幻葬奇譚-mein unsterblich Alchimist-

ドブロクスキー

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去年のリッチな夜でした

その39

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 一方、そうした明るさやまばゆさとは無縁の場所で、薬師寺と鬼塚は人知れず奮戦していた。
 明かり窓も設けられていないビルの階段は昼日中であっても薄暗く、踊り場に掲げられた照明は如何にも頼りなかった。
 そこを、共に防毒マスクを装着した二人の男が、早足に昇って行く。
 その時、鬼塚が唐突に叫んだ。
「左上!!」
 その語尾を掻き消すように、くぐもった発砲音が壁に小さく反響した。
 サプレッサー付きの自動式拳銃を両手に構えた薬師寺は、鬼塚の注意から半秒も経たぬ内に銃口を動かすと、鬼塚の頭上近くをっていた『もの』へ射撃を加えたのであった。
 撃ち出された三発の弾丸が、天井から首を伸ばそうとした巨大な百足の頭部を打ち砕いた。
 数秒の間を明けて、階段の途中で足を止めた鬼塚の前に、大人程の背丈もある長大な百足の残骸が降って来る。頭部を失って尚、緩やかに体をくねらせる異形の百足を、鬼塚は防毒マスクの内から忌々しげに見下ろしたのだった。
「毒虫専門の博物館か、ここは……」
「『虫』に限ってくれるなら、逆に親切ってもんじゃないか」
 言いながら、薬師寺は素早く身をひねると、後ろに向けて再び発砲した。
 両者の真後ろ、踊り場の壁に張り付いていた巨大な影の塊が、掲げた頭部を撃ち抜かれて、そのままずるずると壁面をずり落ちて行く。
 黒地に黄色の斑点を浮かばせた、毒々しい体色を持った蛙であった。
「何でもありだな、ったく。有毒生物の見本市じゃねえか」
 遅れて後ろを振り返った鬼塚が、疲れた口調でぼやいた。
 それから、彼は隣で弾倉を交換し始めた相棒へ、細めた目を向ける。
「……てか、お前、射撃の腕も立つんだったら普段からそうしろよ。何だって毎回、素手喧嘩ステゴロに変なこだわり見せたがんだよ?」
「俺は『戦争ごっこ』をしたくて警察に入ったんじゃない」
 装填の済んだP320フルサイズを再び構え直すのと一緒に、薬師寺は無愛想に答えた。
 そんな相手へ、鬼塚はひがみのこもった眼差しを遣す。
「なら、『ボクシングごっこ』をしたくて、毎度毎度犯人ホシとの殴り合いにいそしんでる訳だ。否応無しに付き合わされた挙句、とばっちりで怪我する身としちゃ溜まったもんじゃねえんだが」
「あれで最大限スマートに対処してる積もりだが。怪我が絶えないのは、それだけ相手が規格外だって事だろ」
 言いながら、薬師寺は再び階段を昇り始めた。
 マスクの内側で口先をとがらせて、鬼塚も後を追う。
 と、階段を昇り切った二人の前に、新たに人影が現れた。
 非常灯しか灯されていない薄暗い廊下の奥から、全身を絶えず引きらせる動作をさらして、誰かが近付いて来る。髪を後ろにで付けた、五十代とおぼしき男であった。
 身形みなり自体は良く整っており、髪型も含めて威厳をかもし出す事も容易であろうその男は、しかし、白目を剥いた両眼から血を滴らせ、半開きになった口から何やら呻き声を漏らしつつ、薬師寺と鬼塚に近付いて来るのだった。
 これまで目にして来た男達と同様、まともな意識など微塵も残されていない有様である。
「まだいたか……」
 薬師寺が防毒マスクの中からうんざりした声を漏らす横で、鬼塚が銃を構える。
「んじゃ、精々せいぜいスマートにやってくれよ、グラップラー」
 言うなり、鬼塚はリボルバーの引き金を躊躇ちゅうちょ無く引いた。
 間を空けず、発射された弾丸が標的の右膝に命中する。
 血は、吹き出さなかった。
 代わりに、灰色の弾頭が床に転がった。
