IMprevu ―予期せぬ出来事―

天野斜己

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ラブラブ新婚編

No,162 ホワイトデー・クルージング No,1

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貴志さんが張り切っている。
このところ、ずぅっと、とある場所に通っている。

……【CLUB NPOE】の厨房部との事だ。

日本支部【倶楽部 NPO】を始め、世界中に点在すると云う【CLUB NPOE】に所属する“クラブ”で腕を揮っていらっしゃるパティシエさんに、何やら特訓を受けているらしい。



去年、貴志さんは、それはそれは凄い“ホワイトデー”を演出して下さった。

……恋人時代にアレ・・だったのである。

正式な夫婦となれた現在いま、貴志さんがどんなサプライズを用意してくれているかなんて……正直言って……キョワイ(涙目)。



声を大にして言いたい。

貴志さん。
お願いだから……

少しは、“ほどほど”って言う日本語を覚えて下さい…っ!!



※ ※ ※



―――そうしてやって来た、ホワイトデー当日。

夕べも散々貪られて、起き出す事が出来たのは例によってお昼過ぎ。
貴志さんの用意してくれたブランチをのんびり頂いて。

こんなにのんびりしてるって事は、ホワイトデーのイベントはディナーに限定してくれたのかな?

食後の珈琲を楽しみながら、そんな事を考えていたアタシは……まだまだ、貴志さんに対する認識が甘かったのだ。





「真唯さん。…ちょっとお出掛けしますから、用意して頂けますか?」


……キタッ!!


「…貴志さん…どこのレストランなんですか?
 …当然、ドレスコードがあるんでしょう…?」
……アタシだって、ここ数年で随分学習したのだ…っ


ところが貴志さんは、クスリと微笑って、


「…いえ、ご期待に添えず残念ですが…
 …今回ご招待する処には、ドレスコードはないんですよ。
 …今のままで、普段着で結構ですよ。
 …ただ、少々寒いので、ダウンのロングコートをお願いします。」


そう言われて、真唯は自分の格好を顧みた。

……思えば、アタシも随分オサレを気にするようになってしまった……勿論、しょっちゅう真唯を見つめてくれる旦那さまの眼を気にしての事なのだが……基本的には変わらない。タートルネックのセーターと、Gパンだ。……セーターの色が黒ではなく、マゼンダピンクなのが進歩である……と思いたい。

持参する物に必要な物はないかと聞いたら、何とスマホもお財布も要らないと言う。
「…ただし、デジカメは持っていらした方が良いかも知れませんね。」
とは言われたが。
アタシは考えた末、普段使いのLANCELリュックに、スマホとお財布とデジカメ、ハンカチ、ティッシュケースなどを入れ、インカローズのブレスと貴志さんから貰って大事にしている月長石ムーンストーンのイヤリングをした。……口紅ルージュをひいてしまったのは、せめてもの女心かも知れない。
大事な場面シーンのお洒落の仕上げとして、【IMprevuアンプレヴー】を身にまとったのは、言うまでもない。



「…ああ、綺麗だ…さあ、マダム・真唯、お手をどうぞ。」



旦那さまに手を取られて、トランザム【キット】に乗り込み出発した真唯奥さまなのであったが。



……この時、真唯は、完全に油断してしまっていた。
ドレスコードがない事と、普段着で良いと言われた事に。

……わざわざ寒いと注意された事と、デジカメが必要だと言われてしまった事を……もっと良く考えるべきだったと深く後悔するのは、数時間後の事である。



※ ※ ※



「……きれい……」
「…気に入って頂けましたか…?」
「……はい……」
今、真唯は、洋上にいた。
湘南の海から、夕景に沈む江ノ島と富士山を眺めているのであった。





自宅のお台場のタワーマンションから、すぐの処に、その“施設”はあった。
東京湾内で【CLUB NPOE】が管理すると云う港。

そこで真唯を待っていたのは、どこのセレブの御用達なのかと疑いたくなるような豪華な大型クルーザーだった。
開いた口が塞がらない心地の真唯を乗せ、船は出航してしまう。

