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去年のリッチな夜でした
その22
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予報を裏切らず、正午に差し掛かる辺りから雨が降り始めた。
窓ガラスに貼り付いてはその表面を伝い落ちて行く雨の雫を束の間眺めた後、薬師寺は程無く顔を前に戻した。
テーブルの向かいでは、近藤が親子丼を掻き込んでいる所であった。
暖色系の蛍光灯が辺りを照らす。
長方形のテーブルが十個以上、それぞれに余裕を持って並べられた院内の食堂は、昼頃とあって活況を呈しており、その壁際の席に薬師寺達は腰を下ろしていた。
制服や術衣を着た病院関係者を始めとして、見舞客も利用する食堂内は席が粗方埋まっており、外の空模様を他所に盛り上がりを見せていた。
そうした中で、場違いな三人の『来客』は、隅の方の席で大人しく昼食を取っていたのであった。
「そんで……」
そこで、薬師寺の隣の席に座った鬼塚が、向かいの近藤へと訊ねる。
「近藤さんの方は、何か収穫があったんスか?」
長崎ちゃんぽんを啜りながら、些か行儀悪く問うた鬼塚へ、近藤は然して面白くもなさそうに一瞥を遣した。
「いんや、全く何の手掛かりも無し。予想通りではあったけどな」
「そもそも、どういう事件を追ってんでしたっけ?」
鬼塚の質問に、近藤は自分の丼に目を落としながら答える。
「都内で散発してる行方不明事件」
「へ? んな事ありました?」
「一般人の話じゃなくって、『こっち』絡み」
目を丸くした鬼塚に対し、近藤は自分の頬に指先で線を引く仕草を示して見せた。
その後、彼は箸を休めて、向かいに座る二人へと目を向ける。
「まあ、何だろうな、半年ぐらい前から、都内をうろついてる麻薬の売人共の居場所が知れなくなってたんだわ」
薬師寺も、鯖の塩焼き定食を食べ進めていた手を止めた。
近藤は、わざとらしく肩を竦めて見せる。
「そりゃ勿論、ああいう奴らってな基本的に根無し草で、あちこちを流しながら商売しやがるもんだから、俺らの管轄地域からいなくなったって不思議じゃないし、こっちとしても厄介事が減って万々歳てなもんなんだが、今度の場合、マジで行方知れずになっちまったらしい。捜索願が出された件も一つ二つある」
「やっぱ、何かの抗争に巻き込まれたとか?」
鬼塚の挟んだ言葉に、近藤は首を縦に振った。
「脛に傷持つ奴らの末路なんて、大抵相場が決まってるからな。犯罪から足洗って他所で出直してるとか、いっそ海外に逃げ出したとかだったら有難いんだが、放ったらかしにしとくにゃちょっと不気味だってんで、俺が駆り出されたって訳」
「ついてないっスねぇ」
笑って言った鬼塚へ、近藤は実に不満げに切り返す。
「人の事言えんのか? つか、お前らこそ、俺に変なものでも憑り付かせたんじゃねえだろうなぁ? 『暗室』と関わるようンなってからこっち、何かと貧乏籤ばっか引かされてる気がするんだが?」
とまれ、壮年の警官は水を一口飲むと言葉を続ける。
「……で、蒸発した売人連中の足取りを追ってると、どれも最終的にこの地域に辿り着いちまうんだな、これが」
今度の発言には、鬼塚も薬師寺共々、表情を真摯なものへと切り替えた。
麺を箸に吊るしながら、鬼塚が上目遣いに相手を覗き込む。
「つまり、目撃証言が出たのが御簾嘉戸市で最後ンなるって塩梅で?」
「そういう事。周辺地域の証言とか洗ってくとな、足跡はいつも決まってここで消える」
親子丼をまた掻き込んで、近藤は億劫そうに答えた。
「考えられる顛末としては、地元の『同業者』と揉めた末の行方不明って辺りンなんだろうが、未だに死体が一つも出て来ないってのが薄気味悪ぃ。それなりの人数が消えてるってのに」
「筋金入りのプロの犯行ですかね」
薬師寺はぼそりと呟くと、味噌汁を啜った。
一呼吸程の間を置いて椀を下ろしながら、彼は両目を細める。
