IMprevu ―予期せぬ出来事―

天野斜己

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本編

No,60 バレンタインの宴

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その日、真唯は速攻で帰宅した。

定時になった途端、席を立ち上がり更衣室に向かい「お疲れさまでした~」と挨拶し会社を出る自分に、悔しそうな表情かおをした男がいた事はしっかり無視した。
『北原くん、本命チョコは今年は受け取らないんだって』
余計な事を教えてくれるKY商事のお局さまには逆らわないでおいた。 ……後がコワイから。

今日は一条さんは迎えには来ない。本人は来たがったのだが、真唯が断ったのだ。 ……一条さんには、ベストのタイミングで来て欲しい。そう願った真唯の『下拵えが終わったらメールしますから。』との言葉に渋々頷いてくれたのだ。
駅まで走り、イライラと電車を待つ。そして帰宅ラッシュにはまだ早い、比較的空いている電車の中でも真唯の頭の中を巡るのは、マッツンに教えてもらったチーズフォンデュのレシピのおさらいだった。



※ ※ ※



『真唯さん、2月14日は私と過ごして下さいますよね?』
甘く囁く一条さんに逆らう事なんて考えられなかった。


―――アタシだって、この特別な夜は一条さんと過ごしたいから―――


勿論ですと答えるアタシに、一条さんはにっこりと微笑って。ではどこかのレストランを予約しましょう、と言う一条さんを慌てて止めた。

『…すみません。
 お気持ちは嬉しいんですが…その日は私の部屋で過ごしませんか?』
恐る恐る提案したアタシに、一条さんは苦笑まじりの困惑顔だ。

『…あの…ダメでしょうか…?』
『…ダメと云う訳ではありません。
 貴女の手料理にも非常に心惹かれます。ですが…』
『…ですが…?』

一条さんとのデート中。
彼の腕の中にいた私に一条さんは顔を近付けて来て……耳元で囁いた。

『…貴女の部屋アパートでは…真唯を抱けない…』
『…っ! ……一晩くらい我慢して下さい…っ!』
『…真唯っ、…それは拷問だ…っ!』

結局、話しあった結果、夕飯は私の部屋で食べて、その後は一条さんのマンションで土日を過ごす事になったのだった。



翌日の事を気にしなくて良い晩。どんなに一条さんが激しくなるかなんて知っているけれど、とりあえず今はその事は忘れていられる。あの食材をあーしてこーしてと、この3日間イメトレしていたからだ。本当は3日間練習したかったけど、折角の当日に飽きるからやめろとマッツンに止められてしまった。

食材と道具は揃えてある。レシピも完璧に頭に叩き込んだ。
よし! 一発勝負だ!!



※ ※ ※



「…驚きました!
 …チーズフォンデュが、こんなに簡単に楽しめるなんて…っ!」

さっきから一条さんの手の動きは止まらない。用意したフランスパンや野菜を、お鍋の真ん中でグツグツいってる耐熱皿に入った、アタシが苦労して作ったチーズフォンデュソースに付けて食べている。

……良かった……成功して……

美味しそうに食べてくれる一条さんを見ているとジャガイモの皮むきや、セロリの筋を取り4cm位に切り、縦に2つ割りにしたり……なんてメンドイ作業も報われる。真唯も安心して太いところは縦に6つ割り、細いところは4つ割りにした人参に手を伸ばす。

……ん~、ちょぉ~っと、コショウを入れ過ぎたかな~~……

手製のチーズフォンデュソースに自己採点をするが白ワインにあうし、何より一条さんが喜んでくれているので結果オーライだ。
だが……


「……一条さん…ホントに良いんですか? ワイン。 ……すごくあいますよ?」
眼の前で冷たい麦茶を飲んでいる一条さんに言ったら、ジロリと睨まれてしまった。

「私が飲酒運転で捕まっても良いんですか?」
「いえ、そんな…ただ、美味しいのにな~と思って。」
「…いっそ、このアパートに居られなくなって頂いた方が…」
「…っ! …す、すみません! もうすすめませんから、勘弁して下さいっ!!」
「理解って頂ければ結構です。」

