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本編
No,97 【番外編】専務秘書・山中一道の憂鬱 其の二
しおりを挟む―――半年後―――
「なんですって!? 予約されていない!?
そんなバカな!! ちゃんと、確かめて下さいっ!!」
専務秘書室で横の小林が何事かと俺を伺っているが、そんな事に構っている余裕は今の俺にはない。中東のK国で展開される新事業の件で、そのK国のアフザル殿下が来日するのだが、明日の晩餐で日本通の殿下をお持て成しするための料亭の予約確認の連絡を入れたら、『申し訳ありませんが、そのようなご予約は頂いておりません。』と言われてしまったのだ。
何回確かめても、答えは同じ。
予約はされていない、の一点張りだ。
「……ちょっと、待ってて下さい!!」
一端、電話を保留にして、約2ヶ月前のメールを確認する。確かにネット予約したんだ!
『予約仮受付』と『確かに予約を承りました』との予約完了の返信メールが来ていたはずだ!!
……しかし、受信メールボックスのどこを探しても、吉兆からのメールがない。
まさか、誤ってゴミ箱に捨ててしまったのかと、一縷の望みを抱いて漁ってみても……やっぱり、なかった。
……呆然とする心地の中、吉兆の女将の言葉が耳に木霊する。
『明日のその時間は、御社の常務様からのご予約を頂いております。
…失礼ですが、そのお方と調整されては、いかがでしょうか?』
震える声で、そのお方の名前を確認する。
そして、その名前を聞いた途端、点と線が繋がり怒りが爆発する。
……やりやがったな!
あの、アデランス親父っ!!
あの隠れハゲ親父が、陰で一条専務を罵倒する声は耳に届いていた。 ……彼の秘書に任命された井手先輩が、俺を批判する声も。そして、東大出の井手先輩が、実は悪質のクラッカーである事がまことしやかに噂されていて……逮捕歴があるとかないとか、そんな無責任な噂もあったんだ。俺はその噂を聞いた時、ハッカーより性質の悪いクラッカーが緋龍院建設に入社出来るもんかと、却ってそんな噂を流した犯人を軽蔑したもんだが……
……いや。
今は、そんな事を考えている場合じゃない!!
……悔しいが、俺のミスだ。
直接、電話予約でもしていれば、『ご芳名』として、向こうの予約帳に記入されていたんだ。
俺は小林に頼んだ。
「すまない、小林。予約ミスを発生させてしまった。
申し訳ないんだが、今している仕事の手を止めて、手伝ってくれないか?」
俺の電話を聞いていた彼は、快く引き受けてくれた。
「分かりました。それって、明日の外国からのお偉いさんの接待の件ですよね。」
「そうだ。決して落とせない、大事な相手だ。銀座や赤坂辺り、いや、どこか郊外でもいい。とにかく一流どころをすべて、片っぱしから当たってみてくれ!」
「了解しました!!」
それからは時間との闘いだった。料亭、割烹、寿司屋、天麩羅屋などの一流どころを2人でしらみつぶしに電話をしてまわる。しかし、仮にも“一流どころ”を自負する場所の特別室は、当然のようにすべて予約済みでいっぱいだった。万が一にも、突然のキャンセル空きなどがないかと諦めずに探し続けた。
……そして、約1時間が過ぎようとしていた頃。
専務室のドアが開いた。
「……話は、聞こえていた。 ……明日の殿下との接待だな。」
在室していた一条専務には、筒抜けだっただろう。…本来なら、立ち上がり最敬礼で謝罪すべきところだが、今はその時間も惜しい。子機を片手に、座ったまま謝罪する。
「……はい。申し訳ございません! 私の責任です!
