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二年目の新婚夫妻(バカップル)
No,222 ひとり旅への誘い 【前編】
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「真唯さん、行ってらっしゃい…楽しんでらして下さいね。」
「…貴志さんも行ってらっしゃい…お仕事、頑張って下さいね…ホテルに着いたら連絡しますから…」
「…私の事はお気になさらずに…素敵な記事になるように、めいいっぱい楽しんでらして下さい…」
「…ありがとうございます…貴志さんも、ホントに気を付けて…」
いつもは貴志さんを見送るアタシだが。
今日はアタシも見送られる立場だ。
玄関で『行ってらっしゃい』のキスをするのはお約束だが。
こんなに離れ難いのは初めてだ。
何てったって。
貴志さんをお留守番に、アタシが一泊の旅行をするのだから。
※ ※ ※
旅行会社【レグルス・ツーリズム】からは定期的にパンフレットが届くようになっていた。別に会員に登録した訳ではないのに、数回利用しただけですっかりお得意様扱いである。元々パンフレットを眺めるのが大好きなアタシは、頂いたパンフは有り難く拝見拝読させて頂いていた。そのパンフは、よくもこれだけ色々企画するものだと感心するばかりの豪華絢爛さだった。『日本国内の旅』『海外の旅』はもとより、『シリーズウォーク&登山』『歴史の旅』などなど、盛り沢山だった。それぞれを興味深く拝見しながら。一つのパンフレットが、アタシの興味を引いた。
『ひとりの贅沢』と云う、所謂“おひとりさま限定”の旅である。それは一名一室が当然のように、日本国内有数の有名ホテルに泊れるプランである。
……独身時代に見つけたかった……
そう思いながら読み進めてゆくと。
『これは…っ!』と唸らせられるようなプランを見つけてしまったのだ。それは【久能山東照宮】へ行って、【三嶋大社】では正式参拝も出来て。更に、あの“静岡の迎賓館”とも称される【日本平ホテル】に宿泊出来るバスツアーだったのである。『これは美味し過ぎる!!』と思った。ランチもディナーもそれなりの処で頂けるようになっている。確かに良いお値段だが、一人でこのホテルに泊れるとなれば文句は言えない程度である。アタシは懊悩した。激しく悩んだ。幸か不幸か、時間だけならたっぷりある。お金も貴志さんが受け取ってくれないし、使う機会もあんまりないので貯まってゆく一方だ。精々、月に何回か舞台を観に行くくらいで。
貴志さんに相談してみれば案の定『私や家の事は気にせずに、行ってらっしゃい』とのお言葉を頂戴してしまう。後は、アタシの中の折り合いの問題だった。悩んで悩んで。結局は『行きたい!』と云う好奇心に勝てなかった(苦笑)。独身時代に見つけたかったと思ったが、見つけていても無理だっただろう。何故なら、平日出発なのだから。きっとこう云うツアーは、富裕層のオジサマ・オバサマがいらっしゃるのだろう。少々敷居の高さは感じたが、思い切って申し込んでみた。そしたら運良くと言うか何と云うか、催行決定になっていて。あれよあれよと云う間に諸々の手続きが終わり、出発の日を迎えてしまったのだった。
※ ※ ※
後ろ髪を引かれつつ、迎えた旅行の日の朝は見事なまでの晴天だった。
でも晴れてれば富士山が拝めるかと言うと、そうでもないらしい。
(アタシ、“富士山運”は良い方だと思うんだけど。)
そんな事を思いながら、SPさんに新宿駅まで送って頂いた。
キチンとお礼のお辞儀をして、彼らの車を見送って。
さて、と。
と思った集合場所には、見知った顔があった。
「牧野様、お久し振りです。
今回のツアーの添乗員を務めさせて頂きます、石飛です。
いつも弊社をご利用頂きまして、ありがとうございます。」
と。
「わァ、覚えてて下さったんですか! 嬉しいなァ♪」
「牧野様こそ、私の事を覚えていて下さって光栄です。」
「忘れませんよ! 石飛さんの対応が良かったから、バスツアーにハマっちゃったんですもん!!」
「益々、光栄ですね。今回も二日間、よろしくお願い致します。」
深々とお辞儀をされ、慌ててアタシもお辞儀を返した。何か小さな引っ掛かりを感じたが、ソレが何かは理解らなかった。石飛さんは慌ただしく、次々にいらっしゃるお客さんの対応に追われてのんびり話してる暇なんて無かったから。
ソノ正体に気付いたのは、バスに乗ってしばらくしてからだった。
石飛さんは何と言った? 『いつも』と言ったのだ。
確かにアタシは何回か、この旅行会社のツアーを利用している。
それを把握してると云う事は、ひょっとして……バレてる?
