Catch hold of your Love

天野斜己

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No,3 めまい

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三連休の中日。
あたしは、丸の内に来ていた。



※ ※ ※



ホントは今日、お見合いだったのだ。
節子伯母さまイチオシの男性ひと、霞が関のお役人さまと。
けれども、突然の省庁からの呼び出しを受け、休日出勤を余儀なくされたのだ。
節子伯母は大層残念がって、今日がダメなら明日にでもと言い募ったのだが、先方の彼側から『今回の案件は長引くかも知れないから、また日を改めてお願いします。』と言われたのだそうだ。それは残念そうな声で。だから、やむなく伯母も諦めたのだ。

お見合い場所は帝都ホテルのラウンジだったのだが、一人で行っても仕方がない。
だから、去年から見たいと思っていた美術展に来てみたのだ。
スペインの国宝クラスの絵画は、歴代のスペイン王たちが収集した至宝だけあって、どれもこれもが素晴らしかった。エル・グレコやベラスケスを始めとする画家たちの傑作が放つ輝きは、ひと時あたしの心を潤し癒してくれた。これでもっと人が少なかったらなァ……とは、誰しもが思っている内心のボヤキであろう(苦笑)。美術鑑賞の後のお楽しみは、ミュージアムショップでのショッピングだ。学芸員さんの解説入りの図録と数点のオリジナルグッズを購入して、満足したあたしはお茶をする事にした。


この美術館は、旧・帝都ホテルの設計者がデザインした建物を復元した物だ。赤レンガがシックで、内装がとてもシャレている。普段は友達と来る様な場所だが、今日はお見合いに臨む戦闘気分だったので、おひとりサマを気取ってみたのだ。美術館内のミュージアムカフェで、会期中期間限定の特別メニューを迷わず注文した。

大航海時代、アステカ王国のものだったカカオはスペインに持ち帰られ。スペイン王室に愛されるチョコラーテとなったそうだ。
その濃厚で芳醇な味わいを存分に味わわせてくれる、世界でひとつだけのオリジナルデザート。ガナッシュとフランボワーズが隠し味になっていて、爽やかな酸味が口の中で広がれば、思わずあたしの顔も綻ぶ。朝子さんの淹れてくれた珈琲を恋しく思いながら、カフェの珈琲で我慢した(失礼!/笑)。

外は良い天気だ。
あの雪の夜が幻だったのではないかと思いたくなる程に。


……でも。

(…あの時の雪の冷たさも、あの涙も幻なんかじゃない…)

こんな時は、どこか遠い処へ行ってみたくなる。
お正月休みに彼氏と温泉に行ってのんびりして来たと云う陽子は、お土産のお饅頭をくれて。スマホで撮った北の地の雪景色を見せて、楽しそうにお土産話を披露してくれた。

そうだ京都、行こう。
なんて言うのはジョーダンだけど(笑)。
独身の内に、海外へも行っておきたいナ。
あたしは学生時代、短期留学したアメリカしか行った事がない。本当の観光目的で、もう一回くらい海外に行ってみたい。二、三日あれば、香港か台湾や東南アジアくらいなら行けるかも知れない。早速スマホで検索してみれば、色んなツアーが目白押しだった。ゼロ泊の弾丸ツアーだったら、ヨーロッパだって行ける。まあ、そんなのはお金を積まれても、こっちから願い下げだけど(苦笑)。



