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二年目の新婚夫妻(バカップル)
No,226 上井家の嫁姑戦争 on 【カナ・ワルキス】
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『ここをお開けなさい。』
……ここまで高圧的だと呆れや怒りを通り越して、笑いさえ漏れてきそうだけど。
生憎アタシは、この女性に心底怒っているのだ。
アタシの大事な大事な旦那さまを傷付けた張本人。
実の母親である、緋龍院絹世サマを。
※ ※ ※
のんびりした夏の午後を自宅のマンションで過ごしていた処に突如台風が襲来した。
スマホにアタシのSP主任・瀬尾さんからの着信が入ったのだ。
何でも貴志さんの元・お母上が、アタシに会わせろとマンションのエントランスまで押し掛けて来てるのだと。そして初めて知らされた。元・兄上である緋龍院建設社長さんが貴志さんのストーカーになりかかって警察のお世話になっていた事を。すぐに弁護士をたてて示談に持ち込まれたけど、その事で元・母上さまは相当ご立腹なのだとか。
(…もう…貴志さんたら、水臭いんだから…)
アタシに心配をかけたくないと云う気持ちは理解るけど、そんな大事な事も話してくれないなんて。アタシ関係でストーカーにあってるだけでも堪らないのに、その上あのお兄さんまでがそんな状態だったなんて……
瀬尾さんが言うには、追い返す事は簡単だけど下手をすれば、元・お兄さんの二の舞になりかねないからと。要するに、今度は元・お母さまがアタシのストーカーになりかねないと言うのだ。
……メンドクサ。
が、しかし。
一方で、これはチャンスだと思った。
あの厚顔無恥な緋龍院家に一言でも言ってやらないと、アタシの気が済まない。
『…いいです…お通して下さい…お会いします…』
かくして。瀬尾さんによってマンションに招き入れられ、コンシェルジュさんの持つカードキーでエレベーターに乗り、玄関先までやって来た『元』がつくお義母さまは高圧的に言い放ったのだ。
『ここをお開けなさい。』
と。
そして、冒頭の場面へと戻るのであった。
※ ※ ※
初めて見るその女性は、とても貴志さんや緋龍院社長のような大きな息子さんがいるとは思えないくらい、綺麗で若々しい女性だった。涼しげな訪問着を身にまとい、長い髪をアップにして清涼な佇まいをみせている。……この香りは…ゲランの【SAMSARA】…? ……確かに着物にも似合う香水だけど…サンスクリット語で“輪廻転生”を意味する名香が台無しじゃない…あなたみたいな人につけて欲しくない……
だって。
その美しい容貌は、あのクリスティーヌさまを思い出させるけど。
瞳が。
決定的に違うのだ。
その人を蔑むような眼は、あの折りの嫌味な白人お貴族さまを思い起こさせた。
ホントは水道水でも出してやりたい気分だったけど、それじゃあんまり失礼だから冷たい麦茶を出して差し上げましたよ。スーパーで買ったお徳用ですけどね!!
ですが。
直後、後悔しましたよ。
元・お義母さまは、予想以上に常識ナッシングな女性だったのだ。
リビングルームのソファーに落ち着くなり、差し出されたのは緑の紙。
ご丁寧にも、証人の欄は既に署名押印されていた。
和風のドレスバックから取り出したお扇子で、パタパタとお顔を扇いでいらっしゃる。
確かに今日は暑いけど、きっちりクーラーかかってるんですけどね!
「黙って、この書類に署名なさい。」
「………………………」 ……万が一、アタシが署名押印したら、貴志さんが発狂しますヨ。
「あなたのような女など、到底我が緋龍院家に相応しくないのよ。」
「………………………」 ……貴志さんはもう、緋龍院家とは何の関係もないんですけどね……
「あなたが黙って貴志さんと別れてくれれば、名誉棄損で訴えるのは我慢してあげるわ。」
「………………………」 ……何を寝言をおっしゃってるんですか…?
