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本編
No,31 やっぱり一条さんは、一条さん
しおりを挟む―――……一条さんと……貴志さんと、恋人同士になっちゃった……―――
真唯はコートも脱がないで、自分の身体を抱き締めた。
あの一条さんの誕生日の夜の事は、真唯の精神では、一種の事故のようなものだと思おうとしていた。予感はあったとは云え、あまりに突然過ぎて、一条さんの激情に流され、情熱に翻弄されっぱなしだった一夜。
いくら処女を奪われたとは云え、いい年齢をした男と女の間にはよくある事なのだと……そう、思い込もうとしていた。
でも、今日は違う。
……真唯の意思で、この肉体を愛されたのだ……
それに何だか、一条さんもとても幸福そうな表情をして見えた。
あの表情が、アタシの気のせいや思い上がり……なんて事ないよね、一条さん?
それに、あの、一条さんがイク瞬間の艶っぽい表情なんて……
そこで、ハタッと真唯は気付く。
自分の中で【彼】の呼び方が戻っている事に。
(…そーよね~~、やっぱり【貴志さん】なんて、ハードル高過ぎるわよね~~)
むしろ、彼の部屋でナチュラルに呼んでいた事の方が、今となっては不思議だ。
そして、真唯は顔の下から薫ってくる強烈なムスクに気が付いた。
「あ、シャルル君、ただ今…って、
あ~、ごめ~~ん、インカローズのお水ぅ~~!!」
鉢植えの夕方の水を、今の今まで忘れていた事に、自分がどれだけ乙女な事を考えていたかを思い出し、一人、部屋の中で赤くなりながら慌てて水やりをする。
……………
……………
……お風呂、はいろ。
こんな時は、一時撤退の現実逃避に限る。
(昨日は草津だったから、今日は湯布院にでもしよーかな~~。あァ~、どこか温泉でも行きたいな~~。あ~、そーいや行きたかったな~~、式年遷宮)
今年は、二つの巨きなお社の遷宮が重なる稀な年である。
神社仏閣好きの真唯にとっては、たまらんものがあるのだが……それを諦めた理由を思い出し、再び顔を赤くする真唯だった。
お風呂から出た真唯は、早速おコタの中に入った。
真唯はヒーターは使わない。冬はひたすらコタツ派なのだ。
一条さんのところで美味しい珈琲を飲んできたので、わざわざマズいインスタントを飲む気にはなれなかった。たまには紅茶でも飲むかと思って、蜂蜜を入れた甘いミルクティーにしてみた。
そして徐に、【キット】を思わせるメタリックダークブルーに輝くスマホを取り出して……嬉しく恥ずかしくも、少々げんなりしてしまう気持ちは抑えられない。
一条さんの気持ちを思えば嬉しいだけなのだが、携帯を持たない生活を送って来た真唯にすれば、未知の領域に踏み込むメンドイ思いがどうしても消えてくれない。
(……まあ、とにかく電話とメールの仕方ぐらいは覚えよう)
そう思って電源を入れてみた真唯は、最初に一条さんと一緒に見た待ち受けと少し違う点に気が付いた。
な、なんだろ、このマーク……
無暗にタッチして訳の分からない事にはなりたくない。
理解らない時は、取り扱い説明書である。それを見ると、どうやらメールの着信らしい。
このスマホのアドレスを知っているのは一条だけだ。
一条さんからのメールだ!
慌てて説明書を見ながら、メールの受信箱を開けて、一条さんからのメールを読む。
『こんばんは。
今日は、御守りをありがとうございました。
貴女の心のこもった御守り、大切にします。
スマホを押し付けてしまって、済みません。
ですが、こうやってメールの遣り取りをさせて頂くのが夢だったのです。
まだ使い慣れていないでしょうから、どんなに短文でも構いません。
返信をお待ちしています。
今夜中に気付いて頂けなかった場合のために。
お休みなさい。
愛しています。』
「……………」
PCで一条さんとメールの遣り取りの経験はあるが、“恋人”になってからは初めてだ。なんて、小っ恥ずかしいメールだと思う。
世の恋人たちは、こんなメールの遣り取りをしているのだろうか?
そして、大事な事に気付く。
(礼儀として、アタシの方から今日のお礼のメールをしておくべきだったんじゃないの!?)
