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去年のリッチな夜でした

その15

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 どうにもこうにも、『あいつ』にはやはり周りと相容れない何かがあるようだな。
 盛り上がりを見せる昼食の席で一人、中村三郎は面白くない表情をたたえていたのであった。
 普段は何かの会議にでも使われているのだろうか。広い間取りの室内には今、机が正方形を形作って並べられ、その外周をぐるりと囲って、多くの男達が食事を取るのと一緒に話に花を咲かせていた。
 服装、髪型、髪の色、全てがちぐはぐな男達である。
 机の上には仕出し弁当が人の数だけずらりと並べられ、それらの間にビール瓶や一升瓶が顔をのぞかせていた。
 日も高い内から、室内には酒精の匂いが濃く漂っていたのであった。
 これが屋外であれば、正に花見の風情となるであろう。そうした賑わいの外れの方に一人陣取って、中村は昼日中から陽気に騒ぐ『同業者』達の様子を眺め遣っていた。
 何でも、第四四半期にける売上高の概算が出たのだと言う。
 それでこんな宴会騒ぎを始めるからには、さぞや素敵な数字が算出されたのだろうな、と中村は紙コップに注がれたビールを飲みながら想像を巡らせた。
 実際、各自に配られた仕出し弁当も、見た目華やかな懐石料理の詰められた、結構な価格帯の物のようである。反り具合にまでこだわって作られた海老天をかじりながら、そこでふと、中村は自身の左斜め前の席へ眼差しを寄せた。
 そこに、『あいつ』が居た。
 左右を囲う人の列に埋もれたまま、それらに加わる事も無く、独り黙々と箸を動かしている細身の男が。
 肌の血色が少々悪い以外は、これと言って目立つ風貌でもない相手である。特に体格に優れる訳でもなく、背丈もまた一般的な範疇に収まるであろう。
 だが、いや、だからこそであろうか、『そいつ』のまとわせた空気には余計に異質なものが含まれていた。
 と、そこで『あいつ』は出し抜けに顔を上げたのだった。
 感情のもっていない、冷たい眼光がこちらへと向けられ、中村は咄嗟とっさに瞳を逸らした。中国人と言っても同じアジア系の、る意味では見慣れた顔立ちであると言うのに、『こいつ』の瞳によどむ光と来たら、まるで爬虫類のそれである。
 修羅のちまたねぐらとする生粋の殺し屋の目、と評するのも少し違うような気がする。いや、殺し屋である事自体は間違い無いのだろうが。
 それから数拍の間を置いて中村が目を戻すと、当の『あいつ』はまた自分の弁当に目を落として、黙々と食事を続けていたのであった。
 徹頭徹尾、愛想の欠片も振りこうとはしない。
 初めて顔を合わせた時と、全く何も変わっていない。
 周囲から引っ切り無しに届く談笑の輪の中で、中村は依然として気難しい表情を保っていた。
 『あいつ』は、『チェン』と名乗った。
 それが、当の本人が遣した、ほとんど唯一の自己紹介であった。
 無論、この業界にも愛想の悪い奴らは大勢いる。むしろ、比率としてはそちらの方が多いだろう。誰もが世間と言う奴に上手く馴染めなかった裏で、それ相応の理由をそれぞれが抱えているからだ。
 しかし、と中村は眉間にしわを寄せる。
 『こいつ』のにじみ出させる雰囲気には、それでも尚、自分達とは相通ずる面が根本的に欠けているように中村には思えてならなかった。
 と、そこで、隣の席から不意にビール瓶の注ぎ口が中村の手元に差し出される。
「まあ、どうぞどうぞ」
 中村が首を巡らせてみれば、隣の席に座った男が、こちらが酒杯を掲げるのを催促している所であった。パンチパーマを掛けた、四十代後半と思われるその男は、しわの現れ始めた顔に機嫌の良さそうな笑みを浮かべていた。
「やっ、こりゃどうも済みません」
 中村が愛想良く会釈をして紙コップを持ち上げると、パンチパーマの男はそこへビールを注いで行く。
 その様子を眺めながら、中村は謝意をあらわにする。
「悪いね、どうも。こっちは仕事で立ち寄っただけだってのに、こんな盛大な打ち上げに混ぜてもらっちまって」
なァに、うちの社長オヤジは何かと豪儀だもんだから、飛び入り参加のお客は大歓迎ってなもんでね」
 隣の男は酒が程良く回っているのか、若干呂律ろれつの怪しい口調で、それでも上機嫌で答えた。
 中村は、左右の席を見回してからもっともらしく感心して見せる。
「でも、凄いじゃない。昼の内からこんなに盛り上がれるなんて。やっぱり稼げるトコは違うねぇ」
「いやぁ、そんな風に言われっと、こっちもくすぐったいんだけども」
 ビール瓶を卓上に戻しながら、パンチパーマの男はやはり愉快げに言った。
「やっぱ、何? オリジナリティ? 独自のノウハウって奴? うちにはそれがあるから」
 ほろ酔い気分の所をめられて、男は益々ますます気を良くしたらしい。
 そこを見計らって、中村はかねてよりたずさえた思惑から、る質問をぶつけてみる。
「それってつまり、何か特別な技能を持った人材を確保してるって訳?」
 たずねながら、中村はくまでさり気無く、斜交いの席に座った『チェン』を一瞥した。
「……うん。まあ、突き詰めりゃ、そういう事になんだけどもね……」
 パンチパーマの男は、そこでそれまでの勢いを一二段落としたようであった。
 数秒足らずの事ではあったが、相手の反応を確かめて、中村は四角い顔の中で目をわずかに細めた。
