IMprevu ―予期せぬ出来事―

天野斜己

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本編

No,52 二人の元旦の過ごし方

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「明けまして、おめでとうございます。」
「明けまして、おめでとうございます。」
シャンパンのグラスを掲げ、二人は乾杯をした。

酒は男がこの日のために用意したモエ・エ・シャンドン【ネクター・アンペリアル】である。「ネクター」と云うだけあって果実味が濃厚でほのかに甘みを感じる味わいの、近年まで日本に正規輸入されておらず“幻”とまで言われたシャンパンだ。
だが……


「…美味しい! 美味しいです、一条さん!!」
真唯に気に入ってもらえたのは嬉しいが、呼び方が戻ってしまっている事に苦笑いを抑え切れない。だが、“昼は淑女、夜は娼婦”とはある意味、男と云う性の理想だ。
【一条さん】と呼び、少女のようなあどけなさ、可愛いらしさ、そして時たま令嬢レディーのような気品を見せる昼の表情かおと、艶やかな嬌声こえで【貴志さんっ!】と叫び乱れる真唯の夜の二つの顔を愉しめるのだと思えば、これはこれで悪くない。


「それは良かった。帝都ホテルのお節は、なだ万の和風お節にしてみました。
 …もしかして、洋風の方が良かったですか?」
「とんでもない! お正月なんですよ。
 和風の方が良いに決まってるじゃないですか!」
一条さんの心配そうな表情に、真唯は慌てて笑顔で返す。

中央に、これでもか!と云わんばかりに大きな伊勢海老が飾られていて。黒豆や数の子の他、何かのパテまで彩り良く並べられている。これで文句を言ったら、今度こそ真唯の枕元には、もったいないお化けが立つだろう。

「じゃあ、沢山召し上がって下さい。」一条さんの言葉に、
「はい、遠慮なく。いただきま~す♪」真唯は合掌して箸を付ける。箸は勿論、紅白の祝い箸だ。
真唯が好物の錦玉子や数の子に舌鼓を打っていると、向かいでは一条さんが眼を細めて真唯の作った御雑煮を味わっている。


「…お味…いかがですか…?」
「…とても美味しいですよ…元旦を真唯さんお手製の御雑煮で祝う事が出来る私は世界一の幸福者しあわせものです。」

昨日の晩、あの一回だけにしてくれた一条さんのお陰で、真唯はいつもよりは大分楽に起きる事が出来た。そんな身体の余裕もあり、真唯の方からお願いしたのだ。御雑煮は自分に作らせて欲しいと。
真唯の御雑煮はいたってシンプルだ。先ずは鶏のもも肉を食べやすい大きさに切り、これをたっぷりのお湯で煮る。その間に大根と人参を半月型に切り、投入。煮立って具材が柔らかくなって来たら、お醤油で味を調え、焼けたお餅を入れ、更に少し煮てお餅に味をしみ込ませる。たった、これだけなのだが、鶏と野菜の出汁が出て、なかなかの味になるのだ。お海苔と三つ葉は食べる人が自分の好みの量だけ入れられるように用意しておけばOKだ。


「真唯さんは自炊はしないとおっしゃっていましたが、お料理お上手じゃないですか!」
「……これは、亡くなった祖母が作るのを見て覚えた味なんです。
 随分、可愛いがってもらいました……」
真唯の声が昔を懐かしむ慕わしさに溢れるのを、一条さんは微笑ましそうに聞いてくれた。そんな恥ずかしさに真唯はおどけてみせた。

「あ、でも! 来年は一条さんの家の味の御雑煮を作ります。
 今度、レシピを教えて下さいね。」

ピタリと一条さんの箸が止まる。そして、顔から表情が消えてしまっている。
一体、どうしたんだろうと思っていると、一条さんが理由わけを教えてくれた。
だが、それは……何とも居た堪れない話だった。



「…私の母は料理をしません。全部、料理人任せです。
 …あんなモノは、家庭の味とは言えません。
 …家畜の餌と同じですよ…
 …私が今日作ろうとしていたレシピはスマホ検索した物です。
 一番美味しそうだったのですが……貴女に作って頂いて良かった。」



