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去年のリッチな夜でした
その44
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『それ』は今、二人の目の前に立っていた。
そうとしか表現のしようも無く、形容のしようの無い『もの』が、薬師寺と鬼塚の眼前に立っていたのだった。
それまでとは異なる警戒を露わにした両者の前で、『異形』と化した『鴆』は冷厳たる眼差しを遣す。
「何だ? 何を狼狽えている? 自分で勝手に覗き見ておいて恐れ慄くとは失礼な奴らだな」
頬を一度引き攣らせてから、鬼塚が呻くように言葉を搾り出す。
「化物め……!」
侮蔑を浴びて、『鴆』は視線に軽蔑を乗せた。
「いいや、これこそが『人間』の姿、『人間』に相応しい真の姿だ」
次いで、『異形』と化した『鴆』は、原型を唯一保っている顔に峻険たる表情を浮かべた。
「閉ざされた環境の中で熾烈な生存競争に勝ち残り、『地球』と言う巨大な『蟲毒の壺』の頂点に座した唯一の生物。生物界の頂に立ちながら、同じ種の中で今尚飽くなき闘争を繰り広げている我々『人間』こそが、最も強い『毒』を備えるに相応しいとは思わないか? 現に、誰もが暗に認める所だろうが。『人間』こそが万物の霊長に他ならず、あらゆる食物連鎖の最上位に君臨するに足る資質を持った存在なのだと」
言いながら、『鴆』は一歩を踏み出す。巨象の脚にも似た、雨降の腹部を肥大化させたような右脚が、床を小さく揺らした。
「だから、俺は『そう』在ろうと試みて来たのだ。誰とも、何も、何処も変わりはしない。狭い『壺』の中であろうと、広い『世界』の内であろうと同じ事だ。諸々の『毒』の頂に立つのは、やはり『人間』でこそあるべきだ」
そこまで言うと、『鴆』は殊更に威圧するように、強い眼光を黄金色の双眸から溢れ出させた。
「これを『異常』と見做すのならば、『お前達』こそ一体何だ? 自分で自分の有様をどう捉えている? よもや、この期に及んでも尚、自分達が自分達で想像する以上に悍ましい存在であると言う『事実』を認めたくないなどと抜かすのではあるまいな?」
「犯罪者と禅問答をする気は無い」
鬼塚の隣で、白銀の人狼と化した薬師寺が吐き捨てた。
「今この場で何より重要なのは、お前が社会の秩序を乱したと言う『事実』だけだ。法に基づく正義の下に、お前を逮捕する」
『鴆』は、そこで眉根を寄せた。
「全く煩い連中だな。さっきから聞いていれば、『社会』だの、『法律』だの、『正義』だのと偉そうに。一体全体、そんなものが『誰』の、『何』を、『どう』護ってくれる? 『正義』が護れるのは、いつだって自分達が振り翳した『正義』ぐらいなんだよ……!」
苛立ちの過分に篭った言葉の後に、再び変化が起きた。
まるで無秩序に肥大していた『鴆』の肉体が、急激に縮小して行く。輪郭を絶え間無く蠢かせながらも、その体は確実に体積を縮めて行った。
そして、喬木の幹程もあった巨躯は見る見る内に凝縮され、程無く、大柄なアスリート程度の威容に落ち着いたのだった。
それと共に、暗闇の中に瞬く、新たな光沢が生じた。
周囲の微かな光を細かに撥ね返す、それは重厚な鱗の放つ輝きであった。
「あれは……!」
暗がりに浮かび上る大まかなその姿に、鬼塚は見覚えがあった。系統としては爬虫類に属する『それ』は、同時に陸上に於ける最大最強の有毒生物でもある。
人間にとっても恐るべき脅威となる頂点捕食者、即ち……
「……コモド、ドラゴン……!」
