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本編
No,101 真唯のお盆休み 其の一
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「……秀美…もう一度聞く。……その男は、誰だって…?」
……『秀美』なんて呼ぶな、クソ親父。
「…もうボケが始まったんですか。
…だから、婚約者だと言ってるじゃないですか。」
「秀美! お父さんに、なんて口きくの!! 親に内緒で婚約なんかして!
…小出さんに、なんてお詫びしたらいいの!?
絶対に、許しませんからね!!」
……知るか。
……元々はアタシに内緒でお見合い話なんか進めてた、そっちが悪いんじゃない。
……ええ、ええ、許してもらわなくて結構。
アタシはアタシで勝手にさせて頂きます。
お盆を迎えた真唯の実家・牧野家では、仰々しいほどの盆飾り(?)をした仏間で、真唯が両親と(心の中で)睨み合って座っていた。真唯の横に座っているのは、わざわざ付いて来てくれたサマースーツ姿の一条さんだ。
本当は帰省なんかする気はなかった。
折角の夏休み、初めて出来た恋人と旅行でもしたかった。それなのに……っ!!
母親が怒っているのは、理解っている。いつも怒鳴ってばかりの父親が、一切怒鳴り声を上げないのは気味が悪いが、眉間に皺を寄せて腕組みなんかしちゃってるのだから、内心は怒っているのだろう。
だが、その100倍ぐらい、こっちは怒り狂っているのである。
喧嘩上等!
現在、ここに座っているのは、あんたたちの言いなりになって来た『牧野秀美』なんかじゃない。
あんたたちからの支配から逃れ、東京で創りあげて来た……【上井真唯】なのだ。
※ ※ ※
事の始まりは、七夕の日に貰った“マッツン”こと、田宮美穂からのメールだった。そこには、真唯を激怒させる内容が記されていたのだ。
なんと田舎の両親が、娘には内緒でお盆に見合いをさせようとしていて、母親なんか、『娘がやっと結婚出来るのよ~~。お婿さんに来てくれるって云う良い人がいてね。これで牧野家も安泰だわ~~♪』なんて、ご近所に触れまわっていると言うのだ。
その噂がまわりまわって、美穂の実家・平山家の耳に入り。平山の実母からその話を聞いたマッツンが、心配してメールをくれたのだ。彼女は真唯に同棲している恋人がいる事を知っていたから。
丁度、その日は、真唯が日頃の感謝を込めて、一条さんにお弁当を作ってあげたりしてしまった初めての日だった。
だが、そんな甘い雰囲気は、マッツンからのメールで銀河の彼方へ飛んで行ってしまった。
……七夕の逢瀬を楽しんでいた恋人たちの処まで、届いてしまったかも知れない。
真唯はジリジリと、10時を待った。
マッツンの家は食べ物屋を経営っている。閉店が午後9時。それから片付けにかかる時間を1時間みて、マッツンに電話をする時間は午後10時と決めているのだ。
8時をまわった頃、一条さんが帰って来た。彼に話をするかどうか迷ったのだが、様子のおかしい真唯に気付いた一条さんに問い詰められて仕方なく白状した。話をしている間に興奮してきてしまった真唯は、却って一条さんに宥められてしまった。そして、先ずはとにかく夕飯を食べようと云う事になったのだが、真唯はその時までそんな事も忘れてしまっていた事に気付いた。
1日の仕事を終えて疲れて帰って来た一条さんに申し訳ないと謝る真唯に、そんな事は気にする必要はないと労わってくれる一条さんに心が痛んだ。折角、七夕を意識してくれた家政婦さんの心尽くしの食卓も、食欲の失せてしまった真唯にとっては砂を噛むような味気のないものになってしまった事が申し訳ない。
そしてもっと申し訳ない事に9時ちょっと過ぎに、マッツンの方から電話があったのだ。
『もしもし。こんばんは、美穂です。真唯、早速だけど、メール見てくれた?』
「あ…、連絡、ありがと。あの…お店は大丈夫なの?」
