IMprevu ―予期せぬ出来事―

天野斜己

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本編

No,44 北原の押し切り勝ち

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翌朝の仕事納めの日。
北原が腹いせに、一条さんとの事を面白可笑しく言い触らしていたらどうしようと、真唯は内心ビクビクしていたが、彼もそこまでイジワルではなかったらしい。ただ、いつもは現場に出払っている男性陣が在席していて、仕事中に北原の視線をビシバシ感じる。何か話したそうな感じがありありだ。

つけいる隙を与えたらお終いだと思って、真唯はなるべく北原には近付かないようにした。昼食後もいつもの読書は止めて、カーディガンを頭から被って机に突っ伏し“昼寝”のポーズをとる。これをやると誰も話し掛けて来られないので、一人っきりで考え事をしたい時など真唯がよく使う手だった。

昼も無事に過ぎ、定時までもう少しだと真唯が安堵しかけた時に、PCにそのメールは届いた。北原からだ。件名はなし。恐る恐る本文を読んで、真唯の表情が硬くなる。
だが。

……逃げてばかりじゃ、ダメだ……

真唯は覚悟を決めて、定時を待った。



『大事な話がある。定時後に、【喫茶・アイリス】で待っている。
 もし、来てくれなかったら、会社で一条専務との事をバラす。』




※ ※ ※




「あーー! 終わったーっ!!」
「お疲れさん!!」
「良いお年を~~♪」

冬の五時半は、もう真っ暗だ。
男性陣は、昨日の宴会の続きだとばかりに夜の街へ消えて行く。

女性陣もこの日ばかりは更衣室は満員御礼状態で、一度に入りきれない女の子たちが順番に着替えて。仲の良い子たちはグループになって、どこかの店で食べて帰ろうかなどと楽し気に語りあっている。家庭がある女性ひとたちは、足早にその家族の元へ帰って行った。そんな中、一人、真唯だけが暗い。そんな真唯に室井女史が気付かぬはずがない。

「牧ちゃん、どーしたの。折角、明日から楽しいお休みなのに。」
ポンと肩を叩いて話し掛けて来る。
「…室井さん、…いえ…なんでもありません。」
なんでもある事がありありの返答に、室井さんの眉根が軽く寄る。だが、いくら室井さんでも、こんな事話せない……。そうして逡巡していたら、爆弾が投下された。スッとアタシに近付いてきた室井さんが、コッソリと囁く。


「もしかして……彼氏と喧嘩でもした?」


「…っ! …な、なにを…!!」
直球ストレートは心臓に悪い。思わずズザザザッ! と後ずさってしまった。

「やだー、牧ちゃんったら、分かり易くてホント可愛い♪」

コロコロと罪のない笑い声を立てる室井さんに脱力する。
周囲の女の子たちが不審気に私たちを見て、でもすぐに興味をなくして「お疲れさまでした~~」「良いお年を~~♪」と言いながら去って行く。すっかり声の出なくなってしまったアタシの代わりに室井さんが「お疲れ~~♪」と適当に返事をしてくれた。そして、アタシに、

「安心して。誰にも言わないから。もし何か悩み事なら、相談に乗るわよ?
 牧ちゃん、恋愛経験値低そうだもん。」

これが他の人に言われたなら、完全な侮辱だ。
だが、室井さんの言葉は、本当に真唯の事を心配してくれての事だと理解る。『そーなんです! とっても低い、最低レベルなんです~~』と言って、眼の前に出された救いの手に縋りつきたい。 ……だが、それは許されない事だ。


「……ありがとうございます…本当に彼氏が出来たら、是非ともお願いします。」
そう言って頭を下げた。心優しい先輩に本当の事を言えない真唯の精一杯の気持ちだ。

「……ハイハイ、そう云う事にしといてあげる。じゃあね。
 牧ちゃんの恋愛相談に乗れる日を楽しみにしてるわ。良いお年を~~♪」

手をヒラヒラとさせて去って行く後ろ姿に、真唯はもう一度深く頭を下げた。




※ ※ ※




【喫茶・アイリス】とは会社の近くにある喫茶店だ。ウチの会社の人間が、モーニングやランチに使う事が多い。安いわりにボリュームのある良心的なお店だ。そんなお店だからこそ、こんな日には会社の人間は来ないだろうと北原は考えたのかも知れない。 ……そう思いたかった。

真唯は頼んだブレンドに手もつけず、ひたすら北原を待った。


“大事な話”って、なんだろう?


あれだけ強く一条さんに牽制されたのに、今更、真唯に何の話があると言うのだろう?
考えれば考えるほど思考がマイナスに落ち込んで行き、真唯が自虐のズンどこまで堕ち込んで行ってしまっている時に、ようやく待ち人は現れた。




開口一番、北原は言った。
「先ず最初に聞きたい。フィアンセって言うのは嘘なんだろ?」


……ああ、やっぱり簡単にバレちゃったか~~……


真唯に男女関係の駆け引きなんか出来ない。その気になれば平然と嘘を吐く自信はあるが、この手の事は無理だ。真唯は黙ったまま、コクンと頷いた。
その瞬間、北原は大きく息を吐いた。


