな何かと戦っているような一条さんを守ってあげられるような、素敵な物をデザインしてくれるに違いない。……そんな確信があった。


―――……それに……江ノ島の【備屋珈琲店】でセルヴーズのお姉さまが選んで下さったのも、“アレクサンドラ”だった……―――



「…サンドラは、こうなってしまうと長いのよ。 …仕方がないわね。真唯ちゃん、珈琲のお代りはいかが?」
「…ありがとうございます。いただきます。」

……美味しい珈琲を飲みながら、天才と言われる女性ひとのデザインを待つ時間なんて、きっと一生に一度だ……


真唯は有り難くその申し出を受け入れ、優雅なひと時を満喫したのだが…その期待は、見事に裏切られる事となる。




『いかがですか!?』
自信満々に3枚のデザインスケッチを見せられた真唯は、正直言って当惑していた。……確かに素敵だ……素敵なのだが……。真唯の様子に気付いたらしいサンドラさんが、
『どの辺がお気に召しませんか? おっしゃって下さい。いかようにも、変更させて頂きます。』
丁寧に英語で言ってくれるのだが……


横からスケッチを覗いていたリザさんが、ダメ出しをしてくれた。
『…あら~~、これじゃダメよ、サンドラ。』
『どうしてですかっ!?』
『だって、貴女…これって、真唯ちゃんを…このお嬢さんをイメージして、デザインしちゃったでしょ?』

……ヘ…ッ…?
……あ、アタシ…!?

『…アッ!!』
『…ちゃんと人の話、聞いてた? サンドラ、貴女が作るのは、このお嬢さんの婚約者のダ・ン・セ・イ!』
『…あ…、大変、失礼致しました! あの宝石の高貴な輝きが、あまりにレディ・マイの愛らしさにマッチングしていたもので、つい…っ!!』

……いえいえ、そんな歯の浮くようなお世辞は要らないですから……

それからサンドラさんは、一条さんの写真を欲しがり、もう一度チャンスを欲しいと、まるで土下座せんばかりの勢いで拝み倒して来た。
サンドラさんにすれば、リザさんと云う上得意さんを失いたくない気持ちは良く理解る。……ですから、アタシみたいな小娘に、そんなにヘイコラしなくても良いですってば!

……問題は、一条さんの写真なのだ。
アタシのスマホに、一条さんの写真は数枚しかない。
……でも全て、アタシとのニヤけたツーショットしかない。
……仕方がない。リザさんのPCから、“緋龍院建設、一条専務、画像”で検索させてもらおう。
そうお願いしたら、リザさんが「貴志の写真、持ってないの?」と意外そうに聞くから、正直に白状したら「見せて、見せて!」とねだられてしまい。恥ずかしさを堪えて見せたら「あら~、鼻の下、伸ばしちゃって! 真唯ちゃん、こっちよ、こっち! こっちを見せて指環を作ってもらいましょ!!」なんて、とんでもなく無責任な事をおっしゃる。……アタシとしては、普段のキリッとしたイメージで作ってもらいたいのだっ!!
リザさんとちょっとした言い合いになってしまったのに、助け舟を出してくれたのは澤木さんだった。……しかも英語で。

『…どっちを使うかは、デザイナーに任せると云う事で…サンドラには、両方見てもらったらどうかな?』



……結局。
デザインはサンドラさんに任せる事になったのだが。リザさんのPCからプリントアウトしたものと、アタシのスマホからプリントアウトしたもの、両方をサンドラさんは欲しがった。そして。

『…なかなか、興味深い男性かたですわね。 …じっくりデザインを練って参りますので、少々、お時間を下さいませ。』

……指環は、11月13日に渡す予定なので、それに必ず間に合うようにする事と、依頼主の希望としてはPCの画像をイメージして欲しいとは、くれぐれもお願いしたのだったが……