『何言ってんの! 終わったから電話したんじゃないの!』
「いや…後片付けとか…忙しいんでしょ?」
『真唯のお陰でね! その恩人の一大事なんだもん、店の事なんか、後、後!!』
「……ありがとう……」
思わず目の奥が熱くなってしまった真唯だった。
何でも小出君の叔母さんを通して、見合いの話は持ち込まれたらしい。ただ、真唯に言うと問答無用で断るので、お盆に帰省した時に会えるようセッティングされているとの事なのだ。小出君は3男だ。だから、牧野の家に婿養子に入っても構わないと言っているらしく、牧野の両親は大乗り気、もう結納の準備もしようかしらなんて母親は言っているとの事で、真唯は噴火直前の火山にでもなった気分だ。何しろ小出君は、地元の高校教師だ。真唯の母親から見れば、優良物件だろう。真唯が小出君と結婚すれば、OLを辞めて実家に帰って来るとでも思っているに違いない。
―――……なんてお目出度い両親なんだ……―――
マッツンと話をしているうちに、怒りは度を越して……静かな深い哀しみへと姿を変えて行った。
……人を絶望の淵に追いやっておきながら……バカにするにもほどがある……
『とにかく、よく、一条さんと話しあってね!
これでも結婚経験者なんだから、何でも相談に乗るわよ!
遠慮なんかしたら、承知しないからねっ!!』
マッツンの電話は、そんな有り難いお言葉を頂戴して終わった。
心配してくれていたのだろう一条さんは、リビングで真唯を待っていてくれた。
だが、何も聞かずに、「…もう、遅いですから、お風呂へどうぞ。…話はゆっくりで良いですから…」と、先に勧めてくれたのだ。……いつもは家主に遠慮して、一番風呂は一条さんに入ってもらっている真唯も、この日は何も言わずにお言葉に甘えさせて頂いた。……落ち着く時間の必要を感じたのだ。
そして、順番にお風呂を済ませた二人は、明日の支度をしてベッドに入った。
寝室はクーラーで、快適な温度に保たれている。
……薄掛けの下、抱きあって眠れるように……
でも今日は、真唯は一条さんに背を向けた。
……両親の話をするのに、きっと自分はブスい顔になってしまうだろうから。
マッツンから聞いた話を全部話した。そして、その話を聞いた自分の想いも。
……正直、複雑な両親への想いは、伝えきれた自信はない。……あまりに強過ぎる憎しみは、とても一晩では語り切れるものではなかったから。
ポツリポツリと話す真唯の言葉を、一条さんは根気良く聞いてくれた。……背中から緩く抱き締めながら……
「明日、帰宅したら、家に電話します。そして、はっきり断ります。」
決意を込めて言った真唯の言葉に、待ったをかけたのは一条さんだった。
「……どうせなら…騙された振りをして…ご両親に恥を掻かせて差し上げたらいかがですか…?」
びっくりして、思わず振り返った真唯を迎えたのは……どこか、悪辣な微笑みだった。
「……バカにされたと感じるのなら、バカにしてやり返せば良い。…徹底的にね。」
額にキスを落としてくれる一条さんに……マッツンの時には我慢出来た涙が、いとも簡単に流れてしまう。そして、一度決壊した涙腺は、崩壊の一途を辿る。
……腹立たしくて……悔しくて……情けなくて……ゴチャゴチャになってしまった感情は、受け止めてくれる安住の地を見つけて溢れだす。
……“一条さんの腕の中”と云う、至福の楽園の中で……
次の朝、真唯の眼は真っ赤になっていて、山中さんを心配させてしまったけれど、心は穏やかだった。一条さんが思う存分、泣かせてくれたから。
……“普通の男性”なら、親は大事にしろとか、親孝行しろだのと言ってくるだろう。
だが一条さんは、一切そんな事は言わない。
真唯を肯定してくれて、味方に…共犯者になってくれる……
……真唯は、そっと、薬指の指環に接吻を落として……一条さんと云う男性と巡り会えた運命に感謝を捧げた……
※ ※ ※
