IMprevu ―予期せぬ出来事―

天野斜己

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三年目の新婚クライシス

No,243 【番外編】バレエ講師・佐藤由美の憂鬱 後編

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恋人にプロポーズされて、しばらくは頭の中がピンク色だった。
一足早い春がやって来たみたいで、浮かれていた。
真唯さんと富士山五社にお参りした時、プロポーズは確かにまだしてもらってなかったけどそれに限りなく近い事は言われてた訳で。何より一道さんに抱かれてしまった事が真唯さんにバレやしないかとハラハラドキドキしてしまった。浅間神社の神様はコノハナサクヤヒメだ。ご利益を調べてみたら、縁結びや夫婦和合、子授けに安産など女性の幸せの為に欠かせない神様だった。縁結びと云うと出雲大社と東京大神宮ぐらいしか知らなかったから、ここぞとばかりに『一道さんと結婚して、幸せになれますように!!』とお願いして、お守りも購入してしまった。北口本宮冨士浅間神社と浅間大社が凄く綺麗で写真を撮りまくってしまったけど、真唯さんが自分の写真を撮りたがらないのが不思議で仕方なかった。友人たちと旅行に行くと、必ずみんなで撮るから。彼女をカメラマンのようにこき使う事になってしまったのは申し訳なかったけど、ご本人は『気にしないで下さい。慣れてますから。』と明るく笑ってたから無理してた訳ではないのだろう。

……旅行かァ…一道さんと、どこかに行きたいなァ……

そんな事を考えてしまうと想像(妄想)が止まらない。海外で二人っきりで結婚式を挙げて、そのまま新婚旅行をするのも素敵だ。南の島が定番だけど、ヨーロッパも素敵だ。けど……フランスにはパリ・オペラ座バレエ団があるし、イタリアにはミラノ・スカラ座バレエ団があるし…ロシアでボリショイも観てみたいし…ハネムーンの間に一度くらいどこかのバレエを観てみたいなァ…いやどうせならいっその事、名立たるバレエ団の観劇ツアーなんか良いかも……


なんて妄想逞しく色々と検討して、スマホで色々と見てみたりして自分の都合ばかり考えてたから、罰が当たったのかも知れない。突然実家から呼び出しを受けて、頑固親父の猛反対を受ける事になってしまったのだった。