 ゴム弾を膝に浴びた男は一瞬体勢を崩し、そこへ薬師寺が一息に距離を詰める。
 そうして、薬師寺は相手の軸足を刈ってその場に転倒させると、正気を失くした男の右脚を抱え込み、足首を百八十度ねじったのであった。
 最初から苦痛など感じてはいない様子の相手も、足首と膝のすじを同時に損傷させられてはすぐに起き上がる事も叶わず、床の上につくばってひたぶるに呻きを漏らすばかりである。
 『それ』がこのビルの主の成れの果てである事も知らず、薬師寺が腰を上げた時、鬼塚は階段の斜交いにしつらえられた扉を指し示した。
「……ここじゃねえか?」
「……ああ」
 緊張をにじませた鬼塚の声に、薬師寺もうなずく。
 改めて身構えた両者の前に、重厚そうな扉が口を開けていたのであった。非常灯の光に朧に浮かび上がる扉、及びその左右を囲う防火壁らしき金属製の壁は、建物自体と比べて随分と新しい物のようで、暗がりに奇妙な異彩を放っていたのだった。
 そして、その開け放たれた戸口の向こうから、異様な気配が音も無くあふれ出て来る。
 敵意。
 憎悪。
 憤怒。
 渇望。
 そんな諸々の負の感情が、床をい進むようにして外へと漏れ出し、自分の足元にまで絡み付いて来る感触を、薬師寺と鬼塚は同時に覚えたのであった。
 文字通り、心胆を寒からしめると言う奴であろうか。
 防毒マスクの内側で、鬼塚は幾度いくたびか歯を食い縛った。
 一人でこんな所に迷い込んだのであれば、何を悩む事もせずに、きびすを返してさっさと逃げ出してしまいたい。
 そんな欲求に、彼は束の間駆られた。
 しかるに、己の隣には『あいつ』が立っている。
 いつ如何なる時も変わらぬ態度を示す、無愛想で任務に忠実な『狼』が。
 普段はわずかな煩わしささえ感じるその事実に、この時の鬼塚は安堵を覚えていたのであった。
 そして共に拳銃を構え、二人は顔の見えない魔物の口のような扉の奥へと足を踏み入れる。扉の向こうに広がっていたのは、両者共かつて見た憶えの無い、異様にして異質な空間であった。
 大小様々の壺やかめが、左右の壁一面にずらりと並べられている。薄暗い中で音も無く鎮座するそれらの容器が不気味な気配の発生源である事に、二人はすぐに気付いた。
 鬼塚が、防毒マスクの中で唾を呑み込んだ。
「……何てった……これが全部……」
「……『蟲毒』の壺、か……」
 薬師寺もまた緊張をにじませながら、油断無く辺りを見回した。
 広い室内に光源となる物は少なく、閉め切られた壁の窓からかすかに染み込む外の光が、淀んだ暗闇に辛うじて輪郭を与えていた。それでも、慎重に歩を進めた薬師寺と鬼塚の前に、程無くして『そいつ』は姿を見せたのだった。
「……何だ、もう上がって来た奴がいるのか」
 いささか残念そうに告げて、暗闇の奥から一人の男が現れた。
 特に体格に優れるでもない、して目立たぬ風貌のその男を、二人の警官は鋭く見据える。
「動くな! 警察だ!」
 暗がりの中、ようやく輪郭の判別出来る程度の相手へリボルバーを即座に向け、鬼塚が警告を発した。
 その隣で、薬師寺は防毒マスクをおもむろに外すと、目の前で尚も平然とたたずむ『そいつ』へと呼び掛ける。
「……你的名字是ニーダーミーンズシュ?」(※「名前は?」)
 問われた『そいつ』は、鼻先で一度笑ったようだった。
「名前なんて今更いまさら何の値打ちも無いが、不思議と皆こう呼ぶね」
 そして『そいつ』は、『チェン』はくまでも泰然と己の名を告げる。
「……『チェン』」
 途端、薬師寺と鬼塚は揃って目元を険しいものへと変えたのだった。
 暗がりの中、密室に渦巻く得体の知れない不気味な気配は、水を吸う海綿のように刻々と肥大して行く。
 昼の光から隔絶された闇の懐の中にける、それは一つの邂逅かいこうであった。
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