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二年目の新婚夫妻(バカップル)
No,225 上井家の慰安旅行 on 【インティ・ライミ】
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「いい気持ちですねェ~♪」
「……………そうですね。」
「貴志さんったら…いいかげんにご機嫌を直して下さいよ。」
「…理性では理解ってるんです…ですが、感情が納得しません。」
「みんな、喜んでくれてるみたいじゃないですか…ね…?」
「……ですが……」
「そもそも、この旅の趣旨は、私のバースデープレゼントなんでしょう?」
「だからこそ、二人っきりで…!」
「…でも、アタシは…みんなと一緒で、とっても嬉しいですよ…?」
「………………………」
※ ※ ※
そうなのだ。
“アタシ溺愛至上主義”のアタシの旦那さまは。
アタシの誕生日に、命をかけてるんじゃないかと思うほどの熱のいれようで。
今年は働くようになったから、碌な事は出来まいとタカをくくっていたのだが、とんでもない!
『真唯さん、富士山の見える別荘地を見に行きましょう!!』
と、何と富士山の見える温泉地の別荘をアタシにプレゼントして下さるとの事で。
温泉めぐりツアーを提案されてしまったのだ。
土日が休みなのは良いとして、社長自ら金曜日に休みをとられ。伊豆、箱根、山梨の温泉地めぐりツアーを敢行されようとなされた時にはクラリと眩暈さえ覚えてしまったアタシに罪は無い筈だ。慌ててマッタをかけ、以前から考えてたプランを持ち掛け。アタシの誕生日は急遽、『普段からお世話になってる方々への慰安旅行』へと変身を遂げたのだった。
※ ※ ※
メンバーは家政婦の山田君枝さんと、日頃からアタシたちを護って下さってるSPの皆さんたちだ(掃除代行サーヴィスの方々や洗濯業者の方々にもお礼をしたかったのだが、旅行に招待するのは無理なので臨時ボーナスを出す事で心の中で折り合いをつけた)。マイクロバスの中でワイワイカラオケ……は無理にしても。ドリンクやお摘みを片手に車窓を眺めたり、君枝さんが女性SPの皆さんとお喋りしたりしてるのが嬉しかった。最初君枝さんにSPさんたちの存在を打ち明ける時は、ドン引きされる事を覚悟していたのだが。それなりの上流社会に通じてらっしゃった女性は、その手の事に理解があった。それよりも、“慰安旅行”と云う事にかなり恐縮されてしまったのだが、最後は笑顔で了承して下さった。
目的地は某有名アニメの舞台になったとの噂もある温泉旅館。
勿論、富士山なんか見えない(笑)。
今にも泣き出しそうな空模様だが、今回は別に観光の予定はない。
のんびり温泉に浸かって、美味しいものを食べてもらえればそれでいーのだっ!
不満顔の旦那さまを他所に、バスは目的地に到着した。
本当なら女性陣のお部屋にお泊りして、夜通しおしゃべりしてみたかった。
しかしそれだけは、強固な旦那さまの反対によって実現しなかった。
その腹いせと云う訳ではないが、早速温泉に入ろうとする旦那さまのお誘いを丁寧にお断り申し上げて、女性軍団で大浴場に入った。桧の佳い薫りのする天井の高い大浴場は昔ながらの“湯治場”と云う風情で嬉しくなってしまう。簡単に身体を洗うと、女性陣全員でこのお宿自慢の温泉に浸かる。ネットで温泉の効能は調べてきたのだが、立て札に全て詳しく書かれてた(苦笑)。疲労回復に効果があると云うから、お疲れの企業戦士は勿論、体力勝負の家政婦さんやSPさんたちの疲労も癒してもらえたなら嬉しく有り難い。充分温まったなら一度上がって髪を洗って、今度は身体も念入りに洗う。お願いして君枝さんや、明石さんたちの背中を流させて頂いた。
(いつもありがとうございます。これからも、よろしくお願いします。)
との感謝の気持ちを込めて。
そして庭園露天風呂にも入ってみようと云う事になって。
外に出てみると、見事な竹林に感嘆のため息が出る。
それなりの解放感を感じさせ、窮屈さは微塵も感じない。
「…真唯さん…今日は、ありがとうございます…」
眼を閉じてると、そんな声が聞こえて。
慌てて眼を開けると、声を掛けて来た明石さんだけでなく。
他の三つの視線もアタシに集中していた。
「…やだ…そんな真剣な表情でお礼言われると、アタシも困っちゃいます…」
……そうだ…そんなご大層な事してる訳じゃない…笑顔になってくれれば、それだけで良いのに……
「…背中を流してもらうなんて、孫が幼稚園の頃以来ですよ…」
見れば君枝さんは、うっすら涙ぐんでいる。 ……いえ、君枝さん…孫の顔見せてもらってるだけで、充分な親孝行してもらってると思いますよ……
「…そんな大仰に考えないで下さい…普通の会社では、一年に一度慰安旅行と云うものがあるでしょう…? …それと同じだと思って頂ければ…」
「…そんな風に普通に思いやって頂ける事が、何より嬉しいのです…」
……宇佐美さん…どんな過酷な労働条件の下で働いてたんですか……
「…皆さんには本当に感謝してるし、尊敬してるんです…だって、他人の為に、尽くすお仕事なんですもの…その対価は得てらっしゃるでしょうが、たまにはこうやって形にしてお礼をしたいんです…」
「…真唯さん…」
明石さんも宮内さんも、眼をウルウルさせて…ええ~い、湿っぽいのヤメヤメ…ッ!!
