IMprevu ―予期せぬ出来事―

天野斜己

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ラブラブ新婚編

No,173 貴志さん、歌舞伎座デビュー 昼の部 一幕目

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貴志さんは、歌舞伎が嫌いだ。
もしかしたら、憎しみさえいだいているかも知れない。


当然だ。


産みの母親にあんな事・・・・を言われれば、誰だって嫌いになってしまうだろう。

真唯だって、もし牧野の母親に言われていたら……と想像しかけて、慌ててブンブンと首を左右に振ってしまう。



弱気になったら、駄目だ…っ!
今回で、歌舞伎へのイメージを一新して頂くのだ…っ!!

いざ、鎌倉!

ならぬ。

いざ、歌舞伎座っ!!
なのである。



※ ※ ※



4月15日 ややうす曇り。
(全然関係ないけど、ハッピーバースデー!
 大好きな、レオナルド・ダ・ヴィンチさん!!/笑)


真唯は愛する旦那さまと共に、歌舞伎の殿堂・新歌舞伎座の前に立っていた。
(相も変わらず、後ろのビルが邪魔ではあるけれど/爆)

電車で来たのではない。
帝都ホテルに宿をとり、【キット】をお留守番に置いて来たのだ。そしてそこからテクテクと、日比谷のオフィス街から銀座の街へお散歩デートして来たのである。雨が降ってなくて良かったと心から思う。


真唯は今日は、いつもの真唯ではない。
シックな黒の準フォーマルワンピースを着用し。リボンの付いた薄紅色のファーボレロで“大人カワイイ”を…二連の真珠のネックレスとシンプルな真珠のイヤリングが、華やか過ぎないように年齢とし相応の落ち着きを演出してくれている。おまけにうっすらお化粧もしているのだ! まとう香りは勿論、【IMprevu】である(もし雨が降っていたら、確実に真唯のせいであろう)。
ずっとウォーキングクローゼットの中のこやしになっていた、お出掛けワンピの中から掘り出し…もとい、探し出して来たのである。リザさんの処で購入して貰って以来、袖を通していない“もったいないお化け”が出そうな品々の中から。
お化粧は、リザさんの処で特訓を受けた。いわゆる本当の“ナチュラルメイク”を。後は、佐藤センセの講座の成果を生かし、背筋をピンと伸ばし決して俯かない事である。……すべては貴志さんの隣に立つために……相応しい女性おんなであるために。
……左手の結婚指環マリッジリングと、右手の婚約指環エンゲージリングが真唯に(ガンバレ~♪ 大丈夫! 私たちが見守っているわよ!!)と応援エールを送ってくれているようだ。


それに何と!
今日の貴志さんの出で立ちが、また素敵だ。
真唯がヴァレンタインにプレゼントしたネクタイと、インペリアル・トパーズのタイピンとカフスが似合うスーツを【銀座 田崎】でオーダーメイドで作ってしまわれていらっしゃって。今日と云う晴れの舞台にお召しになって下さったのだ。
これで、テンションが上がらぬ筈がないではないか…っ!


……しかし、その前に。
何はともあれ。


「貴志さん…こっちこっち。先ずは【歌舞伎稲荷】さまにご挨拶しましょ。」
「…あ…はい、理解りました。」
地下の木挽町広場からエスカレーターで上がっていらっしゃる人の波を掻い潜って進めば、歌舞伎座の隅の一角にポツンと建立されたお社には、それでも数人の人が列を作っていて、真唯を喜ばせた。最後尾に並び、その昔パリの本店で購入した、普段は絶対使わないLANCELバッグの中からお財布を取り出し準備する。
……奮発して五千円札である。畳んで畳んで……やがて真唯たちの番になった。


(…歌舞伎のお稲荷様…今日は貴志さんが、過去の幻影トラウマを乗り越えて、純粋に歌舞伎を楽しむ事が出来ますように、お守り下さいませ…っ!!)


……必死に真剣にお祈りしていた真唯を、少しの瞑目だけで終わらせてしまった貴志さんが、優しい眼差しで見つめていてくれた事に……真唯が気付く事はなかった。




錦絵を楽しく眺め、今回の【四月大歌舞伎】のポスターを眺めていれば、贔屓の役者さんの顔も見えてホクホクしてしまうのだが……

「…貴志さん…私の顔を見てないで、ポスターを眺めて下さいマセ。」
「…いや、失礼…男の顔を見るよりも、真唯さんのお顔を見ている方が楽しいので…」
「もう…っ! 今日はその、男性ばかりのお芝居を観に来たんですからね…っ!!」
「…フム…男ばかりの芝居に、何故こんなに人が集まるのか…今日はその謎を解明出来ると良いのですが…」
「…謎を解明して…歌舞伎の魅力にハマって頂ければ嬉しいんですが…」
「…ハマるかどうかは分かりませんが…来た以上は、一日楽しみますよ。」
「…っ! …ええ…それで充分です…っ!!」
アタシは嬉しくなって、貴志さんの腕にしがみ付いてしまった…っ!

……さあ、今日は目一杯、夫婦の……“おふたりさま贅沢”を満喫致しますわよォ…ッ!!


玄関エントランスを入れば、【大間おおま】と呼ばれるホワイエになる。
そこで、今回のパンフを二冊購入する。
……貴志さんに一冊進呈しようとしたら……ムッ…邪魔が入ってしまった…っ! ……貴志さんの面に惹かれて、案内嬢がニコニコと近付いて来るが……そうは問屋が卸さないんですからね…っ!!

