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ラブラブ新婚編
No,216 A・A・F No,6 【明石Side】
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私は、一度、絶望の底に居た事がある。
その暗い暗い場所から、這い上がらせてくれたのは―――
※ ※ ※
牧野秀美さん……上井真唯さんと言う女性が、あんなに深い絶望を背負っておられたなどとは、想像もつかなかった。
私はこれでも【緋龍院警備保障】に引き抜かれる前は、警視庁の婦人警官として身体を鍛え。それどころか、柔道のオリンピック候補にあげられるほどの腕前だったのだ。そんな私の腕を振り解こうと必死に暴れる、普段はか弱い、どこかボウッとしたところのある人の力の意外な強さと、血を吐くような悲鳴と絶叫に呆然となってしまったのだった。
警視庁の柔道のオリンピック候補として、名前があがった時。
有頂天になってしまった。
皆の期待が嬉しかったし、嫉妬や羨望の視線さえ心地良かった。
それが。
仕事中のちょっとした怪我が元で、柔道が出来ない身体になってしまった時。
すべてが終わってしまったのだ。
皆の気の毒そうな表情が居た堪れなかった。
自業自得だと嘲る様な視線の方が心地好いと感じてしまった瞬間。
引退を決意して。
同時に退職をも決めた。
当然のように引き止められた。
柔道が出来ないからと言って、婦人警官を辞める事はないと。
だが。
『元オリンピック候補』と生涯、思われ続けられるのは耐え難かった。
そんな頃。
引き抜きがあったのだ。
……何もかもがどうでも良かったが。
こんな私でも必要としてもらえるならば。
心機一転、まったく新しい職種、職場で頑張ってみようと、少しだけ前向きになれたのだが。
そんな小さな自信は、初仕事で粉々に粉砕されてしまった。
私の初仕事は、緋龍院一族のある家の御令嬢の護衛だった。
受けた訓練通りにやってるはずなのに。
『まったく、気が利かないわね!』
『何なの、その反抗的な態度は!?』
うんざりだ。
蔑んだ眼に。
高飛車な態度に。
護衛を召使いか何かと勘違いしてる、そんな扱いに。
思わず同性の先輩に愚痴ってしまったら、『みんな、そんなものよ。その代わり、高額賃金でしょ。世間知らずのお嬢サマの我儘のお守賃だと思って、我慢するしかないわね。』としか、言って貰えず愕然となってしまった。
……私の人生、結局、こんなものなのか……
自嘲しながらの自棄になっての仕事なんて、上手くいくはずがない。
私は早々に、この御令嬢の護衛から外されてしまったが。
安堵しか感じなかった。
これでここもお払い箱かと思うと、自嘲の笑みしか漏れなかった。
きっと私の運は、オリンピック候補になれた時に、使い切ってしまったのだ。
そんな風に思ってたのに。
私を引き抜いた男性は、別の対象を用意してくれていたが。
対象となる女性の経歴などの資料を渡されると共に言われた一言に凍り付いた。
『彼女は、緋龍院の直系の男性の交際相手だ。』
と。
冗談じゃない。
傍系の御令嬢にだって、あんな態度しか取れなかったのだ。
将来、緋龍院家の本家に関わる事になる筈の人の護衛など、到底無理だと。
でも。
これは、チャンスだと思った。
こんな仕事、自分に向いてない。
職場を放り出される絶好のチャンスだと。
……そう思っていたのに。
牧野秀美さんと言う女性は、良い意味で“普通の人間”だった。
いや、それ以上の女性だったのだ―――
まただ。
思わず笑みが漏れてしまう。
彼女は、困っている人を放ってはおけない性格だったのだ。
普段は、見ているこっちが心配になってしまう程に、ボウーッとしている癖に。
困っている人を嗅ぎ分ける嗅覚は、素晴らしいものがあった。
センサーでも付いてるのではないかと思うほどだ。
そして、親切を受けた人間からの礼に応える笑顔は、目映いほどだった。
そんな人の良い彼女が。
ブログの中では、酷く辛辣だった。
言葉に毒がある訳ではない。
その証拠に、ブログの中で指摘した欠点を改善した店などには、惜しみない賛辞を贈り。
常連となっているのだから。
正体を隠して。
決して驕る事なく。
牧野秀美さんは、平平凡凡と日々を過ごしておられた。