考え過ぎかも知れない。予約センターのコンピューターを見れば、利用状況など一目瞭然だろう。今回で三回目になる利用を『いつも』と称しても、無理はないレベルだ。けれども……
「…ま…いっか…♪」
考えたって仕方がない。
バレてるなら、それはそれでと開き直る。もし、それで対応を変えて来るようなら……アタシにも考えがあるんだから。
まあ何はともあれ、折角の旅行を楽しもう。今回は“贅沢”をうたっているだけあって、大型バスに十五名限定でみんなが窓際の席を、要は二人分の席を独り占めしてるのだ。隣の人に気を使わなくて良いし、何より車窓の景色をのんびり楽しめるのが嬉しい。流れる車窓を見ながら、アタシはニンマリ笑ってしまったのだった。楽しくなりそう……と。
トイレ休憩を挟んで、ランチに入ったお店も立派な処だった。
新鮮な清水の海の幸を美味しく味わわせて下さった。
(…貴志さん…アタシのお弁当、食べてくれてる頃かな…)
旦那さまは無理をしなくても良いと言って下さったのだが我儘を言ってると自覚してる手前、毎日やってる事は疎かにしたくなくて早起きして頑張った。『…「こんな贅沢させてもらってます♡」なんて、写メ送ったら嫌味だよなァ…』と、そんな愚痴まがいな事を考えてしまうくらいには彩りも良く、ホントに美味しかった。
【久能山東照宮】
徳川家康の死後、遺骸は遺命によって久能山に葬られ、元和3年(1617年)には2代将軍・秀忠によって東照社(現・久能山東照宮)の社殿が造営された。家康の遺命は久能山への埋葬および日光山への神社造営だったので、日光山の東照社(現・日光東照宮)もほぼ同時期に造営が開始されている。去年は家康の没後400年に当たり、日光東照宮へのツアーは目白押しだったが、生憎興味ナッシングだったので華麗にスルーして来たが。先々月は上野の東照宮に行ってるし、何だか最近妙にご縁がある気がする。
しつこいようだが、アタシに“権現様”への信仰はない。
人は神格化するまでもなく、一人一人が“大いなる存在”と直接繋がってると感じてるからだ。だから日光東照宮へ行かないのは、何もイヤな思い出があるばかりではない。浪漫を感じなかったのだ。ただ。この久能山に限って言えば。一度機会があったら参拝したいと思っていた。この久能山東照宮に参拝して、駿河湾をクルーズするツアーもあったのだが。アタシは欲張りコースを選んでしまった(笑)。
久能山には江戸時代の籠をイメージしたロープウェイがある。外にも、そして中にも“葵の御紋”がある。アタシはどうしても、昔懐かしいご長寿番組のご老公さまを思い出してしまうけど(笑)。ちなみに。東照宮の神主さんや巫女さんはロープウェイを使わず、麓から千段を超える石段を歩いて登って出勤されてらっしゃるとの事だ(バスの中での石飛さん情報による)。修行の一つかも知れないが、素直に感嘆してしまう。
涼やかな竹林に、しばし心を癒される。博物館があるが興味がないし、何より時間がないので割愛させて頂く(笑)。アタシの目的は東照宮のご社殿と御朱印なので。と言ってもバスの中で石飛さんが『御朱印を頂きたい方は、御朱印帳をお預かりします。』とおっしゃって下さったので、今回は御朱印を授与して頂くために並ぶ列の事を気にせずに参拝を楽しめそうだ。朱色が鮮やかな楼門を潜り、拝殿と本殿を眺める。途中に五重塔跡があった。明治の神仏分離令の犠牲だ。さぞ素晴らしい建築物だったであろうに。まあ、何はともあれ、先ずはご挨拶が筋であろう。お賽銭は五円玉。乱世を生き抜き、天下を平定した偉業を素直に称え、死して後も江戸を、そして日本を守ろうとした遺志を尊く思いながら心静かに合掌した。
そうしたら後は、のんびり拝殿と本殿をしみじみとお見上げする。金箔が鮮やか過ぎて、目映いばかりだ。成り金趣味とでも言おうか(苦笑)。まあ、派手さで言えば、日光には負けるかも知れないが。繊細で華やかな絵や彫刻群を丁寧に拝観させて頂いた。『金の成る木』や家康公の手形はデジカメ撮影だけはしておいた。
背後の御廟は、さすがに静寂に満ちていた。
冴えた凛とした空気さえ感じる。
家康の亡骸は、ここに本当に眠っているのか?
