IMprevu ―予期せぬ出来事―

天野斜己

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本編

No,81 2人っきりの初旅行 No,9 【昇仙峡 後編】

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一般の観光客なら、ここらが昇仙峡観光の終点である。
もうちょっと頑張っても、ロープウェイに乗って景観美を楽しむか、七宝美術館や影絵の森美術館で幻想の世界に遊ぶかだ。

しかし、真唯は違う。
更にその奥に素晴らしい場所がある事を知っているのだ。
真唯は一条さんを伴って、お目当ての1つ【夫婦木神社】に向かった。



※ ※ ※



昇仙峡仙娥滝上の賑わいから離れて、アスファルトに舗装された道を黙々と歩く。土産物屋なども一切ない。こんな処に観光地が本当にあるのかと不安に思ってしまうほど寂しい場所を歩くこと約1時間。着いたのは、こじんまりとした全景が道路から見えてしまうほどの小さなお社だった。





【夫婦木神社】

御神木である夫婦木は樹齢1000年とも言われる大きなトチノキ。胴周り10mほどの根元はぽっかり空洞になっており、中には長さ5m、周囲2mもの枝が見える。これが男女の象徴に見える事から、子宝に恵まれると伝わり、武田信玄以来、生産や繁栄の神様として崇められている。

だが、今、境内にある樹は、約50年前に荒川ダム上にあった“精霊が宿る木”と実際に地元の方々がご信仰されていた木を二つに割ってここへ移し、また一つの木に接いで祀ったものだ。


元々の御神木は、現在いまは境内の中に祀られている。
御祭神様に参拝させて頂いてから、入館料を払って、真唯は勿論、拝見させて頂いた。
……見事に、男性のシンボルとおぼしき枝の下に、女陰と思われるような形を創っている。
自然の驚異を目の当たりにして畏敬の念に打たれている真唯の横で、ブリザードとツンドラをしょっているのは当然、一条さんだ。


「……貴女にしては、随分と露骨な代物を熱心にご覧になっていますね?」
不機嫌丸出しの一条さんに、
「この御神木はご覧の通り、子宝を授けるものとして有名ですが…縁結びのご利益も有名なんですよ?」
「…え…!?」
「それに御祭神は【市寸島比賣命いちきしまのひめのみこと】……つまり、弁財天さまなんですよ。」
「…真唯さん…それを早く言って下さいよ…」
途端に雰囲気が柔らかくなる一条さんに、

「へへ……湯村温泉での恨みを晴らしたくて、ちょっとイジワルしちゃいました。
それにいくら意地悪と言っても、単に子宝祈願のための神社に、一条さんをお連れするわけないじゃありませんか。」

ペロッと舌を出して白状すれば、一条さんも湯村温泉での事を出されれば弱いようで、思った通り優しい苦笑いで許してくれた。




そして、そこからすぐの処にオーラスの目的地はあった。

【金櫻神社】

金峰山山頂に祀られている蔵王権現(奥宮)を分祀した里宮である。朱塗りの鳥居と本殿が見事である。仙娥滝上に鳥居があって、観光客は必然的にその鳥居を潜っているが、実際にここまで来る人は滅多にいない。水晶発祥の地としても有名で、御神宝は水晶との事だ。拝見する事は叶わないが、先ずはご挨拶申し上げる。

……再びのご縁と…愛する男性ひとと一緒に来る事が出来た事に感謝申し上げる。

参拝記念に、優里ちゃんに水晶の御守りを授与して頂いた。
きっと、自分も行きたかったと悔しがるだろう(笑)。
有名な昇り龍と下り龍が巻き付いた柱を丁寧に拝見させて頂き、静寂の中、一条さんと腕を組んで境内を散歩する。


「……ここは、桜の名所としても有名で…最も有名なのは【鬱金の櫻】で、黄金色の花をつける事から“金の成る木”とされています。……いつか見たいとは思ってるんですが…どうしても見られなくて……」
「……そんないつ見られるか分からない樹に頼るよりも、真唯さんにはもっと現実的な“金の成る樹”が直ぐ傍にいるじゃありませんか。」
「……それって、もしかして……」
「……貴女と腕を組んでいる男の事ですよ。貴女が望むなら私はいくら費やしたって……」

……真唯は、一条さんと組んだ腕をギュッと掴んで、その胸に寄り掛かった。
真唯の珍しい仕草に瞠目した一条さんは、次に続いた真唯の台詞にもっと大きく眼を見開く事になる。


