IMprevu ―予期せぬ出来事―

天野斜己

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本編

No,75 2人っきりの初旅行 No,3 【北口本宮冨士浅間神社】

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【忍野八海】を出てから車の中でブツブツと文句を垂れていた真唯だったが、目的地の駐車場に到着し……【冨士山】との扁額がある鳥居を見上げると、すっかり静かになってしまった。鳥居を潜る前には、自然と頭が下がってしまう。

こここそ、本日のトリを飾る目的地、【北口本宮冨士浅間神社】なのだ。



※ ※ ※



……ここは、いつ来ても良い……心が洗われる心地がする……


杉木立に囲まれた参道を歩きながらチラリと隣を見れば、そこには当然ながら一条さんがいる。
……何だか不思議な気がする…ここに来るのはいつも1人か、優里ちゃんと一緒だったから……

バーバリのスプリングコートをまとった一条さんは、文句なくカッコイイ。
モデル雑誌から抜け出て来たかのようだ。 ……そんな男性ひとと一緒に、この真唯アタシが神社に参拝している現実が信じられない……しかも、恋人・・として……


このお浅間さまは御名前の通り、富士山を御神体とする、木花開耶姫命このはなさくやひめのみこと様をお祀りするお社であるが、御夫君の彦火瓊々杵命ひこほのににぎのみこと様もお祀りされていて、縁結びのご利益も有名なのだ。

見事な彫刻の龍のあるお手水舎で、作法通りに手を洗い口を濯ぎ柄杓を洗う。
……それだけで、をした気分になれる。


……と、ここでもユネスコ認定の影響を感じる。
○年前にはいなかった外国人がいるのだ。
……無理もない。
この神社は、富士登山の玄関口でもあるのだから。
だが、ここでは、忍野八海で感じた煩わしさは感じない。


(ここに来るなんて、眼のつけどころが良いよ、キミタチ。ここは日の本の支配者である神様を一眼惚れさせた絶世の美姫であり、また一夜で身籠って夫に貞操を疑われると、産室に火を放ち、そこで玉の御子をあげられ堂々と身の潔白を示された女丈夫である神様がお祀りされている処だ。充分に御力を頂いていきなさい。)
などと、上から目線で鷹揚になってしまう真唯だった。


樹齢が千年以上ある御神木は、今年も真唯を……そして、一条さんを暖かく歓迎してくれる。
【富士太郎杉】と【富士夫婦桧】があるが、真唯は太郎杉の方が馴染みがある。

懐かしさ、慕わしさに胸が熱くなるが、それと同時に触れたら身を切られそうな厳かさを同時に感じ……真唯はしばし、佇む。 ……この御神木は真唯にとって、真の“父性”と“母性”を同時に感じる聖なる樹である。抱きつきたい想いを必死に堪え、いつものように樹の上を見上げて眼を瞑る……


……と、一条さんの事を忘れてしまってトリップしてしまった事に気付き、慌てて振り向くと。 ……そこには優しい……包み込むような視線があった。

『ごめんなさい、一条さん!』
そう言って謝りたいのに……何故か、言葉が出て来ない……


「……良いんですよ、真唯さん。 ……貴女が良くブログで言われている入ってしまっているトリップ状態にあるのを初めて拝見させて頂く、貴重な体験をさせて頂きましたから。そんな状態にある貴女の邪魔をする無粋な真似はしませんよ。」


……アタシの事を理解ってくれている……


今までは、同じような状態になってしまう優里ちゃんしか理解ってくれない事だったのに……実の親にさえ奇癖としか言われてなかったのに、自分の状態を理解ってくれる人間ひとがいる事が嬉しくて……一条さんに抱き付きたい衝動を必死に堪える。
一条さんだったら、『人前ですから!』などと感じる羞恥もなく、嬉々として抱き返してくれそうなのだ。
……真唯には、人前で堂々とラブシーンを演じる度胸はない。


