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第一譚 

一話 孤高の戦士!

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 おはよう世界――――。

 二千三十年六月某日

 「見知った天井だ……」

 一度でいいから「知らない天井だ……」から始まる主人公になってみたい。いいや冗談だ忘れてくれ世界よ。某アニメのような突如現れた神の使いと戦えとか荷が重すぎるし、守りたい物も友人も恋人も場所も僕には皆無なんだ。

 そんな志が低いやつを主人公にしたら、我先に逃げ出すよ? 真っ先に保身に走りだすからね? 頼むよ世界、僕は自分を守護るまもる孤高の戦士なんだ。自分というお姫様を守護るので精一杯なのだよ。

 さあ、妄想はこれくらいにして学校へ行こう。僕はこう見えて、今を輝く高校二年生なんだ。学校という本分を忘れてはいけない。時計はすでに登校時間だ急ごう。

 築三十年のアパートお惚けおとぼけ荘の階段を駆け下りる。一階では顔見知りの未亡人の妙齢な女性、毒島ぶすじまさんが、玄関の外に設置されている洗濯機を回しているところだった。だが毒島さんは、洗濯機に両手を付き顔がうつむき何やら思いつめているように見える。
 
 「おはようございます」僕は慣例的に挨拶をした。孤高の戦士たるもの周りの人間関係に軋轢を生まないようにするのもまた、平穏な孤高ライフの一環である。

 「……あ、おはようございます」毒島さんは、はっと我に返り僕に挨拶をした。洗濯機の音で気づかなかったのだろうか? 

 毒島さんは、少しよれた半袖Tシャツにスウェット生地のホットパンツというなんともそそ……いやそうじゃなく、Tシャツの袖から出る艶めかしい腕に何やら痣のようなものが見えたような……少し気を取られていると毒島さんの部屋の中から、「朝っぱらからうっせぇーんだよ!!」と罵声が飛んできた。

 慌てて毒島さんは、洗濯機の電源ボタンを押し、ゆっくりと洗濯機が止まった。

 毒島さんは、僕を見やる、その眼は黒目が淀み震えているようだった。次の瞬間には「助けて」と言われるのではないかと思い、軽く会釈をし走って逃げた。

 無理無理無理無理、事件の臭いしかしない。一介の高校生が、どうにかできませんよ。でも毒島さんの腕の痣は真新しく黒紫色に変色し、痛々しいものだった。

 あんなに堂々と腕を出していたってこは……気づいてほしかったのか? いやいや大丈夫、大丈夫だ、その意思があるなら僕じゃなくてもほかの住人がきっと気づいてくれるはずだ。忘れよう、僕は今日も普通の孤高の高校生を演じていればいい、大丈夫、独りでも大丈夫だ。

 一日の始まりは良くなかったけど、学校に着けば友人の一人もいない僕にとって、毎日が消化試合みたいなものさ。

 適度に授業を受け、小休憩は昼寝をし、そのまま授業まで持ち越して寝るのもいい。まあただ移動授業の時は、教えてほしいものだが……隣の席の顔見知りにお願いしておこう。僕は孤高ではあるが他人とのコミュニケーションなんて簡単にできるし、簡易的な会話であれば、ニヒルでチャーミングな笑顔で対応もできる。

 その為か僕はクラスの連中の顔も名前も覚えていない。区別できるように教室の右端からABCとアルファベットで覚えるようにはしているけどね。

 午前の授業も終わり、昼休みのチャイムが鳴り響く。蟻の子を散らしたように席についていた生徒たちが散らばっていく。

 さあここで、僕の孤高ライフのライフハックの一つを紹介しよう。独り飯を優雅に過ごせる広々空間、体育館裏だ! 学園ものであれば男女の告白ステージになりがちなこの場所だが、我が校の体育館裏はめちゃくちゃ陰気臭い場所として有名なのだ。日差しや風通しが壊滅的に悪く、年がら年中黴臭いわ苔だらけで物好きしか訪れない。