「…そんな哀しい事をおっしゃらないで下さい…ご自分をお金の成る樹だなんて…
 …一条さんは、私の大切な男性かたです…例え1文なしでも…私は大好きですから…」


そう言い切った瞬間、真唯は自分の身体が一条さんの腕の中に閉じ込められているのを知った。……ホントは恥ずかしいから、離して欲しかった。でも、一条さんの様子がなんだか心配になってしまうほど儚げで……人もいないから…ま、いっか……


「……すみません、真唯さん……もう、しばらく、このままで……」


……抱き締められているのに、何だか縋りつくような一条さんの雰囲気にイヤとは言えなくて……一条さんの広い背中に腕をまわしてポンポンと叩いた。 ……馴れ馴れしかったかとも思ったのだが、何だかそうしてあげたい気分だったのだ。





―――閉じた瞼の裏で、金色こんじきに咲いた満開の鬱金の櫻が微笑んだ気がした―――






また1時間の道のりを引き返して来る訳だが、行きと違うのは、一条さんの雰囲気がいつも以上に穏やかで優しくて……真唯も、とても満たされた心地がする事だ。

また、人の多い処にやって来てしまった。
GWだから仕方ない事とは言え……まあ、忍野八海のように無神経なガイジンさんの団体がいない事が嬉しい。


神社参拝の後は、ロープウェイに乗った。
真唯には、もう1つ、どうしても参拝したいお社があったのだ。
麓の仙娥滝駅から山頂のパノラマ台までは約5分の空中散歩だ。
山頂に着くと、白い旗がはためいていて、朱塗りの鳥居が青空に映えている。


【八雲神社】

その昔は金櫻神社の末社としてその参道の要所になっていて、参拝者の道中の安全を祈願した処でもあり、現在では縁結びの神様として有名なのだ。


……昔は、縁結びなんて興味もなかった。ただのパワースポットとしてのみ捉えていて、参拝出来るご縁に感謝するだけだったのだ。

……でも、現在いまは……


山頂の神社と云うだけで、特別な雰囲気が漂う。確かな厳かさを感じるのだ。
そのお社の前に、一条さんと並んで2人で立つ。お賽銭も奮発して500円玉だ。

(……どうか、一条さんとずっと一緒にいられますように…っ!)

……『神社は感謝をする処であって、祈願する場所ではない』と云う、“上井 真唯神話”は、今や完全に崩壊してしまった。何やらそこはかとない敗北感を感じるが、それさえ心地良いのだから、もう処置なしだろう。

『恋の病は、お医者様でも草津の湯でも』と言うが、お大師さまのお湯で“あんな事”をしてしまったのだから……と、昨夜の記憶を蘇らせて、そこら辺を駆けずり周りたくなるが、ここは山頂である。むやみに駆けまわっては、他人ひとさまのご迷惑になってしまふ。
手で作った団扇で、火照った顔をパタパタ煽いで。ちょっと不思議そうな、でも、とても嬉しそうな一条さんとお社を後にしたのだった。


この神社の近くには、【和合権現】なるものがある。 ……真唯がいつも通り過ぎていた場所である。なんの事はない。【夫婦木神社】の御神木と同じような自然物が祀られているのである。説明書きを見れば、“樹齢350年”とある。(…勝った…!)と思う。真唯たちは樹齢1000年の樹にお参りして来たのである。
今回もここは華麗にスル―させて頂こうと思ったら、一条さんから鋭い突っ込みが入った。


「真唯さん、御神籤がありますよ。やってみませんか?
 …そう云えば、今日は御神籤を引かれていませんね。」


ギクッ!

……ふ、ふれて欲しくなかったのに…!


「……べ、別に何でもないんです。ただ、ちょっとした心境の変化で……」
「……そうですか…まあ別に、真唯さんが興味がないとおっしゃるなら、それはそれで良いんですが。」

一条さんが簡単に退いてくれてホッと胸を撫で下ろす。

……けして、興味がなくなった訳ではない。



―――真唯は……怖いのである―――



これ以上、【縁談が多くて困る事がある】なんて書いてある御神籤を引いてしまったらと思うと……立ち直れない。北原さんだけでも、もてあましているのに、拓也君なんて子が出てきちゃったりして……アタシは一条さんさえいてくれたら、それで良いのよ! と、心底思う。

これが真唯でなかったら、人生初の“モテ期”到来か! なんて、喜ぶかも知れないが、思い込んだら一直線!的な処がある真唯には、一条さん以外の男はアウト・オブ・眼中でしかなく……却って、北原さんや拓也君の本来の運命の女性を心配してしまう真唯はトコトンお人よしなのであった。



……イケナイ! 楽しい気分が台無しである。
気分を変え、もっと楽しい事をするのだ!!