真唯は、このアパートに愛着がある。ここを出て行かざるを得ない羽目に陥らないよう、真唯は口にチャックをする事にした。



「ご馳走さまでした。すごく美味しかったです。」
「お粗末さまでした。」
「…しかし、これでは私の株が下がってしまいそうですね。」
「それはありません! だって、このチーズフォンデュは、マッツンに教えてもらっただけなんですから!」
「……私と過ごして下さる祝日を、奪って行かれたお友達ですね……」
「…っ! …だ、だから、それは謝ったじゃないですか!!」
「…冗談ですよ。貴女とツーショットを撮る貴重な機会をくれた御友人ですからね。感謝しているくらいですよ。」
「…っ!!」


……そうなのだ。
デジカメにおさまって欲しいと云うお願いを聞いてくれる時、ついでですからと言って一条さんのスマホと真唯のスマホにツーショットをねだられてしまったのだ。

……ホントは断りたかった。
自意識が極端に低い真唯は写真が嫌いだ。苦手なのではない、嫌いなのだ。
だが、自分とのツーショットを欲しがってくれる、期待に輝いている瞳に……負けてしまった。何より、一条さんの画像を撮らせてもらえなければ、マッツンにチョコレートの作り方を教えてもらえない。 ……自分は一条さんに写真を頼むのに、一条さんの頼みをきかないのは不公平のような気がしてしまったのだ。 ……こんな時、自分の律儀さがチョッピリ恨めしい真唯であった。


一条さんは、すっかり寛いでくれている。

渡すなら今だと思った真唯は、そっと立ち上がった。




「…いつもお世話になってます。…私の気持ちです…受け取って下さい。」
ペコリと頭を下げて、真唯は一条さんに2つの箱を差し出す。

……仮にも恋人同士なのだから、『ハッピーバレンタイン♪』などと可愛いく言えれば良いのかも知れないが……とても言えない。色気がない事はなはだしいが、真唯にはこれが精一杯のバレンタインのご挨拶だった。
そんな真唯のココロの葛藤を理解っているのかは理解らないが、一条さんはにこにことご機嫌も麗しくそれを受け取ってくれた。

「……ありがとうございます。真唯さんからバレンタインのプレゼントを頂けるなんて感無量ですよ。」
言葉の通り、しみじみとした雰囲気になってしまう事に、真唯は照れる。

「……もう、一条さん! 溶けてしまいますから、早く開けて下さい!!」
「……私はもう、貴女に蕩けていますが。」
「…っ!」

……誰か、この口の減らない男性ひとを、ホント何とかして欲しいと思う。自分の瞬時に真っ赤になってしまった顔を嬉しそうに見ながら、小さくて冷たい箱の方を手に取る。だが、すぐには開けてくれようとはせずに。少し悩む様子を見せた一条さんは、スマホを取り出すと、それを撮影し出した。
焦ったのは真唯だ。慌てて一条さんから、その箱を取り上げる。


「あ! 真唯さん、返して下さい!!」
「返して欲しかったら、今撮った写真を削除して下さい!!」
「…っ! …それは出来ません…」
「一条さんっ!!」
「…だって真唯さん…これはどう見ても手作りのラッピングでしょう?」
「伊東屋で買ったラッピング用品です!」

「…ほら。貴女が私のために心を込めて選んでくれて包んでくれた品なんですよ? 出来ればこのまま永久保存したいくらいなのに、包装を解かなければ中身が見られない…っ! このジレンマが貴女に理解りますかっ!? せめて、画像に保存するくらい許して下さいっ!!」

「~~~~~」
敵は逆ギレして開き直って来た。 ……だが、不器用ブキな真唯にとって(もっと綺麗にラッピングしたかったのにな~~)と後悔の残る物を画像として残されるのは恥ずかし過ぎる。
……だが。 ……一条さんの気持ちは理解るし…嬉しいのだ……。完全なアンビバレンツだった。


「……真唯さん…折角の中身が溶けてしまいます……」
無言になってしまった真唯に、一条さんがさっきの真唯の言葉を口にする。その言葉に……悩んでいた真唯が決意を固める。


