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本編
No,32 真唯のクリスマス観
しおりを挟む真唯は、家に置いて来たスマホを思い出し、溜め息を吐く。
あれから、一条さんの着信が何件あったかなんて……数え切れない。
メールの中身は殆どが、名前で呼ばない事についての恨み事だ。
『双六で、やっとゴールして“あがり”かと思った途端、フリダシに戻れと命令された気分です。』
なんて年齢が分かるような言葉には哀れさえ催し、ヒシヒシと申し訳なさを感じるのだが、呼べないものは仕方がない。
メールは平気なのだ。文章の上でなら、『貴志さん』と呼びかけられる。
だから、あれから一条さんとの連絡は、すべてメールで行われている。
一条さん曰く、『【貴志さん】と呼ばれる幸せを知ってしまった現在では、今更名字で呼びかけられる虚しさを味わいたくありません』との事なのだが……
それにしたって……参った。
真唯はスマホを持った事を周りに言ってはいない。
一条さんにお金を出してもらっている彼との連絡用なのだから、誰にもアドレスを教える心算はない(両親になんて論外だ)。
最初の頃はマナーモードとやらにして会社にも持って行っていたのだが、肝心の一条さんが電話連絡をくれずにメール機能しか使わないので数日経つうちに持ち歩く事はなくなり、すっかりおウチでお留守番をする伝言の遣り取り器になってしまい本来の使い方はされない子になってしまったのだ。
あれから一条さんは、また忙しくなってしまった。
真唯とのクリスマスを過ごす時間と、年始年末の休みを確保するためだ。
特に高貴な方のお誕生日には、毎年招待されている公演に真唯と出掛けなければならないため、それを出社日にしてでも『イヴには、真唯さんを定時に迎えに行きます!』と意気込んでいる。
―――正式な“恋人”になって、初めて迎えるクリスマス・イヴ―――
クリスマスなんて、もともとは冬至を祝う、古代のお祭り。
それをキリスト教が勝手に、自分たちの教祖の誕生日にでっち上げ、世界中で祝わせてる。
夏至を祝う【太陽の祭り】の方が、ずっと由緒正しいんですからねっ!!
などと妙な対抗意識さえ燃やしていたのだ。
いや、真唯にだって理解っているのだ。起源や歴史で云えば、ルーツを遡ればケルトやバビロニアにまで及んでしまう勝てる相手ではない事ぐらい。
だからこそ、世のクリスマスを斜の眼で見て来たのだ。
いや、キリスト教圏の家族でお祝いするような、そんな聖なる日を否定するほど、真唯も狭量でない。
真唯がバカにしてきたのは、我が国・日本である。
元々は神道の国であるのに、仏教と習合されて。それだってかなり強引なのに、異教の祭りのどこをそんなに有り難がるのか。
それに、本来のクリスマスは25日である。
だが日本では前夜である24日を重要視し、更に嘆かわしい事にその日を恋人同士が過ごす日として定義づけている。
一神教ではなく、多神教による弊害なのか……業界に踊らされおって、バ○モノどもが。
などと、苦々しく思っていたのだ。
今年12月前半、今までの真唯ならば。
だから、真唯は夢にも思わなかった。
自分が、その“バ○モノども”の一人に交じって……そのクリスマスムードに浮かれ切っている銀座の街を闊歩しているなんて……
しかも、その目的が“恋人”へのプレゼント探しだと云うのだから、一年前の自分が今の自分を見たら臍で茶を沸かすだろう(そんなマネが出来るか、いたら是非見せろ/一人ボケ突っ込み)。
そもそも、真唯は人混みが嫌いだ。普段の買い物は近所の安いスーパーだし、洋服なんてユニクロか量販店でテキトーに済ませている。ウィンドウショッピングなんて愚の骨頂。予め決めておいた店で、パパッと済ませてしまう。 ……それが、真唯の買い物だった。