※ ※ ※



「…真唯さん、さっきから浮かぬ表情かおですが…もしかして、まだ写真の事を気にしておられるのか?」

……何を当たり前の事を……他に何かあると言うなら、教えて頂きたい。
思わず、じっとりと恨みがましい上目遣いで睨んでしまったら……なぜだか、大爆笑されてしまった。

……もしも~し、アタシのの意味、通じてますかァ~~? 睨んでるんですよ、これでも。



「…い、いや…笑ってしまって失敬! いや~、女性に本気で睨まれた事なんて、何百…いえ、何十年振りだろうと思ったら可笑しくて…っ!!」
「…いいです。笑ってらして下さい。…笑うのは、健康に良いんですよ。」
「…プッ! …アハハハ…ッ! …だ、ダメだ…っ、…止まらない…! お前や、あの子が気に入るわけだ…っ!!」
「…でしょう? 私もあの子も、真唯ちゃんには敵わないのよ。」


……また、“あの子”……どうやらアタシも会った事のある人の事のようで……真唯は、ついつい気になって、リザさんに聞いてしまった。


「…あの~、失礼なんですが…お2人のおっしゃる“あの子”って、どなた様の事なんでしょうか? …私も知ってる方なんですか…?」

すると、リザさんは眼を瞬かせて。

「…あら~、ごめんなさい。 …つい晃と話す時の癖で…実は、貴志の事なのよ、真唯チャン。 …貴志の事、昔から知ってるから、つい…ね。」
「幼馴染さんだったんですか…!?」
「う~ん、厳密に言うと違うんだけど…ま、似たようなもんかな。あ、貴志には、この事ナイショ、ね。」
「…はあ…」

……相手に内緒にしておかなければいけない幼馴染って一体…?

脳内でハテナマークを飛ばしながら最後のデセールを味わっていると、「…話を戻すけど…」と澤木さんに話し掛けられて、「…あ…、ハイッ!」と彼に意識を向けた。
……そして、澤木さんから頂いてしまった言葉は、とっても重い言葉ものだった。




「…あの子は…貴志は、普段、仮面を付けて生活している。 …真唯さんは、そんなあの子の仮面を引き剥がす事に成功した、唯一の女性ひとなんだよ…。…あいつは昔から酷い人間不信で、女性不信で…まあ、生い立ちに由来する事なんだから、仕方がないんだが…一生、心を許せる女性なんか現れないんじゃないかと心配していたんだが… 真唯さんみたいに可愛いをちゃんと捕まえて…貴女のスマホの中のあの子は素の顔で、実に佳い表情かおをして微笑っていた。 …私はね、あの笑顔を見て安心したんですよ…、あの子の素顔を引き出して下さって、ありがとう、真唯さん…」



……本当に今更なのだが、一条さんが澤木さんの事を“生涯の恩人”と言っていた事を思い出す。

……この男性ひとは、一条さんのあの出生の秘密を知っていて……そして心底こころから一条さんを心配しているのだ……



そんな男性かたからの賛辞が面映ゆくて……真唯は赤面しながらついつい言い募ってしまう。


「…そんな…私はお礼を言われるような事は、なんにもしていません。…一条さんが、私を愛してくれて…私はそれに応えただけです…。…それに、本当にスゴイのは、一条さんご自身です。…勿論、澤木さんたちの支えがあってこそなんでしょうけど、あんな生い立ちであそこまで真っ直ぐに、」


「…え…、ちょっ、ちょっと待って、真唯ちゃん!」
アタシの言葉を遮ったのは、リザさんの叫びだった。

「はい、なんでしょうか?」
「…アナタ、今、サラッと凄い事を言ったけど…あいつの出生の秘密、知ってるの…?」
「…はい。 …私の帰省の時に…帰りの車の中で…告白して下さいました…」
「…そう…、あいつ、とうとう、貴女に打ち明けたの…」
「…はい。」
「…それについて、真唯ちゃんのご感想は…?」
「…感想と言っても、一言では言えませんが…“勇者”だな、とは思いました。」
「…勇者…?」


「はい。…よく、子供は親を選べないと言いますが…私は、子供が地上に降り立つ時に、産んでくれる両親を選んで産まれて来ると信じてますので…私自身が【劣等感】を学ぶため、アノ両親を選んだように…一条さんも何かを学ばれるために、あのようなご両親を選ばれたたのでしょうが…ああまで、過酷な環境を選ばなくても…と。そんな環境をあえて選んだ一条さんは、凄い勇者だと思います。…そして、私は一条さんを癒してあげるなんて、おこがましい事は出来ないけれど…私が傍にいる事で、少しでも安らいでくれればと…それだけを願います。」


アタシの答えを黙って聞いていてくれたお2人の反応は、対照的だった。

元々、こう云う話をよくするリザさんは、まるでマドンナか観音さまかと言った慈愛すら感じられる微笑みを浮かべていて……


対する澤木さんは、どこか呆然とした表情かおをしている。
……まあ普通、こんな考え方はしないよね……リザさんの恋人さんだから大丈夫かと思ったんだけど……頭オカシイ奴だと思われちゃったかナ…?