ですが、必ず、探しますのでっ!!」
……俺の瞳を見ていた専務が……フッと、微笑ったような気がした。
そうして。
「私に一つ、心当たりがある。出来ればこれ以上、借りは作りたくない相手だが…場合が場合だ。頼んでみよう。」
そう言って部屋に戻って、きっちり15分後。
「話はついた。明日の晩…殿下を【倶楽部 NPO】にご招待する。」
……俺は、耳を疑った。そして思わず、大声で叫んでしまった。
「……【倶楽部 NPO】!? ……実在したんですかっ!?」
横で、小林がキョトンとしているのが理解る。
―――……無理もない…半ば、伝説と化している、幻のクラブなんだから……―――
―――……【CLUB NPOE】と接触出来るなんて……この男は、一体……っ!?―――
……専務は今度こそ、微笑った。
「……ほら、山中君、ボケッとしている時間はないぞ。約1時間半のロスだ。
しっかり取り戻して、明日に備えて早く帰れるように頑張ってくれ。」
パタン
専務室のドアが閉まった音に、俺が金縛りから解ける。
そして、急いで専務の後を追った。
「……やられたな……」
新橋方面の夕景を背景に、一条専務は苦笑していた。
……俺が気付いた事に、この男が気付かない訳がない。
……たが、けじめはけじめだ。
「今回は、私のミスです! 申し訳ありませんでした!!」
180度に届きそうな勢いで、腰を折って謝罪する。
「…その態度だよ。」
ポツリと言った声に、腰を折ったまま顔を上げた。
「…罠に嵌った事に気付いていながら、一切の弁解をせずに、潔く自分の落ち度を認め謝罪した。その態度に免じて、私は【あの方】に借りを作ったんだ。」
専務の静かな声と瞳に、ゴクリと喉が鳴る。
「…さあ、私に対する謝罪はもういいから、遅れた分を取り戻したまえ。
そして出来れば、君の知る事だけでいい。
【倶楽部 NPO】に関する事を、小林君に教えてやってくれ。」
そう言って俺から視線を外すと、パソコンに意識を向けてしまう。
「……はい! ありがとうございました!! ……失礼致します!」
もう一度最敬礼して、俺は隣の秘書室に戻って……大車輪で残りの仕事を片付け始めた。
「【CLUB NPOE】? ……何ですか、それ?」
俺は迷惑を掛けてしまったお詫びに、小林を【天國】の小さな個室に誘った。天麩羅御膳とノンアルコールビールで、ささやかな慰労会をしながら、俺は説明した。 ……こんな話、誰にも聞かれたくない。
「……幻と言われる、伝説になっているクラブだ。
……NPOEって云うのは、『No Place On The Earth』の略だ。」
「それなら、『NPOTE』じゃないスか。『The』が抜けてますよ!」
「細かい事言うな! そう言われてんだから、しょうがないだろ!!
……とにかく、“地球上の何処にもない場所”って意味なんだよっ!!」
ビールを飲みほした小林に酌をしてやると、「すんません。」と頭を下げて来る。
こんなところが、憎めない奴なんだよ。
……井手先輩と……いや、もう呼び捨てでいいや! あんな奴とは大違いだ!!
……今回の事は、井手のクラッキングだ。
吉兆のパソコンに侵入して、俺の予約を削除した。
そして、あのハゲ常務の接待を入れやがったんだ。
しかもご丁寧に、本社のセキュリティを突破して、俺のパソコンに侵入してメールを削除した。
……俺に……ひいては、一条専務に頭を下げさせたい為だけに……
……確かにこんな隠し玉がなければ、俺と専務は明日の接待を実現させる為に、下げたくもない頭を下げる破目に追い込まれていただろう。
……それを見て、嘲笑いたかったに違いない。
……そんな事の為に、ここまでやるかと怒りが湧くが……告発するには肝心の証拠がない!!
……畜生っ!!!
「……なんスか、山中さん…ンな、おっかない顔して……」
小林の声に、ハッと意識を取り戻す。
「黙ってないで、説明の続きをお願いしますよ。
その【NPOE】とか言う、御大層な名前のクラブの、どこが幻なんですか?」
「……あ、ああ。」
俺がビールを飲み干すと、今度は小林が酌をしてくれる。それを苦笑いで受けて、俺は続ける。
「……幻とまで言われるには、ちゃんと理由がある。……第一に、誰もその場所を知らない。いや、黙って聞けよ。一般には知られてないって云う意味だ。……ただ、特別な資格を持った、世界の超VIPと言われる人間だけが利用する事を許されていると噂が流れているだけの、秘密の場所なんだ。
……しかも、そこを1度でも利用した顧客は、絶対にリピーターになると言われている秘密クラブなんだ。……これは、マユツバなんだが、一説では、あの、フ○ーメー○ンとも関わりがあると言う……ああ、理解ってるよ!つまり、それぐらい、うさんくさい、実在そのものが疑われている、幻のクラブなんだよっ!!!」
……小林の、イタイ人間を見るような眼がホントに痛いが……そんな風に噂されているのは事実なんだから、しょーがないだろ!!