にっこりと微笑んだ一条さんの笑顔はとても痛々しくて……真唯は思わず席を立ち周りこんで、膝立ちになって一条さんの頭を抱え込んでしまった。

「…真唯さん…?」
不思議そうな一条さんに、真唯は叫んだ。


「…来年も再来年も、その後もずう~~っと、毎年、御雑煮は私が作ります!
 一条さんに寂しい想いなんか、もうさせないっ!!」
「…っ!!」

一条さんが真唯の腰に腕をまわしてしがみついてくる。そう…それは正にしがみついている・・・・・・・・と云う表現がピッタリの抱擁だった。長い間、二人でそうしていて……一条さんに促されるままに腰を下ろして、そして押し倒されるまま……
だが、ハッ! と気付いた真唯の反射神経は素晴らしかった。一条が止める間もなく、自分の席に戻ると、
「…さ、さあ、頂きましょう! 御雑煮は冷めると美味しくないですし、シャンパンも気が抜けちゃいますし!」
危うく流されそうになったのを恥じて、早口で正論を翳す。


「……真唯さん……姫初め……」


恨みがましい声で何やら危険な単語が聞こえたが、丸っと無視だ。
真唯がシラッとした顔で食事を始めると、一条さんも諦めたように御雑煮の続きをモソモソと食べ始めてくれた。
(…助かった…っ!)
心の中で大きな安堵のため息を吐く真唯だった。



かくして和やか(?)なブランチが終わると、一条さん御用達の珈琲店から購入して来たと云うハワイ・コナをミルで挽いてくれて。ペアのマグカップで優雅なコーヒーブレークを楽しんだ。

その御供は千疋屋のゼリーだ。
今度も散々迷って、真唯はマンゴーにした。
マンゴーピューレ入りの蕩ける甘さに顔が綻ぶ。
まるで南国の太陽の恵みをそのまま味わっているような気分になる。
そして一条さんは、グレープフルーツゼリーを食べていた。

今は笑顔だけれど、あの無表情と……『家畜の餌と同じですよ』……あの言葉が真唯の心を鋭く抉る。

真唯は両親が大嫌いだけれど、母が自分たちのために作ってくれる料理を“餌”などと思った事はない。
だから、想う。

……一条さんの精神こころの闇は、真唯よりも深いんじゃないかと……


癒してあげたい……なんて、そんなおこがましい事は思わない。


ただ、真唯の存在が少しでも慰めになってくれればと、願うだけだ―――



※ ※ ※


冬の陽は陰るのが早い。ぐずぐずしていたらすぐに暗くなってしまう。
だが、電車とひたすら徒歩だった去年に比べればグンと楽だ。【キット】と云う頼もしい足があるのだから。マイケル・ナイトよりずっと頼りになる、真唯だけの騎士ナイト・一条さんが行く先を聞いて驚いた。


「まさか、煎餅で有名な街に、こんな穴場があるとは思いませんでしたよ。」
かつては“日本一汚い”などと不名誉な言葉が冠された川沿いにあるのは【出世弁財天社】だ。御社おやしろと云うよりは祠と云う方がピッタリくるような小さな御社は、当然の如く社務所もない。それでも地元民に愛されているようで、普段はない紅白の幕で仕切られ、注連縄も新しくされている。そして、数段しかない階段に四、五人の人が並んでいるのもお正月ならではの光景だろう。
すぐに真唯たちの番になって、これまたいつもはないお正月だけに飾られる、琵琶を持った小さな弁天像に微笑みを誘われる。

真唯は神社では祈願はしない。
“出世”と云うなら、充分世に出させて頂いていると思う。
弁財天さまに、去年のご加護のお礼と江ノ島でのご縁と、今日のご縁に感謝の言葉を心の中で述べ……


(……一条さんと少しでも長く一緒にいられますように…っ!)