それとも日光なのか?
確かに最初は、ここ久能山に葬られたらしいが。
翌年に日光東照宮に改葬されたとの記録もあるらしい。
ただし、家康の遺骸は久能山にそのままとし、日光には家康の遺命に従って分霊が勧請されたとする見方もあるらしい。結局、真偽の程は定かではない。まさか、遺骸を掘り返す訳にもいかないし(苦笑)。まあ、アタシにしてみれば、どっちにしろ大差ない。家康の御霊は、全国の東照宮に“眠っている”のだ。
無事に御朱印をゲットして。
アタシは久能山を後にしたのだった。
御朱印の列に並んだ後の石飛さんが、即席カメラマンに変身して八面六臂の活躍をしていた事も追記しておこう(笑)。
【日本平ホテル】
モダンでシンプルなデザインの、機能的なホテルのようだ。
正直、外観は、アタシの苦手なタイプだ(苦笑)。
土を左官で塗り重ねた壁と云うのも活かされているかと言うと微妙だ。
しかし、何と言っても。
ここのホテルの売りは、ラウンジに面した大間口。
額縁に描かれたかの様な富士山が見える、大絶景である!!
“風景美術館”とも称される面目躍如である。
「うわァーッ! 綺麗ーーッッ!!!」
部屋に入った途端、思わず上がる大歓声。
富士山と駿河湾と清水港が一望のもとに見渡せる。
最高で抜群のロケーションだ。
こんなツインの部屋を一人占め出来るのだから、何とも贅沢だ(ウットリ)。
長椅子にゆったりと座り、夕景の富士山を心ゆくまで堪能させて頂く。
富士山は冬が一番綺麗に見る事が出来て、春になると春霞が出て綺麗な姿を拝む事は難しいと言う。去年、富士山本宮浅間大社からも綺麗な富士山を拝む事が出来たし、アタシはホントにラッキーだ♪
自宅からも富士山は見えるが。
やはり、あれとこれは別物だ。
珈琲なんぞ淹れてのんびりして。
富士山が闇に沈むその瞬間まで、飽かずその風景を眺めていた。
そして、夕飯に行くその前に。
アタシにはする事がある。
RRRRR……
『はい、もしもし。真唯さん? いかがですか、そちらは?』
「貴志さんがお疲れなのに申し訳ないくらい、綺麗な富士山を拝ませて頂きました。」
『それは良かった。今回のブログの記事も期待出来そうですね。』
「…ただ…」
『はい…? どうされました…?』
「…アタシ…旅行に来て、初めて“寂しい”って云う感覚を味わっちゃいました…」
『……真唯さん……』
「…ホントに、初めてなんです…ランチも美味しかったし、東照宮も富士山もあんなに綺麗だったのに…隣に貴志さんがいないのが、とっても寂しいんです…貴志さんにも食べさせてあげたいなァ…とか、一緒に見られたら、もっと綺麗だと思うのになァ…とか…」
『……真唯さん…どうして貴女はそんなに、私を喜ばせるのがお上手なんでしょうね……』
「…お世辞とかじゃなくて…ホントの事ですよ…?」
『………………………』
「…すみません…折角、気持ち良く送り出して下さったのに、こんな我儘言って…」
『いえ! 決して怒ってる訳ではありません! 我儘だとも思ってません!!
