幻葬奇譚-mein unsterblich Alchimist-

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去年のリッチな夜でした

その27

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 さかのぼる今日の昼過ぎ、病院の玄関先で近藤と別れた薬師寺と鬼塚は、そろって駐車場の車中へと戻ったのであった。
 淡々と降り続く雨の雫が、車の四方を囲うガラスを音も無く滑り落ちて行く。空は未だ、灰色の厚い雲に覆われていた。
「んで、これからどうする? また所轄の記録でも漁らせてもらうか?」
 助手席に腰を下ろした鬼塚が、シートベルトを締めながら気怠けだるげに訊ねた横で、運転席に身を置いた薬師寺は、やおら視線を下ろした。
「……いや、今更いまさら何か新しい発見を期待出来るとも思えない」
「だよな。厚生局の記録だって調べるだけ調べ尽くしたんだ。これ以上は手の打ちようがえよなぁ」
「ああ……」
 さも悲観的に評した鬼塚の隣で、しかし、薬師寺は正面のハンドルを見据えながら、気の無い相槌を打った。
 それから、彼は瞳だけをかたわらに座る相棒へと向ける。
「……だから、ここいらでそろそろ切り口を変えてみないか?」
「何?」
 いぶかる表情をにわかにたたえた鬼塚へ、薬師寺はゆっくりと顔を向けた。
「事件の受け手ではなく、『元凶』に近い方に近付いてみるってのは?」
「どうやって?」
 鬼塚が口先を尖らせて質問を返すと、薬師寺はそんな相手を見据えて言葉を続ける。
「……『売人プッシャー』と接触する」
 数瞬の沈黙が、薄暗い車中を満たした。
「おいおい……」
 鬼塚は苦笑を浮かべて、フロントガラスの向こうにそびえる病院へと視線を逸らした。
「んな事やってどうすんだよ? 見逃すのと引き換えに、俺らの捜査に協力しろとでも持ち掛けんのか? そもそも一連の『薬』の取引に、『仲介役』は存在しないって話だったろ? 例のあの、『ゴールドアップル』だっけ? 取引はいつも決まってネット上でされてて、通販として直接買い手の元に送られるんだとか……」
「そのネット上の売買も、元を辿たどってきゃ、結局は『飛ばし』(※第三者名義で契約されたスマートフォン)の壁にぶち当たる。陳腐な手だが、効果的だからこそ陳腐となるって奴だ。御陰で麻薬取締官 マ ト リ の方でも、それ以上の捜索は困難を極めてるらしい。間に『卸売業者』を挟まない分、足が付き難いからな」
「だったら何で売人なんかと?」
 平然と言葉を継いだ薬師寺へ、鬼塚は少し困惑気味の表情を向けた。
 薬師寺は話し始めから表情を一切崩さず、鬼塚を見つめた。
「お前だって気になったんじゃないのか? 近藤のおっさんがさっき言ってた、薬の密売人が市内で相次いで行方不明になってるって話。もし仮に、これが問題の『薬』を売りさばいてる連中の仕業で、目障りな商売敵を潰す為の犯行だとしたら……」
「いやいやいや、そりゃ考え過ぎだろ、流石に」
 鬼塚は咄嗟とっさにおどけた調子で一笑に付したが、その目元には若干の狼狽がにじみ出ていた。
 薬師寺は尚も言葉を続ける。
「このタイミングで、この地域で起きたんでなければ、俺だって点と点を無理に繋げる真似なんざしやしない。だが、現実に今起きてる案件だからな。妙に引っ掛かるのは事実だ」
 そう言うと、薬師寺は視線をフロントガラスの方へ向けた。
 無数の水滴が、ガラスの表面を静かに、緩やかに、そして止め無く伝い落ちて行く。
「室長に毒された訳じゃないが、こういう仕事柄、自分の勘に背き続けるのも考え物だ。お前の勘は、違うと言ってるのか?」
 格別の熱意が込められた物言いでもなかったが、相手の弁に耳を傾ける内、鬼塚もまた笑顔を収め、何とも苦い面持ちを次第に浮かべて行ったのであった。