……なんて、ニヤついてたのがイケナかったのか。


イヤな方にお会いしてしまった。



※ ※ ※



「いや、こんな休日に君に会えるなんて、ワシはついてるな。」
ワハハハと笑う男性を前に、あたしは自分のツキの無さを嘆いていた、内心で。

ここまで来たのだから、足を伸ばして銀座にでも出てショッピングでもして帰ろうとして、カフェを出てブラブラと歩いていたのがいけなかった。ただのナンパなら問答無用でノーサンキューだが、相手が悪かった。大通りを歩いていたら、黒いベンツがあたしの近くに横付けされて。後部座席に座ってらっしゃったのは、あの・・天下のスーパーゼネコン・緋龍院建設の金沢専務執行役員だったのである。
何を隠そう、営業部の樋口課長の勧誘が五月蠅いのは、このヒトのせいでもあるのだ。
あたしの能力を買ってくれているのなら、あたしも文句なんか言わない。
だが。
このヒトは、陰で『エロカネ』と呼ばれる程のスケベ親父なのである。
女性秘書とデキていたと云う噂もある。
今日は男性秘書さんを運転手に使っていたが。
とにかく、馴れ馴れしいボディタッチが多いのだ。
それも、いつも手の動きがイヤらしく感じるのは、あたしだけではあるまい。
舐める様なジットリとした視線も不快だ。
お茶でもどうかと誘われて、スイーツを食べたばかりだと笑顔で断ったら夕飯に誘われてしまった。断り切れないじゃないか、チクショウ。ご機嫌でお高いフレンチをご馳走して下さりそうのを全力で回避して、無難なお店にしてもらえたのは良かったが、そのまま流れるように帝都ホテルのスカイラウンジに連れ込まれてしまった。こんな事なら、お茶だけお付き合いしてさっさと帰れば良かったと後悔しても、後の祭りのアフターフェスティバルである。こんな雰囲気の良い素敵なトコロ、どうせ来るなら望月部長と来たかったヨ。本当なら、ここの一階のロビーラウンジで、塩顔イケメンとお見合いしてるはずだったのに……トホホ(涙)。


「いや~、休日出勤など面倒なだけだと思っていたが、その帰りに服部君に会えるとは本当にワシはラッキーだったよ。」
「…休日出勤なんて、お忙しいのですね…やはり大会社の重役の方は大変ですね…」
……だから、早く帰って休めよ…もう年なんだから。
「だから、ワシの様な年寄りは癒しが必要なんだよ。
 …君の様な若いと交流をはかるとかね。」
……いや、それ絶対に違うから…って、ナニ手なんか触って来るんだ、ジジィ…ッ。
「…若い子の肌はスベスベだね…もう酔ってるのかな…顔が赤いよ…?」
……酔ってるのは、手前ェだろう、エロジジィ…ッ、…顔が赤いのは、怒りからじゃ…っ!

都会の夜景が一望に見渡せて、ムーディーなキャンドルが雰囲気を盛り上げているが……相手が残念過ぎて、ため息しか出て来ない……って、早く手を離さんか、ジジィ…ッ、……ちょ…っ、……ナニやってんだ…っ!?

「…こうやって、キミの細くて綺麗な指で、ワシのモノを擦ってもらえたら…さぞかし、気持ちが良いだろうねぇ…」
……よりにもよってこのエロジジィは、あたしの指を掌で擦り始めたのだ……シコシコと……コレって明らかにセクハラですよね……嗚呼……『いいカゲンにしろ、変態ジジィッ!!』って罵倒して、席を立てたらどんなに良いだろう……思わず遠い目になってしまう。
「…フフ…キミも期待しとるのかね…?」
……何なんだ、この勘違いジジィは……オカーサン、こいつ、殴って良いですか…?
「…安心したまえ…部屋は既に抑えてあるから…」
一体、いつの間に…って、最初っからそんな心算だったんかい…ッッ!!??
のこのこ付いて来ちゃって、あたしのバカァァーーッッッ!!!
「…スイートが取れなくて、デラックスになってしまったのは勘弁しておくれ…その代わり、ひと晩楽しませてあげるからね…」

……あんまりな展開に、眩暈を感じる……

「…ああ、心配は要らないよ…ひと晩限りなんて、そんな薄情な事は言わない…ワシの愛人として、ちゃんとお手当を、」
「あ、あの…!!」
さすがに黙ってられなくて、思わず席を立ってしまったが……どーすべ…!?
「どうしたのかね?」
「…す、すみません…っ、…お化粧室に行って来ます…っ!!」
「…ああ、行っておいで…やっぱり女の子だねぇ…でも、あんまり年寄りを焦らせないでおくれよ…?」

『年寄りを自覚してるなら、こんなしょーもないコト、すんな…っっ!!!』
そう叫びたい衝動を必死で押し殺し、あたしは乾いた笑みを張り付けて、ラウンジの外の化粧室に避難する事にした。そうだ、あたしには時間が必要だ。どーすればこの助平ジジィから逃れられるのか、考える時間が。
が、しかし。
そんな思考を読み取った様に、エロカネはとんでもない一言を投げ掛けて来た。

「…もし、万が一、逃げる様な事をしたら…樋口君が関わってるJVの現場がどうなるか…責任は持てなくなるよ…?」

それは、あたしを凍りつかせるに充分な一言だった。
『JV』とは『ジョイント・ベンチャー』の略称で、複数のゼネコンで一件の建設工事を受注、施工する事を目的としている事業組織形態の事だ。って、何よ、ソレ…ッ、…立派な脅迫じゃない…っ!!