そんな波乱含みの帰省は、天候にも影響を及ぼしたのか、大型の台風が近付いて来ている。下手をすれば直撃だ。
今回は交通の足が一条さんの運転するレクサスのため、さすがに交通規制が出ていたら諦めようと思っていたのだが、幸いそこまでではなかったらしく、無事に【太陽の里】に到着出来た。
……この施設も立派になったものだと、感慨深い想いで外観を眺めてしまった。
……真唯が小さい時は、もっとチャチな処だったのに……プールサイドで食べた不味いラーメンを思い出して、遠い眼になってしまふ。
宿の人のバカ丁寧さは、案内された部屋を見て納得出来た。
……また、こんなに贅沢して……と思うが、諦めのため息と共に文句は呑み込んだ。それに山梨での贅沢を思えば、このくらいカワイイものだ……と思える自分もどうかと思うのだが。
荷物を置いて、昼食をとった。立派なレストランもあったのだが、食欲がないため軽食にした。一条さんに謝罪すると、「これから最悪に嫌な相手と会うのですから、仕方がありません。」と、笑って許してくれた。(ちなみにこの時、いつもの“上井真唯センサー”が作動する事はなく、帰宅してからの真唯を落ち込ませたのは余談だ。)
食事処での他のお客さんたちの会話が耳に入って来る。この方々は普通の観光客だ。海やプール、砂風呂、露天風呂etcが利用出来ずに悔しがる姿を、申し訳ないが羨ましく思う。……そんな呑気な気分では、とてもじゃないが、いられないからだ。
8月13日。暴風雨。
真唯は何年か振りで、実家の門を潜った。
レクサスの中から【牧野造園】と云う看板を横目に見ながら。
玄関に迎えに出て来た母親は、真唯の久し振りの帰宅に相好を崩すが、娘の背後に立っている見知らぬ背の高い男性を見て凍りついてしまう。
「まあまあ! お帰りなさ~~…い…」
なんて、お間抜けな声を出しているのを聞いて、少し留飲を下げる。
「ただいま。お母さん、紹介するね。私の恋人の一条貴志さん。
今年の誕生日に婚約したの。…勿論、将来は結婚するつもり。」
今日の一条さんは、自分で用意した指環をしていた。
……仕方がない。背に腹は代えられない。
おまけに。何とノンフレームの伊達眼鏡をかけているのだ!
一条さん曰く、一種の“仮面”の様なもので、仕事中には絶対外さないのだそうだ。
私の紹介に、彼は一歩前に出ると、45度にお辞儀をした。
「こんにちは。お初にお目にかかります。
突然、お邪魔するご無礼をお許し下さい。
私、一条貴志と申します。
お嬢さんとは、結婚を前提にお付き合いさせて頂いております。」
……シ~~ン……
しばらくの沈黙の後、母親の叫びが玄関に響き渡った。
「……なによ! あんた、ホントに恋人いたのっ!?」
……ハッ?
……どーゆー意味よ、それ!?
とりあえずは上がって頂いて、応接間に通された。
奥から出て来た父親にも、一条さんを紹介して。将来は結婚する心算でいる事を強調する。
緋龍院建設の専務をしているとの本人からの名乗りにはさすがに驚き、懐から取り出された名刺に印刷された肩書を見てもまだ信じ切れていない様子だった。
「……婚約までしたなら、なんでその時に連絡寄越さないのよ、この子はっ!?」
逆ギレしたのは母親だった。
無理もない。普通なら玉の輿に乗ったと喜ぶべきトコロだが、お見合いを仕組んでいたのだから引くに引けないのだろう。しかし、そんな事より気になる事がある。
「それより、さっきの言葉…『ホントに恋人いたのか』って…あれ、どういう意味?」
すかさず突っ込むと、母親は黙ってしまった。
……自分の都合の悪い事になると、貝になるのは昔からだ。
「私に恋人がいたの知ってたの? …誰に聞いたの…?」
……そんなの、あの小出君からに決まっているだろう。知ってて聞いているアタシも人が悪いと思うが、今はそんな事に構っている場合じゃない。小出君が黙っていたならまだしも、恋人がいる事を聞いていて、お見合いをさせようとしていたなんて……許せないっ!!