 この角を曲がれば僕の憩いの場だ。角を曲がろうとした時、体全体に衝撃が走った。視界では捉えられなかったが、自分の胸元辺りにバスケットボール台の鉛球を受けたような衝撃だ、僕は前からの突然の衝撃に耐えられず、狼狽後方に尻から倒れ込んだ。

 あまりに突然の出来事に困惑したが、どうやら人が勢いよくぶつかってきたようだ、しかも本校指定のブラウスにベストを着用した女の子。彼女は僕の胸元に蹲るようにして一緒に倒れたようだ、側から見れば抱きつかれた勢いで倒れたように見えなくはない。

 彼女は、勢いよく起き上がると、僕の顔に一瞥くれて血相をかいて逃げていった。僕は文句の一つも言えずその場に座り込んでいた。実は彼女の事を僕は知っている、この学園内でも数少ない顔を認識している一人、油女ころもあぶらめころもという少女。走っていった彼女を見遣る、ルーズに一房下の方で結んだ栗色の髪を何度も跳ね上げ走っている。

 僕は起きあがろうとしたが、油女ころもが走ってきた体育館裏から、数人の砂利をするような足跡が聞こえ、角から三人の制服を着た少女が出てきた。この三人のうち二人は知っている人間だ、顔も名前も覚えているわけではないが、僕のクラスのHとIだ。この二人は俗に言うカースト上位種、男子に媚を売り、女子には抑圧的な態度を取る横暴な奴ら。

 それらの一人Hが僕を見下しながら訊く「あんたさぁ、さっきの女どこ行ったか知らない?」と訊ねてきた、おいおい僕は媚を売るはずの男子だぜ? そんな態度でいいのかい? と心の中では反抗的に答えるが実際は「あ、いやごめん、ぶつかってきたけど、どこに行ったかわかん……」

 「あっそ」

 Hは何も期待していないかのように言い、尻もちをついたままの僕の脇をわざと砂埃を立てるように蹴り足を混ぜながら通り過ぎていった。

 背後から「あはっ『ねいや』だって、どこのおのぼりさんだよっ」と舌ったらずな声が聞こえた、Hの取り巻きだろう。コンビニの袋に入っていたおにぎりやサンドイッチが散乱しているのを眺め、足音が通り過ぎるのを待つ——「僕は都会育ちだ!!」





 長い一日の終わりを告げるチャイムが鳴る。

 朝から情緒を乱されるわ昼には男子としての尊厳を足蹴にされて、後の授業は何も頭に入らなかった……帰ろう、さっさと。
 
 校門を出ると、帰宅部の奴らでごった返していた。今日はとことんそう言う日らしい、校門を出た道の歩道は狭く、交通量も多い為この集団を追い越すには数百メートル離れた交差点まで、我慢するしかない。男子生徒の集団に数メートルの距離を保ち歩く。

 「そう言えば、ニュース見たかよ? また幸楽商店街の辺りで行方不明者が出たってよ」
  
 「は? まじ? またかよ、一体何人目だ?」

 男子生徒の集団の中から巷で話題になっている連続失踪事件についての話しが聞こえてきた。幸楽商店街を中心に少なくとも八人の行方不明者がいると、ニュースで見たのを覚えている。

 幸楽商店街はかつて遊郭やお茶屋で賑わう色町だったのを改修して飲食店や八百屋といった一般的な商店街へと形を変えたものらしい。だけど、今では店は一つもやっていないシャッター街となっている。
 
 被害者の四人は、幸楽商店街の中に消えていく姿を目撃されており、商店街の中をくまなく捜索したらしいけど、髪の毛一本も見つからないときた。そして三ヶ月近くたった今でも行方不明者は一人も見つかっていない。

 「まぁ、俺たちには関係ねぇよな」

 「間違いねぇ」

 同じ区内で起きている事件だと言うのに危機感薄すぎるのではないか? これだから交友関係が多い人間は他責思考すぎて困る、注意散漫で事故を起こして他人のせいにする典型だな。