「一条さん! とっておきの絶景をご覧にいれます!!」
組んでいる腕を引っ張って、一条さんに宣言した。

「…もう充分に景観を楽しんだと思うのですが…まだ、上があるのですか?」
「ええ、とっておきの場所が! でも、山道になってしまうので…腕を組むのは勘弁して下さいね?」
「…まさか、危険な場所ではありませんよね?」
「…まあ、ちょっとしたスリルが味わえる場所ではありますが…高所恐怖症ではありませんよね?」
「…ええ、それはまあ、大丈夫ですが…」
「だったら、早く、早く!」
真唯は一条さんを引っ張って向かった先は、【弥三郎岳】である。

森林浴を楽しみつつお散歩気分で、一条さんと腕を組んで歩く。
でも、もうそろそろ……

と。
「真唯さん! ロッククライミングなんて聞いてませんよ!」
背後から一条さんのクレームが入る。

「そんな事言ってたら、ホントのロッククライマーの方が気を悪くします!」
「ですが!」
「男だったら、ごちゃごちゃ言わない!」
「…っ! はい、理解りました!!」
一条さんを叱り飛ばすなどと云う荒業を繰り出せたのも、真唯にも余裕がなかったからである。己の両手を頼りに一歩一歩を踏みしめるように岩をよじ登り、何とか山頂手前の展望台に辿り着く。


「…これは…っ!!」

一条さんの感嘆の声が耳に心地良い。
せいいっぱい、おどけてお辞儀をした。


「ようこそ、一条さん。上井真唯の特等席スペシャルシートへ♪」


360度の大パノラマに呼吸いきを飲んでいる気配を感じる。

輝く雲海。連なる山並み。
きっと、ナントカ連峰とか言われているのだろうけど、真唯にはそんなの関係ない。
弥三郎岳から見える御山。
それで充分だ。

そして……今日もお顔を見せて下さった、霊峰・富士山。

思わず手を合わせていると、
「……すごい処ですね…人間ひとの存在なんて、本当にちっぽけに思える……」
真唯に聞かせるためではない、思わず漏れてしまったような呟きが聞こえた。



……それからはお互い声もなく、視界を遮るもののない眼に映る風景を、愛しむようにただ見つめていた。



※ ※ ※



「…ありがとうございました。真唯さんの特等席スペシャルシートにご招待頂いて。」
「…ご満足頂けましたか?」
「勿論ですよ!!」
音速で返って来る返事に、真唯は一条さんを弥三郎岳に連れて行く事が出来て、ホントに良かったと思う。

2人は今、ロープウェイを降りて手頃なサテンに入り、珈琲を飲んでいる。特別な事は何もない、ただの珈琲だが、ここら辺の水を使って淹れていると思うだけで、何やら有り難い気分にさせてくれるから不思議だ。

天気も良い中をあれだけ動いたのだから喉も渇く。
出されたお冷を一気飲みしてしまい、2杯目ももう半分以上がなくなっている。
店の中は適度に混み合い、アルバイトだろう若い店員さんは大わらわだ。
何気なく聞こえて来る観光客のざわめきが、ああ~、GWなんだな~~と思わせてくれる。


ホントは【弥三郎権現】さまにお参りしたかった。
その昔、御岳(今の昇仙峡)の羅漢寺の寺男として住んでいた酒造りの名人・弥三郎が大酒飲みで失敗を重ね、それを寺の住職に諌められ一斗の酒を最後に禁酒を誓い、その夜あの頂上から天狗となって消えてしまったと云う伝説があるのだそうだ。そして、いつの頃からか、あそこは弥三郎岳と呼ばれ、弥三郎権現として祀られるようになったのだと言う。
日本古来の山岳信仰を象徴するような、その小さなお社を真唯はとても好んでいた。だが、あそこは弥三郎岳頂上への岩場の陰にあるのだ。今日は一条さんには展望台に案内出来ただけで充分だと思っていた。それに、山頂へ至る道は本当にロッククライミングのようで、その大変さの割には木々に邪魔されて景観が今一つである事を真唯は知っている。
富士山を拝む事が出来ただけで、大満足である。