ああ、誤解してもらっては困るのだが、銀座と云う街は大好きである。池波正太郎に心酔している真唯にとって【銀座日記】はバイブルのようなものだし、いつか全店制覇したいと思っている。お香を買ったり、お気に入りの喫茶店に入ったり、歌舞伎を観たり…アラサーの女にとっては、若者がいっぱいの渋谷などと云う疲れるだけの処とは一線を画す街なのである(ちなみに、道玄坂だけは別格である。某書が聖書である真唯にとっては、聖地にも等しいのだ)。
だが……
フッと自分を自嘲う。
「いやーねー。何、思い出し笑い?」
「あ、すみません、リザさん。いえ、男の人にクリスマスプレゼントなんて選んでいる自分が可笑しいだけです。」
「あら、あなたたち。今までのクリスマスはどうしてたのよ?」
「どう…って、クリスマスは例の公演がありましたから、プレゼント交換は初めてです。私にとっては、クリスマスなんかより、その前の月にある疲れるイベントの事で頭がいっぱいだったもので。」
「貴志の誕生日の事ね。
……でも、よく文句を言わなかったわね、あの男が。」
「……ええ。私は知らなかったんですが、随分、我慢していたらしいです。
…今年のクリスマスは、是非、一緒に過ごしたいってねだられました。」
……そうなのだ。
名前で呼ばない事も問題なのだが、最近になって『聖なる夜を是非、ご一緒させて頂きたい』と敵は戦法を変えて来たのである。
だが、困ったのは真唯だ。もともと“クリスマス”などバカにしていたのだから、はい、そーですかと簡単に頷ける筈もない。
そんな真唯の気性を良く理解っている男は、名前で呼んでくれない上にクリスマスも一緒に過ごせないなら、今すぐ同棲に持ちこむと無茶苦茶な事を言い出して、本当に引っ越し屋を手配しようとしてきたのだ。『貴女は身一つで来て下されば良いんですよ』などと言って、秘書の山中さんを迎えに寄こす始末で。これには慌てて、真唯もイヴを一条さんと過ごす約束をした。
そして、更に困ったのがプレゼントだ。
真唯は、一条さんの誕生日にアイディアを出し尽くしてしまった。今更、ネット検索なんかしてみても虚しいだけだ。いっそ、真唯のスマホにつけたストラップとお揃いのストラップでもプレゼントしてやろうかと自棄をおこしたかけたのだが、それはあんまりだからと思ってやめた。
―――……ネクタイをプレゼントする勇気は、まだ真唯にはない……―――
散々迷って、一日を潰す覚悟で、休日の銀座にやって来たのだが。色んなデパートや店を覗いてみてピンとくるものがなくて、アンティークならどうだろうと思ってリザさんの処へやって来たのだ。
「それで、私のアンティークショップを思い出して頂けて嬉しいわ。
どうぞ、ゆっくり見て行ってちょうだい」
「ありがとうございます。お言葉に甘えて、じっくり拝見させて頂きます。」
出された珈琲を飲み干し、従業員用のソファーから立ち上がりドアを開けると……そこには別世界が広がっていた。
まるで中世ヨーロッパの宮殿の一室にいるかのような心地を味わせてくれる、このお店が私は大好きだった。宮殿とは言っても堅苦しい雰囲気はまるでなく、私がパリに行った時、一番気に入ったレストラン【ル・トラン・ブルー】に通じる気安さがあるのだ。
【トラン・ブルー】はパリ・リヨン駅構内にあるにも関わらず、内装はベルサイユ宮殿さながらの場所だが、庶民が気楽に出入りして良いですよ~♪ と言っているような、そんなお店だ。
静かで落ち着いたクラシックが流れる中、真唯は品物を一つ一つ確かめるように歩く。が、危うくズッこけそうになるような、からかい声が届いた。
「ところで真唯ちゃん。あなたに【貴志さん】って呼んでもらえないって、あいつがスネてたわよ。あんないい年齢したデカいオトコがイジけてても可愛くないんだから何とかしてやってよ。」
思わず真っ赤になって、真唯はリザを振り返った。
「一条さんったら、リザさんにまでそんな事言ってんですかっ!?」
「ほら、それよ。折角、名前で呼んでくれるようになったのに、一日経たないうちに元に戻っちゃったって、大の男がグチグチと。うっとうしーったら、ありゃしない。ハッキリ言って、ウザい。」
