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去年のリッチな夜でした

その12

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 そして今、土井康介は目の前に立つその『相手』を、心底面倒臭そうに見遣った。
 時刻は十二時半を少し回った辺りである。
 昼食を取り終えた生徒達が教室の内外を銘々にそぞろ歩き、辺りはいつも通りの陽気な喧騒に覆われていた。
 そんな中、教室の廊下側の席に座った康介は、今も自分の眼前で取り留めの無いお喋りに興じている『相手』を億劫そうに見上げた。
 その『相手』、金子透は、実に楽しそうに周囲の仲間と歓談を続ける。一人席に腰を下ろした康介を半円に取り囲むようにして、小さなグループが出来ていた。
 隣に立った仲間の方を向いた透の横顔を見つめる内に、康介は自然と溜息を漏らしていた。
 一体全体、どういった因果によるものなのやら。
 この度二年生へと進級し、クラス替えを経た結果、よりにもよって『こいつ』と同じ組に割り振られる運びになろうとは。
 康介は、昼休みに沸くクラスの中で只一人、気疲れした面持ちをたたえていたのであった。
 これが、『切っても切れぬ』と言う奴なのであろうか。
 こちらから誰に何を頼んだ憶えも無いと言うのに。
 独り何やら晴れぬ気分を抱えた彼の前で、くだんの透は新たな級友達と話に花を咲かせて行く。
「やっぱ、カバーリング上手いよな、あの人。見てて目が追い付かなくなる時あるもん。熟練の身のこなしっつっていいよ、ありゃ」
 人の席の真ん前で心底愉快げに話す透は、進級した今も坊主頭のままであった。教室内を見回してみても、今更いまさらそんな髪型を保っている生徒は一人しかいない。先頃新たに入部して来た新入生達にも、うちに髪型に関する規則は無い、あいつは物臭ものぐさであの頭にしてるだけだから気にするな、と説明したのを康介は思い出した。
 何処までも果てしなくマイペースな男である。
 と、康介がそんな辟易したような思いを抱いた矢先、当の透が矢庭に彼へと顔を向けた。
「お前、どう思う? 『ヨルダ』と『イッコ』だったら、やっぱ『ヨルダ』のが上だよなぁ?」
「……は?」
 途中の話を全然聞いていなかった康介は、不意に意見を求められて眉根を寄せた。
「……何? 何だって?」
 にわかに困惑する康介の前で、透は言葉を続ける。
「『ぺイバックス』の腕前の話。今ントコ『イッコ』のが順位で上回ってるけど、『ヨルダ』のPS(※プレイヤースキル)だったら充分巻き返せるよなぁ? そう思わない?」
「……いや、そんな事訊かれたって、俺判んねえよ。急に人の名前なんか出されても付いてけないし」
 康介が単純に困った口調で答えると、透は即座に驚きをあらわにした。
「えっ!? じゃ何!? お前、見てなかったの、昨日の配信!? あんな白熱した対戦だったのに!?」
「見てないって、んなもん」
「うっそ、マジかよ!?」
 邪険に言い捨てた康介の向かいで、透が実に意外そうに口を開く。彼の左右に立つ級友達も、むしろ咄嗟とっさの反応に困った様子をのぞかせたのだった。
 どうやら、ゲームのストリーミングについて熱く語り合っていた最中だったらしい。この席の前に集まって来た当初は、新しく赴任して来た教師の話題で盛り上がっていたはずなのに、少し聞き流している内に随分ずいぶんと飛躍したものである。
 とまれ、他ならぬ自分の席の前で、何とも言えぬ微妙な空気をかもし出し始めた仲間を、康介はむずがゆそうに見上げたのであった。
「大体、赤の他人がゲームやってる様子なんか、わざわざのぞき込んで面白いか? 自分でやるならまだ判るけどさ……」