化粧室の鏡の中のあたしは、酷い表情かおをしていた。
何よ…っ、…あたしが逃げたら、樋口課長に何するって言うのよ…っ!!
樋口課長のために…会社のために、あたしに身体を差し出せって言うの…っ!?
……やだ…ホントに、眩暈がしてきた……

……逃げよう…っ!!
会社のためなんて、時代錯誤もいいとこだ…っ!!
いざとなったら、専門相談室に駆け込もう…っっ!!!

鏡の中の自分を睨み付けて、気合を入れて。
お化粧室の隣にあるクロークに預けてあるコートを取って、逃げ出そうと決心して出口を出た途端……頭ん中が真っ白になった。 ……まるで、あたしを待ち構える様に、金沢専務の男性秘書が立っていたのだ。

……どこまで用意周到なのだろう…もう、ダメだ……


「…ああ…誤解させてしまっているようですね…大丈夫です、今すぐお逃げ下さい。」


……へ……?


「…あの…あたしを、待ってたんじゃないんですか…?」
「お待ちしていたましたよ…さあ、早く…っ」
腕を引かれるまま、クロークからコートを受け取って、秘書さんが呼んでおいてくれたエレベーターを待つ。 ……って、良いんですか…あたしを逃がしちゃって…?
「…後の事は、私がどうとでも誤魔化しますから、どうぞお気になさらずに…」
「…あの…ウチの樋口は大丈夫なんでしょうか…JVの中で、マズい事になったりしませんか…?」
言った瞬間、秘書さんの表情が酷く苦々しそうに歪んだ。
「…そんな事まで言い出したんですか…末期だな…大丈夫です、お約束しますよ…おたくの樋口課長には、何にもさせません。」
「……良かった……」

チン♪

軽やかな音が鳴って、ホールにエレベーターが到着した。
数人の人が降りるのを待って、あたしは中に押し込まれた。
「…服部さん…うちの専務が、大変失礼致しました…どうか、お許し下さい…」
「…! そんな…っ、…顔を上げて下さい! あたしの方こそ…っ!!」
エレベーターの扉が閉まり切るまで、秘書さんが深くお辞儀をして、顔を上げる事は遂になかった。

「……助かった……」

エロカネの魔の手から無事に逃げる事が出来たあたしは、エレベーターの壁に背中を押し当てて、グッタリとなってしまったのだった。

「…そう言えば、助けてもらったお礼もちゃんと言えなかったな…あの人、何て名前だったっけ…確か…やま…山…だめだ、思い出せない…」

(…あの男性ひと…あたしの名前、知ってた…秘書って凄いな…どのくらいの関係者の顔と名前が、頭の中に入ってるんだろ…)なんて、呑気に考えていたあたしは、間違いなく現実逃避していたのだろう。

チン♪

軽やかな音が再び鳴って。
気付けば、エレベーターは一階に到着していた。
フウッとため息を吐いて。
一歩を踏み出したあたしは。

目の端に、数基離れた処で今まさにエレベーターに乗り込む瞬間の、男女の姿を捉えてしまった。



※ ※ ※



「…も、ヤダ…今日は、何の厄日なのよ…」
もう歩く気力もなかったので、あたしは帝都ホテルの前からタクシーに乗って帰宅する事にした。数万の出費は痛いが、冬のボーナスも残ってるから、自分を甘やかしてあげる事にした。

思わず駆け寄って確認してしまったエレベーターの表示ランプは、十六階を示していた。
あたしが連れ込まれた最上階ラウンジのすぐ下の階。
スイートルームフロアーだ。

あの二人は、今夜はここで過ごすのだ。
……望月部長と、あの婚約者さんは……


流れる車窓をボンヤリと眺めてると。
実際に窓に映る銀座の夜景とは別に、見た事のない部長の甘い表情ばかりが浮かんでは消えてゆく。



……部長はどんな表情かおで、あの美しい女性ひとを抱くのだろう……


ズキズキと痛む胸。
襲って来るひどい眩暈。


哀しくて。
寂しくて。
情けなくて。

辛過ぎて。





―――……もう、涙も出て来ない……―――






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