リザさんの言葉に声も出なくて、握り拳をワナワナと震えさせていたのだが、リザさんの声が面白がるようなものから一転した。
「……あいつはね、ちょっと産まれが特殊だから…他人なんか一生愛せないんじゃないかって心配してたのよ。それが、真唯ちゃんみたいな可愛い娘連れて来て、安心してたから…出来れば名前…呼んでやってくれない?」
私たち二人の事を真剣に心配してくれる女性に、応える真唯も真剣になる。
「……でも、リザさん…私みたいな親不幸な、自己破壊願望が強い女が一条さんと付き合う資格があるんでしょうか……?」
リザさんには、私の屈託のすべてを話してある。親を……自分を憎んでいる事も。
自己否定と自己卑下が顔を出し掛けた時、力強いリザさんの言葉が私を励ましてくれた。
「勿論よ。あなたたちは、一緒にいなくてはいけないわ。
お互いが欠けている部分を補い合える、最高のカップルになれるわ」
この私が保証してよ☆と云う鮮やかなウィンク付きのその言葉は、アタシの精神の奥まで届いて……アタシの涙腺を刺激してくれた。
「……あ、ありがとうございます、リザさんっ!!」
慌ててハンカチを眼に当てて……やっと落ち着いて顔を上げた瞬間、それはアタシの瞳の中に飛び込んで来た。
「……リザさん…このカップ……」
それは黒に近い真紅の薔薇の模様が描かれた、マグカップだった。
真唯には、陶磁器を見た瞬間、メーカーを当てる事が出来ると云う特技があるのだが、その陶磁器はメーカーが分からなかった。
例えるなら、WEDGWOODのの力強さと、ロイヤルコペンハーゲンの繊細さが、オールドノリタケの上品さによってマッチングされたような、なんとも云えない味わいのあるカップだった。
何より、その薔薇の紅が―――真唯を惹き付けた。
「あら、真唯ちゃん。そのカップに眼をつけるなんて、流石ね。
良かったら、お手にとって、どうぞ。」
真唯は思わず躊躇した。
「あ、あの! …手袋しなくて、大丈夫ですか!?」
「…そうやって価値のある事を理解ってくれる人間に巡り会えたって事は…このカップは、真唯ちゃんと貴志の物になる運命だったのかもね。これは、あの景徳鎮でルビーの粉を使って造られたと云う噂のある、いわくつきの品物なのよ。」
「ルビーの粉をっ! そんな事が出来るんですか!?」
「あくまで噂よ。」
「ま、待って下さい! これ、値段がないですけど、一体いくらなんですか!?」
「う~ん、それを聞かれると困っちゃうのよね~。店としては来歴のハッキリしない物をお客様に売る事は信用問題に関わるわ。だから、あくまでディスプレイ用として飾っておいたのよね。 …でも、真唯ちゃん、あなたはこれが欲しくて仕方がないでしょう?」
「……は…い、分割でも良いなら売って頂きたいです。」
「だから、売り物じゃないんだってば。 …ね、真唯ちゃん、今日のご予算は?」お気楽な声に、「あ、十万ですけど…」と素で馬鹿正直に答えてしまう真唯。
そんな真唯に、微笑んだ声が応えた。
「よろしい。お友達価格で、このカップの値段は十万で決まり!
一客、五万円としてもお買い得だと思うわよ。」
そうなのだ。これはペアのマグカップなのだ。
一条さんのあの部屋で、一条さんが挽いてくれるミルで淹れた珈琲をこのカップで飲んでみたいな~~と思ってしまったのだ。
それはあまりに申し訳ない。せめて仕入れ分を払いたいと言う真唯に、【ルールブック】を自称する姐御肌の女性は決して首を縦に振らず、遂には十万円さえ要らない、無料で押し付けるわよ! などと、妙な脅迫をしてくる始末だった。
そして、最後に言われてしまったのだ。
―――……真唯ちゃんの戸惑う気持ちも理解るけど、あいつの真剣な想いを信じてやって……―――
―――……今日の事、少しでも申し訳ないと思うなら、あいつの名前を呼ぶ努力をしてやってくれる……?―――
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