「貴志さんがあなたと別れて、緋龍院建設に戻ってくれれば…いいえ、我が家に相応しいお家のお嬢様と結婚してくれれば、それで全てが丸くおさまるのよ。」
「………………………」 ……しつこいけど、貴志さんはもう【上井貴志】なんですけど……
「ああ、勿論ただとは言わないわ。それ相応の手切れ金はお支払いするわ。」
「………………………」 ……思考回路が、元・お兄さんとそっくりですネ……ああ、あの男性が、この女性に似てるのか……
「まったく…貴志さんも、さっさと沼倉様のお嬢様と結婚してくれれば良かったのに…だから、あなたのような下賤な女に引っ掛かるのよ…」
ブチン★
頭のどこかでナニかが盛大に切れた音がした。
あの、貴志さんの子供を妊娠したなどと偽ったお嬢様の名前を聞いて、キレたのだ。
「オバサン、言いたい事はそれだけ?」
「…! …お…おば…っ!!」
「だってあんたは、アタシにとって見ず知らずのオバサンだもん。ただ、アタシの大事な旦那さまの、血縁上の母親ってだけでね。」
「…こ、この…っ、…何て無礼な娘でしょう…! この私に向かって、『おばさん』だの『あんた』だの、よくも…っ!!」
「無礼で常識がないのは、あんたの方。
自分の子供と歌舞伎役者とどっちが大切な訳?
ああ、答えなくていいよ。
市川団○郎の方だって言いたいんでしょ?
贔屓の役者がいたって構わないけどさ。
実の息子に向かって、よくあんな酷い事言えるね?
身体の線が崩れるって、それがどうしたって言うの?
そんな大したご面相でもないくせにさ。
まあ、どっちかってェと、美人て言える部類かも知れないけどさ。
ハッキリ言って、性格ブス。ドブス。
いや、むしろ下種? ゲス乙女? ハハ、ピッタリだね!!」
「…よくも…っ、…よくも…っっ!!!」
怒りに顔を真っ赤にさせた『ゲス乙女(『お義母さま』なんて、冗談でも言いたくない…!!)』はスックと立ち上がると、アタシの方に向かってやって来ると閉じた扇子を振り上げた。余裕で避けられたけど、アタシはわざとそれを頬に受けた。
「お前が貴志と黙って別れれば穏便に済ませてあげようと思っていたのに…絶対に許さないわ…っ、…名誉棄損でお前も訴えてやる…っ!!」
「…お互いさま…あんたがアタシを訴えるって言うなら、アタシもあんたを訴えるわ…傷害罪…暴行罪かな…?」
「な…っ!!」
「強要罪や脅迫罪も追加したいとこだけど、立件は無理かな?」
怒りに声も出ずに震える婦人に言いたくて堪らなかった言葉をぶつける。
「黙って聞いてれば好き勝手並べてくれて!
貴志さんは、あんたの言いなりになる道具じゃないのよ!!
意志を持った一人の人間なのよ…!!
名誉棄損? 笑わせないでよ!
ストーカーに成り掛かったそっちが悪いんじゃない!!
沼倉のお嬢様と結婚すれば良かったですって!?
貴志さんの子供を身籠ったなんて大嘘吐いた女性と!?
貴志さんみたいな素敵な男性に、あんな女勿体なさ過ぎるのよ!!
一昨日来やがれ、このクソババァ…ッ!!」
憤怒の表情でもう一回振り上げられた手は、背後から取り押さえられた。
「…やり過ぎですよ、母上…いえ、緋龍院夫人…」
「た、貴志…っ、…離しなさい…っ!」
「危害を加えない事が話し合う前提条件だった筈です…これでは約束が違う。」
貴志さんは一緒にいた黒服の男性に、『ゲス乙女』を引き渡し。
「真唯さん、遅くなって申し訳ありません…ああ、こんなに腫れてしまって…」
「…貴志さん、どうして…仕事の筈じゃ…」
