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去年のリッチな夜でした

その21

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 そしてその日も日は昇り、リウドルフ・クリスタラーは職員室に配された自分の机に腰を下ろしたのであった。
 今日は朝から曇りがちで、窓の外では灰色の雲が空を覆い尽くしている。
 午後から雨が降り出すと、予報で言っていただろうか。
 ぼんやりとそんな事を考えていたリウドルフの後ろ頭に、その時、明るい声が掛けられる。
「お早う御座います」
 呼び掛けられたリウドルフが首を巡らせてみれば、かばんを片手に登校したばかりの月影司が、席の後ろに立っていた。
「ああ、お早う」
 リウドルフが挨拶を返した先で、今日もまたいつもと同じく学者風の丸眼鏡を掛け、頭髪を綺麗に撫で付けた司は、やはりいつもと変わらず、ぼさぼさの頭髪をさらした相手へと笑い掛ける。
「随分と早くに来られましたね」
「何かここの所、教頭に睨まれてるみたいだから」
 面白くもなさそうにリウドルフが言うと、司は隣の机へと腰を下ろした。
「まあまあ、何処の職場や部署にも生真面目が過ぎる人はいますよ」
「全くだ。しかも何故か俺の周りには、そういう働き過ぎ、気負い過ぎの手合いばかり集まって来る。どういうえにしによるものだか……」
 リウドルフは天井を仰いで投げ遣りに言い捨てた。
 七時半を少し回ったばかりの職員室に人影はまばらであり、端の方で話し込む二人へえて関心を向ける教諭もいなかった。
えにしと言えば、テオさんは御存知ですか? この間、ここを訪れた警察官については?」
「ああ……」
 司に問われたリウドルフは、机の上で頬杖を付いて視線を宙に持ち上げた。
「……あのちぐはぐな二人組だろ? 憶えてるよ。こんな東の島国まで来て、あの手の『人種』に出くわすとは思わなかったが……」
「恐らく、向こうも同じ感想を抱いたでしょうけどね。むしろ、あちらの方が驚いたかも知れません。白昼に幽霊と出くわしたかの如く」
 司が苦笑交じりに指摘すると、リウドルフはひがむように唇をとがらせた。
「今の俺は一介の教師だよ。もうそれで良いじゃないか」
「ですが、同時に『乙級特異能力者』でもある訳ですから」
「何だい、そりゃ?」
 司の差し挟んだ言葉に、リウドルフはきょとんとした顔を相手へ向けた。
 その隣の席で、司はかばんから何枚かのプリントを出しながら言葉を続ける。
「ざっと調べた所、この国の捜査機関にはそういうカテゴリーがあるらしいのです。先天的に異能を備えた者を『甲級特異能力者』、後天的に異能を身に着けた者を『乙級特異能力者』と区分けして監視対象に置いているのだそうで」
「何て事だ」
 リウドルフは、身を投げ出すように椅子の背凭せもたれに寄り掛かった。
「それじゃ俺達はどっちも『乙級』、つまりは『二線級』って扱いになる訳か」
「おやおや、私は兎も角、貴方の力を量るのに、今更いまさら現世うつしよの物差しが必要ですか?」
 大袈裟に嘆いて見せたリウドルフへにこやかに答えてから、司は眼光にわずかな切れ味を乗せる。
「それに、あの『二人』、『甲』と『乙』の凸凹デコボココンビにしても、二人そろってようやく一人前と言った所でしょう。私から見てもその程度なのですから、貴方からすれば、そもそもお話にすらならないでしょうね」
 そこで、司は丸眼鏡を直した。
「冷たい見方をするなら、土台『IOSOわれわれ』の選に漏れた手合いである訳ですし、その時点で文字通りの『乙級』と言っても差し支え無いでしょう。専門の捜査機関の人間だからと言って、余計な期待や警戒を抱かない方がよろしいかと」