「……一条さん…その画像…誰にも見せないって約束して下さいますか…?」
「…っ! 勿論です! お約束しますよ!! ……ですから、返して下さい…ね?」

……一条さんの仔猫を宥めるような声色は意地っ張りの真唯には気に入らないが、その優しい声で励まされている事も事実なので、真唯は一条さんにその箱を返した。

「……ありがとうございます。」
宝物を取り返したかのような一条さんに、またまた照れる真唯。 ……もう、こうなったら、気のすむまで写真を撮って、さっさと食べて欲しい。
真唯の願いが通じたのか、一条さんは色んな角度からその箱をスマホにおさめて。丁寧に丁寧にラッピングを解くと、中身を見て息を飲んだのが理解った。そして、不格好なトリュフをまたまたスマホにおさめ始める。
……真唯は最早、諦めの境地だった。 ……毒食らわば、皿まで。例えは微妙に違う気がするが、正にそんな気分だった。


「……シャンパントリュフですか…これは……」

ほのかに薫るシャンパンの香りに気付いたのか、一条さんは、ジッとそのチョコを見つめている。 ……あまりに嬉しそうな……そして愛おしそうなその視線に真唯が耐えられなくなる前に、一条さんはそれを一つ摘み、薄い唇を開いて口の中に入れてくれた。
……果たして、一条さんの感想やいかに。手に汗握る想いでその光景を見ていた真唯に、一条さんはにっこりと微笑んでくれた。


「…美味しいです。」
「…っ!」
「なめらかな食感と、シャンパンの風味がたまらない…間違いなく、今まで食べたチョコレートの中で一番美味しいです。」
「…一条さん…それはいくらなんでも誉め過ぎです。」
「…他に言葉が見つからないのですよ…貴女の愛情のこもったチョコレートを味わえる日が来ようとは…」

感激でもしているのか声が震えているような一条さんに、真唯はこれは何の羞恥プレイだと思う。 ……だが、まあ、一条さんの口にあってくれて良かった。心の中で信州のマッツンさまを伏し拝む。


「……い、一条さん! こっちの箱も開けてみて下さい!!」
促すように言う真唯に、一条さんは素直にそれに従ってくれた。
ブランド名と大きさから中身の想像は大体ついていただろうが、開けた瞬間、一条さんの表情が綻んだ。


「…これもまた、嬉しいプレゼントですね…ありがとうございます。貴女が今日と云う日をこの部屋で過ごしたいと言った意味が良く理解りましたよ。」

「…かして下さい。洗って早速使いますから。 …これから一条さんがこの部屋にいらして下さる時は、これを使いましょうね。」
「勿論です。」

お互い笑顔でペアのマグカップを一条さんから受け取り、真唯はキッチンへ向かった。

おろしたてのブルームマグ。
ブルーは一条さんで、ピンクはアタシ……

にこにこと云うより、ニヤニヤしてる自覚はあるが、顔の筋肉がもとから自由に出来ない真唯は諦めている。
新品の陶磁器などキメが細かい、また良く焼き締まった器ほど、急冷・急熱に弱く最悪の場合は割れてしまう。昔、それを知らないで、新品のカップを熱湯でビキッとやってしまった事がある。…あの時は泣くに泣けなかった。
最初はぬるま湯で洗い、徐々に温度設定を高くしていく。ある程度熱湯に慣らし、真唯は珈琲を淹れるため薬缶に火をかけた。



一条さんはトリュフを摘みながら、ブルーのマグに入っている真唯の淹れた珈琲を美味しそうに啜る。1粒1粒味わうように噛み締めてくれているのが嬉しい。
1つどうかと言われたのだが、試食用に散々食べた事を白状して断った。
……真唯が贈ったすべての物を、一条さんに食べて欲しかったから。



ピンクのマグカップを両手に包みながら幸せを噛み締めていた真唯は、すべてをゆっくりと食べ終わった一条さんに言われた台詞に、危うく珈琲を噴き出しそうになってしまった。






―――ホワイトデーの10倍返しの前に……今晩はとりあえず、5倍返しをするから期待してて下さい―――







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