 ようやく交差点まで来たようだ。集団はそのまま交差点を直進し、僕は遠回りになるけど集団から離れるように右折した。やっと人がいなくなったか、一般的な他人とのパーソナルスペースは一.二メートルから三.五メートルが普通らしいけど、全ての人間が他人の僕は五メートル以上は遠ざけたいね。
 
 おや? 見覚えのある栗色の髪……見紛うはずがない、つい数時間前に見たばかりの後ろ姿が道すがら前方に確認できた。油女ころも……一人か、こちらの道は彼女の通学路らしい。

 彼女は、僕が顔や名前を認識する数少ない人間、それには理由がある。彼女もまた孤高だったからだ。

 彼女は生徒会役員として邁進していたのだが、その有り余る正義感を振り翳し、クラス内の風紀を乱すものに対して正しさを強制するきらいがあった。僕も当時は睡眠学習を邪魔されて疎ましく思っていたけど、それはクラス全員が思っていたこと、そのことが災いしてか油女ころもは孤立していった。

 だけど自責の念が強い彼女はそれも意に介さず、役目を全うしようと奮起し、より他者を強制しようと躍起になり孤立は加速するのだが、あの時の彼女を僕は美しいと思っていたのは間違いない。他を顧みず孤独になろうと孤高を志す姿に歓喜していたのだ。

 それも今では空前の灯火。彼女は体育館裏で会ったHとI、カースト上位種に目をつけられ虐めへと発展し、今ではクラスの大半が彼女に無視や嫌がらせをしている。さっきも体育館裏でHとI達に虐められていたのだろう。

 次第に、油女ころもの瞳からは生気が無くなっていくのを僕はずっと見てきたのだ、現に今も生気を感じない眼差しで、僕を見ている……僕を見ている? 

 意識を視線に集中する。西陽を背景に油女ころもはがらんとした黒瞳で僕を見つめている、それは今朝アパートで見た住人、毒島さんと重なる。

 油女ころもは、声を発さず口をぱくぱく動かし僕に何か訴えているようだ。何だ? 何だよ?? 声は聞こえない、十メートル離れているにしても何も聞こえない。その表情は暗く暗く沈んでいく、まるで真っ暗な深海に引き摺り込まれるのではと錯覚するほどだ。

 怖い。

 心臓が早鐘を打つ。

 しかし彼女は視線を逸らした。僕は安心すると、あろうことか彼女は歩道を飛び出し道路の真ん中へフラフラと肩を揺らし歩き出したのだ、二車線道路の真ん中辺りで止まり、向かい側に視線を送っている。その先には大きなアーチ看板が目に入る、看板には掠れて半分は読めないけど、後半部分に商店街の文字が見える。

 って! あいつ何道路の真ん中で突っ立ってるんだ? ……まさか、自殺?

 「オイッ! ……あ、油女さん! 危ないよ!」

 呼ぶが全く反応がない。アーチ看板を見つめているだけだ。

 すると西陽の方角から猛スピードで、トラックが接近してくるではないか、やばい、いやさすがに運転手が気づくか、でもここは傾斜がある、もしかすると角度的に……ダメだ全くスピードが落ちていない。くそっ!

 「油女さんっ!!」彼女に声をかけながら全速で走る。間に合うか!? 

 あいも変わらず彼女は空虚なままだ。

 車との距離的に確実に間に合わない、このままだと僕諸共ひかれてしまう……世界から音が消え、視界はスローモションになる。

 何で僕はこんなことしてるんだ? 何故、話したことも無い女の為に自分の命を投げ出そうとしてるんだ? 今まで他者を遠ざけてきた僕が人助けなんて馬鹿げてるよ、ああもうふざけんなよ、僕の前で死のうとするなよ、今まで助けなかったあてつけか? ふん、いいさ! 良かったな僕が助けてやるよ! だから僕が死んだら三百六十五日墓参りに来て懺悔しやがれクソッタレーーーーーーーーーー!!!!

 僕は油女ころもを突き飛ばすように飛び込んだ。車の甲高いブレーキ音が耳を刺す。僕は目を瞑る、生まれ変わったらもっと上手く人付き合いできる人間になって天使のような女の子をはべらかせますように————。

 


interlude————。





 
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