そして、彼女の警護を任された事に、嬉しさや誇りや、感謝さえ感じるようになっていたのだ。
……だから。
帰郷した際の自殺未遂には、かなりの衝撃を受けてしまった……
(…ああ…人間は誰でも、他人には理解らない痛みを抱えているものなんだ…)
と。
人間を見た眼で判断してはいけないと云う事は、この種の仕事の鉄則だが。
精神の奥底にまで刻み込まれるように実感したのは、この瞬間だった。
牧野さんは二十四時間護衛対象だが。
私は徹夜の警護を任された事はない。
あくまで昼の間の警護だ。
いざと云う時には、盾になれるように。
夜はしっかり睡眠をとるように配慮され、自分にも義務づけていたが。
「…私さぁ…」
ホテルの同室の同僚・宮内先輩がベッドの中から声を掛けて来た。
「…恋人が死んじゃった時に…何で、私も連れて行ってくれなかったんだろって、随分恨んだ…」
……ああ、ここにも。
人には言えない痛みを抱えた人がいたのだ。
「…私は…警視庁で、柔道が出来ない身体になってしまった時に…オリンピック候補から外されて…」
スルリと言葉が出た事にも驚いたけど。
「…そっかぁ…みんな、それぞれ辛い想い抱えてんだろうねぇ…瀬尾主任も…きっと、あの緋りゅ…一条専務さえさ…」
「…そうですね…そうかも知れません…」
人の痛みまでも思いやる事が出来る事に驚いた。
そして、『柔道が出来ない身体』になってしまっている事に、それ程の痛みを感じない事に一番驚いた。
※ ※ ※
それから、瞬く間に時が過ぎ去って。
様々な紆余曲折があって、牧野さんが緋龍院さんと結ばれた時は、自分の事のように喜んだが。
牧野さんが名実と共に【上井真唯】さんになって、緋龍院専務までが【上井貴志】になってしまった時。迷わず【緋龍院警備保障】を離職する事を決意した。専務の護衛チーフだった阿部主任、瀬尾主任を始めとする全員が上井夫妻の傍を希望したのには、私は驚く事はなかった。
むしろ、当然だと思った。
人を人間とも思わない人種の人間を、身体を張って、生命さえ掛けて護りたいなどと誰が思うものか。多少、年収が下がろうが何ほどの事だろう。
……だからと言って。
ここまでされると、恐縮する事さえバカらしく思えてくる……
新婚一年目の春に、藤見の宴を催し。
護衛たちの慰労会を開いて下さったのだ。
伝説の【CLUB NPOE】と言う処の【提督閣下】と言う存在の力を借りてまで。
ご主人にさえ内緒で。
奥さまは……真唯さんは、お酌までして下さった。
「…へェ…明石さんは、「明石の御方」って呼ばれてるんですか…素敵なニックネームですね…!」
「…いえ…そんなに良いもんじゃありません…「源氏物語」の中に出てきますでしょう…?」
「はい! 私も好きな女性です!!」
「…私の場合は、この厳つい身体に似合わないから、ふざけて呼ばれてるんですよ…」
「…そうなんですか…? …でも…SPさんって言う凄い職業をこなす事の出来るほど、芯が強いって言う意味なんじゃないですか…?」
……そんな事……初めて、言われた……
「私も、そのニックネームで呼んで良いですか…?」
「…! いえ…っ、…それはさすがに、勘弁して下さい…っ!!」
「ええ…!? …残念だなァ…」
……ウ…ッ、…罪悪感を刺激するから、そんな残念そうな表情は、止めて下さい…っっ!!!
そんな風に、真唯さんは。
護衛のみんな一人一人にお酌して周って、短い会話をして。
目映いばかりの笑顔を見せて行った。
「…上井さんが、溺愛するのも…理解るなぁ…」
ボソリと誰かが漏らした言葉には、激しく同意してしまう。
先輩諸氏のどなたかの眼にキラリと光るものがあったのは……全力で見ない振りをしたが……気持ちは痛いほどに、理解った……
真唯さんが、フランスとイギリスに行く機会があったが。
自分が英語が出来た事を、これ程、幸運に思えた事はなかった。
フランス語はおろか、英語も出来ない宮内先輩と宇佐美先輩に、かなり羨ましがられてしまった。
……そんな理由で。
今回のフランス旅行にも同行を許されたのだが。
腹の底からの“怒り”と云う意識を、初めて自覚したのは。
パリ市内のホテルの室内で、手足を縛られ、床に転がされた主人を見い出した瞬間だった。
(だから、あれ程一緒にお連れ下さいと、お願いしましたのに…っ!!)