…ただ…嬉しい…そう、単純に、嬉しいんですよ…』
「……貴志さん……」
『だって。日常ばかりでなく、非日常でも、私の存在が不可欠になってるって事でしょう…?』
……今度はアタシが、無言になってしまう番だった……
『お弁当、美味しかったですよ。ご馳走さまでした。いつもありがとうございます。たまにはのんびり、羽根を伸ばして来て下さい。』
「…クセになっちゃったら、どうするんですか…?」
『それこそ、望むところですよ。言ったでしょう? 私はブロガーである【上井真唯】のファンだと…私の希望としては、私に気兼ねなくもっと色んな処へ旅行して、素晴らしい記事を書いて頂きたいんですから…』
「…貴志さん…アタシは、一番の理解者と結婚出来て、ホントに幸せ者です…」
『…真唯さん…あの…夕食の集合時間は大丈夫なのですか?』
「え…あっ…いっけない…っ、…貴志さん、すみません、そろそろ…」
『はい、了解りました。…お電話、ありがとうございました…少し早いですけど、お寝みなさい…良い夢を…』
「…お寝みなさい…それじゃ…」
『はい…それでは。お土産話しを楽しみにしてますよ。』
ふざけたようなリップ音を立てて、通話は切られた。
電話を切る事の出来ない真唯を思いやっての、夫の気遣いだろう。
(…貴志さん…アタシも愛してる…)
スマホにソッと唇で触れて。
アタシはキーとデジカメを持つと、今夜の食事処【富貴庵】に向かった。
今回のツアーは、夕飯を和食かフレンチか選ぶ事が出来た。
アタシは迷わず和食を選択して。天麩羅会席を頂く事になった。
先付に始まって、蒸し物、お造りと続く。
お昼も思ったが、やはり海の幸がとっても美味しい!
天麩羅の盛り合わせも驚く様な量で、お腹一杯になってしまった。
そして、さすが茶どころの本場である。
食後のお茶がとっても美味しかった♪
夕飯が済んだら、ホテル内を散策する。
富士山の写真や風景画のギャラリーは、一見の価値がある。
ラウンジは後で来る事にして。お土産屋さんを覗いた。
やはり品物が充実していて、あれもこれもと悩んでしまった。
富士山は世界遺産だ。それに関連する物が数多い。
貴志さんと岩屋さん。出版社の方たち。君枝さんとSPさんたちの分。トーシローやギルにマッツン、由美センセや、あ、山中さんにもと思ったら、かなりの買い物の量になってしまった。一旦部屋に戻って荷物を整理して、キャリーバッグには詰められるだけ詰め込んだ。
夜のラウンジは雰囲気抜群だ。
富士山は見えなくても、清水市方向の夜景が綺麗に見える。
それを見ながら楽しむカクテル。
独身時代はそれがホントに好きだったのに……一人でいる寂しさを知ってしまった。
向かい側に、あの笑顔がない事が……こんなに空虚だ。
ちょっと前までは、のんびりまったり出来たのに……
アタシはグラスを空にすると、早々に席を立ったのだった。
「…ふゥ…」
お風呂は清潔で気持ち良いし、アメニティーも充実してる。
温泉が出ないのは仕方がないが、富士山が見える大浴場でもあったらもっと良いのにと思う。なまじ、河口湖湖畔の有名ホテルを知ってるだけに、どうしても比べてしまう。
……大浴場で他の人がいれば、この寂しさも少しは紛れたかも知れないのに……
簡単に身体と髪の毛を洗ったら、とっとと眠ってしまおう。
寝る直前。
スマホのアラームを設定する時。
夫の声が聴きたくなったが。
小さな子どものようで、恥ずかしくて我慢した。
……お寝みなさい、貴志さん…夢の中で会えますように……
―――そうして。
日本平の夜は更けて行った―――
「…貴志さんも行ってらっしゃい…お仕事、頑張って下さいね…ホテルに着いたら連絡しますから…」
「…私の事はお気になさらずに…素敵な記事になるように、めいいっぱい楽しんでらして下さい…」
「…ありがとうございます…貴志さんも、ホントに気を付けて…」
いつもは貴志さんを見送るアタシだが。