船長さんのご挨拶を夢見心地に聞いていた真唯だったが、船が出てしまえば本格的なクルージングなど初めての真唯は大興奮で。
(乗船経験がまったく無かった訳ではない。幼い頃、親戚の漁師の叔父さんに地曳網の小舟に乗せてもらったり、そうでなければ浜離宮への水上バスか屋形船が精々だ。)

普段、家から毎日見ているレインボーブリッジを、下から眺めて見るのは格別の面白さだった。貴志さんがデジカメ持参と言ってくれて、本当に良かった。真唯は夢中でシャッターを切った。

そして湾内を抜け、眼前に広がる太平洋の海に、思わず歓声を上げてしまった。


「…横浜を通過し、湘南の海を目指します。」
ダウンのコートをしっかり着込んだ真唯の後ろから聴こえた貴志さんの声に、この湘南クルージングが、今回の“ホワイトデー・デート”なのだと理解する。


海から見る、横浜みなとみらいの景色も素晴らしかった。
ランドマークタワーと大観覧車の向こうに見える富士山……絶妙のコラボだった。



……しかし、それ以上に、真唯の心を捕えたのは……






最初は、言葉にならなかった。

海の上に浮かぶかのような江ノ島と、裾野までハッキリ見える不二の御山をにした瞬間の感動を、何と言の葉に乗せたら良いのか―――


貴志さんは、絶景ポイントで船を停めるよう指示していてくれたみたいで……真っ青な空に映える富士山が茜色に染まり、夕闇に沈んでしまうまで……真唯をしっかり後ろから抱き締めてくれていた。



……GWの二人での初旅行で、眺めた富士山も格別の趣があった。

……求婚プロポーズを受けた、空から眺めた富士山の姿は一生忘れられないだろう……



だが、しかし。


「……きれい……」
……それしか、言葉にならなかった……

「…気に入って頂けましたか…?」
……抱き締めてくれる夫の温かさに、涙が出そうになってしまう……

「……はい……」

……涙を堪えているから、それしか言えなかった。
それ以上口を開いたら、夫の胸に飛び込んで、泣きじゃくってしまいそうだったから……




そうして。

江ノ島と富士山の御姿が、星空に隠れてしまうまで―――貴志さんは、ただ黙って、真唯を抱き締めてくれていたのだった。






「…貴志さん…今日は、ありがとうございました…こんな素敵なデートプランを考えてて下さったなんて…」
完全に陽が落ちてしまった後、少し早目のディナーだと言って、用意されたご馳走もまた真唯を喜ばせた。
フレンチや会席料理などではなく、例えれば、旅館や民宿のご馳走のようなものだったのである。
巨大な舟盛りのお刺身と、身が締まったプリプリの伊勢海老のお造り、雲丹や、鮑の踊り焼きなど、真唯の好きなエビスビールで頂く新鮮な海の幸は、真唯の舌を大いに楽しませてくれた。
気取らずに食べられる事が、何より嬉しかった。

「…喜んで頂けて嬉しいんですが…これからが本番なのですがね。」
「…え…?」

貴志さんが眼で合図すると、給仕をしていてくれた人が、二人の食べ終えた食器類を全て片付けて、しばらくしてからワゴンを押して入って来た。

そこに在ったのは、食後の珈琲とデザートと…某有名高級宝飾ブランド店の包みだった。

「…真唯さん…今まで、アクセサリーを贈ると引かれると思って、贈れなかったのですが…正式に結婚したのですから、受け取って頂けるでしょう…?」

「…あ…そんな…こんなにして頂けただけで充分なのに…」

「…そんな事をおっしゃらずに…開けてみて下さい。」

「…あ、ありがとうございます…それじゃ…」

……どんな高級なダイヤモンドか何かが出て来るのかと、怖々開けてみたそれは……意外なほどにシンプルな、月長石ムーンストーンのネックレスだった。


「…わっ…素敵…っ!!」

「…それなら、普段遣い出来るでしょう…?」

「はい! Gパンにもあいそうで嬉しいです! ありがとうございます!!」

気に入ったなのなら今すぐ付けさせて欲しいと言われて、素直にそれを夫に渡した。……しかし貴志さんの台詞には、続きがあったのだ……真唯の背後に周り、それを首にかけてくれながら囁く。