向かって来たナイフを軽くかわし、チンピラの鳩尾に思い切り肘鉄を食らわし、ついでに八つ当たり気味に渾身の蹴りをかました。残念無念だ。もっと広い部屋だったら、固い床目掛けて得意の一本背負いを食らわしてやったのに。そして、敵の制圧は諸先輩がたや、同行したバッカス氏の護衛たちに任せて。己の主人に駆け寄り、素早く縛めを解いた。思わず抱き締めたい程の安堵に駆られたが。
それは、旦那さまの役割なのだから、遠慮した。
概要は、予め知らされていた。
真唯さんが受けるであろう扱いの予想も容易についていた。
だが、実際に眼にした衝撃は凄まじかった。
……よくも…っ、…よくも私の真唯さんを、こんな目に…っっ!!!
ついでとばかり、二人ほどに関節技を決めてしまったが、可愛らしい当然の報復だろう。
ご自分の事よりも、ご友人の事ばかり気遣われる真唯さんは、相変わらずで。
気を失ってしまわれた【トーシローさん】が気が付いた時の喜びは一入のようだった。
そして。
いつものように、お二人には見えないように警護をしていた時。
スマホで呼ばれた時は驚いたが。
荷物持ちには、喜んでお手伝いをさせて頂いて。
バッカス氏のバースデーパーティーの後のささやかな打ち上げにも喜んで参加させて頂いた。
気が付いたのだ。
と、言うより。
―――思い出したのだ。
警察官を目指した、そもそもの理由を。
“誰かを守りたい”
そんな純粋な想いであった事を。
それなのに。
たまたま柔道が得意になって、オリンピック候補なんてものになってしまって。
手段が、目的にすり替わってしまったのだ。
絶望なんて、あんなものではなかったのだ。
一番、守りたい人を、真実に守り切れなかった瞬間。
その時こそ。
自分は、後悔と云う深い深い絶望に捕らわれてしまう事だろう。
私を真の絶望の底に叩き込む事が出来るのは、唯、一人。
仕事の遣り甲斐を。
生きている意味を。
教えて下さった、貴女のために。
私は、いつの日にか、この生命を捨てる事さえ厭わないだろう。
……真唯さん……貴女のその輝く様な笑顔を守るために―――
その暗い暗い場所から、這い上がらせてくれたのは―――
※ ※ ※
牧野秀美さん……上井真唯さんと言う女性が、あんなに深い絶望を背負っておられたなどとは、想像もつかなかった。
私はこれでも【緋龍院警備保障】に引き抜かれる前は、警視庁の婦人警官として身体を鍛え。それどころか、柔道のオリンピック候補にあげられるほどの腕前だったのだ。そんな私の腕を振り解こうと必死に暴れる、普段はか弱い、どこかボウッとしたところのある人の力の意外な強さと、血を吐くような悲鳴と絶叫に呆然となってしまったのだった。
警視庁の柔道のオリンピック候補として、名前があがった時。
有頂天になってしまった。
皆の期待が嬉しかったし、嫉妬や羨望の視線さえ心地良かった。
それが。
仕事中のちょっとした怪我が元で、柔道が出来ない身体になってしまった時。
すべてが終わってしまったのだ。
皆の気の毒そうな表情が居た堪れなかった。
自業自得だと嘲る様な視線の方が心地好いと感じてしまった瞬間。
引退を決意して。
同時に退職をも決めた。
当然のように引き止められた。
柔道が出来ないからと言って、婦人警官を辞める事はないと。
だが。
『元オリンピック候補』と生涯、思われ続けられるのは耐え難かった。
そんな頃。
引き抜きがあったのだ。
……何もかもがどうでも良かったが。
こんな私でも必要としてもらえるならば。
心機一転、まったく新しい職種、職場で頑張ってみようと、少しだけ前向きになれたのだが。
そんな小さな自信は、初仕事で粉々に粉砕されてしまった。
私の初仕事は、緋龍院一族のある家の御令嬢の護衛だった。
受けた訓練通りにやってるはずなのに。
『まったく、気が利かないわね!』
『何なの、その反抗的な態度は!?』
うんざりだ。
蔑んだ眼に。
高飛車な態度に。
護衛を召使いか何かと勘違いしてる、そんな扱いに。
思わず同性の先輩に愚痴ってしまったら、『みんな、そんなものよ。その代わり、高額賃金でしょ。世間知らずのお嬢サマの我儘のお守賃だと思って、我慢するしかないわね。』としか、言って貰えず愕然となってしまった。
……私の人生、結局、こんなものなのか……
自嘲しながらの自棄になっての仕事なんて、上手くいくはずがない。
私は早々に、この御令嬢の護衛から外されてしまったが。
安堵しか感じなかった。
これでここもお払い箱かと思うと、自嘲の笑みしか漏れなかった。
きっと私の運は、オリンピック候補になれた時に、使い切ってしまったのだ。
そんな風に思ってたのに。
私を引き抜いた男性は、別の対象を用意してくれていたが。