……初めて祈願してしまった。

……隣で熱心に祈っているかのような一条さんも、同じ事を願ってくれてたら良いと思う……


その後は松並木を少し散歩して。陽が沈むのを橋の上から見たいと思っていた【百代橋】が修繕工事中だったのが、残念だった。



「……あそこはね、今は分からないけれど桜並木なんです。
 桜の名所を検索していて見つけたんです。」
「……貴女のブログで見た事があります。
 確か川縁の菜の花のコラボだとか言って紹介されていた…」
「そう、そこ。 …ホント一条さんって、記憶力良いんですね…」
「自称『【上井 真唯】の一番のファン』の実力をなめないで下さい。」
「…なめてなんかいませんよ。 …恐れ入りました…」

……実は、あの桜の記事をアップした時、この御社をみつけていたのだ。しかし、ブログには紹介しなかった。 ……真唯が自分のブログの影響力に少々恐れをなし。この御社に人が押し掛けるようになってしまったら、ここの良さが失われてしまう……。それを危惧した真唯が、わざとアップしなかったのである。
一条さんと帰りの車の中で、そんな会話をして笑い合っている時だった。
参道を人が埋め尽くし、鳥居を潜って尚、人の列が車道横の歩道まで溢れているような神社の前を通りかかったのは。
一条さんもそれに気付いたようで、
「真唯さん、神社がありましたよ。
 人がかなり参拝していたようですが…我々も寄って行きますか?」
折角のお声がけだが、丁重にお断り申し上げる。
無言になってしまった真唯に、一条さんが怪訝な表情かおをする。
……仕方ない。一条さんなら……
「……ブログでは決して言えない事なんですが…私、この神社、嫌いなんです。」
アタシのキッパリとした口調に一条さんが眼を丸くして……次には真剣になった。

「あ! あの、ご祭神さまには、何にも含むところはありません。
 ただ…ここの神主さんがすごく高慢な男性ひとなんです。
 …それに何の必要があったかは知りませんが…樹齢何十年とも知れない桜や銀杏の樹を切ってしまうなんて…神職とは思えません。」

「…貴女はどうして、それを知ったのですか?」
「随分前に参拝させて頂いて…記事を読んだ地元の方が教えて下さったんです。
 …私、よっぽど抗議の記事を書こうかと思いました。
 でも、インカローズのブレスを作ってくれた霊能者さんが視て下さって…これもその木々たちの寿命だったんだよって。大丈夫、木々は恨んでない。真唯ちゃんの想いも通じているよって諭して下さって…拘りを捨てられないのは私の弱さです。」
「…弱さだとは、私は思えません。神社の樹木の事にそんなに心を痛めて…貴女は優しい女性かたですね…」
「…っ」
一条さんの言葉に感嘆の想いを感じた真唯は、途端に面映ゆくなった。

「…や、優しくなんかありません! …ここのお祭りの時に参拝させて頂いたんですけど、お掃除していた神主さんに『こんにちは』って言ったら無視されたんです! それに、お祭りになったら途端に偉そうになって…そのくせ身なりの良い人にはペコペコしてるし……そんな小さな事に拘っている心の狭い人間なんです、私は!!」
「…挨拶も出来ない人間の方がずっと小さな人間ですよ。
 …きっと私が名刺を出して挨拶したら、おもねるような輩でしょう。」

何より『真唯さんを無視するなんて、許せないっ!!』と憤慨し、ここを潰すのは無理だろうから、神主を交代させてやろうかと憤る一条さんを宥めるのに随分な時間を要してしまったが、自分を擁護してくれるような一条に真唯は嬉しくなった。



その後、築地で回らない美味しいお寿司をお腹いっぱいご馳走になった。
一条さんには江戸前の正当なお寿司を出す名店が似合うと思うのだが、そう云うお店は真唯の好きなサーモンがない。
『寿司と云うのは元々、庶民の食べ物だったんです。
 それを変に格式ばって、客の好みを無視するような店は碌でもない。』
万事何事にも自分を優先してくれる一条さんに、嬉しさと共に申し訳なささえ感じてしまう真唯だった。






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