※ ※ ※



私は三人兄弟の真ん中だ。優しい兄と生意気な弟に囲まれて育った。祖父母は既に他界しているが、厳しくも優しい父とおっとりとした母と云う典型的な“良い家庭”だろうと我ながら思う(ちなみに母方の祖母は健在だ)。かなり長い間実家で暮らしていた。けれど、バレエ・インストラクターと云う肩書で働き始めた時、思い切って家を離れた。いつまでも甘えてられないと云う独立心は多分に平野先生たちの影響だろう。だが両親が、特に父親が最後まで反対した。『バレエ講師などと云う不安定な職業では食べていけないだろう』『若い女の一人暮らしなど危険だ』と云うのは建前で、本音はただ単に家から出したくないだけの様だった。勿論掛け持ちのバイトも辞さない覚悟だったし、治安の良い処にするからと何回も説得した。極端な話を言えば、地元、上野・谷中の安アパートでも良いのだ。とにかく一人でやってみたかった。自分独りの力で生活してみたかった。そんな私に根負けした父は条件を出してきた。『セキュリティーの厳しい独身女性専用マンションに住む事』と。そんな高そうな物件の家賃など払えないと突っぱねようとしたら、『そう云う種類のマンションに住むなら経済的援助をする』と言い出し、私が難色を示すと『この条件を飲まない限り、一人暮らしは断じて認めない!!』と言われてしまった。とっくに二十歳を過ぎた娘に何を言い出すのかと思ったが、親の心配も一応は理解出来るし、とにかく一人暮らしをしてみたかった私が結局は折れる形になった。但し、援助は最低限で良いと言い張った。それだけは譲れなかったから。こうして私の一人暮らしは始まったのだった。
親と一緒に選んで決めた都内のマンションは快適だった。私が理想とする暮らしとはほど遠い気もするが、二つの講座を受け持つ事で何とか暮らす事が出来た。なるべく自炊したいと思ったけど、やはり最初のうちは大変だった。お手伝いさんがいる家で育った私は料理と云うものをした事がなかったからだ。けれど、健康には代えられない。美と健康の伝道師としては、自分の身体の栄養状態を保つ事が必要不可欠だったから。幸い今はスマホで検索すれば、簡単レシピが山のように出て来る。レシピ通りに作れば、とりあえずは食べられる物が出来上がる。たまにはレトルトや出来あいのお惣菜で楽をする事もあったけど、概ね上手くゆくようになっていった。それに周りが女性ばかりでセキュリティーが厳重だと云うのもやはり安心出来る。それにちょくちょく母親が私の様子を見に訪ねて来るのだ。親友の莉子には呆れられたけど(テヘペロ)。
お正月や夏休みには必ず帰省した。顔を見せるだけでも親は安心するし、昔から『孝行したい時に親はなし』とも言うからね。何より、施設の私の“お祖父ちゃん”と“お祖母ちゃん”たちに会いたかったから。哀しい事だけど、一度施設に預けてしまうと安心して全く面会に来なくなる家族を持つ方達も多いのが現実なのだ。そんな方達は私が顔を見せるだけでも凄く喜んでくれる。そんな方達の心を少しでも慰めたいと本格的にフラワーアレンジメントも習い始めた。幸い親に援助してもらってるから、よほどの贅沢さえしなければ充分に暮らしてゆけるのだ。ちなみに私の中で、バレエ公演の観劇は贅沢の内に入らない。勿論行きたい公演に片っ端から行ってる訳ではない。充分に厳選してる。そして公演のついでの食事は少しばかりケチってる。実家にいた頃みたいなお店に入ってたら、たちまち金欠になってしまうだろう。
だから一道さんとお付き合いを始めた時、公演のチケット代について彼の申し出を受ければ楽だったのだが。それは私の矜持が許さなかったのだ。その代わり、お食事はありがたく奢ってもらった。私の懐事情はもとより、“バレエ公演デート”を重ねる内に彼がお店で『女性に財布を出させる事を恥とする』事が分かって来たからだ。私の矜持を守る代わり、彼の矜持を守る事に努めたのである。ちなみに。彼とのお付き合いを始めたばかりの頃は、お正月の三箇日をいつもの通り上げ膳据え膳で悠々自適に過ごしたのだけど。翌年からは元旦だけにした。夏休みも一日二日しか帰らなくなった。極力、一道さんと過ごしたかったから。施設への訪問はホントに最低限になってしまって、お祖父ちゃん、お祖母ちゃん達には、心の中で謝っていた。

そして今、現在。
私は父と応接間で睨み合っていた。



※ ※ ※



「…どうして、かず、…山中さんの事、パパが知ってるのよ…」
「……最初はお前の様子を見に行ったママが、偶然に見掛けたんだ……」
「…『最初は』って、どう云う意味よ…」
「………………………」
「パパ!」
「……調べさせた……」
「…! どうやって…っ!?」
「……最初は、由樹に……」
「……『最初は』って事は、もしかして次があるの…?」
「……興信所に…依頼した……」
「…!! やだ…っ、…嘘…っ! 信じらんない…っ!!」
「…!! 信じられんのは、私の方だ…っ!!」
「何が!!」
「天下の緋龍院建設から、訳の理解らん出版社なんぞに転職しおって!!」
「…それは…っ、…一道さんにだって、事情ってものが…っ」
「『一道』だと…っ!?」
「…(…しまった…っ)…」
「…まさか…もう、結婚の約束なんぞ、勝手にしとらんだろーな…!?」
「『勝手』って何よ!? プロポーズなら、ちゃんとされたわよ!!」
「…! …そ…それならこちらに、挨拶に来るのが筋だろう…っ!?」
「今は年度末で、一番忙しい時なのよ! パパも知ってるでしょ!?」
「それとこれとは、話が別だっ!!」
「仕事が落ち着いたら、きちんとしてくれるって、」
「許さん!! 私は絶対に許さんぞ…っ!!」
「…あんまりだわ…人の事、勝手に調べて、頭ごなしに決めつけて…」
「…………………」
「こーなったら、駆け落ちしてやる…っ!!」
「…!? な、何だと…っ!?」