「……指定暴力団『極日会』系組織、『安木組』。表向きはビル管理会社『安木商事』を名乗ってるそうですが、実際には、ここいら一帯に根を張る地元の『老舗』なんだとか」
「ああ、あるらしいやねぇ、そういう組」
近藤は、やはり面倒臭そうに相槌を打つと、徐に眉根を寄せた。
「しっかし、地元の『元締め』が暗躍してるとなりゃ、結局は管区の対処すべき問題ンなっちまう。しがない余所者としちゃ、ここいらが引き際、後は県警様の御報告待ちって事ンなんのかな……」
「じゃ、そっちの仕事は昼で切り上げ? いーなー、羨ましー」
鬼塚が蓮華を片手に無責任に囃し立てると、近藤の面皮に乗った不機嫌の色が一気に濃くなった。
「馬ァ鹿。あちこち盥回しにされた挙句、成果は他所に取られちまうんだぞ? 羨む事なんかあるもんかよ」
そう愚痴を零した後、近藤は最後の親子丼を口の中へと押し込んだのだった。
一方、その向かいでは、薬師寺が顎先に手を当てて、横手に細い視線を送った。
「……そうか、『売人』か……」
窓ガラス越しに、雨の音が食堂内に伝わって来る。
昼でも暗い鼠色の空は、表情を欠いたまま市街の上を覆っていた。
周知は二日前に為された。
「商品名は『ゴールドアップル』」
表情にも趣にも欠けたいつもの薄暗い一室に、いつもの不機嫌な声が吸い込まれて行く。いつ如何なる時も変わらぬ、さながら、永遠に回り続ける車輪の音にも似た響きであった。
黄昏時の都心を背にした白井が告げてすぐ、横手の壁に映像が映し出される。
白い、それ自体は何の変哲も無さそうな粉末の写真を横目で見て、鬼塚と薬師寺はそれぞれに疲れた表情を浮かべた。
共に気乗りしない様子を覗かせた彼らの真向かいでは、白井が机の上で両手を組んで重々しく言葉を続ける。
「一連の被害者改め被疑者の所持品より、同一の薬が複数発見された。いずれもネット及び人伝で入手した物であるそうだ。名前で調べてみた所、『アップル』、『林檎』、『GA』等の呼び名で半年程前から流通している。新種の脱法ドラッグだ」
そこまで説明すると、白井は机の上から一枚の書類を摘み上げた。
「効果としては『覚醒剤』に近い代物であるらしい。服用者の神経を活性化させ、高揚感と意識の鋭敏化を引き起こす。以前お前が抜かした、『ハッスルし過ぎ』と言う表現が奇しくも当て嵌まった形だな」
そこで一度、白井は鬼塚の方をちらりと流し見た。
然るにそれも束の間、当の鬼塚が口先を尖らせた時には、彼女はまた手元の資料に目を戻していた。
「一グラムを一包として、主に二ダース一袋と言う形で販売しているらしい。驚くべきはその価格であり、二ダース、即ち二十四グラムで一万円と言う破格の安さを誇っている。覚醒剤のおよそ百二十分の一だ。子供の小遣いでも買える程度の金額で、仮に既存の薬物と同等の効能を得られるのであれば、事態の深刻度はかつて無いものとなるだろう」
白井が重々しく言葉を結んだ直後、鬼津が緩々と手を挙げた。
「……あの、一つ質問、てか要望があんですけど」
「何だ?」
机に頬杖を付いて資料を眺めていた白井は、やはり不機嫌そうに鬼塚へ目を遣った。
対する鬼塚は、挙手を下げるのと一緒に、半ば喚くように訴える。
「も、いい加減、厚生局(※関東信越厚生局。麻薬取締部が設置されている)に任せません、これ!? 何だって俺らが、違法薬物の流通にまで目ェ光らせなきゃなんないスか!?」
「麻薬の正体が未だはっきり掴めないからだ」
白井は椅子に座ったまま姿勢を正し、それまでよりも厳しい声で答えた。
「問題の核心は今伝えた通りだ。価格を低く抑えられると言う事は、取りも直さずそれだけ大量生産が利くと言う事に他ならん。商品が麻薬だけに在庫処分でもあるまいし、それを何ヶ月も続けていられるなど明らかに異状だ。麻薬の大量生産、或いは他所からの大量密輸など、実行しようものなら確実に足が付く。まして、それが起きているのは内陸部の市街地だぞ」
渋い面持ちを浮かべた鬼塚の隣で、薬師寺は腕組みをして足元を見据える。