「明石さん…っ、…いいかげんにして下さらないと、旅行の間中、貴女の事を『明石の御方』って呼びますよ…っ!!」
「ええ…!? 真唯さん…っ、…それだけは勘弁して下さい…っっ!!!」
途端に爆笑が響き渡って。
『明石の御方』の名称の由来が理解らない君枝さんは眼を白黒させてたけど。
宮内さんから説明を受けて、遅れて笑ってたのが可笑しかった。
そうだ。
折角の温泉旅行なのだ。
涙なんかよりも、笑顔の方が似合う。
アタシはみんなに便乗して笑って。
湿っぽい空気を吹き飛ばした。
ここは温泉保養地として有名で、温泉旅館やリゾートホテルが林立してる。
正に“温泉街”として賑わいを見せてる大通りを、浴衣姿のみんなとのんびり歩く。
空模様が怪しい為、旅館が貸し出してくれたのが『番傘』だったのも嬉しい。
これを差して歩くなど、さぞかし風情だろう。雨が楽しみになってしまう。
さっきまで些か膨れっ面だった旦那さまもさすがに機嫌を直して下さったようだが。『お財布』になる気が満々なのには、苦笑いしか漏れない。
ウィンドウショッピングは一切しない主義だが、お土産物屋を冷やかすのは別物だ。定番の温泉卵や温泉饅頭、そしてかなり無理矢理感のある“新名物”を興味深く見て歩き。試食可能な物には遠慮なく手を伸ばした。今回は純然たる『慰安旅行』のためなので、【ブロガー・上井真唯】は一時お休みだ。頭の中でジャッジしてしまう判定には蓋をして。あくまで“主役”である皆さんが楽しんでくれる事が最優先。初めに言っておいたのだ。
『お土産や買いたい物があったら遠慮なく足を止めて下さいね。』
と。
お陰でご友人やご家族へのお土産用なのか、お菓子や名産品を購入してくれるSPさんたちがいらっしゃるのがとっても嬉しい。
実を言えば、ご家族を呼ぶ事も考えたのだ。
君枝さんはともかく、SPさんたちは身体を張って。時には命を投げ出す覚悟で仕事をして下さってるのだから。だが、貴志さんを始め主任である阿部さんや瀬尾さんを交えての計画段階で、それにはストップが掛かってしまったのだ。『それだけはご勘弁下さい』と。何やらアタシには言えない事情があるらしい。
仕方なく諦めたのだが、いつかは実現させたい。
何年、何十年掛かっても良いから。
……今は、この旅行が実現出来ただけで良しとしよう……
湯上りの明るい表情の皆さんを見てるだけで、ココロが温まる想いがする。
せめてこのひと時だけは、仕事を離れてのんびりして頂きたい。
※ ※ ※
「本日は去年の藤見の宴に続いての私の我儘に付き合って頂いて感謝してます。日頃からの皆さんのご活躍のお陰さまで無事に暮らす事が出来て、美味しい食事を頂ける事に心から感謝します。せめて今日と明日と明後日はお仕事を忘れて、ゆったりした気分で楽しんで下さい。皆さまのこれからの益々のご活躍を祈念しまして。 …乾杯!!」
こじんまりした小宴会場に「乾杯!!」との皆さんの唱和が響き。
ひと口飲んでの拍手が大きく温かく響いたのは、気のせいではないと思いたい。
今日の宴会は完全な無礼講であると前々から言っておいた。本当なら皆さんのお膳の前まで行って一人一人にお酌して回りたい気分なのだが、言い出しっぺのアタシが早速約束事を破る訳にはいかない。ここはグッと辛抱した。
何より。
SPの皆さんたちがアルコールを飲んでくれてる事が。
リラックスしてくれてる表情が嬉しい。
……エヘヘヘ…いい誕生日になったなァ……
エビスビールのグラスを片手にニンマリしてると、隣からため息が聞こえてきた。
「…まったく…貴女と云う女性は…」
言う間でもなく、上座に一緒に座ってる旦那さまである。
呆れ交じりの。だが、とても愛し気な眼差しがアタシを見つめていた。
「…貴志さん…アタシの我儘をきいて下さって、ありがとうございます…皆さんが楽しそうにしてらして下さって、アタシとっても嬉しいです…」
「…誕生日プレゼントにこんな事をねだられたのは、生まれて初めてですよ…」
「…貴志さんの『生まれて初めて』をゲット出来て光栄です…」
「…なんの…貴女には何回も、『生まれて初めて』を経験させて頂いてます…」
「…お互いさまです…これからも、『生まれて初めて』を一緒に経験していきましょうね…一生…」
「…はい、是非…遅くなりましたが、お誕生日おめでとうございます…」
渡されたのは細長い箱。ひと目で宝飾品だと理解る品。
しかし、出そうになったため息を堪えたのは……大正解だったのだ。
有名ブランドの包装紙を解いてみて、出て来たものは……