夕飯を食い終わって、2本目のビールをチビリチビリと飲りながら、向かいの後輩は尚も尋ねて来る。
「……その【CLUB NPOE】ってモンは理解しましたよ。
……相当、うさんくさいスけど。
でも、【倶楽部 NPO】って云うのは、なんなんスか?
そもそも、明日、行く事になってるのは、そっちなんでしょ?」
「ああ。【倶楽部 NPO】って云うのは、【CLUB NPOE】の日本支部の事さ。NPO…“非営利団体”とかけてる、一種の洒落…まあ、通称でしかないんだけどな。」
「…なんか、ますます、うさんくさいスね…大丈夫なんスか、明日の接待…」
……それを言うなよ……俺が一番不安に思ってるんだから……
……だがK国での新事業は、一条専務の“専務”としての初仕事だ。
難攻不落と言われていたアフバル殿下を落としたのは、専務だ。
土木管理本部部長補佐から専務へと昇進する切っ掛けにもなった大仕事なのだから。
……今回の接待の重要性を誰よりも理解しているはずの、一条専務を信じるしかない……
……俺と小林の屈託を呑み込むように、その夜は更けて行った。
※ ※ ※
翌日。王室専用のプライベートジェットで成田に到着されたアフバル殿下は、この上なく上機嫌だった。
『ミスター・イチジョウ!
例の場所に連れて行ってくれると云うのは、本当だろうね!?』
白いグトラとカンドゥーラを纏った殿下は、当然のように流暢な英語を話される。
『勿論です。 …ただ、お電話でお話ししました通り、多少、不愉快な思いをさせてしまう事をお許し下さい。』
一条専務は、普段は綺麗なクイーンズイングリッシュを使うが、商談の時は大抵、アメリカ英語だ。
成田から専務がご自身で手配した小型ジェットに乗り換え、殿下をご案内する。今日は小林は留守番だ。……専務に言わせれば、“まだ、早い”と云う事らしい。
『景色が見たいな。窓を開けてくれないか?』
『…殿下…』
『冗談だよ。』
『これが、向こうの条件なのです。これを破れば殿下は、【CLUB NPOE】へのご入会は叶いません。』
……ここまでして、場所を分からないようにさせているとは思わなかった……
……せめてもの救いは、ガードたちの表情がハッキリ不快なものになっているのに反して、殿下だけは始終、楽しそうにしていらっしゃる事だけだ……
―――……ああ……心臓に悪い……―――
上機嫌な殿下と不機嫌な部下たちと。冷静な専務と不安な俺を乗せて機体は飛び続け……着いたのは、ある離島の立派な飛行場だった。迎えのリムジンに乗り込み、雑然とした雑木林に囲まれた中、舗装された一本道を走り抜けて、着いた処は。
……おいおい、シャレがキツイだろう…っ!?
『…これは、また…なんとも風変わりな建物だな。
…異国情緒は、たっぷりだが。』
感心したような、呆れたような殿下のお言葉に、顔を見る事が出来ない。
……多分、後者だ。
『殿下は、日本の【浦島太郎】と云う昔話をご存じですか?』
専務はその悪趣味とも云える門を潜り、殿下たちを先導して進む。
『いや…聞いた事がないな。』
『…浦島太郎と云う若者が、一匹の亀を助けるんです。助けられた亀は、生命の恩人である彼を【竜宮城】と云う夢のような御殿に連れて行き、【乙姫】と云う美女に宴を催され、歓待されるんです。 …ここは、現代の【竜宮城】と云うわけですよ。』
その瞬間、まるでタイミングを計ったように、朱色の扉が開けられる。
『ようこそ、【倶楽部 NPO】へ。』
迎えてくれたのは、燕尾服を纏った初老の日本人。
……しかし、その風格は、まるで話に聞く本物の執事のようだ。
内部は意外にも洋風だった。
何階分、ぶちぬきなのか、巨大なシャンデリアが輝き、総大理石のエントランスホールは俺のような一般庶民には眩いくらいだが、さすがに殿下は平然としていらっしゃる。
『先ずは、こちらでお寛ぎ下さいませ。』
中央の大階段を上がって、通されたのは豪奢な応接間だった。
出されたのは……緑茶だった。
『さすがに、旨いな。』
『恐れ入ります。』
……本当に、うまいお茶だった。
今まで飲んできた中で、一番だと云える茶だ。
香りが豊かで味が濃厚だ。……多分、極上の玉露だろう。
淹れ方にも工夫が必要なはずだ。
それを難なくこなす職人芸を、この執事にみた思いだった。
ひと時のティーブレークの時間が終わると、茶器を片付けた執事が場を変えようとして、ひと騒動が起こった。
『我々は、殿下のお傍を離れん!』
『……殿下がお愉しみになる間にお傍に付いていると云うのは、無粋でございます。』
『何だとっ!?』
『もう一度申し上げます。殿下がお戻りになるまで、こちらでお待ち下さいませ。』
『断るっ!!』
一触即発のような雰囲気に、俺はハラハラする。
……そんなに落ち着いてて、いいんですか、専務!?