「……規制外の原料を使っていると?」
他方、白井は椅子に寄り掛かると、臍の辺りで両手を組んだ。
「そもそも、一連の昏倒事件に於ける被疑者の尿からは、いずれも何の反応も出なかったのだからな。既存の薬物とは大元の質を異にするのと同時に、問題の質も麻薬取締官に丸投げして良いものとは異なる」
「だぁからってさぁ~……」
小さくぼやいた鬼塚を、白井は机からやおら指差した。
「それに、お前にも経験があるだろうが、一度他の部署へ投げた案件を、後になってからまた調べ直すと言うのは、殊の外面倒なのだ。仕事の引継ぎは常に慎重を期さねばならん。またいつかのように、他所の報告書で名指しで非難されるような破目に陥っても、お互い一文の得にもならんだろうが」
指摘された鬼塚は、目を逸らして口を一文字に引き伸ばした。
何やらむず痒い表情を浮かべた部下の向かいで、『暗室』の主は背後に広がる明かり窓を一瞥する。
「問題の『薬』の成分、及び原材料については現在、科警研(※科学警察研究所)にて鋭意分析中だ。これで原材料が把握出来れば、製造の根幹を絶つ事も可能となって来るだろうが、それまでは被疑者の聴き取りを始め、地道な調査を繰り返す他に対処の術は無い」
「……軽く言ってくれるねぇ……」
距離を隔てているのを良い事に、鬼塚が囁き声で悪態を吐いた。
そんな相方の様子を目尻から眺めつつ、薬師寺は、もし人間の愚痴を可視化する薬でも開発された日には、この部屋なぞ天井近くまで、とっくに『それ』に埋もれている様子が確認出来るのではなかろうかと邪推したのであった。
とまれ、そんな二人の様子を他所に、白井は背後の窓の外に広がる景色を尚も眺めながら、尚も険しい面持ちを保ち続けた。
「何とも掴み処の無い、得体の知れない薄気味悪い事件だ。単純に魔性の仕業と捉えて良いのかどうか、それすらも判断に迷う。実に嫌な、数年先でも記憶に残りそうな、質の悪い一件となりそうだな……」
物憂げな呟きが、薄暗くも広い一室に漂った。
窓の外では、夕日を浴びた無数のビルが、さながら宝石を鏤めた塔のように輝いていた。
窓ガラスに貼り付いてはその表面を伝い落ちて行く雨の雫を束の間眺めた後、薬師寺は程無く顔を前に戻した。
テーブルの向かいでは、近藤が親子丼を掻き込んでいる所であった。
暖色系の蛍光灯が辺りを照らす。
長方形のテーブルが十個以上、それぞれに余裕を持って並べられた院内の食堂は、昼頃とあって活況を呈しており、その壁際の席に薬師寺達は腰を下ろしていた。
制服や術衣を着た病院関係者を始めとして、見舞客も利用する食堂内は席が粗方埋まっており、外の空模様を他所に盛り上がりを見せていた。
そうした中で、場違いな三人の『来客』は、隅の方の席で大人しく昼食を取っていたのであった。
「そんで……」
そこで、薬師寺の隣の席に座った鬼塚が、向かいの近藤へと訊ねる。
「近藤さんの方は、何か収穫があったんスか?」
長崎ちゃんぽんを啜りながら、些か行儀悪く問うた鬼塚へ、近藤は然して面白くもなさそうに一瞥を遣した。
「いんや、全く何の手掛かりも無し。予想通りではあったけどな」
「そもそも、どういう事件を追ってんでしたっけ?」
鬼塚の質問に、近藤は自分の丼に目を落としながら答える。
「都内で散発してる行方不明事件」
「へ? んな事ありました?」
「一般人の話じゃなくって、『こっち』絡み」
目を丸くした鬼塚に対し、近藤は自分の頬に指先で線を引く仕草を示して見せた。
その後、彼は箸を休めて、向かいに座る二人へと目を向ける。
「まあ、何だろうな、半年ぐらい前から、都内をうろついてる麻薬の売人共の居場所が知れなくなってたんだわ」
薬師寺も、鯖の塩焼き定食を食べ進めていた手を止めた。
近藤は、わざとらしく肩を竦めて見せる。
「そりゃ勿論、ああいう奴らってな基本的に根無し草で、あちこちを流しながら商売しやがるもんだから、俺らの管轄地域からいなくなったって不思議じゃないし、こっちとしても厄介事が減って万々歳てなもんなんだが、今度の場合、マジで行方知れずになっちまったらしい。捜索願が出された件も一つ二つある」