「…貴志さん…これってもしかして…」
「理解りますか…? …実は、今私がしてるものとペアなんです。」
貴志さんが今日していた初めて見るシルバーネックレス。
トップが勾玉のような形になっていて、変わったデザインだと思ってたけど、まさか……
「そのオープンハートのネックレスと合わせる事で、完全なハートの形になるんです。」
「……貴志さん……」
「真唯さんのはホワイトゴールドですが、ワンポイントのピンクダイヤは勘弁して下さい…私に妥協出来るギリギリ最低のラインなんです。」
……ピンクダイアなんて希少な物を最低のラインと言い切る夫がコワイけど…こんな小さな宝石なら、心配するほどお高くはないだろう…何にしろ、別荘なんかよりはずっと安い筈だし…ペア・アクセサリーだと云う事が、何より嬉しい……
「…つけて頂けますか…?」
「喜んで。」
夫は座っていた座布団から直ぐに腰を上げて、アタシの背後にまわると。
「…できました…いかがですか…?」
トップのアシンメトリーのオープンハートを擽ったい気分でもてあそんでみる。
プチ・ピンクダイアはこの際、ご愛敬だ。
「…とっても素敵です…ありがとうございます…これから、ずぅ~っとしてますね。」
「そんなに喜んで頂けたら、贈った甲斐があります。…私も、ずっとしていますね。」
そして席に戻った旦那さまと瞳と瞳で微笑み合って、ビールのグラスをカチンと合わせて。山の恵みがふんだんに使われた、素朴だが滋味豊かな宴会料理での晩餐は始まった。
お料理はどれもが珍しく、そして美味しかった。
この土地で採れた物しか使ってないと云うこだわりのお宿自慢の珍味の数々。
思わず(ブログにアップしたい!!)と身悶えてしまいたくなるようなラインナップだった。
良かった。
これなら、お料理のプロである君枝さんにも喜んでもらえるだろう。
最高に嬉しい気分でお料理を楽しんでいると。
明石さんと宮内さんと宇佐美さん。そしてアタシのガード主任の瀬尾さんが、アタシのお膳の前にやって来て並んで座った。手にはカラフルにラッピングされた小さな袋を持って。
(…やだ、まさか…)
でも、そのまさかだったのだ。
「…そんな表情なさらないで下さい…大したものじゃないんですから…」
「そうですよ。本当は大きな花束でも贈りたいところを我慢したんですから。」
「私たちの気持ちです…どうか受け取って下さい。」
女性三人に並んで頭を下げられて。
「体力自慢の女三人の初めての手作りの品です。どうか受け取ってやって下さい。」
リーダーの瀬尾さんに口添えされれば、無碍には出来ない。それが手作りと聞けば尚更だ。
「…ありがとうございます…喜んで受け取らせて頂きます…お気持ちが嬉しいから。」
漂ってくる甘い匂いについた予想の通り、中身は手作りクッキーだった。歪な形が却って嬉しい。一言断って一つ口に入れてみると、バターの優しい甘さのするとても美味しいクッキーだった。
「美味しい! とっても美味しいですよ! 初めてなんて思えないくらい!!」
アタシはここぞとばかりに絶賛した。
あんな激務をしてるのだから、休みの日くらいゆっくり身体を休めて欲しいのだが。そんな貴重な休日をアタシのために使ってくれたのだと思うとそれだけでも嬉しい。
「本当にありがとうございます…残りは部屋に帰って、貴志さんとゆっくり頂きますね。」
あからさまにホッとしたような表情をしてる三人組に笑顔で言えば。
「食べて頂くのは、それだけではないんですが。」
「え?」
そう言った瀬尾さんが大きく手を二回鳴らすと、宴会場に入って来たのは仲居さん。手には特大の抹茶のホールケーキを持って。
「…瀬尾さん…これ…」
「上井さんとお二人の食べ切りサイズも考えたのですが、披露宴での事も考えて真唯さんだったらこちらの方が喜ばれるかと思いまして。後で我々もご相伴に与ります。」
そして明石さんが『真唯さん お誕生日おめでとうございます』と書かれたチョコレートプレートの横に一本だけ蝋燭を立ててくれて、火を点けてくれた。そして全員で合唱してくれるお馴染の歌。どの顔も笑顔、笑顔……勿論、いつの間にか合唱に加わった隣の美声の持ち主も笑顔だ。
何だかたまらなくなってしまって。
泣きそうになるのを必死で堪えようとするが成功しなかった。
皆さんの合唱が終わった瞬間、君枝さんとSPの皆さん全員の名前を呼んで。
「…さんの。
そして、アタシの旦那さまの健康と、これからの未来に幸多からん事を!
それ以外の願い事なんか、ありません!!