……だから、謝罪ではなく、お礼を言った。
「ありがとうございます、一条さん。
 ……待ってて頂いて……
 さあ先ずは、御祭神さまにご挨拶しましょうか。」

「……はい……」

一条さんの愛しささえ感じる微笑みの視線に耐えられなくて薄く頬が染まるのを感じるが、真唯にはどうする事も出来なかった。





朱塗りの拝殿は、“荘厳”の一言だ。
日本一の霊山、富士山をお祀りする場に相応しい。
一条さんと並んで、手を合わせる。

心の中で住まいと氏名を名乗り、日頃のご加護の感謝を述べて。


(木花開耶姫様…一条さんとここに来るご縁を頂きまして、有り難うございました。 …もし一条さんが、アタシの本当の運命の男性ひとなら…ずっと、一緒にいられますように!!)


眼を開けると、隣の一条さんが優しい眼で見降ろしていて…眼が合った。

「…そんなに真剣に、何をお願いしていたんですか…?」
「…一条さんもご存じでしょう? …神社はお礼を申し上げる処です。」
神社仏閣は祈願する処ではなく、感謝する場所だと、真唯はブログの中で繰り返し書いている。
「…それは存じ上げていますが…あんまり真剣なお表情かおだったので…」
「…真剣にお礼を言っていましたから…」
「…何に?」
「…綺麗な富士山を拝見させて頂けて、ありがとうございますって!」
「…そう云う事にしておきましょうか。」
「ホントですってば!」
「はいはい。」

罪悪感はあるものの、何でもお見通しだと言わんばかりの一条さんの態度に天の邪鬼の虫が疼いて、どうしても素直になれない真唯はそこでしばらく一条さんとじゃれていたのだが、幸運にもバカッポーを見る周りの生温~~い視線に気付く事はなかった。




社務所には様々な種類の御守りが並んでいるが、お土産として渡したい唯一の人が傍にいるため、授与して頂く気分にはなれなかった。そして、恒例の御神籤タイムだ。真唯は…末吉だった。微妙だ。……これならいっそ【凶】を引いた方が楽しいのにと思ってしまうのは、真唯故だ。そして、一条さんは大吉だった。

「わあ! すごいじゃないですか!!」
「さい先が良いですね…これは、来月、期待しても良いのでしょうか?」
一条さんが身を屈めて、真唯を覗き込んでくる。
来月は……6月。【太陽の祭りインティ・ライミ】だ。
一条さんの言いたい事が理解って、真唯は真っ赤になってしまう。
……何だか、さっきから真っ赤になってばかりの気がする……。悔しいから、少しでも彼を慌てさせたくなって、つい我儘を言ってしまう。
「……一条さん、その【大吉】、私に下さい!」
すると、御神籤に思い入れのない一条さんは、「良いですよ。はい、どうぞ。」と言って惜し気もなく真唯に渡そうとするから、却って真唯を慌てさせてしまう。
「ウソ、ウソ! 冗談ですよっ!! それは一条さんの引いた物なんですから、その運を他人ひとに渡したり出来ないんですよ!!」
「…そうなんですか?
 …私の運をお譲りして、私の恋敵ライバルたちを粉砕して頂きたかったのですが。」

「…それなら尚の事、一条さんが持っていて下さい。
 共通の敵なんですから、効果は同じでしょう?」

一条は僅かに眼を見開く。
……真唯は気付いていない。
こうやって無意識に繰り出される言葉の数々に、一条がどんなに一喜一憂しているか……。この言葉は、勿論、一条をこの上なく喜ばせた。
「…では、有り難く、私が頂いておきましょう。」

早速のようにエルメスの長財布に仕舞われる【大吉】の御神籤に、真唯は安堵を覚えた。
(…一条さんの今年一年に、幸多き事が沢山ありますように…)