息を呑んだ鬼塚の前方で、『異形』を収斂させた『鴆』は、猛然と床を蹴って突進した。実際の蜥蜴と同じく、大地を舐めるように身を低くして床を這い進んだ『鴆』は、文字通り瞬く間に二人の目の前まで距離を詰めたのだった。
「……むうッ!!」
薬師寺が反射的に身構えた直後、その喉元を狙って鋭い貫手が繰り出される。
人狼の右手が蜥蜴の左手を掴んで致命の一撃を防いですぐ、間髪を入れずに『鴆』は薬師寺の顔面目掛けて拳を打ち込んだ。
もう片方の掌でそれを寸前で受け止め、薬師寺と『鴆』、即ち白銀の人狼と鈍色の爬虫人は、互いに息も掛からんばかりの間合いで睨み合う。
「……成程、満更伊達でもないようだな、その姿」
先端の二つに分かれた舌を口先から覗かせ、大蜥蜴と化した『鴆』は落ち着き払った口調で評した。
一方、向かい立つ薬師寺は、長く伸びた吻から食い縛った牙を晒しつつ、どうにか相手の攻撃を抑え続けていた。
そこへ、銃声が立て続けに上がった。
『鴆』の背後に回った鬼塚が、銃を構えたまま緊迫した表情を湛えている。
銃口から、うっすらと硝煙が立ち昇っていた。
撃ち出された弾丸はいずれも過たず、標的の脚部や脇腹に命中した筈であった。
然るに、その事実を傲然と塗り潰すように、闇の中に立つ鈍色の爬虫人はたじろぐ素振りすら見せず、白銀の人狼と平然と力比べを続行した。
「……肉の『厚み』が違うって事かよ……」
擦れた声で、鬼塚は呟いた。
一対の『獣人』が放つ気迫は、潮が満ちて行くように闇の中で刻々と膨張する。
だが、その内に、徐々にではあるが、コモドオオトカゲの姿を前面に押し出した『鴆』の膂力が、薬師寺のそれを上回り始めたのであった。
「そらそら、このままでは直に背骨が砕けるぞ」
相手を仰け反らせながら、『鴆』が面白そうに言い放った。同じ黄金色の瞳を闇に輝かせて、鈍色の爬虫人は白銀の人狼を確実に追い込んで行く。
「舐めるなよ……!」
その時、低く唸った薬師寺は、矢庭に背筋を大きく反らすと、力の流れに逆らわず、負荷の掛かるまま相手を背後に投げ飛ばしたのであった。
空中に弧を描き、鈍色の爬虫人の体躯は束の間宙を舞った末、床へと勢い良く叩き付けられる。
闇の中で、大量の粉塵が舞った。
そこへ透かさず、体勢を戻した薬師寺が躍り掛かる。床に片膝を付いて身を起こそうとしている最中の鈍色の爬虫人へ向け、白銀の人狼の鋭い爪が容赦無く突き立てられる。
然るにその間際、前触れも無く横薙ぎに襲い掛かった猛々しい風が、薬師寺の腹部にめり込んだのだった。
闇を裂き、唸りを上げて現れたのは、鋼線を縒り合わせて作られたような、強靭にしてしなやかな尻尾であった。
鈍色の爬虫人が横様に振るった尾の一撃を強かに打ち込まれて、白銀の人狼は反対方向へ一直線に吹き飛ばされ、そのまま壁に叩き付けられる。
そこへ、むっくりと身を起こした『鴆』が、死に掛けの獲物へ貪り付く禿鷹さながらに襲い掛かった。
どうにか身を起こそうと藻掻く白銀の人狼の瞳に、顎を広げて躍り掛かる鈍色の爬虫人の姿が映り込む。
下腹に響く轟音が、階を揺らした。
寸前で身を翻した薬師寺のすぐ隣を、一個の砲弾と化した『鴆』が凶風を撒き散らして通り過ぎる。そのまま勢い壁に激突した『鴆』は、乾いた紙粘土でも打ち砕くかのように、建物の外壁を安々と粉砕して除けたのだった。
それまで暗がりが満たすばかりだった密室に、俄かに西日が差し込んだ。
大きく傾いた日輪は、林立する建物の屋根に今にも触れんばかりであり、降り注ぐ光は随分と赤味を帯びたものへ変わっていた。
そんな斜陽の光を背にして、『それ』はゆっくりと膝を起こした。
細長い舌をちろちろと口外に出しながら、鈍色の爬虫人は、向かい立つ白銀の人狼へ値踏みするような眼差しを送り付ける。