でも、すぐに立ち直った澤木さんは、こんな事を聞いて来た。



「…詐欺だとは、思わなかったの…?」
「…ハ? …詐欺…ですか…?」
「そうだよ。本家の嫡流だと思っていたのに、アテが外れた…とか。」
「………………」
「もしくは、英国貴族の正式な嫡流だったら、良かったのに…とか。」
「…澤木さん…」
「なんだい?」

「…一条さんから、澤木さんは自分の“生涯の恩人”だから、くれぐれも失礼がないようにと言われてたんですが…喧嘩なら、謹んで買わせて頂きますよ…?」

にっこり微笑った笑みは、充分、好戦的だったであろう自覚はある。



……アタシの笑みを……瞳をジッと見つめていた澤木さんは、徐に膝に置いていた白いナプキンをたたむと、給仕をするべく傍に控えていた松田さんが椅子を引くのも間に合わないほど、スックと立ち上がったかと思うと……


「…っ! 澤木様…っ!!」
松田さんの、悲鳴にも近い叫び声がして…リザさんが息を呑んだのが理解った。


それもそのはず。なんと澤木さんは、アタシごとき小娘に90度に近く深く腰を折ったのだ。

「…君と云う女性を侮辱した。
 …許してくれ、真唯さん…この通りだ…」


……アタシは軽くため息を吐くと、ナプキンをかなりいいかげんにたたんで席を立ち、澤木さんに近付いた。……松田さんが呆然自失と云った感じで立ち竦んでいらっしゃるのは、丸っと無視させて頂いた。

「…もういい…もう充分です。 …顔を上げて下さい、澤木さん。」

「…許してもらえるかな…?」
「…もともと、怒ってませんから…」
「…しかし…」

顔は上げてくれたものの、納得いかないと云った表情の澤木さんの両手を、失礼ながら握った。


「澤木さんは…“あの子”の…一条さんの事が心配だっただけですよね…?」
「……………………」
「それで…アタシは、一条さんのお嫁さんとして…合格ですか…?」

「勿論だとも。 …あの子の…貴志の花嫁は…真唯さん、君しかいない。」
……握り返してくれた手は大きくて……そして、温かかった。


……その温かさに…澤木さんには失礼ながら、随分昔に亡くなった、お祖父じいちゃんを思い出して、ジ~~ンとなってしまったのだった。




そしてはからずも、見つめ合ってしまった男性ひとの瞳は、深い深い静かな湖を思わせる穏やかさを湛えていた。



※ ※ ※



「…お詫びと言ってはなんですが…これを受け取って下さい。」

澤木さんがスーツの内ポケットから取り出したのは、“NPO”と云う透かしの入った、一枚の名刺だった。




……書かれた肩書は、【倶楽部 NPO】支配人




「…クラブを経営していらっしゃるんですか?」
「…ええ、まあね。 …ただのクラブでは、ないんですが…。そうそう、もしもこの先、何か理不尽な目に遭われるような事があったら、『私は、これを持ってるのよ!』とかざしてみたら、面白い光景が見られますよ。…特に、上流階級の連中相手には、ね。」
「…そんな予定は、今のところないんですが…もしもの時は、有り難く使わせて頂きます。」

席に戻って、後でお財布の中にでも仕舞っておこうと思って、食後の珈琲の横に置いた。

「…そうそう、貴志から雲隠れしたくなったら、いつでもそのナンバーにかけていらっしゃい。それは、滅多な他人には渡さないプライベート・ナンバーですから。喜んで、お力になりますよ。」



そんな有り難いお言葉に、

「ホントですか!?」
期待に満ちたアタシの言葉と、

「晃っ!」
リザさんの叱責するような声が重なった事は、一条さんには絶対に言えない秘密だ。






……一条さん……貴方の“生涯の恩人”と云う男性かたは……なかなかにクえないお方なのですね……








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