…皆さん、今日は本当にありがとうございました…っ!!」
叫んだ震える声が泣き笑いになってしまった事は勘弁して欲しいと思う。そして蝋燭の炎をひと息で吹き消して。一斉に拍手が響き渡る中、アタシは貴志さんの胸をかりて遂には泣き出してしまって。アタシの耳に、皆さんの温かな拍手と歓声はいつまでも木霊していた。
あの後、大感激してしまったアタシの涙腺は復旧する事はなく。
お料理はあらかた食べ終わってたから問題はなかったけど。
折角頂いた手作りクッキーと切り分けてもらった抹茶ケーキを食べる時間は与えてもらえなかった。
何故なら。
嫉妬深い旦那さまによって、部屋の露天風呂に連行されてしまったから。
そうしてようやく、冒頭の場面となるのである。
※ ※ ※
「大体、真唯さんは…優し過ぎます。」
「…普通だと思いますが…」
「普通の雇用主は、あそこまで慕われません。」
「まあ、あれは…かなり嬉しいサプライズでしたけど。」
「そもそも…普通は、護衛や家政婦を慰安旅行になど連れ出しません。」
「…それは確かに、“普通”とは言い難いかも知れませんね…何しろアタシは、そう云う職業の方々を“使う”と云う事を“普通”とする、いわゆる上流階級と無縁の人間で…いわば生粋の庶民ですから。」
別に皮肉を込めた心算はなかったのだけど、無言になってしまった貴志さんに抱き締められてしまった。「…すみません…嫉妬が過ぎました…」と。元々、桧の浴槽の中、背後から抱き込まれる姿勢でいた為、そんな風にされてしまうとまるで縋り付かれてるかのようだ。アタシは身体の前に回ってる長い腕をポンポンと叩いた。アタシの肩に顔を埋めてしまっている旦那さまに(気にしてませんから)との労わりの気持ちを込めて。
「…ホントは明石さんたちに、「あんまり気を使わないで下さい」と言いたかったんですが…」
「…真唯さん、それは…」
やや強引に話題転換を計ったが、貴志さんは便乗して下さった。
「…ええ…アタシも、そこまで空気が読めない訳でもないですから…」
「…言わなくて正解でしたよ…彼らを傷付けてたでしょうからね…」
今度はアタシが無言になる番だった。
今回の旅行は彼らを労わる気持ちの表れだが、却って負担になってはいないか結構不安だったのだ。でも、そんな心配を吹き飛ばすように皆さんが寛いだ様子を見せて下さって安心してたのだが。却って気を使わせてしまったかと、内心忸怩たる思いだったのだ。
だが、そんな気持ちはお互いさまだったのだ。
アタシが日頃の“感謝”を形にしたかったように。
彼らも“お礼”の気持ちを形にしたいと思って下さったのだろう。
アタシの誕生日にかこつけて。
そんな皆さんの想いをぶち壊すような事にならなくて、ホントに良かったと思う。
「…さて…どうしましょうかね…」
「…ハ…何がですか…?」
「…松田さんだけでなく、これからは阿部や瀬尾にまでやきもちを焼かないといけないのかと危惧して、今夜は抱き潰して差し上げないといけないかと思っていたのですが…」
……復活したゾンビが寝言を言い出したゾ…第一、阿部さんは、既婚者じゃありませんか……
「…まあ、素直に私のプレゼントを受け取って下さったので、良しとしましょう…」
そう言って、貴志さんはオープンハートのネックレスの金具に唇を落とした。
それから首筋に唇を這わせ、耳たぶを甘噛みしたりして悪戯してた旦那さまに突入されてしまったが。旅行前の約束通り一回で済ませてくれた。その一回が酷く執拗でネチっこかったのは、この際ご愛敬だ(ヤケ笑)。
ちなみに。
翌日とうとう降ってきた雨に、アタシたちは外出出来なくなってしまったのだが。館内設備が充実してた旅館だったので、却ってのんびり楽しめた。浴衣を選べるサーヴィスに無理を言って女五人でお揃いにしてもらってはしゃいだり。昔懐かしい温泉地のゲームが揃ってる処では、男性陣が射的や卓球に夢中になったり。お土産コーナーでは地酒と押し葉の風情ある栞を自分土産にしようと思ったのだが。「お誕生日プレゼントに、是非私に支払わせて下さい!」とねだる旦那さまに負けて。それを生温かい目で見守られたり。みんなで温泉宿を心から楽しんだのだった。
こうして。
アタシの33回目の誕生日は、温かく幸せに過ぎていったのだった。
裏でどんな犠牲が払われていたのか、呑気なアタシは何も知る事もなく―――
―おまけ―
「真唯ちゃんたち、今頃はのんびり温泉を楽しんでいるかしら。」
「…ああ…明石の御方たちも、リラックス出来てるだろう…」
「…阿部ちゃんや瀬尾さんは、却って緊張してるんじゃないかしら…」
「………………………」
「…【CLUB NPOE】の【親衛兵】に護衛してもらうなんて、さぞかし肩が凝る思いでしょうねぇ…」
「…私やお前や【提督】が一緒に行って、【近衛兵】に護衛してもらうよりは遥かにマシだろう…」
真唯に慰安旅行に誘われて、丁重にお断りしたリザは晃と苦笑いしたが。
次の瞬間には、もっと悪戯気な笑みになった。
「そう言えば…あの子の追い込みには拍車が掛かってるみたいね。」
「…沼倉…いや、中田裕樺嬢と、西江麻由嬢の事か…」
「都内で月三万のアパートなんか、よく見つけてきたわね。」
「火葬場と墓場を運営する寺に挟まれた処なんて、そんなものだろう。」
「すっかり育児放棄してるって、報告書を読んだけど。」
「…ああ…夫である彼も遊びまわってるそうだ…似た者夫婦だな。」
「児相に通報されるんじゃないの?」
「子供はいっそ、その方が幸せかもな。」
「…その場合の、彼らの処遇は…?」
「…貴志の事だ…抜かりはないさ…」
「西江嬢は、すっかり餌に喰い付いたらしいけど。」
「あのクラブのあの男だ…骨の髄までしゃぶってくれるだろう。」
「…貴志の事、言えないんじゃないの…?」
「………………………」
「…聞いてるわよ…緋龍院建設の株価を操作するだけでは飽き足らずに、外国から手を回してるって…」
「…私を本気で怒らせるからだ…」
「…フフ…コワイ、コワイ…」
「それに今回は、五月蠅いストッパーもいないからな。」
「……あーあ…結局、私たちも、あの子と同じ穴の狢って事かぁ……」
「……可愛いのさ、真唯ちゃんが…だからこそ、あのドライなSPたちにまで、あんなにも慕われる…そうだろう…?」
「……そうね…その通りだわ……」
「……なあ…今回の旅行の誘いを断ったお詫びに、いつか【元老院】のあるあの温泉に二人を招待しないか…?」
「いいわね、それ! 真唯ちゃん、薔薇が好きだから、きっと喜んでくれるわ!!」
「松田も小西も張り切るだろう。」
「アドミラルもね…フフ、楽しみ♪」
「…まあ、とりあえずは…」
アイコンタクトで、飲んでいたワインのグラスを掲げて。
「真唯ちゃんの生まれて来てくれた日を祝って。」
「「乾杯」」
キーン♪
「……………そうですね。」
「貴志さんったら…いいかげんにご機嫌を直して下さいよ。」
「…理性では理解ってるんです…ですが、感情が納得しません。」
「みんな、喜んでくれてるみたいじゃないですか…ね…?」
「……ですが……」
「そもそも、この旅の趣旨は、私のバースデープレゼントなんでしょう?」
「だからこそ、二人っきりで…!」
「…でも、アタシは…みんなと一緒で、とっても嬉しいですよ…?」
「………………………」
※ ※ ※
そうなのだ。
“アタシ溺愛至上主義”のアタシの旦那さまは。
アタシの誕生日に、命をかけてるんじゃないかと思うほどの熱のいれようで。
今年は働くようになったから、碌な事は出来まいとタカをくくっていたのだが、とんでもない!