サテンで一息入れた2人は、立ち並ぶ土産物屋を冷やかしてのんびり歩いた。
この山では、かつて水晶が採掘されたと云う。だからこそ甲府は“水晶の街”として有名で、昇仙峡ここには天然石を扱う店が軒を連ねている。実は真唯の【My 神棚】にある水晶球クリスタルグローブもここで購入したものであり、石の掴み取りのような事が当たり前に行われているのだ。
世界一の極大水晶原石と云う石が、「滝上龍水堂」の店舗前に飾られていた。『ご自由に触って下さい』というのも寛容であり、真唯は遠慮なく触らせて頂いて、石のパワーも頂けたように思う。このお店の人は、丁寧に鉱石について説明してくれた。なるほど~っと思ってしまう事も多々あって、石の奥深い世界を今更ながらに興味深く拝聴した真唯だった。
ホントはお店の中に入って、ゆっくり眺め眼の保養をしたかったのだが、一条さんなら少々お高い物でも真唯の興味を持った物なら簡単にポンッ!と買ってしまいそうで怖かったのだ。


そして、その漠然とした真唯の不安は、最悪な形で的中した。
真唯は当然、一条さんの車の置いてある天神森まで徒歩で戻る心算でいた。まだ、陽も傾いてはいない。日頃の運動不足を解消する良い機会だと思っていたのだ。
だが、一条さんは違った。滝上に停まる沢山のタクシーに眼を止め、天神森までグリーンライン昇仙峡を通り帰ろうと言い出したのだ。その道は天神森を通ってはいない。タクシーを使えば、かなりの遠回りになってしまう。それに……

「一条さん…残念ですけど、あのタクシーはみんな“予約”になってますよ。乗せてくれる車はきっと1台もないと思います。」
昇仙峡観光事情に詳しい真唯がそう言うと、一条さんは1台のタクシーに向かって行った。

……ああ、無理なのに……と思いつつ、一条さんの動きを眼で追っていると、案の定、乗車拒否をされたような一条さんがスマホを取り出してどこかに連絡し出した。どこに掛けてるんだろうと思っていると、近付いて来る一条さんのおっかない言葉が耳に入って来た。


「…ああ、私だ。
 今、昇仙峡の滝上にいる。天神森まで行きたい。至急、1台車を寄越してくれ。
 ……それから、○○タクシーの○○と云う奴をクビにしてくれ。実に気持ち良く乗車拒否してくれた。」


……冗談じゃないっ!!

真唯は無礼を承知で、一条さんからスマホを引ったくり通話を切った。
一条さんは、そんな真唯の暴挙を咎めるでもなく、ただポカンとしている。だが、1人のドライバーさんの生活の糧が掛かっているのだ! ここは退くわけには行かないっ!!
……だが、一条さんは正攻法では無理だ。
……ここは、搦め手で行くしかない。


真唯は自分から一条さんの腕に縋った。

「……一条さん…まだ、もう少し一条さんとゆっくり歩きたいなァ~~。 ……ダメ?」
一条さんが真唯の上目遣いに弱いと知って、確信を得たのは最近の事だ。
案の定、一条さんがたじろぐ。

「…だ、ダメと云う訳では…」
「…あ! それとも、一条さん、疲れちゃいましたか?」
これには思う通りの反応が返って来たが……後半がイケナイ。
「私は大丈夫です! …ただ、真唯さんがお疲れだろうと…」
真唯を気遣ってくれているなら、尚更、ここは退く訳にはいかない。
「私だって、まだまだ大丈夫です!
 …一条さんは東京に帰れば、また忙しくなってしまうでしょう?
 こんな自然の中、のんびり出来る事なんて、いつあるか分からないでしょう?
 許された、限られた時間をめいいっぱい楽しみたいんです。」
一条さんの身体を気遣いつつも、真唯の我儘のように主張するトコがポイントだ。

「……ね? 天神森までのデートを楽しみましょ?」
……王子様は、姫君の上目遣いのオネダリの前に陥落した。
しかし、○○さんとやらの解雇の件に関しては、少々骨が折れた。だが、それも、一条さんの怒りのポイントは、『真唯の乗る車を乗車拒否した』と云う点だったのだ。


「……私なんかの…いえ、私のために、この就職難の時代に職を失う人が出る方が悲しくなります。
 ……昇仙峡の思い出を楽しいもので埋め尽くしたいんです。
 ……ね? ……お願い…?」

真唯も聖人君子ではない。昇仙峡に関わる全ての人に潤って欲しいと思うが、それが無理な事も理解っている。ただ、自分に乗車拒否をしたばっかりに1人の観光タクシードライバーの生活を狂わせる事になって欲しくなかった。
一条さんは渋々と前言を撤回してくれ、スマホで連絡した人に迎えは要らないと云う事と、解雇命令を撤回してくれたのだ。



