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本編
No,150 真唯と貴志さんの、それから
しおりを挟む―――数年後―――
「いらっしゃいませ。…おや…これは、珍しいお客様だ。お一人ですか?」
「いいえ。待ち合わせです。」
「…でしたら、奥のボックス席も空いておりますが…」
「…ううん。今日は、カウンターで飲みたい気分なの。
…いつもの“おまかせ”お願いします。」
「畏まりました。」
……しばらくしてコトリと置かれたのは、綺麗なオレンジ色のショートカクテル。
「【ゴールデン・デイズ】です。」
「……黄金の日々……」
「…現在の真唯さんに…そして、今日と云う日に相応しいかと…お誕生日、おめでとうございます。」
「…ありがとう…瀬下さん。…頂きます。」
「どうぞ、ごゆっくり。」
口元にグラスを近付けると、ピーチの香りが鼻腔を擽る
「…ン…とても、美味しいです。」
「ありがとうございます。」
ピーチの甘味をジンが引き締めている……爽やかな甘さを、真唯はゆっくりと味わった。
※ ※ ※
……貴志さんは、現在、凄く忙しい。
あんなに嫌がっていたのに、どう云う心境の変化か知らないけれど、「アイ’s_Books」の社長に舞い戻ってしまわれたのだ。
『一条を説得してくれたのか!? ありがとう、真唯さんっ!!』
岩屋さんにそう言われたから、岩屋さんの執拗な説得に屈した訳ではないようだけれど(ま、切っ掛けには、心当たりがあるんだけどね/苦笑)。
ちなみに。
社長に戻ったからには、“一条”と呼ぶにはいかなくなって、仕方なく【上井】姓で呼ぶようになったのだけれど、最初は凄く言いにくそうだった(アタシの事は、“真唯さん”になった)。
社名も、“ケーアイ”に変更すべきかって云う案も出たんだけれど、「創業理念を忘れないために」との貴志さんの鶴の一声で、そのままになっていた。
『…偉そうな事を言いましたけど、岩屋がずっと守って来てくれた会社なんですよ? …あいつは何も言いませんが、社名に愛着もあるはずです。それを私の都合で、勝手に変更出来ませんよ。』
そう苦笑いしていた貴志さんは、すごくらしいと思ったけれど……
とにかく、出版社で働き始めたのだけれど、彼がまるで水を得た魚のようになってしまったのには、驚かされた。
過去には建設会社に勤務していて全然畑違いなんじゃないかって、少し心配もしていたのだけれど……そんな心配、まったくのアタシの杞憂だった。
……流石はその昔、「アイ’s_Books」を創立して発展に大いに寄与していたんだって、素人目にも理解る手腕で……新人発掘にまで乗り出したのには、『戻って来てくれたのは良いけど、俺の仕事がなくなっちまう』って、あの【岩ちゃん】を苦笑いさせるほどの八面六臂の活躍振りだった。
そして必要になったのは、貴志さんのスケジュールを管理してくれる人。貴志さんが『女でなければ、誰でも良い』って、岩屋さんに一任したらしいけれど。その岩屋さんがどう口説いたんだか、あの山中さんをスカウトしてきたのには、開いた口が塞がらなかった。
貴志さんも、紹介された新しい秘書さんを見た瞬間はビックリしたらしいけど……『ウチは、あの会社ほど給料は出してやれんぞ』って言ったら、『構いません。金額より、遣り甲斐を優先したいし…下につくボスが上井さんなら、これ以上の事はありません』って言ってくれたって聞いた時は、アタシは胸が熱くなってしまったものだった。
事実、緋龍院建設は、着実に斜陽化しているらしい。国内での業績不振はもとより、海外での取引が格段に減ったらしい。
貴志さんが辞めて、僅か一年後に赤字転落した時はアタシも驚いたけど……『澤木様を怒らせるからだ』って云う貴志さんの低い呟きは、聞かなかった振りをした。
元・お兄さんだけが、貴志さんを建設会社に戻す事に拘って……ストーカーになりかかった時には、流石に警察にお世話になった。世間体を考慮して、すぐに示談に持ち込まれたけれど。元・お母様が乗り込んで来た時は、アタシは一歩も引かなかった。良い好機だと思ったのだ。多感な年頃に、精神に傷を付けられた貴志さんが、あまりに可哀想だったから……何か一言だけでもぶつけてやりたいと思っての事だっだけれど……まあ、話が通じない人種と云うものを初めて見る機会を貰って、良い社会勉強にはなったけど……
貴志さんは、忙しいんですからね!