 案の定、と言うべきか。
 ここでも、『あいつ』は素直に歓迎されていないらしい。
 その手腕だけは、誰もが高く評価しているのだろうが。
 一事が万事のたとえ通り、恐らく『これ』が、『あいつ』が国元を後にした、後にせざるを得なかった大まかな理由であるのだろう。
 中村はそこで、半年程前の出来事を思い返す。
 他でもない、あの『チェン』と名乗った男と出会った時の事を。
 あれは、何処か埠頭ふとうの倉庫での事だったろうか。
『お買い得! こいつは本当ホントお買い得だから!』
 蛇頭(※中国の密入国斡旋業者)の幹部を名乗った、やや肥満気味の男の紹介で、中村は『こいつ』と顔を合わせたのだった。
 大して目立たぬ風貌と服装。
 しかるに、その目元にたたえられた光は、中村に出会い頭に警戒を抱かせるに充分過ぎる代物であった。
 蛇の眼か、それとも蜥蜴トカゲの眼だろうか。
 刃傷沙汰が茶飯事の稼業に身を置く中村にしても、それは見た事も無い異質な眼差しであった。
 相手を刺し貫くような、あるいは頭から叩き潰すような激しい眼光を備えた相手とならば、中村も過去に幾度いくどか相対した事もあった。だが、『こいつ』の遣して来る視線は、それらとは全く異なっていたのである。
 こちらを威圧するのではなく、それでいて自由意思を認めるのでもなく、まるで四肢に絡み付いてじわじわと浸食して行くかのような薄気味悪い気配が、向かい立つ相手の双眸そうぼうからは漏れ出していたのであった。
 『毒』。
 そう、まるでなみなみと注がれた毒薬の中にでも放り込まれた気分である。
 中村は、理由の判らぬ居心地の悪さを初めて覚えたのだった。
『こいつは薬! 薬作んのが上手いのよ! もう、世界一! 天下一品だね、もう!』
 蛇頭の幹部、いや、実際には只の使い走りに過ぎないのかも知れないが、小太りの男がしきりと売り込もうと躍起やっきになっている。しかるに、その口調にはかすかな焦りが先程から見え隠れしていたのだった。
 何が何でも、ここで『こいつ』をこちらに押し付けておきたいらしい。もし、まかり間違ってまた連れ帰る事にでもなれば一体どうなるか、相手はずっと怯えているようだった。
 倉庫の天井に吊るされた照明がいい加減な光を投げ掛ける中、中村は『そいつ』へと問い掛けた。
『……你的名字是ニーダーミーンズシュ?』(※『名前は?』)
『……zhènチェン
 低く曇った声が、『そいつ』の唇から漏れ出た。
 それが、中村が自身の耳で聞いた最初の言葉であった。
 その時、周囲で大きな歓声が上がった。
 気付かぬ内にうつむき加減となっていた中村が顔を上げてみれば、部屋の扉が開け放たれ、外から安木邦男が入って来た所であった。
「よっ、大統領!」
 中村の横で、パンチパーマの男が、椅子から腰を浮かせて陽気に叫んだ。喜びに沸く部屋を、安木はガッツポーズすら見せ付けて悠々と進むと、窓辺の上座にて足を止めたのだった。
 宴の場は、輪を掛けて賑わった。
 特にたしなめるような事も言わず、机に両手を付き、上体を傾かせて、安木は昼食中の部下達を一人残らずのぞき込むような姿勢を取る。
「あァ、もう皆聞いてんだろォけどもよォ、冬場の売り上げェ、こいつがまたえれェ事ンなってんだわなァ」
 喜色満面と言った風情で安木が告げると、机を囲う部下達も俄然がぜん盛り上がりを以って答えた。
 そうした中で、安木は挑発的な笑みを浮かべる。
「最終的な純利益が出んのはまだ先だけんどもよォ、少なくとも去年を下回るって事ァェから。いや、もうぶっちゃけウハウハよ、ウハウハ。マジで度肝ォ抜かれるぐれェに」
 そう言うと、窓を背にした安木は一同を煽り立てる。
「てな訳で、今日は一日、前祝いだ! 次のボーナス期待してろォ、お前らァ!」
 居並ぶ男達が、一斉に呼応した。
 たった二人、通路側の下座に身を落ち着けた中村と、その斜交いに座った『チェン』を除いて。
 そして、その『チェン』の方へと、安木はふと首を巡らせる。
「さァて、そんなこんなの目出度めでてェ席で、一つその立役者にも挨拶してもらおうかねェ」
 言葉が何処まで通じているのか定かではないが、周囲の熱気と眼差しに押されて察したか、『チェン』は緩々ゆるゆると腰を上げた。近くでその様子を見上げていた中村には、一連の動作がまるで鎌首を持ち上げる蛇のように思えたのだった。
 他方、直前のボーナス云々うんぬんくだりが作用したのであろうか、居並ぶ男達は『チェン』に対してもこぞって喜びの声を送り、場の熱気は生半なまなかな事では冷める気配をのぞかせなかった。
「今やうちらの大黒柱! 稼ぎ頭の『チェン』君だ! 拍手、拍手!」
 安木が、さながら祭りの音頭を取るように声を張り上げた。
 その時、周囲から発せられる万雷の拍手の中で、『チェン』がゆっくりと口を開いた。
「……有難アリガト……皆さんのお役に立てた事、とても面白い……嬉しいです」
 いささかたどたどしい日本語で、それでも『そいつ』が謝辞を述べると、元々賑わいの中にあった宴の席は、さらなる盛り上がりを見せた。
 只一人、中村だけが、黙したまま冷めた眼光を瞳にたたえていた。
 さながら、笛の音に釣られて川へと向かうネズミの群を、丘の上から独り見下ろすイタチの如くに。
 真昼の饗宴は、いよいよあふれんばかりに、その熱気を増そうとしていた。
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