今日はアタシも見送られる立場だ。
玄関で『行ってらっしゃい』のキスをするのはお約束だが。
こんなに離れ難いのは初めてだ。
何てったって。
貴志さんをお留守番に、アタシが一泊の旅行をするのだから。
※ ※ ※
旅行会社【レグルス・ツーリズム】からは定期的にパンフレットが届くようになっていた。別に会員に登録した訳ではないのに、数回利用しただけですっかりお得意様扱いである。元々パンフレットを眺めるのが大好きなアタシは、頂いたパンフは有り難く拝見拝読させて頂いていた。そのパンフは、よくもこれだけ色々企画するものだと感心するばかりの豪華絢爛さだった。『日本国内の旅』『海外の旅』はもとより、『シリーズウォーク&登山』『歴史の旅』などなど、盛り沢山だった。それぞれを興味深く拝見しながら。一つのパンフレットが、アタシの興味を引いた。
『ひとりの贅沢』と云う、所謂“おひとりさま限定”の旅である。それは一名一室が当然のように、日本国内有数の有名ホテルに泊れるプランである。
……独身時代に見つけたかった……
そう思いながら読み進めてゆくと。
『これは…っ!』と唸らせられるようなプランを見つけてしまったのだ。それは【久能山東照宮】へ行って、【三嶋大社】では正式参拝も出来て。更に、あの“静岡の迎賓館”とも称される【日本平ホテル】に宿泊出来るバスツアーだったのである。『これは美味し過ぎる!!』と思った。ランチもディナーもそれなりの処で頂けるようになっている。確かに良いお値段だが、一人でこのホテルに泊れるとなれば文句は言えない程度である。アタシは懊悩した。激しく悩んだ。幸か不幸か、時間だけならたっぷりある。お金も貴志さんが受け取ってくれないし、使う機会もあんまりないので貯まってゆく一方だ。精々、月に何回か舞台を観に行くくらいで。
貴志さんに相談してみれば案の定『私や家の事は気にせずに、行ってらっしゃい』とのお言葉を頂戴してしまう。後は、アタシの中の折り合いの問題だった。悩んで悩んで。結局は『行きたい!』と云う好奇心に勝てなかった(苦笑)。独身時代に見つけたかったと思ったが、見つけていても無理だっただろう。何故なら、平日出発なのだから。きっとこう云うツアーは、富裕層のオジサマ・オバサマがいらっしゃるのだろう。少々敷居の高さは感じたが、思い切って申し込んでみた。そしたら運良くと言うか何と云うか、催行決定になっていて。あれよあれよと云う間に諸々の手続きが終わり、出発の日を迎えてしまったのだった。
※ ※ ※
後ろ髪を引かれつつ、迎えた旅行の日の朝は見事なまでの晴天だった。
でも晴れてれば富士山が拝めるかと言うと、そうでもないらしい。
(アタシ、“富士山運”は良い方だと思うんだけど。)
そんな事を思いながら、SPさんに新宿駅まで送って頂いた。
キチンとお礼のお辞儀をして、彼らの車を見送って。
さて、と。
と思った集合場所には、見知った顔があった。
「牧野様、お久し振りです。
今回のツアーの添乗員を務めさせて頂きます、石飛です。
いつも弊社をご利用頂きまして、ありがとうございます。」
と。
「わァ、覚えてて下さったんですか! 嬉しいなァ♪」
「牧野様こそ、私の事を覚えていて下さって光栄です。」
「忘れませんよ! 石飛さんの対応が良かったから、バスツアーにハマっちゃったんですもん!!」
「益々、光栄ですね。今回も二日間、よろしくお願い致します。」
深々とお辞儀をされ、慌ててアタシもお辞儀を返した。何か小さな引っ掛かりを感じたが、ソレが何かは理解らなかった。石飛さんは慌ただしく、次々にいらっしゃるお客さんの対応に追われてのんびり話してる暇なんて無かったから。
ソノ正体に気付いたのは、バスに乗ってしばらくしてからだった。
石飛さんは何と言った? 『いつも』と言ったのだ。
確かにアタシは何回か、この旅行会社のツアーを利用している。
それを把握してると云う事は、ひょっとして……バレてる?