『真唯さん、富士山の見える別荘地を見に行きましょう!!』
と、何と富士山の見える温泉地の別荘をアタシにプレゼントして下さるとの事で。
温泉めぐりツアーを提案されてしまったのだ。
土日が休みなのは良いとして、社長自ら金曜日に休みをとられ。伊豆、箱根、山梨の温泉地めぐりツアーを敢行されようとなされた時にはクラリと眩暈さえ覚えてしまったアタシに罪は無い筈だ。慌ててマッタをかけ、以前から考えてたプランを持ち掛け。アタシの誕生日は急遽、『普段からお世話になってる方々への慰安旅行』へと変身を遂げたのだった。
※ ※ ※
メンバーは家政婦の山田君枝さんと、日頃からアタシたちを護って下さってるSPの皆さんたちだ(掃除代行サーヴィスの方々や洗濯業者の方々にもお礼をしたかったのだが、旅行に招待するのは無理なので臨時ボーナスを出す事で心の中で折り合いをつけた)。マイクロバスの中でワイワイカラオケ……は無理にしても。ドリンクやお摘みを片手に車窓を眺めたり、君枝さんが女性SPの皆さんとお喋りしたりしてるのが嬉しかった。最初君枝さんにSPさんたちの存在を打ち明ける時は、ドン引きされる事を覚悟していたのだが。それなりの上流社会に通じてらっしゃった女性は、その手の事に理解があった。それよりも、“慰安旅行”と云う事にかなり恐縮されてしまったのだが、最後は笑顔で了承して下さった。
目的地は某有名アニメの舞台になったとの噂もある温泉旅館。
勿論、富士山なんか見えない(笑)。
今にも泣き出しそうな空模様だが、今回は別に観光の予定はない。
のんびり温泉に浸かって、美味しいものを食べてもらえればそれでいーのだっ!
不満顔の旦那さまを他所に、バスは目的地に到着した。
本当なら女性陣のお部屋にお泊りして、夜通しおしゃべりしてみたかった。
しかしそれだけは、強固な旦那さまの反対によって実現しなかった。
その腹いせと云う訳ではないが、早速温泉に入ろうとする旦那さまのお誘いを丁寧にお断り申し上げて、女性軍団で大浴場に入った。桧の佳い薫りのする天井の高い大浴場は昔ながらの“湯治場”と云う風情で嬉しくなってしまう。簡単に身体を洗うと、女性陣全員でこのお宿自慢の温泉に浸かる。ネットで温泉の効能は調べてきたのだが、立て札に全て詳しく書かれてた(苦笑)。疲労回復に効果があると云うから、お疲れの企業戦士は勿論、体力勝負の家政婦さんやSPさんたちの疲労も癒してもらえたなら嬉しく有り難い。充分温まったなら一度上がって髪を洗って、今度は身体も念入りに洗う。お願いして君枝さんや、明石さんたちの背中を流させて頂いた。
(いつもありがとうございます。これからも、よろしくお願いします。)
との感謝の気持ちを込めて。
そして庭園露天風呂にも入ってみようと云う事になって。
外に出てみると、見事な竹林に感嘆のため息が出る。
それなりの解放感を感じさせ、窮屈さは微塵も感じない。
「…真唯さん…今日は、ありがとうございます…」
眼を閉じてると、そんな声が聞こえて。
慌てて眼を開けると、声を掛けて来た明石さんだけでなく。
他の三つの視線もアタシに集中していた。
「…やだ…そんな真剣な表情でお礼言われると、アタシも困っちゃいます…」
……そうだ…そんなご大層な事してる訳じゃない…笑顔になってくれれば、それだけで良いのに……
「…背中を流してもらうなんて、孫が幼稚園の頃以来ですよ…」
見れば君枝さんは、うっすら涙ぐんでいる。 ……いえ、君枝さん…孫の顔見せてもらってるだけで、充分な親孝行してもらってると思いますよ……
「…そんな大仰に考えないで下さい…普通の会社では、一年に一度慰安旅行と云うものがあるでしょう…? …それと同じだと思って頂ければ…」
「…そんな風に普通に思いやって頂ける事が、何より嬉しいのです…」
……宇佐美さん…どんな過酷な労働条件の下で働いてたんですか……
「…皆さんには本当に感謝してるし、尊敬してるんです…だって、他人の為に、尽くすお仕事なんですもの…その対価は得てらっしゃるでしょうが、たまにはこうやって形にしてお礼をしたいんです…」
「…真唯さん…」
明石さんも宮内さんも、眼をウルウルさせて…ええ~い、湿っぽいのヤメヤメ…ッ!!