そしてすっかり完全黙秘を貫いている母親に代わって、口を開いたのは父親だった。
「……実はな。…お前の同窓生の小出誠君と云う青年から、お前と結婚を前提に付き合いたいと云う申し込みがあってな。だが、東京に恋人がいるらしいとの事だから、そちらで話が進んでいるんですか?と聞かれたんだ。それを聞いた母さんが、お前に恋人なんかいるはずがない。あの子は単に見栄を張ったに違いないと、笑ってその話を一蹴したんだ。そして、小出君みたいな良い青年に想われて、お前も幸せになれるに違いないと、小出君の申し込みを受けて……今度の土曜日、16日に見合いを設定していたんだよ。」
……怒るより……呆れてしまって、脱力してしまった。
……あんなに結婚はしないと言っていた娘が、単なる見栄で『恋人がいる』なんて、冗談でも口にすると思っていたのだろうか?
……思っていたんだろうなァ……
……あんなに夫婦生活と云うものに絶望させておいて……アタシから結婚願望を奪っておいて……
……アタシの幸せ…?
……笑わせないでよ……
父親が話し終わると、再び、シンと静かになる。
だが、その静寂を再び破ったのも父親だった。
「……秀美。……ちょっと仏間に来なさい。」
……また、このパターンかとうんざりする。父親はアタシを本格的に叱る時は、牧野家先祖代々の位牌のある御大層にご立派なお仏壇が鎮座まします仏間に正座させるのだ。そこでこれでもかとばかりに、頭ごなしに怒鳴られるのだ。
……アタシが怒鳴られるのは構わないけど、今日は一条さんが一緒だから、巻きでお願いしたい……
……そんな訳で、応接間から仏間に場を移して。
座布団は勿論、4つ。アタシと一条さん対、父親と母親。
相対するように着座させられて……冒頭の台詞となるのだった。
※ ※ ※
提灯が飾られ、茄子やキュウリに割り箸を刺した精霊馬を冷めた眼で見やる。
……ご先祖さまが、あんなモノに乗るだなんて、本気で考えているのだろうか……
……父親の考える事なんて理解っている。
義理固い田舎の事だ。正式に申し込まれて、一端受けた見合いを断れる訳がない。とにかく今回は受けるだけでも受けさせようとするに違いない。
―――しかし、そうは問屋が卸さないのだ。
一条さんにはアタシを連れて逃げてもらうのだ(笑)。
某映画のラストシーンのように花嫁を連れて逃げる訳ではないからそれほどのインパクトはないかも知れないが、ウチの頭の固い両親にとっては彗星が地球に衝突する以上のディープインパクトになってくれるだろう。
そして両親は、親としての監督不行き届きを問われ、面目を潰され、ご近所では笑いものとなり……最悪、家業に影響してくるだろう。
……それだけの事をするのだ。真唯としても覚悟は出来ている。
多分、この家に二度と戻って来るなと怒鳴られるだろうし、最悪、親子の縁を切ると言われるかも知れない。
……だが、それこそ望むところだ。
こっちはアンタたちを、本当の親とは思っていないのだ。
却ってせいせいする。
しばらく瞑目して腕を組んでいた父親が、眼を開くとスックと立ち上がった。
……さあ、くるぞ。用意しよう、心の耳栓。
どんな罵倒にも、暴言にも耐えてみせる。
……アタシには、一条さんがついててくれるんだから。
……そんな風に思いつめて、心の準備をしていたものだから、次に続いた父親の言葉に咄嗟に反応出来なかった。
「……秀美の気持ちは良く理解った。わしたちが面目を潰せば済む事だ。
小出さんには申し訳ないが、今回の見合いはなかった事にして頂こう。」
……『秀美』なんて呼ぶな、クソ親父。
「…もうボケが始まったんですか。
…だから、婚約者だと言ってるじゃないですか。」
「秀美! お父さんに、なんて口きくの!! 親に内緒で婚約なんかして!