考え過ぎかも知れない。予約センターのコンピューターを見れば、利用状況など一目瞭然だろう。今回で三回目になる利用を『いつも』と称しても、無理はないレベルだ。けれども……
「…ま…いっか…♪」
考えたって仕方がない。
バレてるなら、それはそれでと開き直る。もし、それで対応を変えて来るようなら……アタシにも考えがあるんだから。
まあ何はともあれ、折角の旅行を楽しもう。今回は“贅沢”をうたっているだけあって、大型バスに十五名限定でみんなが窓際の席を、要は二人分の席を独り占めしてるのだ。隣の人に気を使わなくて良いし、何より車窓の景色をのんびり楽しめるのが嬉しい。流れる車窓を見ながら、アタシはニンマリ笑ってしまったのだった。楽しくなりそう……と。
トイレ休憩を挟んで、ランチに入ったお店も立派な処だった。
新鮮な清水の海の幸を美味しく味わわせて下さった。
(…貴志さん…アタシのお弁当、食べてくれてる頃かな…)
旦那さまは無理をしなくても良いと言って下さったのだが我儘を言ってると自覚してる手前、毎日やってる事は疎かにしたくなくて早起きして頑張った。『…「こんな贅沢させてもらってます♡」なんて、写メ送ったら嫌味だよなァ…』と、そんな愚痴まがいな事を考えてしまうくらいには彩りも良く、ホントに美味しかった。
【久能山東照宮】
徳川家康の死後、遺骸は遺命によって久能山に葬られ、元和3年(1617年)には2代将軍・秀忠によって東照社(現・久能山東照宮)の社殿が造営された。家康の遺命は久能山への埋葬および日光山への神社造営だったので、日光山の東照社(現・日光東照宮)もほぼ同時期に造営が開始されている。去年は家康の没後400年に当たり、日光東照宮へのツアーは目白押しだったが、生憎興味ナッシングだったので華麗にスルーして来たが。先々月は上野の東照宮に行ってるし、何だか最近妙にご縁がある気がする。
しつこいようだが、アタシに“権現様”への信仰はない。
人は神格化するまでもなく、一人一人が“大いなる存在”と直接繋がってると感じてるからだ。だから日光東照宮へ行かないのは、何もイヤな思い出があるばかりではない。浪漫を感じなかったのだ。ただ。この久能山に限って言えば。一度機会があったら参拝したいと思っていた。この久能山東照宮に参拝して、駿河湾をクルーズするツアーもあったのだが。アタシは欲張りコースを選んでしまった(笑)。
久能山には江戸時代の籠をイメージしたロープウェイがある。外にも、そして中にも“葵の御紋”がある。アタシはどうしても、昔懐かしいご長寿番組のご老公さまを思い出してしまうけど(笑)。ちなみに。東照宮の神主さんや巫女さんはロープウェイを使わず、麓から千段を超える石段を歩いて登って出勤されてらっしゃるとの事だ(バスの中での石飛さん情報による)。修行の一つかも知れないが、素直に感嘆してしまう。
涼やかな竹林に、しばし心を癒される。博物館があるが興味がないし、何より時間がないので割愛させて頂く(笑)。アタシの目的は東照宮のご社殿と御朱印なので。と言ってもバスの中で石飛さんが『御朱印を頂きたい方は、御朱印帳をお預かりします。』とおっしゃって下さったので、今回は御朱印を授与して頂くために並ぶ列の事を気にせずに参拝を楽しめそうだ。朱色が鮮やかな楼門を潜り、拝殿と本殿を眺める。途中に五重塔跡があった。明治の神仏分離令の犠牲だ。さぞ素晴らしい建築物だったであろうに。まあ、何はともあれ、先ずはご挨拶が筋であろう。お賽銭は五円玉。乱世を生き抜き、天下を平定した偉業を素直に称え、死して後も江戸を、そして日本を守ろうとした遺志を尊く思いながら心静かに合掌した。
そうしたら後は、のんびり拝殿と本殿をしみじみとお見上げする。金箔が鮮やか過ぎて、目映いばかりだ。成り金趣味とでも言おうか(苦笑)。まあ、派手さで言えば、日光には負けるかも知れないが。繊細で華やかな絵や彫刻群を丁寧に拝観させて頂いた。『金の成る木』や家康公の手形はデジカメ撮影だけはしておいた。
背後の御廟は、さすがに静寂に満ちていた。
冴えた凛とした空気さえ感じる。
家康の亡骸は、ここに本当に眠っているのか?