 どちらが漏らしたとも知れぬ湿った溜息が、薄暗い車中に漂った。
 空を覆う鉛色の雲は、何の表情ものぞかせなかった。

 そして今、薬師寺はようやくにして星ののぞき始めた空の下を、くだんの『密売人』と歩いていた。
 駅前の外れの方に店を構えるネットカフェの周囲にすでに人影は少なく、家路に付く人の姿も疎らとなっていた。
 正に、夜の商売が始まりを告げようとする時間帯である。
 ネットカフェを出てそのまま、田子の後ろを付いて行った薬師寺は、程無くして、自動販売機の置かれた道の角に差し掛かった。
 商店街と住宅街の丁度ちょうど境目に当たる場所であった。
 田子がそれとなく、それでいて油断無く周囲へ視線を散らせる。通行人と監視カメラの有無を探っているのだろう。
 それも一通り済んだ後、田子は半身を自販機の照明に照らし出しながら、薬師寺の方へと体を向けた。
「『ブツ』は後で渡すからよ、先に『注文』聞いときてえんだよな。ここなら、知らねえ間に会話が録音されるって心配もえし」
「ああ……」
 薬師寺はうなずいた。
 その慎重さと用心深さを、少しは自分の人生にも当てめたら良かろうに、と内心で呆れながら。
 とまれ、そんな相手方の深い所など露知らず、田子はすいすいと言葉を並べて行く。
あんちゃん、リラックスしてぇんだっけ? だったら、おすすめは『野菜』(※大麻)だな。入門用としても最適だし、ありゃもう、疲れた体と心に染み渡る。おつむの真ん真ん中まで、こうジーンと来るね、本当ホントに。つっても、いきなり乾燥樹脂ハシシみてえなキツいのを吸うやる訳にも行かねえだろうから、まずはリキッドから試してみなよ」
「リキッド? そんなのがあるの?」
 驚いて見せた薬師寺の向かいで、田子は得意げに説明する。
「そりゃあるさ。今の世の中、何でも御手軽快適がモットーよ? 手持ちのアイコスにプスっと刺すだけで、そりゃもうたちまち夢心地よぉ」
「へえ……」
 初めて知ったように感心した声を薬師寺は上げていたが、そのかたわら、口元を引きらせるのを懸命にこらえてもいたのであった。
 リキッド あ れ は乾燥樹脂と同じくらい中毒性が高いだろ。
 こいつ、客を確実に『依存症リピーター』にしようとして来てんな。
 他方、田子はそんな薬師寺の人相を改めて見定める。
「つか、あんた音楽とかやってる人? だったら『ペケ』(※合成麻薬MDMA)もあるよ。おりゃ詳しくねえんだけど、『あれ』をキメて曲を聴くとすげえハイセンスに聴こえるもんらしい。一流所のミュージシャンなんかも皆、裏で御世話ンなってるって聞っからねぇ。『紙』(※幻覚剤LSD)と一緒に」
「ああ、いや、俺は別にバンドマンて訳じゃないから……」
 薬師寺が困ったように首を横に振ると、田子はにんまりと笑った。
「そうかい? だったらこの先、クラブ通いとかするようンなったら言ってくれ。何軒か、馴染みの店に『出張』する時もあっからよ」
「ああ、じゃあ、その時に見掛けたら、またよろしく……」
 だから、その気配りをもっと前向きに生かしたらどうだ、と胸中で呟きつつ、薬師寺は相槌を打った。
「んじゃ、今日ントコはリキッド三本て勘定で。初めてなんだ。不安も湧くだろうし安くしとくよ。まずはお近付きのお試しに、ってね」
 終始人の好さそうな態度を崩さず、田子は『商談』をまとめた。
 一方で、薬師寺は緊張の中に、わずかな安堵を生じさせていたのであった。
 先程からの会話に乗じて、相手の体に『監視役』を潜り込ませる事に成功したのである。小さな『式神』とは言え、同じ男の、それも犯罪者の監視なぞ行なうのもさぞかし嫌であろうが、とまれ、その後の対応を部署内の誰かに引き継いでもらえば、今日の仕事は晴れて終了となる。