「…女性が男性にネクタイをプレゼントするのは、“貴方に首ったけ”と云う意味があるのは有名ですが…逆に男性が女性にネックレスをプレゼントする意味をご存じですか…?」

「…いえ…何か、特別な意味があるんですか?」

「…“束縛したい”…“自分のモノ”…そう示すために贈るんですよ…」

「……っ!!」

耳元で囁かれる魅惑の低音ヴァリトンエロボイスは、破壊力抜群で……今すぐ身を任せたくなってしまう………。……っ! だ、だめ、ダメッ!! クルーの皆さんがいらっしゃるんだから…っ!!


「…た、貴志さん、ありがとうございました…っ、…あ、あのっ、…デザート、美味しそうですね…っ、…貴志さんが作って下さった、ホワイトデーのプレゼントなんですね! …頂きましょう! ね…?」

「…忘れていました…貴女のお口に合えば良いのですが…」

慌てて方向転換した話題に、旦那さまが乗って来てくれてホッとする。

……落ち着いて見てみれば、それはマカロンだった。
茶色の物が二つと、緑色、オレンジ色の物が一つずつ。

……マカロンなんて……素人には、簡単に手作り出来る物じゃないのに……


「【CLUB NPOE】の、澤木様の舌を満足させているパティシエから及第点を貰った物です。……ショコラとカフェ・オ・レ、抹茶にマンゴー味です。
……どうぞ、召し上がってみて下さい。」

「…はい、ありがとうございます! …でも、何か食べるの勿体ないな…」

一つ手に取って、ジッと眺めてみる。
思い切って口に入れて……思わず顔が綻ぶ。
……皮がサクッとして、それでいてしっとりしていて……中のチョコレートクリームと相まって、口の中で蕩ける感じが堪らない……

とても甘くて、美味しくて……珈琲のお供に最適だ。
珈琲には必ずミルクを入れるアタシが、ブラックのまま飲めてしまう。

淡雪のようなソレは、次々とアタシの口の中に消えてゆき……豪勢なお食事を頂いてお腹一杯のはずのアタシの胃に、スンナリおさまってしまった。……デザートは別腹って言うケド……愛する旦那さまが、アタシの為に作ってくれた物だと云う事が大きいと思う……

珈琲までキッチリ味わって、アタシは合掌して、貴志さんに感謝の気持ちを伝える。


「ご馳走様でした! とっても、美味しかったです♪
 貴志さん、明日からでも、パティシエさんに転職出来ますよ!!」


「お粗末さまでした。
 …私は既に、真唯さん専用のパティシエに就任しておりますので。」
「…そう言えば、去年作って頂いた【メイズ・オブ・オナー】も、とても美味しかったし…」
「…覚えていて頂けましたか…」
「忘れるはずがありませんよ! 貴志さんが、初めて作って下さったお菓子なんですからっ!!」
「…貴女のためにね…」


……ヤバイ。
……雰囲気が、またまた妖しくなって来たゾッ!


面舵いっぱいっ!!

話題の方向転換だっ!!!



アタシは、わざとらしくも視線を窓の方に向ける。

真っ暗な空と海。
星が綺麗に瞬いていて……左右を見回して見ても、陸地の夜景が見えない。




「…貴志さん…もう大分、時間が経ちますけど…東京湾には、何時頃帰港予定なんですか?」

「ああ、今日は帰宅しません。」

「…はい…?」


「このクルーザーは、伊勢湾に向かっています。
 大阪、高知、日向・宮崎を経て、最終目的地は沖縄です。
 …ホワイトデーのクルージング、楽しんで下さいね。」





……な…っ、…何ですと…っっ!!??







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