「明石さん…っ、…いいかげんにして下さらないと、旅行の間中、貴女の事を『明石の御方』って呼びますよ…っ!!」
「ええ…!? 真唯さん…っ、…それだけは勘弁して下さい…っっ!!!」
途端に爆笑が響き渡って。
『明石の御方』の名称の由来が理解らない君枝さんは眼を白黒させてたけど。
宮内さんから説明を受けて、遅れて笑ってたのが可笑しかった。
そうだ。
折角の温泉旅行なのだ。
涙なんかよりも、笑顔の方が似合う。
アタシはみんなに便乗して笑って。
湿っぽい空気を吹き飛ばした。
ここは温泉保養地として有名で、温泉旅館やリゾートホテルが林立してる。
正に“温泉街”として賑わいを見せてる大通りを、浴衣姿のみんなとのんびり歩く。
空模様が怪しい為、旅館が貸し出してくれたのが『番傘』だったのも嬉しい。
これを差して歩くなど、さぞかし風情だろう。雨が楽しみになってしまう。
さっきまで些か膨れっ面だった旦那さまもさすがに機嫌を直して下さったようだが。『お財布』になる気が満々なのには、苦笑いしか漏れない。
ウィンドウショッピングは一切しない主義だが、お土産物屋を冷やかすのは別物だ。定番の温泉卵や温泉饅頭、そしてかなり無理矢理感のある“新名物”を興味深く見て歩き。試食可能な物には遠慮なく手を伸ばした。今回は純然たる『慰安旅行』のためなので、【ブロガー・上井真唯】は一時お休みだ。頭の中でジャッジしてしまう判定には蓋をして。あくまで“主役”である皆さんが楽しんでくれる事が最優先。初めに言っておいたのだ。
『お土産や買いたい物があったら遠慮なく足を止めて下さいね。』
と。
お陰でご友人やご家族へのお土産用なのか、お菓子や名産品を購入してくれるSPさんたちがいらっしゃるのがとっても嬉しい。
実を言えば、ご家族を呼ぶ事も考えたのだ。
君枝さんはともかく、SPさんたちは身体を張って。時には命を投げ出す覚悟で仕事をして下さってるのだから。だが、貴志さんを始め主任である阿部さんや瀬尾さんを交えての計画段階で、それにはストップが掛かってしまったのだ。『それだけはご勘弁下さい』と。何やらアタシには言えない事情があるらしい。
仕方なく諦めたのだが、いつかは実現させたい。
何年、何十年掛かっても良いから。
……今は、この旅行が実現出来ただけで良しとしよう……
湯上りの明るい表情の皆さんを見てるだけで、ココロが温まる想いがする。
せめてこのひと時だけは、仕事を離れてのんびりして頂きたい。
※ ※ ※
「本日は去年の藤見の宴に続いての私の我儘に付き合って頂いて感謝してます。日頃からの皆さんのご活躍のお陰さまで無事に暮らす事が出来て、美味しい食事を頂ける事に心から感謝します。せめて今日と明日と明後日はお仕事を忘れて、ゆったりした気分で楽しんで下さい。皆さまのこれからの益々のご活躍を祈念しまして。 …乾杯!!」
こじんまりした小宴会場に「乾杯!!」との皆さんの唱和が響き。
ひと口飲んでの拍手が大きく温かく響いたのは、気のせいではないと思いたい。
今日の宴会は完全な無礼講であると前々から言っておいた。本当なら皆さんのお膳の前まで行って一人一人にお酌して回りたい気分なのだが、言い出しっぺのアタシが早速約束事を破る訳にはいかない。ここはグッと辛抱した。
何より。
SPの皆さんたちがアルコールを飲んでくれてる事が。
リラックスしてくれてる表情が嬉しい。
……エヘヘヘ…いい誕生日になったなァ……
エビスビールのグラスを片手にニンマリしてると、隣からため息が聞こえてきた。
「…まったく…貴女と云う女性は…」
言う間でもなく、上座に一緒に座ってる旦那さまである。
呆れ交じりの。だが、とても愛し気な眼差しがアタシを見つめていた。
「…貴志さん…アタシの我儘をきいて下さって、ありがとうございます…皆さんが楽しそうにしてらして下さって、アタシとっても嬉しいです…」
「…誕生日プレゼントにこんな事をねだられたのは、生まれて初めてですよ…」
「…貴志さんの『生まれて初めて』をゲット出来て光栄です…」
「…なんの…貴女には何回も、『生まれて初めて』を経験させて頂いてます…」
「…お互いさまです…これからも、『生まれて初めて』を一緒に経験していきましょうね…一生…」
「…はい、是非…遅くなりましたが、お誕生日おめでとうございます…」
渡されたのは細長い箱。ひと目で宝飾品だと理解る品。
しかし、出そうになったため息を堪えたのは……大正解だったのだ。
有名ブランドの包装紙を解いてみて、出て来たものは……
「…貴志さん…これってもしかして…」
「理解りますか…? …実は、今私がしてるものとペアなんです。」
貴志さんが今日していた初めて見るシルバーネックレス。
トップが勾玉のような形になっていて、変わったデザインだと思ってたけど、まさか……
「そのオープンハートのネックレスと合わせる事で、完全なハートの形になるんです。」
「……貴志さん……」
「真唯さんのはホワイトゴールドですが、ワンポイントのピンクダイヤは勘弁して下さい…私に妥協出来るギリギリ最低のラインなんです。」
……ピンクダイアなんて希少な物を最低のラインと言い切る夫がコワイけど…こんな小さな宝石なら、心配するほどお高くはないだろう…何にしろ、別荘なんかよりはずっと安い筈だし…ペア・アクセサリーだと云う事が、何より嬉しい……