「瀬尾から連絡があって、急いで帰って来たんですが…間に合わなかったようですね。」
「…ううん…これくらい大丈夫…お仕事、中断させちゃってごめんなさい…」
貴志さんの腕に引っ張られ、胸に抱き込まれる。
……ああ…貴志さんの【DUENDE】の薫り…やっぱり落ち着く……
貴志さんは瀬尾さんから受け取ったタオルに巻いた保冷剤をアタシの頬に当ててくれた。ああ、ひゃっこくて気持ちがいい……
アタシが場違いにのんびりした気分でいたところを、アタシの頭上から冷徹な低音が響いた。
「原田。この約束違反は、どう責任をとる心算だ。」
「も、申し訳ございません…っ!!」
貴志さんが声を掛けたのは、尚も暴れる『ゲス乙女』を抑え込み宥めてる男性だった。……あの男性…察するに、【緋龍院警備保障】の現役のSPさんなのだろう…仕えてる女性が、そんな人じゃ苦労しますよねェ……
「この件は【提督閣下】を通して、澤木様にご報告する…覚悟しておくんだな。」
その貴志さんの言葉に息を飲んだのは、原田さんと呼ばれた男性だけじゃなかった。
……あの、『ゲス乙女』もだ。
「…な…なぜ、こんな事で、澤木様の御名が…」
「…なぜだと思いますか…?」
……ああ、見えなくても理解る…きっと、今の貴志さんの表情、時代劇の悪代官みたいな表情になってる……
「…真唯は…私の妻は、澤木様の御名刺を頂戴する事が叶った、貴重な女性なのですよ…」
その貴志さんの言葉を聞いた瞬間、『ゲス乙女』の身体がギクリと強張り。
眼を極限まで見開き……アタシの顔を穴でも開きそうなほど凝視して来る。
「京一郎氏がなぜ簡単に諦めたのか、少しでも考えるべきでしたね。」
まあ、他言無用と言ったから、貴女には話せなかったのでしょうが。
その貴志さんの言葉を聞いた彼女の行動は素早かった。
バッと擬音がしそうな勢いで原田さんの腕を解くと蹲ろうとしたので。
「…土下座なんかしたって、許しません。」
アタシにも、貴志さんに負けず劣らずの冷たい声が出た。
アタシの言葉を聞いた瞬間、『ゲス乙女』の身体はピタリとフリーズし。
「……では…では…どうすれば、お許し頂けますでしょうか…?」
今日初めて聞く、『ゲス乙女』の弱々しくか細い声に虚しくなる。
アタシになんて謝って欲しくない。
この女性に謝って欲しいのは、貴志さんにだ。
けど、貴志さんだって、口先だけの謝罪の言葉なんか聞きたくもないだろう。
却って不愉快に……虚しくなるだけだ。
だから、アタシは無言を通した。
拒絶の意味を込めて。
※ ※ ※
「あ~あ、思いっ切り叩いてくれちゃって…」
保冷剤で頬を冷やしながら呟く。
あの後、ゲス乙女(『お義母さま』なんて、絶対呼んでやるもんですか!!/怒)は散々聞き苦しい言い訳を並べ立て、半狂乱で謝罪したけど。当然のように、アタシの心には何にも響かなかった。あの女が恐れてるのは、澤木さんただ一人。アタシへの罵詈雑言で本音はバレバレなのだから。
ホントはアタシも、一発だけでも見舞ってやりたかった。
高校生だった貴志さんの柔らかな精神に傷を付けた罪は重いのだ。
でも、出来なかった。
叩いてしまえば、あの女とおんなじレベルまで堕ちてしまうから。
だから、言葉で口撃した。
彼女を散々罵倒して。
最後通牒を突き付けたのだ。
『二度と貴志さんとアタシに干渉しないで下さい。』
と。
フン!
(美人だったなァ~)
とか。
(やっぱり、目元が似てるなァ~)
なんて。
欠片も思わないんですからね~~っだ…!
貴志さんは誰にも似てない、唯一無二の最強のハンサムなんだから…っ!!