 実に長い一日だった。
 そこまで考えを巡らせて、薬師寺がふと息をいた時の事であった。
 田子の足元にうごめく小さな影が在る事に、薬師寺は気付いたのであった。薄暗い路地では判別が難しいが、親指の先程の大きさの『何か』が、相対する田子の足先へとって行く。
 虫、だろうか。
「じゃあ、店ン中に戻ろうぜ、あんちゃん。いや、もう立派なお客様か。『商品』の引き渡しと勘定は、個室へやン中でやっからよ」
 足元に目を落とし、わずかに怪訝けげんな面持ちを浮かべている薬師寺の向かいで、田子が親しげにうながした。
なぁに、心配する事ァぇよ。リキッドなんか、人前で吸った所でそれとバレる事ァぇんだし、それこそ周りの連中も結構ってると思うよ? 何たって、あんた、『野菜』なんざぁ、未だに合法化してない国のが珍しいんだから。んな、矢鱈やたら目くじら立てて毛嫌いしなくったってなぁ? 煙草は何の罪悪感も無しに流通させてる癖して、こういうのを不公平っつーんだ」
 上機嫌の田子は、それまでよりも饒舌じょうぜつになって勝手な文句を並べて行く。その足先で、暗がりの奥から音も無くい進んで来た『それ』は、ぴたりと動きを止めたのだった。
 薬師寺が、おもむろに目を細めた。
 大きく膨らんだ腹部と、八本の脚が自販機の放つ弱い光に照らし出される。
 蜘蛛か。
 彼が、そう確認した直後であった。
 その『蜘蛛』が矢庭に田子の足に飛び移ると、それまでとは一線を画す速度で相手の体を素早くい上がって行く。
 突然の出来事に、薬師寺も思わず目を見張った。
「ん? どしたい?」
 その様子を認めて、田子が呑気な声を上げた矢先、その背後から青黒い糸の束があふれ出した。まるで怒涛のように、暗闇の中に僅かに艶光つやびかりする大量の糸が、田子の背中から勢い良く飛び出した後、全身を包むように四肢へと絡み付いて行ったのだった。
「なっ、何だよ、こりゃあ!?」
 田子は過分に狼狽した声を上げたが、その時にはすでに満足に身動きを取る事もままならず、背後からなおあふれ出す糸に取り込まれるばかりであった。
「じっとしてろ!」
 薬師寺は田子の面前まで駆け寄ると、相手を取り込もうとする糸の束に手を掛け、力任せに引き千切ろうと試みる。
 しかし、
「ッ……!?」
 糸の束を両手でつかんだ所で、彼は思わずその手を放していたのであった。
「……何だ、これは!?」
 両の掌には、青黒い糸がべっとりと貼り付いている。それのもたらす粘着性の不快な感触とは別に、何かしびれるような不吉極まる感覚が、掌を中心に指先にまで広がって行ったのだった。
 驚いて顔を戻した薬師寺の面前で、首から下を青黒い糸に包まれようとしていた田子は、最早ぐったりとうつむき、かすかなうめき声さえ上げられぬ有様をさらしていた。
「おい、見てるか!? やばいぞ! 早く来い!!」
 周囲の暗がりに向けて薬師寺が叫んで間も無く、路地の向こうから鬼塚が駆け付ける。
「とっとっと! 何だよ、このザマァ!?」
 ジャケットの内側からリボルバーを抜いて、鬼塚が困惑気味に叫んだ。
 今やまゆに包まれたように全身を隙間無く糸で覆われた田子を挟んで、薬師寺と鬼塚が並び立つ。
 その二人の前で、哀れな獲物の頭上に『それ』は再び姿を現した。
 先程までと大きさを明らかに増した、人の頭部程の大きさを持つ、青黒いよどみの塊であった。
 本性を表した、と評すべきであろうか。
 さながら全身をタールにまみれさせたように、青黒い粘液に全体をべっとりと包んだ巨大な『蜘蛛』らしきものが、糸の塊の上、田子の頭上に陣取って眼前の敵を見下ろした。
 暗がりの中でも爛々らんらんと赤く輝く八つの目に、底知れぬ敵意をみなぎらせながら。
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