「やっぱ、何かの抗争に巻き込まれたとか?」
鬼塚の挟んだ言葉に、近藤は首を縦に振った。
「脛に傷持つ奴らの末路なんて、大抵相場が決まってるからな。犯罪から足洗って他所で出直してるとか、いっそ海外に逃げ出したとかだったら有難いんだが、放ったらかしにしとくにゃちょっと不気味だってんで、俺が駆り出されたって訳」
「ついてないっスねぇ」
笑って言った鬼塚へ、近藤は実に不満げに切り返す。
「人の事言えんのか? つか、お前らこそ、俺に変なものでも憑り付かせたんじゃねえだろうなぁ? 『暗室』と関わるようンなってからこっち、何かと貧乏籤ばっか引かされてる気がするんだが?」
とまれ、壮年の警官は水を一口飲むと言葉を続ける。
「……で、蒸発した売人連中の足取りを追ってると、どれも最終的にこの地域に辿り着いちまうんだな、これが」
今度の発言には、鬼塚も薬師寺共々、表情を真摯なものへと切り替えた。
麺を箸に吊るしながら、鬼塚が上目遣いに相手を覗き込む。
「つまり、目撃証言が出たのが御簾嘉戸市で最後ンなるって塩梅で?」
「そういう事。周辺地域の証言とか洗ってくとな、足跡はいつも決まってここで消える」
親子丼をまた掻き込んで、近藤は億劫そうに答えた。
「考えられる顛末としては、地元の『同業者』と揉めた末の行方不明って辺りンなんだろうが、未だに死体が一つも出て来ないってのが薄気味悪ぃ。それなりの人数が消えてるってのに」
「筋金入りのプロの犯行ですかね」
薬師寺はぼそりと呟くと、味噌汁を啜った。
一呼吸程の間を置いて椀を下ろしながら、彼は両目を細める。
「……指定暴力団『極日会』系組織、『安木組』。表向きはビル管理会社『安木商事』を名乗ってるそうですが、実際には、ここいら一帯に根を張る地元の『老舗』なんだとか」
「ああ、あるらしいやねぇ、そういう組」
近藤は、やはり面倒臭そうに相槌を打つと、徐に眉根を寄せた。
「しっかし、地元の『元締め』が暗躍してるとなりゃ、結局は管区の対処すべき問題ンなっちまう。しがない余所者としちゃ、ここいらが引き際、後は県警様の御報告待ちって事ンなんのかな……」
「じゃ、そっちの仕事は昼で切り上げ? いーなー、羨ましー」
鬼塚が蓮華を片手に無責任に囃し立てると、近藤の面皮に乗った不機嫌の色が一気に濃くなった。
「馬ァ鹿。あちこち盥回しにされた挙句、成果は他所に取られちまうんだぞ? 羨む事なんかあるもんかよ」
そう愚痴を零した後、近藤は最後の親子丼を口の中へと押し込んだのだった。
一方、その向かいでは、薬師寺が顎先に手を当てて、横手に細い視線を送った。
「……そうか、『売人』か……」
窓ガラス越しに、雨の音が食堂内に伝わって来る。
昼でも暗い鼠色の空は、表情を欠いたまま市街の上を覆っていた。
周知は二日前に為された。
「商品名は『ゴールドアップル』」
表情にも趣にも欠けたいつもの薄暗い一室に、いつもの不機嫌な声が吸い込まれて行く。いつ如何なる時も変わらぬ、さながら、永遠に回り続ける車輪の音にも似た響きであった。
黄昏時の都心を背にした白井が告げてすぐ、横手の壁に映像が映し出される。
白い、それ自体は何の変哲も無さそうな粉末の写真を横目で見て、鬼塚と薬師寺はそれぞれに疲れた表情を浮かべた。
共に気乗りしない様子を覗かせた彼らの真向かいでは、白井が机の上で両手を組んで重々しく言葉を続ける。
「一連の被害者改め被疑者の所持品より、同一の薬が複数発見された。いずれもネット及び人伝で入手した物であるそうだ。名前で調べてみた所、『アップル』、『林檎』、『GA』等の呼び名で半年程前から流通している。新種の脱法ドラッグだ」
そこまで説明すると、白井は机の上から一枚の書類を摘み上げた。
「効果としては『覚醒剤』に近い代物であるらしい。服用者の神経を活性化させ、高揚感と意識の鋭敏化を引き起こす。以前お前が抜かした、『ハッスルし過ぎ』と言う表現が奇しくも当て嵌まった形だな」