対象となる女性の経歴などの資料を渡されると共に言われた一言に凍り付いた。
『彼女は、緋龍院の直系の男性の交際相手だ。』
と。
冗談じゃない。
傍系の御令嬢にだって、あんな態度しか取れなかったのだ。
将来、緋龍院家の本家に関わる事になる筈の人の護衛など、到底無理だと。
でも。
これは、チャンスだと思った。
こんな仕事、自分に向いてない。
職場を放り出される絶好のチャンスだと。
……そう思っていたのに。
牧野秀美さんと言う女性は、良い意味で“普通の人間”だった。
いや、それ以上の女性だったのだ―――
まただ。
思わず笑みが漏れてしまう。
彼女は、困っている人を放ってはおけない性格だったのだ。
普段は、見ているこっちが心配になってしまう程に、ボウーッとしている癖に。
困っている人を嗅ぎ分ける嗅覚は、素晴らしいものがあった。
センサーでも付いてるのではないかと思うほどだ。
そして、親切を受けた人間からの礼に応える笑顔は、目映いほどだった。
そんな人の良い彼女が。
ブログの中では、酷く辛辣だった。
言葉に毒がある訳ではない。
その証拠に、ブログの中で指摘した欠点を改善した店などには、惜しみない賛辞を贈り。
常連となっているのだから。
正体を隠して。
決して驕る事なく。
牧野秀美さんは、平平凡凡と日々を過ごしておられた。
そして、彼女の警護を任された事に、嬉しさや誇りや、感謝さえ感じるようになっていたのだ。
……だから。
帰郷した際の自殺未遂には、かなりの衝撃を受けてしまった……
(…ああ…人間は誰でも、他人には理解らない痛みを抱えているものなんだ…)
と。
人間を見た眼で判断してはいけないと云う事は、この種の仕事の鉄則だが。
精神の奥底にまで刻み込まれるように実感したのは、この瞬間だった。
牧野さんは二十四時間護衛対象だが。
私は徹夜の警護を任された事はない。
あくまで昼の間の警護だ。
いざと云う時には、盾になれるように。
夜はしっかり睡眠をとるように配慮され、自分にも義務づけていたが。
「…私さぁ…」
ホテルの同室の同僚・宮内先輩がベッドの中から声を掛けて来た。
「…恋人が死んじゃった時に…何で、私も連れて行ってくれなかったんだろって、随分恨んだ…」
……ああ、ここにも。
人には言えない痛みを抱えた人がいたのだ。
「…私は…警視庁で、柔道が出来ない身体になってしまった時に…オリンピック候補から外されて…」
スルリと言葉が出た事にも驚いたけど。
「…そっかぁ…みんな、それぞれ辛い想い抱えてんだろうねぇ…瀬尾主任も…きっと、あの緋りゅ…一条専務さえさ…」
「…そうですね…そうかも知れません…」
人の痛みまでも思いやる事が出来る事に驚いた。
そして、『柔道が出来ない身体』になってしまっている事に、それ程の痛みを感じない事に一番驚いた。
※ ※ ※
それから、瞬く間に時が過ぎ去って。
様々な紆余曲折があって、牧野さんが緋龍院さんと結ばれた時は、自分の事のように喜んだが。
牧野さんが名実と共に【上井真唯】さんになって、緋龍院専務までが【上井貴志】になってしまった時。迷わず【緋龍院警備保障】を離職する事を決意した。専務の護衛チーフだった阿部主任、瀬尾主任を始めとする全員が上井夫妻の傍を希望したのには、私は驚く事はなかった。
むしろ、当然だと思った。
人を人間とも思わない人種の人間を、身体を張って、生命さえ掛けて護りたいなどと誰が思うものか。多少、年収が下がろうが何ほどの事だろう。
……だからと言って。
ここまでされると、恐縮する事さえバカらしく思えてくる……
新婚一年目の春に、藤見の宴を催し。
護衛たちの慰労会を開いて下さったのだ。
伝説の【CLUB NPOE】と言う処の【提督閣下】と言う存在の力を借りてまで。
ご主人にさえ内緒で。
奥さまは……真唯さんは、お酌までして下さった。
「…へェ…明石さんは、「明石の御方」って呼ばれてるんですか…素敵なニックネームですね…!」
「…いえ…そんなに良いもんじゃありません…「源氏物語」の中に出てきますでしょう…?」
「はい! 私も好きな女性です!!」
「…私の場合は、この厳つい身体に似合わないから、ふざけて呼ばれてるんですよ…」
「…そうなんですか…? …でも…SPさんって言う凄い職業をこなす事の出来るほど、芯が強いって言う意味なんじゃないですか…?」
……そんな事……初めて、言われた……
「私も、そのニックネームで呼んで良いですか…?」
「…! いえ…っ、…それはさすがに、勘弁して下さい…っ!!」
「ええ…!? …残念だなァ…」
……ウ…ッ、…罪悪感を刺激するから、そんな残念そうな表情は、止めて下さい…っっ!!!