『……私に、彼らに見られて困る事などない。
例え、私がSEXしていても、彼らは眉1つ動かす事はない。』
場を取りなすように殿下の静かな、だが厳然たる声が響く。
それを聞いた執事が『…少々、失礼致します。』と言って、殿下の耳元に何事か囁いた。
……その瞬間の、殿下の表情こそ、見ものだった。
いつも食えない穏やかな笑みを湛えている彼が、一瞬にして強張り。良く陽に焼けた褐色の肌が白くなっていく様子は、場も雰囲気も考えずに(おおっ!!)と声を出してしまいそうになった。
しかし、どんな心境の変化か、口角がゆっくりと上がっていき……殿下の表情は、完全に何かを面白がるようなものに変わっていった。
そして。
『……いいだろう。お前たちは、ここで待て。』
『……っ! しかし、殿下……っ!!』
『命令だ。』
『……畏まりました。』
主の突然の翻意に反発はあったものの、ガードたちにとって殿下の言葉は絶対だった。
……そして、殿下は執事の案内によって、部屋を出て行ってしまった。
……それから、約2時間ほど、待たされる事になるわけだが……生きた心地がしないと云うのは、ああいう時の事を言うのだろう。
途中、あの執事らしき老人が部屋に来て、
『殿下はお食事をとっておられます。食事をして待てとの、殿下のお言葉でございますので、皆さまも何かお召し上がり下さいませ。』
フードメニューとドリンクメニューを渡されたが、そのブ厚さに驚いた。和食、洋食、中華、なんでもある。勿論、イスラム法を遵守して準備・加工された“ハラールフード”も。酒も、ありとあらゆるものが揃っている。……値段が書かれていないのが、コワイ。
一条専務は、牛フィレステーキのコースを注文した。
俺は食欲がまったくと言っていいほどなかったので、無難に刺身御膳にした。
……ホントはお粥か、お茶漬けでもいいくらいだったのだが。
すると専務が、日本語で話し掛けて来た。
「なんだ、なんだ。経費で落ちるんだぞ。もっと、豪勢な物を頼んだらどうだ。折角、石油王との接待なんだから。」
「……無茶言わないで下さいよ……」
「ここの物は、何でも美味いぞ?」
「……専務は、ここに来た事がおありなんですか……?」
「……黙秘権を行使する。」
「……………………」
ダイニングルームとおぼしき場所で、優雅にカトラリーを操りボルドーの赤ワインを堪能してる専務を見ながら、そのあまりにも慣れた様子に、きっと初めてではないんだろうと思えた。
……こんな状況でなければ、もっと楽しめただろう食事は、それでも十二分に俺の舌を満足させてくれたが。
―――結果から言えば、今回の接待は大成功だった。
俺の眼の前では、上司が接待相手に興奮したような握手攻めにあっている。
アフバル殿下はここが殊の外、お気に召したようで、頬を紅潮させ『こんな素晴らしい接待は、初めてだったっ!!』『また、是非、連れて来てもらいたい!!』と口から泡を飛ばさんばかりに言い募っている。
……やはり、あの噂は、本当だったんだ……
俺が、【CLUB NPOE】に関する噂を思い出し、ボーッとしていると、コンコンとノックの音がした。
『失礼致します。』
応接間に入って来たのは執事さんと、もう一人の端正な顔立ちの日本人男性。
年の頃は俺と同じか、ちょい上くらい。
……しかし、やたらと存在感を感じる男だった。
そして、突然、会話はアラビア語になった。 ……当然、俺には理解らなくて……この会話は、俺に聞かれたくないものだと云う事を理解した。
専務は殿下に、その男を紹介しているような感じだ。【CLUB NPOE】と、【アキラ・サワキ】と云う名前らしき言葉だけはかろうじて聞きとれた。……それが、彼の名前なんだろうか……
殿下とサワキ氏(多分)が握手を交わして……少しの会話で、殿下の興奮状態はピークに達した。そして、サワキ氏がスーツの胸元にあった深紅の薔薇を殿下に差し出すと……何と殿下の眼が潤み出したもんだから、本当に魂消た。薔薇を受け取った殿下が、両手に捧げ持つように、その薔薇を持ち……サワキ氏に深く頭を下げている! ……あの、傲岸不遜な殿下が!!