「お客様。チケットを拝見させて頂けますか? お席までご案内致します。」
「…ご親切にありがとうございます。ですが、歌舞伎は慣れてるんで結構です。
 …貴志さん、行きましょっ。」
「…失礼…私の妻は歌舞伎通なもので。」


にっこり


「…は、はあ…失礼致しました…」

ぽかんと残念そうにしながらも、顔赤らめてるんじゃないわヨ!!
アタシは、ご機嫌になった貴志さんの腕を引っ張るように、左側のドアに向かい……西側の……あった! この席だっ!!

……桟敷席のドアを開け、カーテンを開け中に入って座ると……そこには正に、“歌舞伎ワールド”と云う夢舞台が広がっていた。



歌舞伎座は、今日も大盛況だ。一階席はどんどん人で埋められて行くし……三階席の“大向こう”さんが今日も健在なのが嬉しくなってしまう。

……手を伸ばせば、花道に届いてしまいそうなこの距離が堪らない。

舞台により近い席を貴志さんに譲ると、にっこりと蕩けそうな微笑みで旦那さまが話し掛けて来た。

「…嬉しいですよ…真唯さんが妬いて下さって…」
「…だってあのひと…あんまりあからさまなんですもん。…近くにはチケットを持ってオロオロしているような、お年寄りの方も沢山いらっしゃったのに…」
「…真唯さんだったら私なんぞには目もくれずに、そのお年寄りの処へ駆け寄って行かれてしまうでしょうね…」
「…男性そのものに、興味がありませんでしたから…私とは比較になりませんよ。」
「…そんな事はありませんよ…私は、そんな優しい真唯さんを愛して、」
「あァ~、すみません、貴志さん…ちょォっと買いたい物が…」
「…お供しますよ…勿論、金は私が払います。…パンフレットは出鼻をくじかれましたが…」
「はい…お言葉に甘えます…」

三階まで上り、売店に並ぶ。お目当ては、歌舞伎座名物スイーツの【めでたい焼き】だ。ぎっしりの餡の中に、紅白二つのお餅が入っている縁起の良い鯛焼きなのである。こう云う物は、焼き上がるのを待ってる間も楽しいものだ。……貴志さんにお金を払ってもらったのは、忸怩たるもがあったのだが。
途中で珈琲を購入し、イヤホンガイドを借りてしまえば、歌舞伎見物バッチコイ!!である(笑)。




「…貴志さん…もう何度もご説明しましたけど…私の説明で、解り難い処はありませんでしたか…?」
「大丈夫ですよ…真唯さんの説明は、とても解り易くて楽しかったです。」
「…そう言って頂けるのは嬉しいんですが…まあ、イヤホンガイドがありますからね…万が一の時は、遠慮しないで聞いて下さいね?」
「ハイハイ…頼りにしてますよ、真唯大先生。」
「…さっきも気になったんですケド…アタシは、別に“通”って訳じゃないんですよ…?」
……鯛焼きをパクつきながら、珈琲を啜る。うん、やっぱり、餡子には珈琲だよね! ……って、貴志さん、にこにこ笑って誤魔化してるし……アタシはホントに下手の横好きなのだ……ホントの“通”って言うのは、三階席に陣取っていらっしゃる方々の事であって……あっ、もう始まる…っ!


……南無三…っ!
……歌舞伎稲荷大明神さまっ、どうぞ御力をお貸し下さい…ッッ!!


そうして、ハラハラドキドキの、貴志さんの初歌舞伎鑑賞の舞台の幕は切って落とされたのだった。



※ ※ ※



一幕目は【毛抜】である。

お家乗っ取りを図る家老玄番が、天井に設えた磁石を使って、お姫様・錦の前の髪を上に吊り上げて病気と偽らせて縁談を反故にしようとするのを、粂寺弾正が見抜いて成敗すると言う奇想天外でユニークな喜劇である。
主人の婚約者のお家騒動を解決し帰って行く話だが、使いにやって来て相手の家の家来である若衆や腰元に言い寄ってしまう、今で言えばバイセクシャルのどーしよーもない助平なオトコの物語でもある(男性同士の恋愛が“衆道”として容認されていた大らかさは好ましく思っている)。

荒事の傑作であるが、成田屋の芝居は貴志さんには観せたくはない。

……と言うか、市川家の人間の芝居だったら、貴志さんはこの歌舞伎の情報をアタシには教えてはくれなかっただろう。今回、夜の部の【京鹿子娘道成寺】の花子を玉三郎丈がると云うので、松竹歌舞伎会に入会していた貴志さんがいち早く情報を入手し、昼の部、夜の部、両方の桟敷席をゲットしてくれたのだから。
主役の粂寺弾正を若手のホープ・片岡愛之助が務め、しかも次に演じられる歌舞伎十八番の内の屈指の名作【勧進帳】の弁慶を松本幸四郎丈が演ると聞いて、真唯は今日の観劇を決心したのだから。
愛之助は異例の大抜擢のためか少し硬さが見られ、風格と助平心が同居しているこの難役をこなすにはまだ若過ぎるように思えるが……これからの成長が楽しみな役者でもある。


……何より。


抑えたような小さなものではあるが、貴志さんが声を出して笑ってくれているのが……とてつもなく嬉しい…っ!!

真唯が右側の席を選んだのには、もう一つ理由がある。
……舞台を観ている、貴志さんの表情を確認したかったのである。

愛之助のつたない演技も気にならない。……貴志さんが、笑ってくれていれば、それで良い。真唯は貴志さんの笑い声と柔らかな表情に安心して、ようやく舞台に集中し出し……いつしか夢中になっていって、気付けば一幕目はアッと云う間にその役目を終えていたのだった。







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