「…つけて頂けますか…?」
「喜んで。」
夫は座っていた座布団から直ぐに腰を上げて、アタシの背後にまわると。
「…できました…いかがですか…?」
トップのアシンメトリーのオープンハートを擽ったい気分でもてあそんでみる。
プチ・ピンクダイアはこの際、ご愛敬だ。
「…とっても素敵です…ありがとうございます…これから、ずぅ~っとしてますね。」
「そんなに喜んで頂けたら、贈った甲斐があります。…私も、ずっとしていますね。」
そして席に戻った旦那さまと瞳と瞳で微笑み合って、ビールのグラスをカチンと合わせて。山の恵みがふんだんに使われた、素朴だが滋味豊かな宴会料理での晩餐は始まった。
お料理はどれもが珍しく、そして美味しかった。
この土地で採れた物しか使ってないと云うこだわりのお宿自慢の珍味の数々。
思わず(ブログにアップしたい!!)と身悶えてしまいたくなるようなラインナップだった。
良かった。
これなら、お料理のプロである君枝さんにも喜んでもらえるだろう。
最高に嬉しい気分でお料理を楽しんでいると。
明石さんと宮内さんと宇佐美さん。そしてアタシのガード主任の瀬尾さんが、アタシのお膳の前にやって来て並んで座った。手にはカラフルにラッピングされた小さな袋を持って。
(…やだ、まさか…)
でも、そのまさかだったのだ。
「…そんな表情なさらないで下さい…大したものじゃないんですから…」
「そうですよ。本当は大きな花束でも贈りたいところを我慢したんですから。」
「私たちの気持ちです…どうか受け取って下さい。」
女性三人に並んで頭を下げられて。
「体力自慢の女三人の初めての手作りの品です。どうか受け取ってやって下さい。」
リーダーの瀬尾さんに口添えされれば、無碍には出来ない。それが手作りと聞けば尚更だ。
「…ありがとうございます…喜んで受け取らせて頂きます…お気持ちが嬉しいから。」
漂ってくる甘い匂いについた予想の通り、中身は手作りクッキーだった。歪な形が却って嬉しい。一言断って一つ口に入れてみると、バターの優しい甘さのするとても美味しいクッキーだった。
「美味しい! とっても美味しいですよ! 初めてなんて思えないくらい!!」
アタシはここぞとばかりに絶賛した。
あんな激務をしてるのだから、休みの日くらいゆっくり身体を休めて欲しいのだが。そんな貴重な休日をアタシのために使ってくれたのだと思うとそれだけでも嬉しい。
「本当にありがとうございます…残りは部屋に帰って、貴志さんとゆっくり頂きますね。」
あからさまにホッとしたような表情をしてる三人組に笑顔で言えば。
「食べて頂くのは、それだけではないんですが。」
「え?」
そう言った瀬尾さんが大きく手を二回鳴らすと、宴会場に入って来たのは仲居さん。手には特大の抹茶のホールケーキを持って。
「…瀬尾さん…これ…」
「上井さんとお二人の食べ切りサイズも考えたのですが、披露宴での事も考えて真唯さんだったらこちらの方が喜ばれるかと思いまして。後で我々もご相伴に与ります。」
そして明石さんが『真唯さん お誕生日おめでとうございます』と書かれたチョコレートプレートの横に一本だけ蝋燭を立ててくれて、火を点けてくれた。そして全員で合唱してくれるお馴染の歌。どの顔も笑顔、笑顔……勿論、いつの間にか合唱に加わった隣の美声の持ち主も笑顔だ。
何だかたまらなくなってしまって。
泣きそうになるのを必死で堪えようとするが成功しなかった。
皆さんの合唱が終わった瞬間、君枝さんとSPの皆さん全員の名前を呼んで。
「…さんの。
そして、アタシの旦那さまの健康と、これからの未来に幸多からん事を!
それ以外の願い事なんか、ありません!!
…皆さん、今日は本当にありがとうございました…っ!!」
叫んだ震える声が泣き笑いになってしまった事は勘弁して欲しいと思う。そして蝋燭の炎をひと息で吹き消して。一斉に拍手が響き渡る中、アタシは貴志さんの胸をかりて遂には泣き出してしまって。アタシの耳に、皆さんの温かな拍手と歓声はいつまでも木霊していた。
あの後、大感激してしまったアタシの涙腺は復旧する事はなく。
お料理はあらかた食べ終わってたから問題はなかったけど。
折角頂いた手作りクッキーと切り分けてもらった抹茶ケーキを食べる時間は与えてもらえなかった。
何故なら。
嫉妬深い旦那さまによって、部屋の露天風呂に連行されてしまったから。
そうしてようやく、冒頭の場面となるのである。
※ ※ ※
「大体、真唯さんは…優し過ぎます。」
「…普通だと思いますが…」
「普通の雇用主は、あそこまで慕われません。」
「まあ、あれは…かなり嬉しいサプライズでしたけど。」
「そもそも…普通は、護衛や家政婦を慰安旅行になど連れ出しません。」
「…それは確かに、“普通”とは言い難いかも知れませんね…何しろアタシは、そう云う職業の方々を“使う”と云う事を“普通”とする、いわゆる上流階級と無縁の人間で…いわば生粋の庶民ですから。」
別に皮肉を込めた心算はなかったのだけど、無言になってしまった貴志さんに抱き締められてしまった。「…すみません…嫉妬が過ぎました…」と。元々、桧の浴槽の中、背後から抱き込まれる姿勢でいた為、そんな風にされてしまうとまるで縋り付かれてるかのようだ。アタシは身体の前に回ってる長い腕をポンポンと叩いた。アタシの肩に顔を埋めてしまっている旦那さまに(気にしてませんから)との労わりの気持ちを込めて。