「良かったァ~~」


……何が『良かった』なのか、真唯にはさっぱり理解らない。キョトンとしていると、北原が軽く睨んで来る。


「……なんだよ、その表情かおは。これから、オトそうとしてる女性おんなが、ただの恋人持ちか、既に婚約済みなのかっつーのは大問題だろ。」


まったく予想外の北原の台詞に、真唯は大きく眼を見開く。真唯の中の常識としては、既に恋人のいる人間は恋愛の対象外となるはずなのに。しかも目的が室井さんのような美人さんなら、まだ理解る。だが、相手は真唯なのだ。何のとりえもない、アラサーの干物女なのだ(パワーブロガ―なのは、この際、関係ないだろう)。



……一条さんと云い、この北原と云い、視神経か脳がどうにかなってしまってるとしか思えない。



そんな呆れた思いでいる真唯に構わず、やはり真唯と同じように頼んだブレンドに手もつけずに、北原は言い募って来る。



「……悪い事は言わない。あの人はやめた方が良い。
 ……あんたには似合わない。」
「……理解ってます。分不相応な事は……」
真唯が自嘲うと、
「違う! そんな意味で言ったんじゃない!!」
身体を乗り出して来る。


「……あの一条専務って人は、あの顔と肩書だろ。
 ……女関係が派手なんだよ……
 ……あんた、多分、面白半分にからかわれてるだけだ。
 ……今に簡単に捨てられちまう。」

北原のその言葉を聞いても、不思議と胸は痛まなかった。一条さんのあの態度を見れば、相当、女性の扱いに慣れているのが理解る。一条さんが真唯に構っているところを見れば、そう思い込むのも無理はない。

ただ、真唯は密かに感動していた。
ただのチャラ男だと思っていたのに、真唯の事を真剣に心配してくれる、その真摯な態度に。
だから思わず呆然と言ってしまった。


「……北原さんって、とっても優しいんですね…私、北原さんの事、誤解してたみたいです……」


面喰ったのは男の方だ。
今までどんなにアタックしても、『メンドイ、鬱陶しい』との声が聞こえるような顔しか見せてもらえなかったのに、急にどこかぼうっした表情、そして花が綻ぶような笑顔を見せてくれるのだから。

(こんな初心うぶでカワイイ奴、ほっとけない!
 みすみす、あんな男の毒牙にかけてたまるか!!)
北原は、心の中で拳を握り締める。
すっかり冷めてしまっているコーヒーを一気に飲み干し、改めて真唯に向き直る。


「改めて言うよ。俺、あんたが好きだ。
 あんな女ったらしに、あんたは渡せない!」


真っ直ぐな瞳で射られ、真唯は瞬時、硬直した。しかし、すぐにシャンとする。北原さんは真剣なのだ。真唯も真剣に相対せねば失礼だ。
それに……一条さんへの誤解も解いておきたい。


「ありがとうございます、北原さん。私なんかの事を真剣に心配して下さって。
 確かに過去の一条さんは女性関係が派手だったかも知れません。
 でも、ここ二、三年は大人しい…違いますか?」


言われて少し考える。そう云えば、一条専務の艶聞は大分、過去の話だ。それを聞いていたので、北原の中では『一条専務は、女たらしだ。』と云う固定観念が出来上がっていたのだが……。真唯の言葉を咀嚼して……そして、苦い思いに捕らわれる。
「……自分と付き合い出したから、女たらしは卒業したとでも言いたいのか?」
「……そこまで傲慢にはなれません。ただ、一条さんはとても寂しい人だったんです。それを紛らわせるために女性と付き合っていたのだと思います。」
「……じゃあ、あんたがその中の一人じゃないって、どうして言える?」
「それだけの誠意も見せて頂いて、言葉も沢山もらってますから…そんな一条さんを私は信じたいんです。もし万が一、遊びだったとしても、それならそれで構わない。 ……私の誕生日まで夢を見させてもらいます。」
「あんたの誕生日?」


そこで真唯は告げた。
一条さんに指環をもらってプロポーズを受けた事。それを自分の我儘から誕生日まで待ってもらってる事。


それは真唯にしてみれば、一条さんがいかに誠実な男性であるか。自分がいかにだらしない、意気地のない人間であるかを強調するための話だった。しかし、それは……あまりに男性心理を理解していなかったかを、数瞬後に思い知る事になる。

「……じゃあ…じゃあ、俺にもまだ希望はあるんだな?」
「はあっ!?」
「だって、そうだろ。あんたは専務のプロポーズをすぐに受けなかったんだから。」
「いえ、あの、そうじゃなくって…っ!」
「何がそうじゃないんだ? 本当に好きなら、すぐに受けてるはずだろ?」
「……っ! …あ、あの、それは…」
「おーし! 希望が見えて来た!!」

一人で盛り上がっている男を止める術は無い。真唯にそんなスキルはなかった。
伝票を持った男は勢いよく立ち上がった。


「ホントはメシでも誘いたいとこだけど、どうせ専務との先約があるんだろうしな。休みの間は専務に譲るけど、年が明けたらガンガン攻めていくからな!!
それじゃ、マキちゃん、良いお年を!」




店に入って来た時と丸っきり正反対の、まるでスキップでもしそうな足取りで去って行く男の後姿を見ながら、真唯はただただ呆然とするしかない。





……もしかして、思いっ切り墓穴を掘った?


……あ~~ん、アタシにどーすれば良かったってゆーのよ~~~っ!!







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