「…まったく、貴女と云う女性は…」
あ、なに、その大きなため息……傷付いちゃうゾ。
「最初から頂いた御名刺を出せば、あんな女すぐに引っ込んだでしょうに。」
「………………………」
「…真唯さん…」
「…それだけは、したくなかったんです…」
「なぜです…?」
「…緋龍院社長に会った時の反応から予測出来ていましたから…見たでしょう、あの狼狽振り…まったくみっともない…『訴えるなら訴えろ』くらい言ってみろって言うんですよ…」
「……そんな潔い人間など…緋龍院一族にはいませんよ……」
「………………………」
「……真唯さんのような潔さや清廉さとは別格な恥知らずな一族…それが緋龍院と云う家なんですよ……」
「………………………」
「……まあ、かく言う私も、その恥知らずな一族の出身なんですがね……」
「…! 貴志さんは全然違います…っ、…アタシに心配かけまいとして、何にも教えないで一人で苦しんでらしたんじゃないですか…っ!!」
「…苦しんでなどいませんよ…ただ、鬱陶しくて面倒だっただけで…」
「それでもです…っ、…何でも相談して下さい…夫婦なんですから…」
「…!! 真唯さん…っ!!」
ソファーで隣り合って座っていた夫の手を両手で握る。
「…貴志さんの気持ちは嬉しいんです…でも、逆を考えてみて下さい…アタシが新たなストーカーに狙われたりとか、ストーカーが直接アタシに接触していたりするのを貴志さんに相談せずに黙っていたりすれば、心配するでしょう…?」
「…それは…確かに…」
「…貴志さんには、確かに優秀なSPさんが付いてらっしゃいます…ですが、精神の傷は、取り返しがつかないんですよ…?」
「……守って下さったじゃありませんか……」
「え…?」
「…散々、緋龍院夫人を…元・母を罵倒して下さって…あれはすべて私のためでしょう…?」
「~~~~~////」
「…愛していますよ、真唯…私の愛しい奥方…」
「…私も愛してます…愛しい旦那さま…」
熱く見つめ合ってしまって。
その晩の営みがどんなものになってしまったかは、ご想像にお任せします(照)。
こうして夏の嵐が去った後、夫婦の絆を強く確かめる事が出来たアタシは、気が付かなかった。
瀬尾さんからの連絡で、急いで帰宅してくれた貴志さんが。自宅のありとあらゆる処に取り付けた盗聴器のお陰で、アタシたちの会話を全て聞いていた事を。元・母親に対するアタシの罵声に胸を熱くして、溜飲を下げていた事を。『夫婦なんだから、何でも相談し合う』と云うアタシの意見は話を反らされ、棚上げになってしまってた事を。
澤木さんを巻き込んで、元・母上サマと離婚届の証人たちにキッツゥ~~イお灸をすえていた事を。
『母親』と云う名の“敵”に勝って、ご機嫌でいた呑気なアタシは気が付く事が出来ずにいたのだった―――
……ここまで高圧的だと呆れや怒りを通り越して、笑いさえ漏れてきそうだけど。
生憎アタシは、この女性に心底怒っているのだ。
アタシの大事な大事な旦那さまを傷付けた張本人。
実の母親である、緋龍院絹世サマを。
※ ※ ※
のんびりした夏の午後を自宅のマンションで過ごしていた処に突如台風が襲来した。
スマホにアタシのSP主任・瀬尾さんからの着信が入ったのだ。
何でも貴志さんの元・お母上が、アタシに会わせろとマンションのエントランスまで押し掛けて来てるのだと。そして初めて知らされた。元・兄上である緋龍院建設社長さんが貴志さんのストーカーになりかかって警察のお世話になっていた事を。すぐに弁護士をたてて示談に持ち込まれたけど、その事で元・母上さまは相当ご立腹なのだとか。
(…もう…貴志さんたら、水臭いんだから…)
アタシに心配をかけたくないと云う気持ちは理解るけど、そんな大事な事も話してくれないなんて。アタシ関係でストーカーにあってるだけでも堪らないのに、その上あのお兄さんまでがそんな状態だったなんて……
瀬尾さんが言うには、追い返す事は簡単だけど下手をすれば、元・お兄さんの二の舞になりかねないからと。要するに、今度は元・お母さまがアタシのストーカーになりかねないと言うのだ。
……メンドクサ。
が、しかし。
一方で、これはチャンスだと思った。
あの厚顔無恥な緋龍院家に一言でも言ってやらないと、アタシの気が済まない。
『…いいです…お通して下さい…お会いします…』
かくして。瀬尾さんによってマンションに招き入れられ、コンシェルジュさんの持つカードキーでエレベーターに乗り、玄関先までやって来た『元』がつくお義母さまは高圧的に言い放ったのだ。
『ここをお開けなさい。』
と。
そして、冒頭の場面へと戻るのであった。
※ ※ ※
初めて見るその女性は、とても貴志さんや緋龍院社長のような大きな息子さんがいるとは思えないくらい、綺麗で若々しい女性だった。涼しげな訪問着を身にまとい、長い髪をアップにして清涼な佇まいをみせている。……この香りは…ゲランの【SAMSARA】…? ……確かに着物にも似合う香水だけど…サンスクリット語で“輪廻転生”を意味する名香が台無しじゃない…あなたみたいな人につけて欲しくない……
だって。
その美しい容貌は、あのクリスティーヌさまを思い出させるけど。
瞳が。
決定的に違うのだ。
その人を蔑むような眼は、あの折りの嫌味な白人お貴族さまを思い起こさせた。
ホントは水道水でも出してやりたい気分だったけど、それじゃあんまり失礼だから冷たい麦茶を出して差し上げましたよ。スーパーで買ったお徳用ですけどね!!