いつまでも、あんたたちの相手をしてる暇なんてないんですからっ!!
ただそうなってくると、心配になるのは身体の事。スーパーゼネコンの専務さんだった時ほどじゃないけれど、忙しい身の上になってしまった貴志さんを支えたいと思うのは、妻としては当然の事で……すっかり親しくなってしまった君枝さんをクビにするのは心苦しいけれど、貴志さんの三食を作りたいとの考えは、当の貴志さんの猛反対を受けた。
『私はブロガーである、【上井 真唯】さんの一番のファンなんですよ? その真唯さんの活動のお邪魔をするぐらいでしたら、社長業など明日にでもキッパリ辞めて来ます。』
と。
……そう……アタシは、ブログ【強引g 真唯道】を続けていた。
一時はSPさんたちの事を考えて、外出は控えようかと思っていたのだが……大好きな舞踊家の公演に出掛けたり、花が咲く時期には神社仏閣へ参拝に行きたくなる衝動を抑える事は難しかったのだ。
『…それでこそ、私の好きになった真唯さんですよ…』
貴志さんはそう慰めてくれたけれど、やっぱり凹んだ。
……自分の身勝手さに……
でも、そんなアタシを諭してくれたのは、通称【提督閣下】と呼ばれる、澤木さんの腹心の方だった。あの方のお陰で、アタシは自分らしさを取り戻す事が出来たのだ。……感謝しても、し切れない……
だから、考え方を変えた。君枝さんの仕事を奪う事なく、それでいてブロガーとしての“アタシ”でも出来る事……そうして考え付いたのが、相も変わらず“愛妻弁当”ってトコロが聊か情けない気がするけれど……貴志さんがスゴク喜んでくれたので、まあ良しとする。
どんなに遅くなっても、『ただいま』のキスをしてくれて、『お昼のお弁当、今日も美味しかったですよ♡』って空のランチボックスを見せられると、(明日も、がんばろう♪)って思えるから、愛の力って凄いとホントに思う。
『真唯さんの弁当を食べている時の社長の表情を、一度ご覧に入れたいですよ。百年の恋も冷めますよ。』って、山中さんに言われた事があるけれど……どんなにニヤついていても、嫌いになる事なんかないと思う。ただ……愛しさが増すだけだ。
……でも実は、仕事中の貴志さんの表情には、大いに興味があった。
昔よく、緋龍院建設の女子職員に嫉妬したものだ。さすがに、あのスーパーゼネコンに就職は無理だろうけれど、「アイ’s_Books」なら大丈夫じゃないかと思って……ある出版社を買収した業務拡大の折りに一般事務員を募集していた時、思い切って応募してみた事があったのだ。
……書類審査で見事に落とされたけど……
……思えば、“お帰りなさいのキス”が出来なかったのは、あの日くらいなものだ。
凄い勢いで帰って来たかと思うと、送った履歴書を叩きつけられたのだ。
『何て事するんですか! 私を業務不能に陥らせるお心算ですかっ!?』って。
売り言葉に買い言葉で『そんな心算ありません! アタシこれでも、十年間も営業事務して来たんですよ? 年齢だってギリギリセーフじゃありませんか!?』怒鳴ったら、『そんな問題じゃありません!! 私の愛する妻である事が、大問題なんですっ!!』怒鳴り返されて。『何ですか、ソレ!?』
『貴女が受付に座ろうものなら、私は傍に居続けて、来る客みんなを威嚇します!! 一般事務になっても、やはり傍にいてアレコレ世話をしてしまいます!
どっちにしろ、仕事になんかなりませんっ!!』
大真面目に怒鳴られて……目が点になってしまった。
落ち着いて来て、抱き締められて……
『…仕事に私情を挟むんですか…?』上目遣いに尋ねたら、『…貴女に限って言えば…挟みまくりです。』ドきっぱりと答えられて、二の句が告げられなくなってしまったのだった。
『…真唯さん…すみません…“ただいまのキス”がまだなんですけど…』唇を寄せて来た貴志さんに、『…不当な理由で、書類審査を落とされた罰です…今日は、キスはなし!』拒んだら、『…真唯さん…そんな…っ!?』大いに落胆させてしまったけれど……
アタシだって、悔しかったのだ。
折角のチャンスを潰されて。
―――それに。
何もかもが順風満帆だったって訳じゃない。
実はただの一度だけ、離婚の危機があったのだ。
ま、ちょっと、特殊な事情だったのだけれど。
あの時はリザさんや澤木さんを始め、色んな人たちに心配をされて、迷惑を掛けてしまった。
あんなのは、もう二度と、ごめんだけど―――
スマホに着信があって、画面を見て……苦笑いが浮かぶ。
「…すみません、マスター。…ちょっと…」
「はい。どうぞ、ごゆっくり。」
バー【Corrente】のドアを開けて外に出ると、アタシは通話を始めた。
「もしもし。お母さん、どうしたの?」
『まあ、何言ってるの、この子は!