その事に満足した真唯は、滝上からゆっくり戻り始めた。
眼に映る自然、全てがキラキラとして見えた。

仙娥滝、覚円峰に別れを告げ。
トテ馬車で来た道をのんびり歩いて戻る。勿論、一条さんと腕を組んでだ。
気分が良かったので、“愛のかけ橋”では道行く人にお願いして、一条さんとのツーショットを撮ってもらったりしてしまった。

これには一条さんも綺麗な微笑みを見せてくれて。
天神森に着く頃には、一条さんの機嫌はすっかり元通り……いや、それ以上だったのだ。


―――そして一条さんの愛車【キット】に乗り込み……素敵な思い出を沢山くれた【昇仙峡】に別れを告げたのだった―――



※ ※ ※



夕飯は、ほうとうで有名な【ほうとう不動】に寄ってくれた。
木造のお店は昔ながらの郷土料理店と云う感じで、真唯も1眼で気に入った。

2人で【名物不動ほうとう】を頼み、馬刺しも追加オーダーしてしまった。
真唯は一条さんに申し訳ないと思いつつ、ビールを頼み、一条さんはウーロン茶をオーダーした。

「……素敵な3日間の思い出に。」
一条さんがグラスを掲げれば、

「……素敵な【騎士ナイト】だった、一条さんに。」
真唯が応え。

一瞬、眼を見張った一条さんが笑み崩れて。
それに見惚れてしまった真唯は、羞恥を隠すようにビールのジョッキを煽った。

馬刺しは久し振りな真唯だったが、しっかりとサシも入っていて、コクというか 食べごたえは充分でビールが進んでしまった。
そして、いよいよお待ちかねのほうとうの登場である。
熱々の鍋で出て来て、真唯を驚かせた。具は、なめこ・白菜・人参・玉ねぎ・インゲン1本・油揚げ・カボチャ1切れだが、カボチャは皮以外全て汁に溶けている。麺は超極太で、もちもち感が堪らない。

………正直、仙娥滝上のいつものお店より格段に美味しいと思ってしまう。

有名店になるからには、それなりのワケがあるのだと改めて思った。
量はかなり多めだったが、一条さんはペロリと食べてしまったし。真唯もフーフーしながら、頑張って食べた。
『無理しないで下さい。残しても良いんですからね。』と言う一条さんのお言葉は有り難く聞いたが、こんな美味しい物、残したら損である。幸い、一条さんはいくらでも待っててくれる態勢でいるので、甘えてゆっくりと胃におさめて行った。
メニューを見て、甘味や珈琲にも心惹かれていたのだが、そんな余裕はなかった。
ただただ、「美味しいほうとうを、お腹いっぱい、ご馳走さまでしたっ!!」と云う達成感でいっぱいだったのだ。





行きとは逆に、ひたすら中央道を北上する。

一条さんは眠たかったら眠ってしまっても良いですよ、と言ってくれるが、真唯にはそんな勿体ない事は出来なかった。


夜間で見えないと理解っていても、何度も何度も振り返ってしまう。

実際には見えないが、真唯には見えていた。


行きに見えていた富士山が……

忍野八海で…河口湖で…登美の丘から…そして、昇仙峡の弥三郎岳から見えていた富士山を、心の中ので確かに見つめていたのだ……




みんな考える事は同じなようで、帰りも渋滞に巻き込まれてしまったが、普段、自分で運転をしない真唯には、それさえもドライブの一環として楽しめた。しきりに申し訳なさそうに謝って来る一条さんに『気にしないで下さい。ドライブデートを楽しんでいますから。』と言って喜ばれてしまったが、イライラしたり謝罪され続けるよりずっと良い。
都内に入れたのはかなり遅い時間になってしまったが、楽しく観光して無事に帰って来られたのだ。これ以上の事はない。


一条さんのタワーマンションのエントランスに24時間体制でいるコンシェルジュさんにも笑顔で「お帰りなさいませ。ご旅行は楽しめましたか?」と聞かれ、「はい、とっても!!」とこちらも笑顔で返す事が出来た事が嬉しかった。


何よりも。

玄関に入って、後ろから「……お帰りなさい、真唯さん。」
と抱き締められ、
「…ただ今、一条さん。そして、一条さんもお帰りなさい。」
その腕に縋りつくと、
「…ただ今、真唯さん。 …貴女との旅行…本当に楽しかった…」
「…はい、一条さん。 …私もとっても楽しかったです…」


そう微笑んだ声で言い合える事が何より嬉しかった。



―――……ああ……何があろうと、私が還って・・・来るのは……この腕の中だけ……―――



そう心から実感して。
真唯の一条さんとの初めての旅行は、こうしてその幕をようやく降ろしたのだった。







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