「何だよ、冷めた事抜かして。お前だって、お気に入りのゲームぐらいあんだろぉ?」
「ねーよ。中学生じゃあるまいし」
 次第に声を低くして行く康介とは対照的に、透は声音のトーンを上げて行く。
「なーに朴念仁みたいな事言ってんだよ? 昔はよく一緒に遊んでた癖して、高校上がってから急に冷めた事言い出しやがって……」
「お前が変わらな過ぎなだけだって」
 ついには机の上に頬杖を付いて、康介は冷静そのものの口調で断じた。
 『こいつ』と来たら、昔からこうなのだ。
 普段は何に対してもやる気半分の態度で臨む癖に、時折、変な所で変なものに変な執着をのぞかせる。今回はまたぞろ、よせばいいのにゲームの実況配信なぞに入れ込んで一途に熱を上げているようだが、こんな熱狂は昔から長続きしたためしが無い。
 兎に角、きっぽいのである。
 その都度つど振り回される側としてはたまったものではない。
 どうせ今回も、発条ゼンマイが切れるように、一年と経たぬ内に興味を無くして投げ出すに決まっている。身近で付き合わされるこちらにとっては、その一年が時に十年にも感じ取れるのだが。
 憂鬱な想いを抱えた康介の胸の内なぞお構い無しに、透はかえって押しを強くする。
「お前こそ、年寄りみたいな事言ってないで、もっと前向きに自分を変える努力をしろよぉ。世の中は刺激に満ちてるし、面白いものがあふれてんだから。お前の視界の外にも世界は広がってんの」
「だから、その『広い世界』に触れたくて、毎晩おかしな動画をあさっちゃ夜更ししてんのか? それこそ、動画に映ってる外にも世界は広がってんだぞ。狭い画面の中にめ込まれた情報ばっかいくら夢中で追っ掛け回したトコで、上辺だけの無駄知識ぐらいしか手に入んねえだろ」
「そういうのも踏まえて、全ては『経験』なんだって」
 胡散臭そうに指摘した康介の真向かいで、透はよどみ無く答えた。
「やった事、憶えた事が何もかも無駄ンなるなんてこたえの。いつかどっかで、それこそ忘れた頃にでも役立つもんよ、経験含蓄って奴は。要は趣味でも何でも、幅を広げる事が大事なんだから」
 きっぽい奴の常套句だな、そりゃ。
 康介は咄嗟とっさにそう思ったものの、不思議と強く否定する気にもなれず、席から相手を見上げていた。
 そんな康介を悠然と見下ろして、透は尚も高説を垂れ流して行く。
「てな訳だから、お前もいつまでも意識高い系気取ってねえで、一通り何でも体験してみな。まずは、騙されたと思って、俺らオススメの動画からチェックしてみろって」
「……いや、もっともらしい御託並べて、人を沼に引きり込もうとすんなよ」
 俄然がぜんげんなりした表情をのぞかせた康介へ、透は一転して喜色をにじませた眼差しを注いだ。
「『ヨルダ』、兎に角『ヨルダ』の動画を見てみろ、一度でいいから」
「やだよ、ゲームの実況なんて。上げてる奴が黄色い声で引っ切り無しにわめいてるだけだろ、馬鹿馬鹿しい」
「馬っ鹿、そんなんじゃねえって。軽妙なトークと絶妙なツッコミが冴えまくってるし、FPSからカードバトルまで幅広くこなせる適応力が……」
「まず社会に適応してくれ! 頼むから!」
 ついには悲鳴にも似た響きを帯び始めた康介の声は、昼休みの教室にいては特に目立つ事も無く、周囲の歓声に混じって押し流されて行ったのであった。
 辺りから話し声と足音が絶える事は無く、学校全体が賑わいに包まれているかのようである。
 開け放たれた窓からは、昼の暖かな光と共に春風が舞い込んで来る。
 春の日差しを浴びて、校舎裏に停められた緑色のスポーツカーが、人知れず静かにルーフを輝かせていた。
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