…小出さんに、なんてお詫びしたらいいの!?
絶対に、許しませんからね!!」
……知るか。
……元々はアタシに内緒でお見合い話なんか進めてた、そっちが悪いんじゃない。
……ええ、ええ、許してもらわなくて結構。
アタシはアタシで勝手にさせて頂きます。
お盆を迎えた真唯の実家・牧野家では、仰々しいほどの盆飾り(?)をした仏間で、真唯が両親と(心の中で)睨み合って座っていた。真唯の横に座っているのは、わざわざ付いて来てくれたサマースーツ姿の一条さんだ。
本当は帰省なんかする気はなかった。
折角の夏休み、初めて出来た恋人と旅行でもしたかった。それなのに……っ!!
母親が怒っているのは、理解っている。いつも怒鳴ってばかりの父親が、一切怒鳴り声を上げないのは気味が悪いが、眉間に皺を寄せて腕組みなんかしちゃってるのだから、内心は怒っているのだろう。
だが、その100倍ぐらい、こっちは怒り狂っているのである。
喧嘩上等!
現在、ここに座っているのは、あんたたちの言いなりになって来た『牧野秀美』なんかじゃない。
あんたたちからの支配から逃れ、東京で創りあげて来た……【上井真唯】なのだ。
※ ※ ※
事の始まりは、七夕の日に貰った“マッツン”こと、田宮美穂からのメールだった。そこには、真唯を激怒させる内容が記されていたのだ。
なんと田舎の両親が、娘には内緒でお盆に見合いをさせようとしていて、母親なんか、『娘がやっと結婚出来るのよ~~。お婿さんに来てくれるって云う良い人がいてね。これで牧野家も安泰だわ~~♪』なんて、ご近所に触れまわっていると言うのだ。
その噂がまわりまわって、美穂の実家・平山家の耳に入り。平山の実母からその話を聞いたマッツンが、心配してメールをくれたのだ。彼女は真唯に同棲している恋人がいる事を知っていたから。
丁度、その日は、真唯が日頃の感謝を込めて、一条さんにお弁当を作ってあげたりしてしまった初めての日だった。
だが、そんな甘い雰囲気は、マッツンからのメールで銀河の彼方へ飛んで行ってしまった。
……七夕の逢瀬を楽しんでいた恋人たちの処まで、届いてしまったかも知れない。
真唯はジリジリと、10時を待った。
マッツンの家は食べ物屋を経営っている。閉店が午後9時。それから片付けにかかる時間を1時間みて、マッツンに電話をする時間は午後10時と決めているのだ。
8時をまわった頃、一条さんが帰って来た。彼に話をするかどうか迷ったのだが、様子のおかしい真唯に気付いた一条さんに問い詰められて仕方なく白状した。話をしている間に興奮してきてしまった真唯は、却って一条さんに宥められてしまった。そして、先ずはとにかく夕飯を食べようと云う事になったのだが、真唯はその時までそんな事も忘れてしまっていた事に気付いた。
1日の仕事を終えて疲れて帰って来た一条さんに申し訳ないと謝る真唯に、そんな事は気にする必要はないと労わってくれる一条さんに心が痛んだ。折角、七夕を意識してくれた家政婦さんの心尽くしの食卓も、食欲の失せてしまった真唯にとっては砂を噛むような味気のないものになってしまった事が申し訳ない。
そしてもっと申し訳ない事に9時ちょっと過ぎに、マッツンの方から電話があったのだ。
『もしもし。こんばんは、美穂です。真唯、早速だけど、メール見てくれた?』
「あ…、連絡、ありがと。あの…お店は大丈夫なの?」
『何言ってんの! 終わったから電話したんじゃないの!』
「いや…後片付けとか…忙しいんでしょ?」
『真唯のお陰でね! その恩人の一大事なんだもん、店の事なんか、後、後!!』
「……ありがとう……」
思わず目の奥が熱くなってしまった真唯だった。
何でも小出君の叔母さんを通して、見合いの話は持ち込まれたらしい。ただ、真唯に言うと問答無用で断るので、お盆に帰省した時に会えるようセッティングされているとの事なのだ。小出君は3男だ。だから、牧野の家に婿養子に入っても構わないと言っているらしく、牧野の両親は大乗り気、もう結納の準備もしようかしらなんて母親は言っているとの事で、真唯は噴火直前の火山にでもなった気分だ。何しろ小出君は、地元の高校教師だ。真唯の母親から見れば、優良物件だろう。真唯が小出君と結婚すれば、OLを辞めて実家に帰って来るとでも思っているに違いない。
―――……なんてお目出度い両親なんだ……―――
マッツンと話をしているうちに、怒りは度を越して……静かな深い哀しみへと姿を変えて行った。
……人を絶望の淵に追いやっておきながら……バカにするにもほどがある……
『とにかく、よく、一条さんと話しあってね!