ですが。
直後、後悔しましたよ。
元・お義母さまは、予想以上に常識ナッシングな女性だったのだ。
リビングルームのソファーに落ち着くなり、差し出されたのは緑の紙。
ご丁寧にも、証人の欄は既に署名押印されていた。
和風のドレスバックから取り出したお扇子で、パタパタとお顔を扇いでいらっしゃる。
確かに今日は暑いけど、きっちりクーラーかかってるんですけどね!
「黙って、この書類に署名なさい。」
「………………………」 ……万が一、アタシが署名押印したら、貴志さんが発狂しますヨ。
「あなたのような女など、到底我が緋龍院家に相応しくないのよ。」
「………………………」 ……貴志さんはもう、緋龍院家とは何の関係もないんですけどね……
「あなたが黙って貴志さんと別れてくれれば、名誉棄損で訴えるのは我慢してあげるわ。」
「………………………」 ……何を寝言をおっしゃってるんですか…?
「貴志さんがあなたと別れて、緋龍院建設に戻ってくれれば…いいえ、我が家に相応しいお家のお嬢様と結婚してくれれば、それで全てが丸くおさまるのよ。」
「………………………」 ……しつこいけど、貴志さんはもう【上井貴志】なんですけど……
「ああ、勿論ただとは言わないわ。それ相応の手切れ金はお支払いするわ。」
「………………………」 ……思考回路が、元・お兄さんとそっくりですネ……ああ、あの男性が、この女性に似てるのか……
「まったく…貴志さんも、さっさと沼倉様のお嬢様と結婚してくれれば良かったのに…だから、あなたのような下賤な女に引っ掛かるのよ…」
ブチン★
頭のどこかでナニかが盛大に切れた音がした。
あの、貴志さんの子供を妊娠したなどと偽ったお嬢様の名前を聞いて、キレたのだ。
「オバサン、言いたい事はそれだけ?」
「…! …お…おば…っ!!」
「だってあんたは、アタシにとって見ず知らずのオバサンだもん。ただ、アタシの大事な旦那さまの、血縁上の母親ってだけでね。」
「…こ、この…っ、…何て無礼な娘でしょう…! この私に向かって、『おばさん』だの『あんた』だの、よくも…っ!!」
「無礼で常識がないのは、あんたの方。
自分の子供と歌舞伎役者とどっちが大切な訳?
ああ、答えなくていいよ。
市川団○郎の方だって言いたいんでしょ?
贔屓の役者がいたって構わないけどさ。
実の息子に向かって、よくあんな酷い事言えるね?
身体の線が崩れるって、それがどうしたって言うの?
そんな大したご面相でもないくせにさ。
まあ、どっちかってェと、美人て言える部類かも知れないけどさ。
ハッキリ言って、性格ブス。ドブス。
いや、むしろ下種? ゲス乙女? ハハ、ピッタリだね!!」
「…よくも…っ、…よくも…っっ!!!」
怒りに顔を真っ赤にさせた『ゲス乙女(『お義母さま』なんて、冗談でも言いたくない…!!)』はスックと立ち上がると、アタシの方に向かってやって来ると閉じた扇子を振り上げた。余裕で避けられたけど、アタシはわざとそれを頬に受けた。
「お前が貴志と黙って別れれば穏便に済ませてあげようと思っていたのに…絶対に許さないわ…っ、…名誉棄損でお前も訴えてやる…っ!!」
「…お互いさま…あんたがアタシを訴えるって言うなら、アタシもあんたを訴えるわ…傷害罪…暴行罪かな…?」
「な…っ!!」
「強要罪や脅迫罪も追加したいとこだけど、立件は無理かな?」
怒りに声も出ずに震える婦人に言いたくて堪らなかった言葉をぶつける。
「黙って聞いてれば好き勝手並べてくれて!
貴志さんは、あんたの言いなりになる道具じゃないのよ!!
意志を持った一人の人間なのよ…!!
