IMprevu ―予期せぬ出来事―

天野斜己

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三年目の新婚クライシス

No,258 五月闇 其の九

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六月インティ・ライミ
『一条さん』が朝食を取り始めた。



彼に言われたのだ。
『正直に告白しますから、貴女も正直に言って下さい。』
と。
そして打ち明けられた。
かなり早い内から朝も空腹を感じて、密かに朝食を取っていた事を。ただ、アタシに『朝食は必要ない』とハッキリ断ってしまった手前、言い出す事が出来ずにいたのだと。それから、アタシも白状させられた。ずっと朝食と昼食を取っていなかった事を。なぜバレたのかと狼狽えたが、種を明かされれば簡単だった。アタシはまったく外出していなかったのだ。つまり食材を買いに出なかったのだから当然と云えば当然なのだ。



『…私自身が貴女の心痛の種なのは、重々承知してますので…責める事は出来ません…ただ最初に、貴女が私の朝食の心配をしてくれたように、私も貴女が心配なだけなのです…知り合いの精神科医の話しでは、人間は最低二食は取る必要があるとの事なので…朝食が無理なら、せめてブランチを取るようにして下さい…お願いします。』



そんな風に頭を下げられてしまえばアタシの方が申し訳なさに焦ってしまう。第一ここ最近は、そのブランチをしっかり取っているのだから。そう告げて安心されたのは良いのだが、今度は彼の昼食が気になった。
『…あの…よろしかったら、お弁当作りましょうか…?』
余計なお世話かとも思ったのだが、そう申し出てみると。
泣きそうな表情かおで大きく頷かれてしまったのには、こちらが照れてしまうではないか。その後焦ったように『勿論、貴女の負担にならなければですが!』と付け加えられればこれは久し振りに頑張らなければと思ってしまうのも無理はないだろう。

けれどそうなれば必然的に、早起きをしなければならない訳で。
本当に久々に起きた朝は予想を超えた清々しさだった。
もっと眠くて仕方がなくなるかとも思ったのだが、そんな事もなくて。
『一条さん』の為にエプロンをつけてキッチンでお料理するのは楽しかった。
そうして、ジムから戻って来た彼はアタシを見た瞬間。
ハッキリと顔を赤らめたのを、アタシは目撃してしまって。
今度こそホントに照れて、二人で真っ赤になってしまったのは余談だ(苦笑)。

そしていざ『一条さん』が、これぞ“正当なアメリカン・ブレックファースト”の朝食を取ろうとした現場を見た時。思わず怒鳴ってしまった。『新聞を読みながらなんて、消化に悪いです!』と。彼はポカンとした表情かおをしてたが、アタシは真剣だった。科学的根拠なんて何もない。世間でもマナー的にどうかと議論になるくらいで特に問題視されてない。けど、アタシは信じてる。なぜなら昔、父親をお祖母ちゃんがそう言って叱っていたから。そう言うと、彼は微笑んでこう言った。
『では貴女が、ここで見張っていて下さい。』
と。

本当に久し振りに見せられた柔らかな微笑みは強烈な威力で。
見事に撃沈させられたアタシは逆らえなかった。
そしてカフェ・オ・レを片手に『一条さん』の朝食の風景を見守る事となり。
その上、小さな包みに入れたランチボックス片手に出勤する彼をついうっかり玄関まで見送ってしまい、更に嬉しそうな表情かおをされてしまった。



勘違いしそうになってしまう。


愛されているのではないか、などと。



アタシは単純で愚かな自分を嘲笑う。




急がなければ。
アタシの誕生日インティ・ライミまでには、部屋を見つけたい。

太陽の祭りインティ・ライミ】には幸福しあわせな思い出が多過ぎて。



『一条さん』と過ごすには、あまりにも辛すぎるから―――









ネットでいくつか物件はピックアップしてるのだ。
後は内覧をして、重要事項を確認するだけだ。
ただ、問題なのは、アタシに付いて来てくれるSPさんだ。
出来ればギリギリまで『一条さん』には知られたくない。

出掛ける旨を連絡すると、今日の担当は宇佐美さんと内藤さんだった。当然のように行先を聞かれたが、「…すみません…ただ、身体慣らしに、ブラブラとしたいだけなので…本当は付いて来て頂くのも申し訳ないんですが…」言外に『付いて来て頂かなくても大丈夫です』感を滲ませて言ってみる。申し訳なさ全開に。ただ彼らはプロであり、これはレッキとしたお仕事なのだ。内藤さんの「どうぞお気遣いなく。」の一言で済まされてしまう。更に宇佐美さんに「…外出する気分になれて、本当に良かったです…」なんて言われてしまえば、スライディング土下座でもやらかしたくなってしまう。


