上 下
151 / 183
去年のリッチな夜でした

その13

しおりを挟む
「警察庁警備局公安課、特異犯罪対策室より参りました、鬼塚匠です。どうぞよろしく」
「同じく、薬師寺弘樹であります」
 そう告げて、それぞれに名刺を差し出して来た二人組を、月影司はにこやかに見つめた。
「こちら御簾嘉戸みすかと二区高校で教諭を勤めております、月影司と申します。御足労頂き有難う御座います」
 名刺を受け取りながら優雅に会釈を返した相手を、薬師寺と鬼塚は特に緊張を孕ませるでもなく眺めていた。
 場所は校舎の正面口での事であった。
 昼休みという時間柄、廊下を大勢の生徒が絶えず行き来し、その中の幾人かは、玄関口にたたずむ見知らぬ二人組にちらと目を遣るのだった。
 実際の所、校舎内に突如として現れたこの『二人組』の姿は、奇妙に浮いていた。
 水色のシャツにアイボリーのジャケットを着た鬼塚と、黒のタートルネックにグレーのジャケットを合わせた薬師寺の姿は、校舎の中にいては殊更ことさらにちぐはぐな空気を輪郭からにじみ出させていたのであった。
 頭をナチュラルマッシュにまとめた鬼塚の方は、まだ浮付いたホスト程度の印象で済むだろうが、その横で髪をツーブロックに整えた薬師寺に至っては、二十年前のロックシンガーか、もなくば何処かの借金取りのような様相であった。
 そうした場違いな雰囲気を発散させている事もあってか、通りすがりの生徒達にもえて足を止めてみようとする者はおらず、奇異の眼差しだけをちらほらと遣すのだった。
 背後から生徒達の歓声が聞こえて来る中で、司はそんな二人の警官へ向け、実に平然と言葉を遣す。
「来客のあるむねは朝の周知で聞かされております。どうぞお上がり下さい」
 物腰柔らかに促されて、鬼塚がまず相好を崩した。
「やぁ、済みませんねぇ、本当ホント。折角の昼休みに押し掛けちゃって。挙げ句、こうして出迎えみたいな真似までさせちゃって」
「いえいえ、こちらも好奇心が勝ったと申しますか、失礼ながら、あまり聞き憶えの無い部署でしたもので、どういう方々がお見えになるのか気になったのです」
 司はそう述べた後、丸眼鏡の奥でやおら目を細める。
「……先程、『特異犯罪対策室』と仰いましたか?」
 その向かいで、薬師寺が首肯した。
「はい。世間には大して馴染みの無い部署ですが、確かに警察組織に連なるものです。そこは信用して下さい」
「承知致しました。では、どうぞお上がりになって下さい。校長室まで御案内致します」
 司が優雅に述べると、薬師寺と鬼塚は来客用の下駄箱にそそくさと靴を収め、校舎の中へと足を踏み入れたのであった。
 二人を先導する司は終始落ち着いた足取りで、たまに生徒達の様子も眺めながら廊下を進む。
「……ところで、警察の方々がわざわざお越しになったという事は、それ相応の何事かが起きてしまったという解釈でよろしいのでしょうか?」
 背中越しに遣された質問に、鬼塚は反射的に何とも言えぬ渋い面持ちを浮かべていた。
 隣を歩く薬師寺にしても、ほぼ同様であった。
 二人のいたスリッパの床を打つ音が、何処か白々しい響きを昼時の廊下に撒き散らした。
 ややあって、鬼塚が困り顔で頭を掻く。
「そうかれると、こっちとしても返答に困るんですが、ま、今回お邪魔したのはくまで『裏取り』って事で……」
「ほう」
 そう相槌を打つや否や、司は唐突に足を止めた。
 次いで、彼は半身を後ろに向けると、並び立つ二人の来訪者へいささか強さを増した眼差しを送る。
「それはつまり、率直に申し上げて、本校の生徒が何か不祥事を起こしてしまったという事なのでしょうか?」
「……生徒『だった』、という所ですね」
 相手に合わせて足を止めた薬師寺が、穏やかに答えた。
 その隣では、鬼塚が視線を斜めに持ち上げて、ばつの悪い様子で言葉を続ける。
「やァ、まあ、あんま大きな事件でもないんで御存知ないかも知れないんですが、二週間ばかり前、この御簾嘉戸みすかと市内のナイトクラブで、客の一人が救急搬送される騒ぎが起きたんですよ。何でも夜の十時近く、正に宴もたけなわの頃合いに、ダンスホールで踊ってた男性が突然ぶっ倒れたんだそうで……」
「ああ、つまりその人物が、本校の卒業生であったと……」
 司の差し挟んだ言葉に、薬師寺がうなずいた。
根本ねもとひとし。年齢二十歳。二年前にこちらの高校を卒業後、市内の不動産会社に就職、現在に至る、と現時点で判明している事実はそのくらいのものでして、我々としても暗中摸索の中でわずかな手掛かりを求めて、こうしてお邪魔したという次第で」
成程なるほど
 薬師寺が繋いだ説明を受けて、司も得心したような素振りをのぞかせた。
 そして、彼はまた前を向き直すと、廊下を歩き始める。
「……要するに、その一件が何か事件性の疑われる出来事であり、勤め先共々、卒業校にも聴き取りに参られたという次第なのでしょうか?」
「そう。そうなんですよ。現時点では何も特定出来ちゃいないんですが、大雑把に言えば『念の為』って奴で」
 司の後を追いながら、鬼塚も答えた。
 その横で歩調を合わせつつ、薬師寺が鼻息をいた。
「御面倒かつ不愉快であるとは思いますが、我々も何事も疑って掛からねばならない立場ですので、ここは何卒なにとぞ御協力を仰ぎたいのです」
「いえいえ、これでも捜査機関の皆様の心掛けは理解している積もりですし、何事も念に念を入れるというのは大切な事ですよ。勉強にしても、職務にしても」
 司は至って爽やかに、ねぎらいとも取れる言葉を後ろの二人へと送った。
 出会い頭と比べても、何ら不信感も不快感も込められてはいない相手の対応を受けて、鬼塚は安堵の表情をのぞかせ、一方の薬師寺も小さく肩を落として鼻息をく。
 廊下の窓の外に覗く空は小気味良いまでの水色で、射し込む暖かな日差し共々、緩やかに眠気を誘いそうであった。
しおりを挟む

処理中です...