名誉棄損? 笑わせないでよ!
ストーカーに成り掛かったそっちが悪いんじゃない!!
沼倉のお嬢様と結婚すれば良かったですって!?
貴志さんの子供を身籠ったなんて大嘘吐いた女性と!?
貴志さんみたいな素敵な男性に、あんな女勿体なさ過ぎるのよ!!
一昨日来やがれ、このクソババァ…ッ!!」
憤怒の表情でもう一回振り上げられた手は、背後から取り押さえられた。
「…やり過ぎですよ、母上…いえ、緋龍院夫人…」
「た、貴志…っ、…離しなさい…っ!」
「危害を加えない事が話し合う前提条件だった筈です…これでは約束が違う。」
貴志さんは一緒にいた黒服の男性に、『ゲス乙女』を引き渡し。
「真唯さん、遅くなって申し訳ありません…ああ、こんなに腫れてしまって…」
「…貴志さん、どうして…仕事の筈じゃ…」
「瀬尾から連絡があって、急いで帰って来たんですが…間に合わなかったようですね。」
「…ううん…これくらい大丈夫…お仕事、中断させちゃってごめんなさい…」
貴志さんの腕に引っ張られ、胸に抱き込まれる。
……ああ…貴志さんの【DUENDE】の薫り…やっぱり落ち着く……
貴志さんは瀬尾さんから受け取ったタオルに巻いた保冷剤をアタシの頬に当ててくれた。ああ、ひゃっこくて気持ちがいい……
アタシが場違いにのんびりした気分でいたところを、アタシの頭上から冷徹な低音が響いた。
「原田。この約束違反は、どう責任をとる心算だ。」
「も、申し訳ございません…っ!!」
貴志さんが声を掛けたのは、尚も暴れる『ゲス乙女』を抑え込み宥めてる男性だった。……あの男性…察するに、【緋龍院警備保障】の現役のSPさんなのだろう…仕えてる女性が、そんな人じゃ苦労しますよねェ……
「この件は【提督閣下】を通して、澤木様にご報告する…覚悟しておくんだな。」
その貴志さんの言葉に息を飲んだのは、原田さんと呼ばれた男性だけじゃなかった。
……あの、『ゲス乙女』もだ。
「…な…なぜ、こんな事で、澤木様の御名が…」
「…なぜだと思いますか…?」
……ああ、見えなくても理解る…きっと、今の貴志さんの表情、時代劇の悪代官みたいな表情になってる……
「…真唯は…私の妻は、澤木様の御名刺を頂戴する事が叶った、貴重な女性なのですよ…」
その貴志さんの言葉を聞いた瞬間、『ゲス乙女』の身体がギクリと強張り。
眼を極限まで見開き……アタシの顔を穴でも開きそうなほど凝視して来る。
「京一郎氏がなぜ簡単に諦めたのか、少しでも考えるべきでしたね。」
まあ、他言無用と言ったから、貴女には話せなかったのでしょうが。
その貴志さんの言葉を聞いた彼女の行動は素早かった。
バッと擬音がしそうな勢いで原田さんの腕を解くと蹲ろうとしたので。
「…土下座なんかしたって、許しません。」
アタシにも、貴志さんに負けず劣らずの冷たい声が出た。
アタシの言葉を聞いた瞬間、『ゲス乙女』の身体はピタリとフリーズし。
「……では…では…どうすれば、お許し頂けますでしょうか…?」
今日初めて聞く、『ゲス乙女』の弱々しくか細い声に虚しくなる。
アタシになんて謝って欲しくない。
この女性に謝って欲しいのは、貴志さんにだ。
けど、貴志さんだって、口先だけの謝罪の言葉なんか聞きたくもないだろう。
却って不愉快に……虚しくなるだけだ。
だから、アタシは無言を通した。
拒絶の意味を込めて。
※ ※ ※
「あ~あ、思いっ切り叩いてくれちゃって…」
保冷剤で頬を冷やしながら呟く。
あの後、ゲス乙女(『お義母さま』なんて、絶対呼んでやるもんですか!!/怒)は散々聞き苦しい言い訳を並べ立て、半狂乱で謝罪したけど。当然のように、アタシの心には何にも響かなかった。あの女が恐れてるのは、澤木さんただ一人。アタシへの罵詈雑言で本音はバレバレなのだから。
ホントはアタシも、一発だけでも見舞ってやりたかった。
高校生だった貴志さんの柔らかな精神に傷を付けた罪は重いのだ。
でも、出来なかった。
叩いてしまえば、あの女とおんなじレベルまで堕ちてしまうから。
だから、言葉で口撃した。
彼女を散々罵倒して。
最後通牒を突き付けたのだ。
『二度と貴志さんとアタシに干渉しないで下さい。』
と。
フン!
