IMprevu ―予期せぬ出来事―

天野斜己

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三年目の新婚クライシス

No,265 五月闇 其の十六 【貴志SIDE】

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何も打開策を打ち出す事が出来ずに、日々だけが過ぎてゆく。
こんな無能なヤツが部下だったら、間違いなく辞めさせていただろう。


……いや。


こんなヤツだったからこそ、真唯つまにも愛想をつかされたのかも知れない。
スーパーゼネコンで辣腕を揮っていたのが遠い昔の事のようだ。






SPたちから真唯の様子を伝え聞く事だけが、俺の唯一の心の拠り所となりつつある。聞けば真唯は荒川の土手で日がな一日中ぼんやりしているらしい。夕飯は専ら既成の弁当で済ませていて、少し痩せたようだと言われてしまえば、責任を痛感してしまう。朝食や昼食はどうしているのだろう。心配で堪らない。

『真唯サンの部屋に、カメラや盗聴器を仕掛けて来ましょーか?』

【Fool】の危険で甘い誘惑に心揺らされたが、辛うじて踏み止まった。盗撮や盗聴それは昔の俺が真唯を“守る”為に行使した手段だ。現在いまの俺が安易に用いて良い筈がない。……俺の精神こころの安定の為になど。真唯の安全は確保されてる筈だ。常時SPが張り付いているし、何より“影”が付いている。SPが護衛ガードする為の口実となった勘違い女ストーカーなど、とっくの昔に撃退済みだと“影”から保証もされている。密かに心配していた横恋慕していたと云うヤロウ共は、今の真唯の現状を知らない。幸せな結婚生活を送っていると信じているようだ。……誰にも絶対に知られてはならない。離婚届を用意されてしまっていた事など。
すぐにでもシュレッダーにかけてしまいたい代物だが、小さな手帳に挟んで胸ポケットに仕舞っている。これは一種の願掛のようなものだ。これを彼女の眼の前で破る瞬間とき。それが真唯に会う資格を得られる時だと思うから。論理的に破綻している事は良く理解っている。が、しかし……



本当ならすぐにでも真唯の元に飛んで行きたい。
彼女に会い、謝罪をしたい。
そして俺の真意を……胸の内を伝えたい。
ただ。
今更どの面下げてと、どうしても躊躇してしまうのだ。
それに。
彼女が真実ほんとうに会いたいのは、俺であって俺ではない男性おとこの筈だから。



―――そうして。


俺は、途方に暮れてしまうばかりなのだ―――






もうすぐ真唯の誕生日がやって来る。
彼女が【インティ・ライミ】と称して祝っている事はブログでも有名だ。

記憶を失う前の“俺”は、とにかく盛大に祝っていたらしい。
何とあの御方の専用機まで借り出していたと云うのだから尋常ではない。
とにかく、“俺”にとっては大切な日だったに違いない。

良い機会だとは思う。
これ以上ないチャンスだと。
けれど、どうして良いのか理解らない。
皆目見当がつかないのだ。

謝罪をする事は簡単だ。
土下座したって構わない。
けれどそれは俺の罪悪感を宥めるだけで、真唯にとっては何の慰めにもならないのではないだろうか。なぜなら、いくら謝罪の言葉を並べ立てても、心からの誠意を見せても、『改善策・解決策』が存在しないからだ。手の中でオリエント急行のチケットを弄びながら考えに沈むが、思考も気持ちも沈んでゆくばかりだ。


そんな自分を持て余している時。
深水から夕飯に誘われ気分転換も兼ねて応じると、やけに立派な料亭に連れて行かれ。意外に思っていると座敷には、もっと意外な人物が待ち受けていた。



「…京牙けいが…」
「久し振りだな、貴志…深水こいつから事情は聞いてる。」
座敷の上座に陣取っていたのは、俺の従兄の緋龍院京牙だったのだ。
「…どう云う事ですか…貴方たちは、仲が悪かった筈では…」
とそこまで言って、既に二十年の歳月さいげつが横たわっている事を思い出す。
二十年と云う歳月としつきはこの複雑な異母兄弟の仲を修復するに充分な年月だったようだ。