ついついエキサイトして、怒鳴り合ってしまっているところに聞こえたのは、のほほんとした静かなママの声。
「まー、まー、二人とも。大きな声出して喉が渇いたでしょ。お紅茶でも飲んで落ち着きなさいな。」
私が紅茶好きになったのは、ママの影響が大きい。リラックス効果のあると云うダージリンティーを淹れて持って来てくれたみたいだ。勿論三人分。私とパパの前に紅茶を置くと、ソファーのパパの横に座ってのんびりカップを傾ける。毒気を抜かれた形になったパパも仕方がないと言わんばかりの顔をしてる。私も久し振りのマイカップを取り上げて、香りを深く吸い込んで懐かしいママの味を堪能した。束の間、ゆったりとした時間が流れるが。勿論ただの小休止だ。嵐が過ぎ去った訳ではない。けれど確実にホッとひと息吐く事が出来た。だから。


「…すまない…確かに、興信所はやり過ぎた…」
「…私の方こそ、ごめんなさい…駆け落ちなんて、言い過ぎました…」


こうやって素直に謝る事が出来るのだ。
これがママの役割になってるのだ。
ママは我が家の貴重な緩衝材なのだ。
そして。


「…由美ももう良い年の大人なのだもの…恋人がいて当然だし、ちゃんとプロポーズされてるなら安心だわ…ママは反対しないわよ…ちょっと見掛けただけだったけど、お相手は優しそうな男性かただったし…何より、由美がとても幸せそうな、良い表情かおしてたもの…でも、パパの気持ちも理解るから、ママは中立を守らせて頂きます…」


私の気持ちもパパの気持ちも、両方の気持ちを汲んで理解してくれるのだ。
だからこそ、敵に回した時は一番恐ろしい相手でもあるのだが。
一道さんを気に入ってくれてたみたいで、先ずは一安心だ。
結局この日は、私とパパは平行線のままタイムアウトになってしまったのだった。



※ ※ ※



『…参ったな…』
「…ごめんなさい…」
『…いや、由美さんが悪い訳じゃないよ…ただ、ちょっとね…タイミングが悪過ぎるんだよ…』
「………………………」
『…でも、大丈夫…何とかするよ…』
「………………………」
『大事なお嬢さんをお嫁に貰うんだから、きちんと筋は通さないとね。』
「…! 一道さん…っ!!」

佐藤家で家庭内紛争が勃発した件について、私は早速一道さんに連絡して細大漏らさず報告した。ご本人には不愉快だろうが、パパが興信所を使って彼を調べた事も正直に告白した。転職した事を不愉快に感じてるらしい事も。こう云う時は変に誤魔化したりしない方が良い。ついでにママの言葉も伝えた。多分、心の底では応援してくれてるだろうと云う、私の希望的観測も含めて。その上でのこの台詞なのだから、一道さんと云う男性ひとはホントにデキた人間ひとだと思う。

私には勿体ないくらいの男性ひとだ。
こんな素敵な男性にここまで思われてる私はホントに幸せ者だ。
こんな素敵な人物ひとを認めないと言ってるパパの気持ちが分からない。
是が非でもパパに認めてもらわなくては!!
って言うか、実物に会って話をすれば案外コロッと態度が変わるかも知れない。



なんて私の楽天的見解は物の見事に外れて、この後、なかなか折れない父親に悩まされる事となる。後に真唯さんと上井さんを襲った一連の事件も、私にとってはかなりの痛手となりブルーな気分に拍車を掛け、心労が続く事となるのであった。北口本宮冨士浅間神社で購入したお守りを握り締め、みんなが幸せになれる事をひたすら祈りながら。



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