(美人だったなァ~)
とか。
(やっぱり、目元が似てるなァ~)
なんて。
欠片も思わないんですからね~~っだ…!
貴志さんは誰にも似てない、唯一無二の最強のハンサムなんだから…っ!!
「…まったく、貴女と云う女性は…」
あ、なに、その大きなため息……傷付いちゃうゾ。
「最初から頂いた御名刺を出せば、あんな女すぐに引っ込んだでしょうに。」
「………………………」
「…真唯さん…」
「…それだけは、したくなかったんです…」
「なぜです…?」
「…緋龍院社長に会った時の反応から予測出来ていましたから…見たでしょう、あの狼狽振り…まったくみっともない…『訴えるなら訴えろ』くらい言ってみろって言うんですよ…」
「……そんな潔い人間など…緋龍院一族にはいませんよ……」
「………………………」
「……真唯さんのような潔さや清廉さとは別格な恥知らずな一族…それが緋龍院と云う家なんですよ……」
「………………………」
「……まあ、かく言う私も、その恥知らずな一族の出身なんですがね……」
「…! 貴志さんは全然違います…っ、…アタシに心配かけまいとして、何にも教えないで一人で苦しんでらしたんじゃないですか…っ!!」
「…苦しんでなどいませんよ…ただ、鬱陶しくて面倒だっただけで…」
「それでもです…っ、…何でも相談して下さい…夫婦なんですから…」
「…!! 真唯さん…っ!!」
ソファーで隣り合って座っていた夫の手を両手で握る。
「…貴志さんの気持ちは嬉しいんです…でも、逆を考えてみて下さい…アタシが新たなストーカーに狙われたりとか、ストーカーが直接アタシに接触していたりするのを貴志さんに相談せずに黙っていたりすれば、心配するでしょう…?」
「…それは…確かに…」
「…貴志さんには、確かに優秀なSPさんが付いてらっしゃいます…ですが、精神の傷は、取り返しがつかないんですよ…?」
「……守って下さったじゃありませんか……」
「え…?」
「…散々、緋龍院夫人を…元・母を罵倒して下さって…あれはすべて私のためでしょう…?」
「~~~~~////」
「…愛していますよ、真唯…私の愛しい奥方…」
「…私も愛してます…愛しい旦那さま…」
熱く見つめ合ってしまって。
その晩の営みがどんなものになってしまったかは、ご想像にお任せします(照)。
こうして夏の嵐が去った後、夫婦の絆を強く確かめる事が出来たアタシは、気が付かなかった。
瀬尾さんからの連絡で、急いで帰宅してくれた貴志さんが。自宅のありとあらゆる処に取り付けた盗聴器のお陰で、アタシたちの会話を全て聞いていた事を。元・母親に対するアタシの罵声に胸を熱くして、溜飲を下げていた事を。『夫婦なんだから、何でも相談し合う』と云うアタシの意見は話を反らされ、棚上げになってしまってた事を。
澤木さんを巻き込んで、元・母上サマと離婚届の証人たちにキッツゥ~~イお灸をすえていた事を。
『母親』と云う名の“敵”に勝って、ご機嫌でいた呑気なアタシは気が付く事が出来ずにいたのだった―――
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そんなリノアは冷徹と名高い公爵子息(イケメン)に嫁ぐことに。
「初夜放置? ぜーんぜん、問題ないわ!
だって旦那さまってば顔がいいもの!!!」
朝食をたまに一緒にとるだけで、満足だ。寝室別でも、他の女の香水の香りがしてもぜーんぜん平気。……なーんて、思っていたら、旦那さまの様子がおかしい?
「他の誰でもない君が! 僕がいいっていったんだ。……そうでしょ?」
あれ、旦那さまってば、どうして手錠をお持ちなのでしょうか?
それをわたしにつける??
じょ、冗談ですよね──!?!?
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今更ですが、閲覧の際はご注意ください。
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