「どうかな。案外、超り手の上司が仕切ってる職場で、有能な人材は片っ端から引き抜いて独占してるのかも知れないぞ。それこそ、ここの教頭みたいな鬼上司がでんと居座ってる所で」
 リウドルフは苦笑いをたたえつつも、義眼の表に浮かぶ眼光まで緩める事はしなかった。
 それから、彼は窓の外へと目を移す。外は相変わらずの曇り空であり、天を覆う灰色の雲は徐々に厚みを増しているようであった。
「何にしたって、俺は真面目に働いてるお役人に逆らったりはしないよ。長い物に巻かれるのは大嫌いであるにしても」
 その呟きは、他の誰に聞き届けられる事も無く、朝の職員室に漂った。
 蛍光灯の白い光が、辺りを淡白に染め上げていた。

 担当医を呼び出す放送の声が、白い壁に撥ね返った。
 昼間であれ夜であれ、快晴であれ曇天であれ、何ら変化を覗かせぬ清潔極まる空間を、多くの人々が慌ただしく往来する。外来受付が始まってすぐ、病院内は来訪者や看護師が慌ただしく行き来するようになり、独自の賑わいを見せていたのであった。
 そうした人いきれの外れの方で、壁際に立った近藤将之こんどうまさゆきは何度目かの湿った溜息を漏らした。
 正面玄関をくぐってすぐ、総合受付の横手での事である。
 建物自体が巨大である為、受付前の待合室は小振りなコンサートホールの如き広さを誇っており、壁一面の明かり窓から外の様子も見て取れた。
 広い車道の向こうに民家の並ぶ外の景色は、相変わらず薄暗かった。
 透き通ったガラスにうっすらと映る自分の姿を見つめて、近藤は鼻息をいた。
 癖のある頭髪が眉の辺りまで垂れ掛かり、何やら冴えない空気をかもし出している。いい加減、床屋に行かなきゃならんかな、と思いつつ、近藤は億劫そうに頭をいたのだった。
 昼前でも薄暗い外の様子なぞ一切関係が無いかのように、病院内は賑わいに満ちていた。
 診察に訪れた者やその付き添い、そして多くの見舞客が相次いで敷居をまたぎ、正面玄関のガラス戸は瞬きするように慌ただしく開閉を繰り返している。
 老婆を乗せた車椅子を押す中年の男性が前を横切ろうとして、近藤は急ぎ壁際に身を寄せた。
 皆さんも早くからお忙しい事で。
 全くの他人事のように思った彼が、改めて窓の外の景色に目を向けようとした時の事であった。
「あれっ? 近藤さんじゃないっスか? 奇遇ですねぇ、こんなトコで」
 忌々しくも聞き馴染みのある声が背後から投げ掛けられた途端、近藤は思わず首をすくめてしまった。
 正に恐る恐る、さながら、背後の足場が急速に切り崩されて行くのを確認するかのように振り返った先に、果たして、彼が最も忌々しく感じるいつもの『二人組』が立っていたのだった。
「お早う御座いまーす」
 片手を上げながら、鬼塚匠は前方にたたずむ壮年の警官へと気さくに挨拶を遣したのであった。
「……どうも」
 その隣を歩きつつ、薬師寺弘樹も同じ相手へ軽く会釈する。
 一方、『それら』と相対する運びとなった近藤と言えば、実に苦々しい面持ちで、近付いて来る二人組へ過分に含みのある眼差しを遣したのであった。
「……お久し振り、っつーか何つーか、毎度毎度、本当ホント何なんだ、お前ら? 俺の尻にひもでも付いてんのか、ひょっとして?」
 声から表情から露骨に嫌そうに接して来る相手へ、しかし、鬼塚は特に気にするでもなく平然と答える。
「そんなぁ。少なくとも俺ァ男のケツ追っ掛け回す趣味は無いっスよぉ」
 おどけるように言ってから、鬼塚は間近まで近付いた近藤へと訊ねる。
「つか、この近くにお住まいでしたっけ? 何か怪我でもされたんスかぁ?」
「そんな風に見えるか? 仕事だよ、仕事。聴き込みに来たの」
 近藤が面白くもなさそうに答えると、鬼塚は目を丸くした。
「えっ? んじゃ、知らない間に桜田商事(※警視庁)から転属になってたんスか? いよいよ上司に睨まれて?」
「睨まれるようなこたしても左遷とばされるようなこたしちゃいねえ。捜査の都合で出張って来ただけだって」