それとも日光なのか?
確かに最初は、ここ久能山に葬られたらしいが。
翌年に日光東照宮に改葬されたとの記録もあるらしい。
ただし、家康の遺骸は久能山にそのままとし、日光には家康の遺命に従って分霊が勧請されたとする見方もあるらしい。結局、真偽の程は定かではない。まさか、遺骸を掘り返す訳にもいかないし(苦笑)。まあ、アタシにしてみれば、どっちにしろ大差ない。家康の御霊は、全国の東照宮に“眠っている”のだ。
無事に御朱印をゲットして。
アタシは久能山を後にしたのだった。
御朱印の列に並んだ後の石飛さんが、即席カメラマンに変身して八面六臂の活躍をしていた事も追記しておこう(笑)。
【日本平ホテル】
モダンでシンプルなデザインの、機能的なホテルのようだ。
正直、外観は、アタシの苦手なタイプだ(苦笑)。
土を左官で塗り重ねた壁と云うのも活かされているかと言うと微妙だ。
しかし、何と言っても。
ここのホテルの売りは、ラウンジに面した大間口。
額縁に描かれたかの様な富士山が見える、大絶景である!!
“風景美術館”とも称される面目躍如である。
「うわァーッ! 綺麗ーーッッ!!!」
部屋に入った途端、思わず上がる大歓声。
富士山と駿河湾と清水港が一望のもとに見渡せる。
最高で抜群のロケーションだ。
こんなツインの部屋を一人占め出来るのだから、何とも贅沢だ(ウットリ)。
長椅子にゆったりと座り、夕景の富士山を心ゆくまで堪能させて頂く。
富士山は冬が一番綺麗に見る事が出来て、春になると春霞が出て綺麗な姿を拝む事は難しいと言う。去年、富士山本宮浅間大社からも綺麗な富士山を拝む事が出来たし、アタシはホントにラッキーだ♪
自宅からも富士山は見えるが。
やはり、あれとこれは別物だ。
珈琲なんぞ淹れてのんびりして。
富士山が闇に沈むその瞬間まで、飽かずその風景を眺めていた。
そして、夕飯に行くその前に。
アタシにはする事がある。
RRRRR……
『はい、もしもし。真唯さん? いかがですか、そちらは?』
「貴志さんがお疲れなのに申し訳ないくらい、綺麗な富士山を拝ませて頂きました。」
『それは良かった。今回のブログの記事も期待出来そうですね。』
「…ただ…」
『はい…? どうされました…?』
「…アタシ…旅行に来て、初めて“寂しい”って云う感覚を味わっちゃいました…」
『……真唯さん……』
「…ホントに、初めてなんです…ランチも美味しかったし、東照宮も富士山もあんなに綺麗だったのに…隣に貴志さんがいないのが、とっても寂しいんです…貴志さんにも食べさせてあげたいなァ…とか、一緒に見られたら、もっと綺麗だと思うのになァ…とか…」
『……真唯さん…どうして貴女はそんなに、私を喜ばせるのがお上手なんでしょうね……』
「…お世辞とかじゃなくて…ホントの事ですよ…?」
『………………………』
「…すみません…折角、気持ち良く送り出して下さったのに、こんな我儘言って…」
『いえ! 決して怒ってる訳ではありません! 我儘だとも思ってません!!