これでも結婚経験者なんだから、何でも相談に乗るわよ!
遠慮なんかしたら、承知しないからねっ!!』
マッツンの電話は、そんな有り難いお言葉を頂戴して終わった。
心配してくれていたのだろう一条さんは、リビングで真唯を待っていてくれた。
だが、何も聞かずに、「…もう、遅いですから、お風呂へどうぞ。…話はゆっくりで良いですから…」と、先に勧めてくれたのだ。……いつもは家主に遠慮して、一番風呂は一条さんに入ってもらっている真唯も、この日は何も言わずにお言葉に甘えさせて頂いた。……落ち着く時間の必要を感じたのだ。
そして、順番にお風呂を済ませた二人は、明日の支度をしてベッドに入った。
寝室はクーラーで、快適な温度に保たれている。
……薄掛けの下、抱きあって眠れるように……
でも今日は、真唯は一条さんに背を向けた。
……両親の話をするのに、きっと自分はブスい顔になってしまうだろうから。
マッツンから聞いた話を全部話した。そして、その話を聞いた自分の想いも。
……正直、複雑な両親への想いは、伝えきれた自信はない。……あまりに強過ぎる憎しみは、とても一晩では語り切れるものではなかったから。
ポツリポツリと話す真唯の言葉を、一条さんは根気良く聞いてくれた。……背中から緩く抱き締めながら……
「明日、帰宅したら、家に電話します。そして、はっきり断ります。」
決意を込めて言った真唯の言葉に、待ったをかけたのは一条さんだった。
「……どうせなら…騙された振りをして…ご両親に恥を掻かせて差し上げたらいかがですか…?」
びっくりして、思わず振り返った真唯を迎えたのは……どこか、悪辣な微笑みだった。
「……バカにされたと感じるのなら、バカにしてやり返せば良い。…徹底的にね。」
額にキスを落としてくれる一条さんに……マッツンの時には我慢出来た涙が、いとも簡単に流れてしまう。そして、一度決壊した涙腺は、崩壊の一途を辿る。
……腹立たしくて……悔しくて……情けなくて……ゴチャゴチャになってしまった感情は、受け止めてくれる安住の地を見つけて溢れだす。
……“一条さんの腕の中”と云う、至福の楽園の中で……
次の朝、真唯の眼は真っ赤になっていて、山中さんを心配させてしまったけれど、心は穏やかだった。一条さんが思う存分、泣かせてくれたから。
……“普通の男性”なら、親は大事にしろとか、親孝行しろだのと言ってくるだろう。
だが一条さんは、一切そんな事は言わない。
真唯を肯定してくれて、味方に…共犯者になってくれる……
……真唯は、そっと、薬指の指環に接吻を落として……一条さんと云う男性と巡り会えた運命に感謝を捧げた……
※ ※ ※
そんな波乱含みの帰省は、天候にも影響を及ぼしたのか、大型の台風が近付いて来ている。下手をすれば直撃だ。
今回は交通の足が一条さんの運転するレクサスのため、さすがに交通規制が出ていたら諦めようと思っていたのだが、幸いそこまでではなかったらしく、無事に【太陽の里】に到着出来た。
……この施設も立派になったものだと、感慨深い想いで外観を眺めてしまった。
……真唯が小さい時は、もっとチャチな処だったのに……プールサイドで食べた不味いラーメンを思い出して、遠い眼になってしまふ。
宿の人のバカ丁寧さは、案内された部屋を見て納得出来た。