……一条の“幸福”なぞ、真唯がプロポーズを受けさえすれば簡単に叶う事に、真唯だけが気付いていなかった。



※ ※ ※



外はすっかり夕暮れが迫っている。御本殿の横に在る次郎杉や背後に鎮座する【恵比寿社】や【諏訪神社】の参拝は、またの機会にさせて頂こう。

陽が落ちかけた神社は荘厳な様相を増し、“神秘的”とも云える雰囲気に包まれている。 ……真唯は眼を閉じ、“御神気”を感じ…心地良い空間に身を浸していたのだが、眼を開いた途端、眼に飛び込んで来た光景に頭に血が昇った。
そこには、御神木に堂々と抱き付いている外国人がいたのだ。
外人には、“注連縄”の意味など理解らないだろう。
……よほど言いたかった。

『Don't touch this tree!(この木に触るな!)』と。

もしくは、柔らかく
『If you please, please don't touch this tree.It's because this tree is the God's tree.
(どうか、この木に触らないで下さい。なぜなら、この木は、“神様の木”なのです。)』と。


だが、しかし。
何人なのか分からないし、“御神木”の概念が通じるとも思えなかった。
……諦めよう。
……良く観光地で見る若い人たちにもいるじゃないか。
御神木にベタベタ触ったり、千社札を張ったりするマナー知らずの奴が。


しかし、黙っていなかった男がいた。
真唯の屈託を、その表情から容易く読み取った一条だ。
「…真唯さんは、ここから動かないで下さいね。」
そう言うと、スタスタと御神木に触っている外国人に近付いて行き、話し掛ける。少し距離があるので、会話の内容は聞き取れない。しばらく遣り取りをしていた一条が戻って来て……樹に触っていた外国人たちが次々と離れて行くのを、真唯はただ呆然と見守ってしまった。




「真唯さん…理解って頂けましたよ。」

にっこり微笑む一条さんの笑顔が、これほど頼もしく思えた事はない。


「……どこの国の人だったんですか?
 ……どうやって、理解って頂けたんですか…?」

「オーストラリア人だったのが、幸いしましたよ。あの国には、アボリジニのシャーマンがいますからね。霊を“降ろす”と云う概念も理解って頂けたので、『この樹は【御神木】と言って、神様が降臨される依代よりしろなのです。神聖な樹だから、触ってはいけないと云う意味で【注連縄】があるのです。』と説明したら、貴重な事を教えてくれたと礼を言われましたよ。」


「…っ!
 一条さん、すごい! 素敵っ!!」
真唯は溢れる歓喜を抑える事が出来なくて、一条さんに飛びついてしまった。
想像していた通り、しっかり抱き返されてしまったが、そんな事は少しも気にならなかった。

……どこの国の人間か分からない人に話し掛けるのは、それだけでストレスだろう。理解してもらえないかも知れないと云う事を承知で、一条さんは、あえて声を掛けた。 ……今回は相手が話が理解る人間で助かったが、人によっては訳の分からない事で注意されて逆ギレされてもおかしくはない。
……一条さんは正に、火中の栗を拾ってくれたのだ。
……真唯が自分勝手な感情で、ほんの少し表情を曇らせていた。
……ただ、それだけのために。



―――……一条さんの行動は、間違いなく真唯のためなのだ……―――



「……一条さん…ありがとうございます。私なんかの…いえ…私のために……」



ここで“私なんか・・・”と言ってしまうのは、行動してくれた一条さんに失礼だ。
……一条さんのためにも、真唯は言い直した。すると、その事にすぐに気付いてくれた一条さんは、
「なんの。貴女の表情を曇らせる輩を許しておけなかった、私の自己満足ですよ。貴女が責任を感じる必要はありませんが…真唯さんの『私なんか』と云う、私の一番嫌いな言葉をすぐに撤回してくれた。それだけでも注意しに行った甲斐がありましたよ。」



(……一番嫌いな言葉と断言されてしまった……)




―――……変わろう…こんなに私を愛してくれる一条さんのために……自己卑下と、さよならしよう……―――





強烈な自己破壊願望を持ち、“自虐の穴掘り名人”を自称する真唯が、自分にはとうてい無理だと思っていた事を決心した瞬間だった。


……大好きな神社で自分に誓った事を忘れないでいたい……





一条さんの胸の暖かさと、真唯の腰を抱く一条さんの腕の力強さを感じながら、それだけを強く願った真唯だった。







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