…ただ…嬉しい…そう、単純に、嬉しいんですよ…』
「……貴志さん……」
『だって。日常ばかりでなく、非日常でも、私の存在が不可欠になってるって事でしょう…?』
……今度はアタシが、無言になってしまう番だった……
『お弁当、美味しかったですよ。ご馳走さまでした。いつもありがとうございます。たまにはのんびり、羽根を伸ばして来て下さい。』
「…クセになっちゃったら、どうするんですか…?」
『それこそ、望むところですよ。言ったでしょう? 私はブロガーである【上井真唯】のファンだと…私の希望としては、私に気兼ねなくもっと色んな処へ旅行して、素晴らしい記事を書いて頂きたいんですから…』
「…貴志さん…アタシは、一番の理解者と結婚出来て、ホントに幸せ者です…」
『…真唯さん…あの…夕食の集合時間は大丈夫なのですか?』
「え…あっ…いっけない…っ、…貴志さん、すみません、そろそろ…」
『はい、了解りました。…お電話、ありがとうございました…少し早いですけど、お寝みなさい…良い夢を…』
「…お寝みなさい…それじゃ…」
『はい…それでは。お土産話しを楽しみにしてますよ。』
ふざけたようなリップ音を立てて、通話は切られた。
電話を切る事の出来ない真唯を思いやっての、夫の気遣いだろう。
(…貴志さん…アタシも愛してる…)
スマホにソッと唇で触れて。
アタシはキーとデジカメを持つと、今夜の食事処【富貴庵】に向かった。
今回のツアーは、夕飯を和食かフレンチか選ぶ事が出来た。
アタシは迷わず和食を選択して。天麩羅会席を頂く事になった。
先付に始まって、蒸し物、お造りと続く。
お昼も思ったが、やはり海の幸がとっても美味しい!
天麩羅の盛り合わせも驚く様な量で、お腹一杯になってしまった。
そして、さすが茶どころの本場である。
食後のお茶がとっても美味しかった♪
夕飯が済んだら、ホテル内を散策する。
富士山の写真や風景画のギャラリーは、一見の価値がある。
ラウンジは後で来る事にして。お土産屋さんを覗いた。
やはり品物が充実していて、あれもこれもと悩んでしまった。
富士山は世界遺産だ。それに関連する物が数多い。
貴志さんと岩屋さん。出版社の方たち。君枝さんとSPさんたちの分。トーシローやギルにマッツン、由美センセや、あ、山中さんにもと思ったら、かなりの買い物の量になってしまった。一旦部屋に戻って荷物を整理して、キャリーバッグには詰められるだけ詰め込んだ。
夜のラウンジは雰囲気抜群だ。
富士山は見えなくても、清水市方向の夜景が綺麗に見える。
それを見ながら楽しむカクテル。
独身時代はそれがホントに好きだったのに……一人でいる寂しさを知ってしまった。
向かい側に、あの笑顔がない事が……こんなに空虚だ。
ちょっと前までは、のんびりまったり出来たのに……
アタシはグラスを空にすると、早々に席を立ったのだった。
「…ふゥ…」
お風呂は清潔で気持ち良いし、アメニティーも充実してる。
温泉が出ないのは仕方がないが、富士山が見える大浴場でもあったらもっと良いのにと思う。なまじ、河口湖湖畔の有名ホテルを知ってるだけに、どうしても比べてしまう。
……大浴場で他の人がいれば、この寂しさも少しは紛れたかも知れないのに……
簡単に身体と髪の毛を洗ったら、とっとと眠ってしまおう。
寝る直前。
スマホのアラームを設定する時。
夫の声が聴きたくなったが。
小さな子どものようで、恥ずかしくて我慢した。
……お寝みなさい、貴志さん…夢の中で会えますように……
―――そうして。
日本平の夜は更けて行った―――
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【R18】純粋無垢なプリンセスは、婚礼した冷徹と噂される美麗国王に三日三晩の初夜で蕩かされるほど溺愛される
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2人の出会いを描いた作品はこちら
「純粋無垢なプリンセスを野盗から助け出したのは、冷徹と噂される美麗国王でした」https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/443443630
2人の誓約の儀を描いた作品はこちら
「純粋無垢なプリンセスは、冷徹と噂される美麗国王と誓約の儀を結ぶ」
https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/183445041
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