「俺の選んだ職業みちだから後悔はしてないが…お前はゼネコンで順調に出世して、退職した後は出版社の社長になっちまったから、極力関わらないようにしてたんだが…この料亭ここなら会っていても誰も口外はしまい。」


誰よりも優秀だったこの従兄は渡米して誰もが知っている有名大学を優秀な成績で卒業したが、帰国した後は何とヤクザの世界に足を踏み入れてしまったのだ。誰もが驚愕していたものだが、俺はあまり意外には思わなかった。却ってその自由さを羨ましく思った程だ。
俺が深水と下座に設えられた席に着くと女将自らが一本の日本酒を持って来た。
【満寿泉】
お祖父さまのお好きだった酒だ。
女将が徳利に移し、京牙、俺、深水の順番に酌をすると、綺麗な一礼をしてその場を去った。それを見届けると、京牙が乾杯の音頭をとった。


「今日はジジィの四十九日だ。柄じゃねぇって事は理解ってるが、金の亡者どもの供養じゃジジィも浮かばれねェ。俺たちはそれぞれ、あのジジィには可愛がってもらったからな。せめて真似事をして供養してやろうじゃねえか。」


「乾杯」小さく呟いて杯を干す従兄にならって俺と従弟も杯を干した。
故人を悼むには不似合いな酒かも知れないが、俺たちには丁度良いだろう。
俺自身を認めて下さった数少ない人間の一人であった、尊敬する祖父の死は俺が記憶を失って数日後に東と阿部からほぼ同時に知らされた。二十代の意識の“俺”に気を使ってくれた事が理解った。知らされた瞬間の深い喪失感は言い表しようもないものだったから。お祖父さまはあの御方とも交流があり、【元老院】にもその名を連ねていらっしゃったから“死”を偽装して“不死と永遠”を手に入れる事も可能だった筈だ。けれどその道は選ばず、“自然な老いと死”を受け容れる事を決められたのだ。そして……逝かれのだ。その現実を俺も受け入れなければならなかった。お祖父さまはもう随分なご高齢であり、ある程度の心の準備は出来ていた。心算だった。が、しかし。その反面、いつまでもお元気でいらして下さるような気がしていたのだから始末におえない。


「…何だか嘘みてえだな…あのジジィが死んだなんてよ…」
「…この歳の俺たちがこんなだから…お前の事が余計に心配でな…」
二人にチラリと横目で伺われば苦笑いしか浮かばない。
「…お気持ちは有り難く受け取っておきますよ…」
「…相変わらずカテー奴…」
「…お前らしーわ…」
それからしばらくすると料理が始まって、俺たちの食すペースで配膳が進んでゆく。このあたりの絶妙な“間”で料亭の善し悪しや“格”が判別わかると云うものだ。旬の食材を使った料理は眼や舌を楽しませるが、それ以上でも以下でもない。俺の精神こころを和ませる事も癒す事も出来はしない。ふとここに真唯を連れて来る事が出来たらと考えて……その無意味さにため息も苦笑いも漏れる事はなかった。


「…ああ…京吾の言った通りだわ…」
「…だろ…」


……純粋に驚いた。
自分の父親を俺と同等に憎んでいる従弟は、その親がつけた自分の名を嫌悪していて決して他人ひとに呼ばせる事はなかったから。「…あー…お前が何に引っ掛かってんのか、良く理解るけどな…お前だって他人の事は言えねーんだぞ…真唯よめさんには『貴志さん』って初対面の頃から呼ばせたがってたからな…」「…ジジィの死に加えて、あのと別れたっつーから…俺の嫁も京吾の嫁も心配してんだわ…」