肩を激しく上下させる『狼』の前に今、もう一人の『絶対強者』が立ちはだかっていたのであった。
そうとしか表現のしようも無く、形容のしようの無い『もの』が、薬師寺と鬼塚の眼前に立っていたのだった。
それまでとは異なる警戒を露わにした両者の前で、『異形』と化した『鴆』は冷厳たる眼差しを遣す。
「何だ? 何を狼狽えている? 自分で勝手に覗き見ておいて恐れ慄くとは失礼な奴らだな」
頬を一度引き攣らせてから、鬼塚が呻くように言葉を搾り出す。
「化物め……!」
侮蔑を浴びて、『鴆』は視線に軽蔑を乗せた。
「いいや、これこそが『人間』の姿、『人間』に相応しい真の姿だ」
次いで、『異形』と化した『鴆』は、原型を唯一保っている顔に峻険たる表情を浮かべた。
「閉ざされた環境の中で熾烈な生存競争に勝ち残り、『地球』と言う巨大な『蟲毒の壺』の頂点に座した唯一の生物。生物界の頂に立ちながら、同じ種の中で今尚飽くなき闘争を繰り広げている我々『人間』こそが、最も強い『毒』を備えるに相応しいとは思わないか? 現に、誰もが暗に認める所だろうが。『人間』こそが万物の霊長に他ならず、あらゆる食物連鎖の最上位に君臨するに足る資質を持った存在なのだと」
言いながら、『鴆』は一歩を踏み出す。巨象の脚にも似た、雨降の腹部を肥大化させたような右脚が、床を小さく揺らした。
「だから、俺は『そう』在ろうと試みて来たのだ。誰とも、何も、何処も変わりはしない。狭い『壺』の中であろうと、広い『世界』の内であろうと同じ事だ。諸々の『毒』の頂に立つのは、やはり『人間』でこそあるべきだ」
そこまで言うと、『鴆』は殊更に威圧するように、強い眼光を黄金色の双眸から溢れ出させた。
「これを『異常』と見做すのならば、『お前達』こそ一体何だ? 自分で自分の有様をどう捉えている? よもや、この期に及んでも尚、自分達が自分達で想像する以上に悍ましい存在であると言う『事実』を認めたくないなどと抜かすのではあるまいな?」
「犯罪者と禅問答をする気は無い」
鬼塚の隣で、白銀の人狼と化した薬師寺が吐き捨てた。
「今この場で何より重要なのは、お前が社会の秩序を乱したと言う『事実』だけだ。法に基づく正義の下に、お前を逮捕する」
『鴆』は、そこで眉根を寄せた。
「全く煩い連中だな。さっきから聞いていれば、『社会』だの、『法律』だの、『正義』だのと偉そうに。一体全体、そんなものが『誰』の、『何』を、『どう』護ってくれる? 『正義』が護れるのは、いつだって自分達が振り翳した『正義』ぐらいなんだよ……!」
苛立ちの過分に篭った言葉の後に、再び変化が起きた。
まるで無秩序に肥大していた『鴆』の肉体が、急激に縮小して行く。輪郭を絶え間無く蠢かせながらも、その体は確実に体積を縮めて行った。
そして、喬木の幹程もあった巨躯は見る見る内に凝縮され、程無く、大柄なアスリート程度の威容に落ち着いたのだった。
それと共に、暗闇の中に瞬く、新たな光沢が生じた。
周囲の微かな光を細かに撥ね返す、それは重厚な鱗の放つ輝きであった。
「あれは……!」
暗がりに浮かび上る大まかなその姿に、鬼塚は見覚えがあった。系統としては爬虫類に属する『それ』は、同時に陸上に於ける最大最強の有毒生物でもある。
人間にとっても恐るべき脅威となる頂点捕食者、即ち……
「……コモド、ドラゴン……!」
息を呑んだ鬼塚の前方で、『異形』を収斂させた『鴆』は、猛然と床を蹴って突進した。実際の蜥蜴と同じく、大地を舐めるように身を低くして床を這い進んだ『鴆』は、文字通り瞬く間に二人の目の前まで距離を詰めたのだった。
「……むうッ!!」
薬師寺が反射的に身構えた直後、その喉元を狙って鋭い貫手が繰り出される。