……また、こんなに贅沢して……と思うが、諦めのため息と共に文句は呑み込んだ。それに山梨での贅沢を思えば、このくらいカワイイものだ……と思える自分もどうかと思うのだが。
荷物を置いて、昼食をとった。立派なレストランもあったのだが、食欲がないため軽食にした。一条さんに謝罪すると、「これから最悪に嫌な相手と会うのですから、仕方がありません。」と、笑って許してくれた。(ちなみにこの時、いつもの“上井真唯センサー”が作動する事はなく、帰宅してからの真唯を落ち込ませたのは余談だ。)
食事処での他のお客さんたちの会話が耳に入って来る。この方々は普通の観光客だ。海やプール、砂風呂、露天風呂etcが利用出来ずに悔しがる姿を、申し訳ないが羨ましく思う。……そんな呑気な気分では、とてもじゃないが、いられないからだ。
8月13日。暴風雨。
真唯は何年か振りで、実家の門を潜った。
レクサスの中から【牧野造園】と云う看板を横目に見ながら。
玄関に迎えに出て来た母親は、真唯の久し振りの帰宅に相好を崩すが、娘の背後に立っている見知らぬ背の高い男性を見て凍りついてしまう。
「まあまあ! お帰りなさ~~…い…」
なんて、お間抜けな声を出しているのを聞いて、少し留飲を下げる。
「ただいま。お母さん、紹介するね。私の恋人の一条貴志さん。
今年の誕生日に婚約したの。…勿論、将来は結婚するつもり。」
今日の一条さんは、自分で用意した指環をしていた。
……仕方がない。背に腹は代えられない。
おまけに。何とノンフレームの伊達眼鏡をかけているのだ!
一条さん曰く、一種の“仮面”の様なもので、仕事中には絶対外さないのだそうだ。
私の紹介に、彼は一歩前に出ると、45度にお辞儀をした。
「こんにちは。お初にお目にかかります。
突然、お邪魔するご無礼をお許し下さい。
私、一条貴志と申します。
お嬢さんとは、結婚を前提にお付き合いさせて頂いております。」
……シ~~ン……
しばらくの沈黙の後、母親の叫びが玄関に響き渡った。
「……なによ! あんた、ホントに恋人いたのっ!?」
……ハッ?
……どーゆー意味よ、それ!?
とりあえずは上がって頂いて、応接間に通された。
奥から出て来た父親にも、一条さんを紹介して。将来は結婚する心算でいる事を強調する。
緋龍院建設の専務をしているとの本人からの名乗りにはさすがに驚き、懐から取り出された名刺に印刷された肩書を見てもまだ信じ切れていない様子だった。
「……婚約までしたなら、なんでその時に連絡寄越さないのよ、この子はっ!?」
逆ギレしたのは母親だった。
無理もない。普通なら玉の輿に乗ったと喜ぶべきトコロだが、お見合いを仕組んでいたのだから引くに引けないのだろう。しかし、そんな事より気になる事がある。
「それより、さっきの言葉…『ホントに恋人いたのか』って…あれ、どういう意味?」
すかさず突っ込むと、母親は黙ってしまった。
……自分の都合の悪い事になると、貝になるのは昔からだ。
「私に恋人がいたの知ってたの? …誰に聞いたの…?」
……そんなの、あの小出君からに決まっているだろう。知ってて聞いているアタシも人が悪いと思うが、今はそんな事に構っている場合じゃない。小出君が黙っていたならまだしも、恋人がいる事を聞いていて、お見合いをさせようとしていたなんて……許せないっ!!