「……となると、俺らと似たようなもんですか」
 鬼塚の隣で薬師寺がそう言うと、近藤はさらに渋い面持ちを浮かべる。
「そっちも仕事絡みか? この病院に性質たちの悪い幽霊でも巣食ってんのか?」
「だったら話も早くて助かんですけどねぇ」
 言って、鬼塚は小さく肩をすくめて見せた。
 待合室の隅の方で、三人の警官は並んで立った。患者や医師の呼び出しが相次ぐ中、院内を歩く人々はそれぞれに自らの事情に追われ、彼らへわざわざ目を向ける者もいなかった。
 そうした中で、鬼塚は一つ息をくとおもむろに口を開く。
「やぁ、うちらはあれっスよ、ほら先週、ライブ配信中にぶっ倒れたってストリーマー、そいつがようやく意識を取り戻したってんで、病院ここまで聴き取りに来た次第で」
「ああ、何かあったな、そんな話。娘が騒いでたような……」
 近藤が視線を持ち上げて呟いた向かいで、薬師寺が小首を傾げた。
「じゃあ、そちらは? 本庁の方でも『この件』を探ってたのかと一瞬思いましたが……」
「いやいや、俺の方はつまんねえ別件だよ」
 近藤は首を横に振った。
「まあ何だ、有り体に言えば人探し。その一環で、この病院に通院記録や入院歴が無いかどうかを確認しに来たの」
「捜査一課の仕事なんスか、それ?」
「だから、『つまんねえ』別件なんだって」
 薬師寺に続いて首を傾げた鬼塚へ向け、本当につまらなそうに言った後、近藤は向かい立つ二人を見遣る。
「つか、お前らこそどうしたんだ? 化物退治専門の部署が、何だって動画配信者の心配なんかし始めたんだよ?」
「ああ、まあ、そこはねぇ……」
 問われて、鬼塚が言葉を濁した。
 返答にきゅうすると言うよりも、単純にげんなりした様子をさらした彼の隣で、薬師寺がやはり疲れた口調で答える。
御簾嘉戸みすかと市周辺で確認されている違法薬物の捜査の一環、てな所ですか」
「えっ? その配信者が、って事? けど、そりゃ麻薬取締官 マ ト リ の仕事になんじゃねえの?」
「そんなん、うちの上司に言ってやって下さいよぉ」
 近藤が驚き、次いでいぶかった矢先、鬼塚がすがるような声を上げた。
「同じ事、俺ももう何遍なんべんも繰り返してんのに、かたくなに捜査を続行させて、今じゃ御簾嘉戸市内 こ こ い ら で何か騒ぎが起こるたんびに人を使いに走らせやがんですから。これじゃ公僕じゃなくって、只のあいつの下僕ですよぉ」
「問題の『薬』の正体がはっきりしない間は無関係とは言い切れん、とかもっともらしく抜かしてねぇ……」
 脇から付け加えた薬師寺も、口調は穏やかながら、目付き自体は完全に据わっていたのであった。
「そ、そうか。色々大変だな、そっちも……」
 呆れるとも引くとも付かぬ面持ちで、近藤は相槌を打った。
 しかし、それからふと、近藤は宙を見上げる。
「……まあ、こっちも『薬』絡みと言やぁそうなんだが、そっちと繋がりがあんのかな……」
 ぽつりと湧き出た呟きに、鬼塚も薬師寺もふと顔を素に戻した。
 そんな彼らの前で、近藤は顔を戻すと、含みのある眼差しを傍らの二人組へと改めて注いだのだった。
「しっかし、ほとほと間がわりいよなあ。都内でもないのに、何だって寄りにも寄って、朝っぱらからこうして顔を合わせにゃならんのだ?」
 するとかさず、鬼塚が屈託無く笑って指摘する。
「そりゃあ、やっぱあれっしょ。『犬も歩けば棒に当たる』って……」
「俺は犬じゃねえ」
「俺は棒じゃねえ」
 途端、無遠慮な発言者を挟むようにして、薬師寺と近藤はそろって声を荒げたのだった。
 待合室の片隅にたむろする三者を置いて、院内は慌ただしさを増して行く。
 窓辺に置かれた観葉植物が、鮮やかな緑の葉に照明の光を反射させていた。

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