そこで一度、白井は鬼塚の方をちらりと流し見た。
然るにそれも束の間、当の鬼塚が口先を尖らせた時には、彼女はまた手元の資料に目を戻していた。
「一グラムを一包として、主に二ダース一袋と言う形で販売しているらしい。驚くべきはその価格であり、二ダース、即ち二十四グラムで一万円と言う破格の安さを誇っている。覚醒剤のおよそ百二十分の一だ。子供の小遣いでも買える程度の金額で、仮に既存の薬物と同等の効能を得られるのであれば、事態の深刻度はかつて無いものとなるだろう」
白井が重々しく言葉を結んだ直後、鬼津が緩々と手を挙げた。
「……あの、一つ質問、てか要望があんですけど」
「何だ?」
机に頬杖を付いて資料を眺めていた白井は、やはり不機嫌そうに鬼塚へ目を遣った。
対する鬼塚は、挙手を下げるのと一緒に、半ば喚くように訴える。
「も、いい加減、厚生局(※関東信越厚生局。麻薬取締部が設置されている)に任せません、これ!? 何だって俺らが、違法薬物の流通にまで目ェ光らせなきゃなんないスか!?」
「麻薬の正体が未だはっきり掴めないからだ」
白井は椅子に座ったまま姿勢を正し、それまでよりも厳しい声で答えた。
「問題の核心は今伝えた通りだ。価格を低く抑えられると言う事は、取りも直さずそれだけ大量生産が利くと言う事に他ならん。商品が麻薬だけに在庫処分でもあるまいし、それを何ヶ月も続けていられるなど明らかに異状だ。麻薬の大量生産、或いは他所からの大量密輸など、実行しようものなら確実に足が付く。まして、それが起きているのは内陸部の市街地だぞ」
渋い面持ちを浮かべた鬼塚の隣で、薬師寺は腕組みをして足元を見据える。
「……規制外の原料を使っていると?」
他方、白井は椅子に寄り掛かると、臍の辺りで両手を組んだ。
「そもそも、一連の昏倒事件に於ける被疑者の尿からは、いずれも何の反応も出なかったのだからな。既存の薬物とは大元の質を異にするのと同時に、問題の質も麻薬取締官に丸投げして良いものとは異なる」
「だぁからってさぁ~……」
小さくぼやいた鬼塚を、白井は机からやおら指差した。
「それに、お前にも経験があるだろうが、一度他の部署へ投げた案件を、後になってからまた調べ直すと言うのは、殊の外面倒なのだ。仕事の引継ぎは常に慎重を期さねばならん。またいつかのように、他所の報告書で名指しで非難されるような破目に陥っても、お互い一文の得にもならんだろうが」
指摘された鬼塚は、目を逸らして口を一文字に引き伸ばした。
何やらむず痒い表情を浮かべた部下の向かいで、『暗室』の主は背後に広がる明かり窓を一瞥する。
「問題の『薬』の成分、及び原材料については現在、科警研(※科学警察研究所)にて鋭意分析中だ。これで原材料が把握出来れば、製造の根幹を絶つ事も可能となって来るだろうが、それまでは被疑者の聴き取りを始め、地道な調査を繰り返す他に対処の術は無い」
「……軽く言ってくれるねぇ……」
距離を隔てているのを良い事に、鬼塚が囁き声で悪態を吐いた。
そんな相方の様子を目尻から眺めつつ、薬師寺は、もし人間の愚痴を可視化する薬でも開発された日には、この部屋なぞ天井近くまで、とっくに『それ』に埋もれている様子が確認出来るのではなかろうかと邪推したのであった。
とまれ、そんな二人の様子を他所に、白井は背後の窓の外に広がる景色を尚も眺めながら、尚も険しい面持ちを保ち続けた。
「何とも掴み処の無い、得体の知れない薄気味悪い事件だ。単純に魔性の仕業と捉えて良いのかどうか、それすらも判断に迷う。実に嫌な、数年先でも記憶に残りそうな、質の悪い一件となりそうだな……」
物憂げな呟きが、薄暗くも広い一室に漂った。
窓の外では、夕日を浴びた無数のビルが、さながら宝石を鏤めた塔のように輝いていた。
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