……もう、何に驚いて良いのやら、理解らなくなってしまった。

ひと通りの料理が終わると、京牙は二本目の酒を注文し。それが届くと「後は勝手にやるから、誰も近付けさせないでくれ。」と人払いをした。



「…お前ェのそんな面、初めて見たわ…」
「…俺も長い付き合いになるけど、初めてだわ…お前のそんな表情かお…まあ、あの真唯ちゃんと別れたっつーから、無理ねーと思うけどな…」
「………………………」
「以前からお前ェは刹那的な傾向はあったけど、そんな虚無的な表情かおなんて初めてだもんな…俺もすいの奴と別れたらと思うと…やべェ…鳥肌立ったわ。」
「俺も紫さんと別れるなんて、考えたくもねーわ。」
「………………………」 ……どこから突っ込んで良いのか、最早理解不能だ。
その後、二本目の酒を飲みながらそれぞれの伴侶の自慢と云うか、惚気が始まった。京牙の伴侶が同性と云うのは驚いたが、翠君と云う彼なら俺の遠縁に当たる子息だから良く知ってる。彼らの話しを聴いていると、時の流れと云うものをつくづく感じると同時に。己の現状が何とも情けなく不甲斐なく感じてきてしまった。そしてそんな俺の心情を察したかのようなタイミングで、突然矛先がこちらに向かって来た。



「…お前ェもそんな羨ましそうな面してんなら…いーかげん、何とかしろよ…理解ってんだろ…?」
「…現在いまのトコ静観してっけどさ…リザの奴も、澤木アイツも心配してっぞ…」
……深水こいつだけだ…あの御方を“アイツ”呼ばわり出来るのは……
「…どうしたら良いのか、まったく理解らないんですよ…」
永い沈黙の後に小さな声で呟くように漏れたのはそんな言葉で。
深水のため息の後の京牙の言葉は簡潔だったが、引っ掛かるものだった。
「そりゃ、お前ェ、何とかして謝るしかねーだろ…って、あっそっか。」
「……何でしょうか。」
思わず半眼になってしまった俺に、杯を舐めながら上目遣いに放たれた言葉は俺の心臓を貫いた。
「…貴志、お前ェ…決定的な言葉で拒絶されるのが、怖いんだろう…」
「…っ!!」
「何のかんの手前ェに言い訳しながら行動に移さねェのは、つまりはそーゆーこったろ。」
「………………………」
「とんだチキン野郎になっちまって…高見沢や各務の爪の垢でも煎じて飲め。」
「…各務とは…どなたの事でしょうか…?」
「あ…? 高見沢は知ってるのか…俺らの友人の一人で、伴侶を囲って監禁してんだよ…」
「…そ、それは…」
思わず呼吸いきを飲んだら、横から深水が口を挟んで来た。
貴志おまえだって、他人ひとの事は非難出来ねーんだぞ…二回目の求婚プロポーズを断られた時の用心に、監禁用の住まいを用意してたんだからな。」
「………………………」 ……“影”にさえ教えてもらえていなかった情報に、呼吸も忘れて聴き入った。あの御方所有の薔薇の館を真唯の監禁用に設え“準備”していた事を。
「まったく、真唯ちゃんもスゲェよな…澤木アイツ権力ちからを借りてとは云え、【緋龍院】と云う巨大な枷からお前を解き放ったんだぜ。」
「………………………」
「それに比べて、お前って奴は…」
「………………………」
「あの世で、ジジィも嘆いてっぞ。」
「………………………」



杯を持つ手もフリーズしてしまい。
俺は深く自分の思考に沈んだ。
京牙と深水の言葉が、俺のあたまにリフレインする。



―――ああ、そうか。


俺は―――




クイッと杯を干すと、俺は立ち上がった。
「すみません、急用が出来ましたので、今宵はこれで失礼させて頂きます。」
深々と礼をして、二人の顔を見ると。
愛すべき従兄弟たちは穏やかな良い表情かおをしていた。

「おお、行っちまえ。二度とあのを離すんじゃねーぞ。」
「今度こそ、真唯ちゃんを捕まえろよ。それが、何よりのジジィの供養にもなる。」

「ありがとうございます。今夜のお礼は、いずれまた。」



足早に座敷を後にすると、SPの車に乗り込んで。
後部座席でスマホを操作して、予定を入れてゆく。




ああ、真唯。
俺は。




俺はこんなにも、君を愛している―――







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