そしてすっかり完全黙秘を貫いている母親に代わって、口を開いたのは父親だった。
「……実はな。…お前の同窓生の小出誠君と云う青年から、お前と結婚を前提に付き合いたいと云う申し込みがあってな。だが、東京に恋人がいるらしいとの事だから、そちらで話が進んでいるんですか?と聞かれたんだ。それを聞いた母さんが、お前に恋人なんかいるはずがない。あの子は単に見栄を張ったに違いないと、笑ってその話を一蹴したんだ。そして、小出君みたいな良い青年に想われて、お前も幸せになれるに違いないと、小出君の申し込みを受けて……今度の土曜日、16日に見合いを設定していたんだよ。」
……怒るより……呆れてしまって、脱力してしまった。
……あんなに結婚はしないと言っていた娘が、単なる見栄で『恋人がいる』なんて、冗談でも口にすると思っていたのだろうか?
……思っていたんだろうなァ……
……あんなに夫婦生活と云うものに絶望させておいて……アタシから結婚願望を奪っておいて……
……アタシの幸せ…?
……笑わせないでよ……
父親が話し終わると、再び、シンと静かになる。
だが、その静寂を再び破ったのも父親だった。
「……秀美。……ちょっと仏間に来なさい。」
……また、このパターンかとうんざりする。父親はアタシを本格的に叱る時は、牧野家先祖代々の位牌のある御大層にご立派なお仏壇が鎮座まします仏間に正座させるのだ。そこでこれでもかとばかりに、頭ごなしに怒鳴られるのだ。
……アタシが怒鳴られるのは構わないけど、今日は一条さんが一緒だから、巻きでお願いしたい……
……そんな訳で、応接間から仏間に場を移して。
座布団は勿論、4つ。アタシと一条さん対、父親と母親。
相対するように着座させられて……冒頭の台詞となるのだった。
※ ※ ※
提灯が飾られ、茄子やキュウリに割り箸を刺した精霊馬を冷めた眼で見やる。
……ご先祖さまが、あんなモノに乗るだなんて、本気で考えているのだろうか……
……父親の考える事なんて理解っている。
義理固い田舎の事だ。正式に申し込まれて、一端受けた見合いを断れる訳がない。とにかく今回は受けるだけでも受けさせようとするに違いない。
―――しかし、そうは問屋が卸さないのだ。
一条さんにはアタシを連れて逃げてもらうのだ(笑)。
某映画のラストシーンのように花嫁を連れて逃げる訳ではないからそれほどのインパクトはないかも知れないが、ウチの頭の固い両親にとっては彗星が地球に衝突する以上のディープインパクトになってくれるだろう。
そして両親は、親としての監督不行き届きを問われ、面目を潰され、ご近所では笑いものとなり……最悪、家業に影響してくるだろう。
……それだけの事をするのだ。真唯としても覚悟は出来ている。
多分、この家に二度と戻って来るなと怒鳴られるだろうし、最悪、親子の縁を切ると言われるかも知れない。
……だが、それこそ望むところだ。
こっちはアンタたちを、本当の親とは思っていないのだ。
却ってせいせいする。
しばらく瞑目して腕を組んでいた父親が、眼を開くとスックと立ち上がった。
……さあ、くるぞ。用意しよう、心の耳栓。
どんな罵倒にも、暴言にも耐えてみせる。
……アタシには、一条さんがついててくれるんだから。
……そんな風に思いつめて、心の準備をしていたものだから、次に続いた父親の言葉に咄嗟に反応出来なかった。
「……秀美の気持ちは良く理解った。わしたちが面目を潰せば済む事だ。
小出さんには申し訳ないが、今回の見合いはなかった事にして頂こう。」
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2人の出会いを描いた作品はこちら
「純粋無垢なプリンセスを野盗から助け出したのは、冷徹と噂される美麗国王でした」https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/443443630
2人の誓約の儀を描いた作品はこちら
「純粋無垢なプリンセスは、冷徹と噂される美麗国王と誓約の儀を結ぶ」
https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/183445041
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