そんな風に、真唯さんは。
護衛のみんな一人一人にお酌して周って、短い会話をして。
目映いばかりの笑顔を見せて行った。
「…上井さんが、溺愛するのも…理解るなぁ…」
ボソリと誰かが漏らした言葉には、激しく同意してしまう。
先輩諸氏のどなたかの眼にキラリと光るものがあったのは……全力で見ない振りをしたが……気持ちは痛いほどに、理解った……
真唯さんが、フランスとイギリスに行く機会があったが。
自分が英語が出来た事を、これ程、幸運に思えた事はなかった。
フランス語はおろか、英語も出来ない宮内先輩と宇佐美先輩に、かなり羨ましがられてしまった。
……そんな理由で。
今回のフランス旅行にも同行を許されたのだが。
腹の底からの“怒り”と云う意識を、初めて自覚したのは。
パリ市内のホテルの室内で、手足を縛られ、床に転がされた主人を見い出した瞬間だった。
(だから、あれ程一緒にお連れ下さいと、お願いしましたのに…っ!!)
向かって来たナイフを軽くかわし、チンピラの鳩尾に思い切り肘鉄を食らわし、ついでに八つ当たり気味に渾身の蹴りをかました。残念無念だ。もっと広い部屋だったら、固い床目掛けて得意の一本背負いを食らわしてやったのに。そして、敵の制圧は諸先輩がたや、同行したバッカス氏の護衛たちに任せて。己の主人に駆け寄り、素早く縛めを解いた。思わず抱き締めたい程の安堵に駆られたが。
それは、旦那さまの役割なのだから、遠慮した。
概要は、予め知らされていた。
真唯さんが受けるであろう扱いの予想も容易についていた。
だが、実際に眼にした衝撃は凄まじかった。
……よくも…っ、…よくも私の真唯さんを、こんな目に…っっ!!!
ついでとばかり、二人ほどに関節技を決めてしまったが、可愛らしい当然の報復だろう。
ご自分の事よりも、ご友人の事ばかり気遣われる真唯さんは、相変わらずで。
気を失ってしまわれた【トーシローさん】が気が付いた時の喜びは一入のようだった。
そして。
いつものように、お二人には見えないように警護をしていた時。
スマホで呼ばれた時は驚いたが。
荷物持ちには、喜んでお手伝いをさせて頂いて。
バッカス氏のバースデーパーティーの後のささやかな打ち上げにも喜んで参加させて頂いた。
気が付いたのだ。
と、言うより。
―――思い出したのだ。
警察官を目指した、そもそもの理由を。
“誰かを守りたい”
そんな純粋な想いであった事を。
それなのに。
たまたま柔道が得意になって、オリンピック候補なんてものになってしまって。
手段が、目的にすり替わってしまったのだ。
絶望なんて、あんなものではなかったのだ。
一番、守りたい人を、真実に守り切れなかった瞬間。
その時こそ。
自分は、後悔と云う深い深い絶望に捕らわれてしまう事だろう。
私を真の絶望の底に叩き込む事が出来るのは、唯、一人。
仕事の遣り甲斐を。
生きている意味を。
教えて下さった、貴女のために。
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