人狼の右手が蜥蜴の左手を掴んで致命の一撃を防いですぐ、間髪を入れずに『鴆』は薬師寺の顔面目掛けて拳を打ち込んだ。
もう片方の掌でそれを寸前で受け止め、薬師寺と『鴆』、即ち白銀の人狼と鈍色の爬虫人は、互いに息も掛からんばかりの間合いで睨み合う。
「……成程、満更伊達でもないようだな、その姿」
先端の二つに分かれた舌を口先から覗かせ、大蜥蜴と化した『鴆』は落ち着き払った口調で評した。
一方、向かい立つ薬師寺は、長く伸びた吻から食い縛った牙を晒しつつ、どうにか相手の攻撃を抑え続けていた。
そこへ、銃声が立て続けに上がった。
『鴆』の背後に回った鬼塚が、銃を構えたまま緊迫した表情を湛えている。
銃口から、うっすらと硝煙が立ち昇っていた。
撃ち出された弾丸はいずれも過たず、標的の脚部や脇腹に命中した筈であった。
然るに、その事実を傲然と塗り潰すように、闇の中に立つ鈍色の爬虫人はたじろぐ素振りすら見せず、白銀の人狼と平然と力比べを続行した。
「……肉の『厚み』が違うって事かよ……」
擦れた声で、鬼塚は呟いた。
一対の『獣人』が放つ気迫は、潮が満ちて行くように闇の中で刻々と膨張する。
だが、その内に、徐々にではあるが、コモドオオトカゲの姿を前面に押し出した『鴆』の膂力が、薬師寺のそれを上回り始めたのであった。
「そらそら、このままでは直に背骨が砕けるぞ」
相手を仰け反らせながら、『鴆』が面白そうに言い放った。同じ黄金色の瞳を闇に輝かせて、鈍色の爬虫人は白銀の人狼を確実に追い込んで行く。
「舐めるなよ……!」
その時、低く唸った薬師寺は、矢庭に背筋を大きく反らすと、力の流れに逆らわず、負荷の掛かるまま相手を背後に投げ飛ばしたのであった。
空中に弧を描き、鈍色の爬虫人の体躯は束の間宙を舞った末、床へと勢い良く叩き付けられる。
闇の中で、大量の粉塵が舞った。
そこへ透かさず、体勢を戻した薬師寺が躍り掛かる。床に片膝を付いて身を起こそうとしている最中の鈍色の爬虫人へ向け、白銀の人狼の鋭い爪が容赦無く突き立てられる。
然るにその間際、前触れも無く横薙ぎに襲い掛かった猛々しい風が、薬師寺の腹部にめり込んだのだった。
闇を裂き、唸りを上げて現れたのは、鋼線を縒り合わせて作られたような、強靭にしてしなやかな尻尾であった。
鈍色の爬虫人が横様に振るった尾の一撃を強かに打ち込まれて、白銀の人狼は反対方向へ一直線に吹き飛ばされ、そのまま壁に叩き付けられる。
そこへ、むっくりと身を起こした『鴆』が、死に掛けの獲物へ貪り付く禿鷹さながらに襲い掛かった。
どうにか身を起こそうと藻掻く白銀の人狼の瞳に、顎を広げて躍り掛かる鈍色の爬虫人の姿が映り込む。
下腹に響く轟音が、階を揺らした。
寸前で身を翻した薬師寺のすぐ隣を、一個の砲弾と化した『鴆』が凶風を撒き散らして通り過ぎる。そのまま勢い壁に激突した『鴆』は、乾いた紙粘土でも打ち砕くかのように、建物の外壁を安々と粉砕して除けたのだった。
それまで暗がりが満たすばかりだった密室に、俄かに西日が差し込んだ。
大きく傾いた日輪は、林立する建物の屋根に今にも触れんばかりであり、降り注ぐ光は随分と赤味を帯びたものへ変わっていた。
そんな斜陽の光を背にして、『それ』はゆっくりと膝を起こした。
細長い舌をちろちろと口外に出しながら、鈍色の爬虫人は、向かい立つ白銀の人狼へ値踏みするような眼差しを送り付ける。
肩を激しく上下させる『狼』の前に今、もう一人の『絶対強者』が立ちはだかっていたのであった。
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