思い付いたら善は急げである。PCと勝手が違ってやりづらい事この上なかったが、それでも何とか感謝の気持ちを伝えたくて頑張った。長い時間をかけて、これだけのメールを作成した。
『こんばんは。
お風呂に入っていたので、メールに気付くのが遅くなってしまって申し訳ありません。
こちらこそ、美味しい昼食と夕飯、そしてスマホをありがとうございました。
慣れるまで時間が掛かりそうですが、頑張ってみます。
お休みなさい。
明日もお仕事、頑張って下さい。
私も…大好きです。』
「…送信!っと。」
何やら大事業を成し遂げた気分だ。
すっかり冷めてしまったミルクティーを一気飲みする。
思わぬ実地訓練をさせてもらった。この調子で少しずつ慣れていけばいい。
さて。
電源を落として、充電器とやらに置いておこう。
……などと思っていた時だった。いきなり掌の中から、アタシの大好きなジョアン・ジルベルトの【Desafinado】が流れてきたのだ。一瞬、ギョッとしたものの、一条さんに『着メロにしておきますから』と設定された事を思い出した。
なるほど、こうやって電話が来ると曲が流れるのか~……なんて感心してる場合じゃない! 画面を見ると待ち受けが消えていて、【貴志】の文字とナンバーがディスプレイされていた。早く出ないと! と思っても出方が分からないので泣きたい思いで説明書を見ようとしていたら、どこをどう押したのか自分でも理解らないうちに、一条さんの電話に出る事が出来ていた。
「もしもし! 済みません、お待たせしてっ!!」
『いいんですよ。勝手が分からなかったんでしょう? 全然、待ってなんかいませんから。それより、私こそ済みません。大した用事なんかないんです。ただ、貴女からのメールが嬉しくて、返信しようとしたんですが…それより声が聞きたくなってしまって。』
「……………」 ……こんな事を言われてしまえば、無言になるしかないアタシに、一条さんは尚も語り掛けて来る。
『お風呂を出て、暖かな格好はされていますか? コタツよりヒーターの方が暖かいのに…心配です。 …いや、それより、私が直接あたためて差し上げたい…愛していますよ、真唯さん。』
「…っ!」 だから、どーしてそう答えにくい言葉を繰り出してくるかな、この男性はっ!!
『ああ、黙らないで。何でもいいですから、貴女の可愛い声を聞かせて…』
「一条さん! いいかげんにしてくれないと、電話を切りますよ!!」
堪忍袋の緒が切れたアタシは思わず叫んでしまったのだが、それがいけなかった。
『………ソレは、わざとですか?』
随分長い間、無言だった一条さんがやっと発した声は、地の底から響いてくるような不気味な重々しさがあった。
「……そ、それ、とおっしゃいますと?」
恐る恐る聞いてみるが、返って来たのは無言で、今度はアタシが(なんでもいいから、しゃべって!!)と云う気分になった。と、あまりにトートツな、あまりに間抜けな質問があった。
『……真唯さん……私は誰ですか…?』
……この人、忙し過ぎて、どーにかしちゃったのかと思いながら、
「…誰って…私はずっと一条さんと話してる心算で…、…っ!!」
そこで真唯は、よーやく地雷の存在と、それを確実に踏んでしまったであろう、愚かな自分に気が付いた。
……でも、呼べない! 【貴志さん】なんてっ!!
『…いいですか、真唯さん。もう一度、伺いますよ? ……私は、誰ですか?』
奈良の白毫寺の閻魔さまも、かくやと云う声を出す一条さんに、真唯は……戦略的撤退を選択した。
「済みません、一条さん! お休みなさいっ!!」
『あ、こら! 待ちなさい、ま、』
ピッ!!
フリーズしたPCを強制終了するような後味の悪さを感じながらも、真唯はスマホを切った。
(ごめんなさい、一条さん……)なんて、感傷に浸る間もなく、【Desafinado】は、鳴り続けて鳴り止まない。
(済みません、一条さん!!)思い切って電源を落としたものの、すぐに家の電話が鳴り出す。
トゥルルル…… トゥルルル……
トゥルルル…… トゥルルル……
トゥルルル…… トゥルルル……
トゥルルル…… トゥルルル……
トゥルルル…… トゥルルル……
イタ電のように鳴り続ける呼び出し音に恐怖を感じた真唯は、最後の手段!! とばかりに、モジュールジャックからコードをひっこぬく。そして、紅茶のカップを簡単に洗うと、すぐにソファーベッドに逃げ込んだ。
……あ~~ん、一条さん、コワイよ~~……
……やっぱ、スマホなんてもらうんじゃなかった~……
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