……俺の口から出た魂は、殿下が今夜宿泊予定の帝都ホテルのロイヤル・パークスイートに送り届けるまで、戻って来る事はなかった……
※ ※ ※
「……お疲れ様」
「……専務こそ、お疲れ様でした。」
アフバル殿下は【倶楽部 NPO】での接待を含め、3日間の滞在を終え無事に帰国の途に着かれた。
成田での見送りの際、例のクラブへの再訪の確約を迫る勢いには閉口したが、『御社との協力関係は、今後も良好に保たれるだろう。』と云う言葉を引き出した時には、(やった…っ!!)と思ったもんだ。
緋龍院建設本社の中を、殿下をご案内している時に、あのアデランス常務と井手を見掛けたが、すぐに頭を下げられたので表情は見えなかった。だが、きっと、平静を取りつくろおうとも、内心は歯軋りしていたはずだ。ざまあみろ!!と、思う。
ちなみに、あの場所で接待をしたと云う事は、極秘事項とされた。俺と専務と小林、そして、経理のトップと社長のみが知っている秘密だ。命が惜しければ、口外しないほうがいいと専務に物騒な事を言われたが、誰が口外するもんか。きっと、誰にも信じてもらえない。あんな処に行ったなんて、全てが終わった今だって実感が湧かないのに……
……そうだ。
……あれは、竜宮城へ行ったと云う夢だったんだ……
……それにしても。
「どうした、山中君。浮かない表情をして。」
「……あ…いえ……」
「何だ。気になるじゃないか。…言ってみたまえ。」
「……口惜しいんです…このまま、泣き寝入りと云うのが……」
「…………………………」
「……すみません…忘れます。」
「忘れなくて良い」
「……でも…っ!」
専務室のデスクに座っていた彼は、立ち上がると背後のガラス張りの壁に向かい、俺に背を向けた。
……だが、鏡状になっているそこで、俺は見てしまったんだ…専務の表情を……
「……自分が、一体、誰の邪魔をしようとしたのか…しっかり理解してもらう必要がある。」
その後、間もなく。
常務は、横領と強制わいせつ罪で逮捕された。
『俺は横領なんて、やっていない! 濡れ衣だ!!』と叫んでいたそうだが、(ふ~ん、わいせつ罪は認めるんだ…)と、さめた目でしか見る事が出来なかった。
井手も逮捕された。どうやら悪質なクラッキングを繰り返していたらしい。噂は真実だったのだ。当然、2人とも即解雇になったが、スーパーゼネコンの社員の犯罪は、一時、マスコミを賑わせる事となった。
……しかし井手は、今まで証拠が上がらなかったのに、どうやって……と思うが、特別パソコンに詳しくもない俺に理解る訳がない。
―――専務だ。
このところ、専務がやけに楽しそうに、二つのパソコンに向かっていたのを思い出す。
証拠はないが、根拠ならある。
……あの瞬間の、専務の表情だ。
……思い出せば、今もゾクリと背筋に悪寒が走る。
―――……この男は、絶対、怒らせちゃいけない男だ……―――
一条専務の秘書になって、そう決心させられた一年目の冬の始めの出来事だった。
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