今日は誕生日じゃないの! 秀美、おめでとう!!』
「…ありがとう…お父さん、元気?」
『ええ、すっかり元気よ! 仕事、仕事で張り切ってるわ!!』
「…折角、治ったんだから、身体大事にしてあげてね…」
『…ありがとう…秀美がそう言ってたって言ったら、絶対あの人喜ぶわ!!』
「…お母さんも、身体大事にしてね…今日は…
…産んでくれて、ありがとうございます。」
『…秀美…っ!』
ピッ!
通話を切ったアタシは、すぐさまマナーモードにした。案の定、母親から何回もコールがあったけど……もう出ない。……とりあえず、今日のところは。
……牧野の家とは、和解した。
……アタシにしてみれば、“奇跡”とも言える出来事だ
一年間、飲み続けてくれた、あの水の効果は劇的だった。癌細胞がどんどんと死滅して行き……元来、丈夫だった父親は、みるみる健康を取り戻した。しかし、それよりも……アタシが内緒で結婚して、おまけに分籍したのが、相当ショックだったらしい。
貴志さんの説得に応じて再会した瞬間、ガバリと土下座させられた時は流石に驚いたけど。
『…すまん…! …すまなかった、秀美…! …い、いや…上井さん! 許してくれ! この通りだっ!!』
無言でいると、一緒にいた母親も、横に並んで土下座をした。
『…上井さん…許して下さい。 …私たちは、こうして頭を下げる事しか出来ない…でも…こうして、謝罪の機会を与えられただけでも感謝してるわ…』
……“お父さん”とも、“お母さん”とも……“牧野さん”とも呼べなくて……ただただ、呆然としてしまった。
……そうして、話してくれた。
貴志さんに、自分たちの犯して来た“罪”を突き付けられた事。
償いようがないけれど……せめて、一言詫びが言いたいと……それが生きる原動力になった事。
“生きる”事が、最大の償いになると……そう思いつめて、ひたすらに“あの水”を飲み続けた事。
『…孫を抱く事も出来ない…それが、わしたちに下された“罰”だと思ってる。 …甘んじて受けよう…そして、こうして、謝る機会も与えてもらえた…もう、いい…もう、充分だ…これから死ぬまで、上井さんに詫び続ける。 …その事のためだけに、この再びの生を使わせてもらう…許してくれなくてもいい…上井さん…旦那さんと、いつまでも元気でな…』
……ボロボロと涙を流す、かつてアタシをあれほど苦しめた“頑固親父”は、見る影もなかった。
そうして、自分たちの気が済むまで謝罪した二人は、去って行こうとした。
……その自己完結している姿に、アタシはキレたのだ。
『…何よ…っ、…言いたい事だけ言って終わりにしないでよ…っ!
…お父さんとお母さんに、もっと、誉めて欲しかった…っ!
…無条件で、“アタシ”を肯定して欲しかった…っ!
…もっと、可愛いがって欲しかった…っ!!
…それだけなのよ…っ!!!』
……気付けば抱き合って、三人で泣いていた……
……優しい、優しい……愛する旦那さまに見守られながら……
※ ※ ※
「…う~ん、二杯目は何にしようかなァ~~…」
……真っ赤な瞳をして戻って来たアタシを見ても、瀬下さんは何も言わなかった。
―――今日は、三十とン回目の、アタシの誕生日。
―――【太陽の祭り】だ。
―――あの“アタシ至上主義”の夫が、何か企んでないはずがない―――
それが証拠にこの後は、帝都ホテルのメインダイニングのフレンチレストランにディナーの予約をしてある。待ち合わせだけなら、ロビーラウンジで充分だろうと言ったら、却下されて。
この【コレンティエ】を指定されたのだ。
……果たして、あの夫は、どんなサプライズを用意してくれているのやら……
「…すみません、二杯目は…」
……オーダーしようとしたアタシの横から、何度聞いても聴き惚れる美声が響いて来た。
「一人で楽しんでいるところを失礼、美しいマダム。
…一杯、おごらせて頂けませんか?」
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