「…ホントは明石さんたちに、「あんまり気を使わないで下さい」と言いたかったんですが…」
「…真唯さん、それは…」
やや強引に話題転換を計ったが、貴志さんは便乗して下さった。
「…ええ…アタシも、そこまで空気が読めない訳でもないですから…」
「…言わなくて正解でしたよ…彼らを傷付けてたでしょうからね…」
今度はアタシが無言になる番だった。
今回の旅行は彼らを労わる気持ちの表れだが、却って負担になってはいないか結構不安だったのだ。でも、そんな心配を吹き飛ばすように皆さんが寛いだ様子を見せて下さって安心してたのだが。却って気を使わせてしまったかと、内心忸怩たる思いだったのだ。
だが、そんな気持ちはお互いさまだったのだ。
アタシが日頃の“感謝”を形にしたかったように。
彼らも“お礼”の気持ちを形にしたいと思って下さったのだろう。
アタシの誕生日にかこつけて。
そんな皆さんの想いをぶち壊すような事にならなくて、ホントに良かったと思う。
「…さて…どうしましょうかね…」
「…ハ…何がですか…?」
「…松田さんだけでなく、これからは阿部や瀬尾にまでやきもちを焼かないといけないのかと危惧して、今夜は抱き潰して差し上げないといけないかと思っていたのですが…」
……復活したゾンビが寝言を言い出したゾ…第一、阿部さんは、既婚者じゃありませんか……
「…まあ、素直に私のプレゼントを受け取って下さったので、良しとしましょう…」
そう言って、貴志さんはオープンハートのネックレスの金具に唇を落とした。
それから首筋に唇を這わせ、耳たぶを甘噛みしたりして悪戯してた旦那さまに突入されてしまったが。旅行前の約束通り一回で済ませてくれた。その一回が酷く執拗でネチっこかったのは、この際ご愛敬だ(ヤケ笑)。
ちなみに。
翌日とうとう降ってきた雨に、アタシたちは外出出来なくなってしまったのだが。館内設備が充実してた旅館だったので、却ってのんびり楽しめた。浴衣を選べるサーヴィスに無理を言って女五人でお揃いにしてもらってはしゃいだり。昔懐かしい温泉地のゲームが揃ってる処では、男性陣が射的や卓球に夢中になったり。お土産コーナーでは地酒と押し葉の風情ある栞を自分土産にしようと思ったのだが。「お誕生日プレゼントに、是非私に支払わせて下さい!」とねだる旦那さまに負けて。それを生温かい目で見守られたり。みんなで温泉宿を心から楽しんだのだった。
こうして。
アタシの33回目の誕生日は、温かく幸せに過ぎていったのだった。
裏でどんな犠牲が払われていたのか、呑気なアタシは何も知る事もなく―――
―おまけ―
「真唯ちゃんたち、今頃はのんびり温泉を楽しんでいるかしら。」
「…ああ…明石の御方たちも、リラックス出来てるだろう…」
「…阿部ちゃんや瀬尾さんは、却って緊張してるんじゃないかしら…」
「………………………」
「…【CLUB NPOE】の【親衛兵】に護衛してもらうなんて、さぞかし肩が凝る思いでしょうねぇ…」
「…私やお前や【提督】が一緒に行って、【近衛兵】に護衛してもらうよりは遥かにマシだろう…」
真唯に慰安旅行に誘われて、丁重にお断りしたリザは晃と苦笑いしたが。
次の瞬間には、もっと悪戯気な笑みになった。
「そう言えば…あの子の追い込みには拍車が掛かってるみたいね。」
「…沼倉…いや、中田裕樺嬢と、西江麻由嬢の事か…」
「都内で月三万のアパートなんか、よく見つけてきたわね。」
「火葬場と墓場を運営する寺に挟まれた処なんて、そんなものだろう。」
「すっかり育児放棄してるって、報告書を読んだけど。」
「…ああ…夫である彼も遊びまわってるそうだ…似た者夫婦だな。」
「児相に通報されるんじゃないの?」
「子供はいっそ、その方が幸せかもな。」
「…その場合の、彼らの処遇は…?」
「…貴志の事だ…抜かりはないさ…」
「西江嬢は、すっかり餌に喰い付いたらしいけど。」
「あのクラブのあの男だ…骨の髄までしゃぶってくれるだろう。」
「…貴志の事、言えないんじゃないの…?」
「………………………」
「…聞いてるわよ…緋龍院建設の株価を操作するだけでは飽き足らずに、外国から手を回してるって…」
「…私を本気で怒らせるからだ…」
「…フフ…コワイ、コワイ…」
「それに今回は、五月蠅いストッパーもいないからな。」
「……あーあ…結局、私たちも、あの子と同じ穴の狢って事かぁ……」
「……可愛いのさ、真唯ちゃんが…だからこそ、あのドライなSPたちにまで、あんなにも慕われる…そうだろう…?」
「……そうね…その通りだわ……」
「……なあ…今回の旅行の誘いを断ったお詫びに、いつか【元老院】のあるあの温泉に二人を招待しないか…?」
「いいわね、それ! 真唯ちゃん、薔薇が好きだから、きっと喜んでくれるわ!!」
「松田も小西も張り切るだろう。」
「アドミラルもね…フフ、楽しみ♪」
「…まあ、とりあえずは…」
アイコンタクトで、飲んでいたワインのグラスを掲げて。
「真唯ちゃんの生まれて来てくれた日を祝って。」
「「乾杯」」
キーン♪
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