……『一条さん』とお別れすれば、この優しい人間ひとたちともお別れなんだ……


元々は『貴志さん』のストーカー女性の脅威から守ってもらう事から始まった関係だ。 ……それが、現在いまでは…なくてはならない関係になってる……。アタシが『一条さん』の元を離れれば、今度は彼の次の女性の警護を担当するようになるのだろう。その時、少しでもアタシの事を思い出してくれたら……とても嬉しい。




やはり土地勘がある処が良くて、結局昔使っていた電車の沿線上にしてしまった。車でアパートの内覧なんて、『キサマ何様だ★』と云う脳内突っ込みが入ったので、電車を使った。どこも不動産屋は駅の近くにあるから便利だし。今日は五、六軒の内覧が出来れば理想的だと思ってる。
アタシが進むままに一緒に電車に乗ってくれたお二人だったけど、やはり目的地があれば理解ってしまうのだろう。お二人の表情が怪訝そうなものから段々と厳しくなってきて、東京スカイツリー線の小菅の駅で降りて歩き出すと隣に並んだ宇佐美さんに「…真唯さん…嘘は困ります、目的地を教えて下さい…」とハッキリ言われてしまった。内藤さんは男性なので、少し離れた処から付いて来てくれてるみたいだ。

「…嘘を吐いてしまった事は謝ります…」
「…謝罪は結構ですから…」
「…実は…今日は、不動産屋を回りたいと思ってます…」
「…上井社長は、ご存知ないんですね…」
「…辛いんです…彼と一緒にいるのが…」
「………………………」
「…もう、アタシも…限界なんです…」
「…真唯さん…」
「…アタシがお店の中にいる時は、一人にして頂けますか…?」
「…承知しました…」
「…申し訳ありません…我儘を言いまして…」
「…いえ…」

そんな会話を交わして、アタシは一軒目のお店に入った。




さすがプロは商売上手だ。アタシがプリントアウトして来た物を見せても、少しでも良い(不動産屋さん的に)物件を紹介してくれようとする。アタシも予算以内だったらと思ってお話しに付き合って色々と相談に乗ってもらって、結局最初に指定した部屋ともう一軒オススメの部屋を見せてもらう事になった。担当の女性と共に不動産屋の車に乗って、先ずは一軒目を見せてもらうが。

(…狭い…)

それが最初の印象だった。思えばアタシも贅沢になってしまったものだ。あのタワーマンションに比べればどこだって狭いに決まってるが、アタシだってかつてはこんな六畳間に暮らしてたのだ。人間は一度贅沢に慣れてしまうと、そこから抜け出すのが大変だと言うが。



……そうだ…アタシは、あの貴志さんの溺れるような愛情に、慣れ切ってしまってたんだ…これからは生涯、一人で生きていかなきゃいけないんだ……



しばしの感傷に浸った後は、担当さんの説明を真剣に聞いた。自分の中で譲れない条件、譲歩してもOKな条件などと照らし合わせて『うん、第一候補に決定』自分の中のGOサインを出す。
そして二軒目。六畳の広さはもう慣れた。そして、オススメの理由に納得する。『ここ、いーじゃん♪』東向きの窓と、何より眺めが気に入った。荒川が見えて、解放感が半端ないのだ。その窓から晴れ渡った青空と青い川を眺める。あのマンションの高層の眺めとは比ぶべくもない。だが、あのマンションが、分不相応過ぎたのだ。正直、少々予算オーバーなのだが、保証人なしでこの価格はむしろお買い得だ。

六畳間の真ん中に座って、天井を眺め……眼を閉じる。

そして眼を開けた次の瞬間。
アタシの心は決まった。


お店に戻って、念の為、さっきのアパート周辺の地理を再確認させてもらった。都内ではスーパーやコンビニに押されて寂れてゆくのが多い中、駅前の商店街が元気なのもポイントが高い。アタシも自炊出来るようになったし、顔馴染みになればオマケとかしてもらえるかも知れない(笑)。荒川土手が近いのも嬉しい。川辺の散策やウォーキングは気晴らしにはもってこいだ。即断即決はデキる女の証拠なのだ。念の為と思って判子と実印、現金多めに持って来て良かった。






まさか一軒目の不動産屋で決めてしまうとは夢にも思っていなかった宇佐美さんが一旦店を出て上司である内藤さんに事情を話し。焦った内藤さんが主任の瀬尾さんに連絡して至急応援を寄越してもらってて。その応援が車でやって来た時にはアタシの意志は固まってて。固唾を飲んで待ってたSPさんたちがアタシの決断を聞いて、そうして彼らも大きな決断を迫られる事となったのである。






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