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去年のリッチな夜でした
その8
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そして、その日も差し障り無く日は傾いて、昼の後には夜が訪れたのであった。
いつもと何ら変わらず、残照が西の空に次第に吸い込まれようとする最中、駅前の商店街の一角で『彼ら』は互いに顔を合わせたのだった。
様々な飲食店が軒を連ねるありふれた横丁にて、リウドルフとアレグラは相対する三つの人影をそれぞれに見遣る。
即ち、月影司と、彼が連れた二人の子供達を。
「……また小っこいのを連れて来たな」
リウドルフは普段よりも更に気の抜けた表情を浮かべ、目の前に佇む二つの小さな人影を見つめた。
司の左右を囲うようにして、黒髪の女の子と金髪の男の子が、それぞれに所在無さそうに、それでいて訝る眼差しを面前に立つ『もの』へと注いでいる。自然と人目を引く鮮やかな髪を別にすれば、体格自体は何の変哲も無い五歳相当の子供である。瀟洒なスーツを着込んだ司に合わせてか、二人の子供もまた、それぞれの髪の色に合った色使いの、お洒落な子供服に袖を通していた。
その中心で、司がいつもと変わらぬにこやかな面持ちを保ちつつ、リウドルフとアレグラへ一礼する。
「どうもお待たせしました。この国では、親睦を深めるには、まずこうした場所を利用するものでして」
「何、酒が入れば話が弾むのは何処でも同じさ」
リウドルフがふと鼻息を吐いて答えると、その隣に並んだアレグラが、目の前に立つ二人の子供達へと笑顔で手を振って見せた。皺の目立つ安物のスーツを着た主の横で、赤のニットに黒のタイトスカートとタイツを合わせた出で立ちを晒した彼女は、何処までも陽気に笑い掛ける。
「宜しくね~、お供君達~」
そう挨拶を遣された向かいで、司の左側に寄り添っていた金髪の男の子が、上目遣いにおずおずと答える。
「……よ、よろしくね……おばさん……」
刹那、アレグラは笑顔を凝固させるのと一緒に、油が切れた人形のように全身を強張らせたのであった。
「……お、おばさ……?」
その有様を、リウドルフが傍らから呆れ顔で一瞥する。
「孫達に囲まれて、散々婆ちゃん婆ちゃん呼ばれて来た奴が、何を今更狼狽えてんだ……」
「……いや、それとこれとじゃ話は別って言うか……」
何やら口籠る同行者を置いて、リウドルフは先方の同行者たる二人の子供達へ改めて目を向ける。
「ふーん……」
相手の義眼の表に微かに滲んだ蒼白い光を認めてか、黒髪の女の子と金髪の男の子は揃って司の脚にしがみ付いた。
「……『无常狼』か。また随分と珍しい連中を連れて来たもんだ」
リウドルフが感心したように呟いた先で、黒髪の女の子がやおら司を見上げた。
「……爸爸、何この胡散臭い奴……?」
「ああ、だからこの人が……」
「胡散臭いのはお互い様だ」
咄嗟の対応に苦慮している司の前で、リウドルフが鼻息交じりに切り返した。
「俺も、世界中の胡散臭い奴らの中でも三本の指に入るぐらい胡散臭いという自覚はあるが、それにしたって希少性ではそっちが上だろう? 確か、公には絶滅した事になってたんじゃなかったか? 俺みたいな『死に損ない』が指摘するのも何だが」
リウドルフの言葉に、司の両脇を囲う二人の『子供』は僅かに目元を固くした。
そんな二人の頭上で、司は困った様子で笑い掛ける。
「まあまあ、店先で立ち話を続けるのも何ですし、そろそろ中に入りませんか?」
促されて、リウドルフも首肯する。
「だね。夜風も段々涼しくなって来た。続きは暖を取りながらにしよう」
それから程無くして、横丁の一角に屯していた一団は、串焼き屋の中へと相次いで入って行ったのであった。
辺りはすっかり暗くなり、路肩に掲げられた街灯が眩さを増して行く。仕事帰りの人々が織り成す雑踏の足音も、これから正に盛りを迎えようとしていた。
そうした表通りの人混みの中を、学生達の一団が歩いていた。
銘々にスポーツバッグを肩に掛け、制服姿で夜の商店街を進むのは少年達の一群である。特に急ぐでもなく歩を進める彼らは、談笑を続けながら夜の街を闊歩する。
その中にあって、康介はふと自分の頭に手を遣った。元々ナチュラルマッシュに纏められていた彼の髪は、汗を吸って随分と萎み、前髪に至っては額に貼り付いていたのだった。
今一つ締まらない自身の髪型を気にしていた康介ヘ、その時、他の仲間と話していた透が横合いから茶々を入れる。
「おいおいおいおい、何だか頭が茄子みてえンなってんぞ」
途端、康介はむっとした面持ちを相手の方へと向けた。
「何が茄子だ。誰が茄子だ。俺が茄子ならお前は胡瓜だよ」
うんざりした口調で言ってから、康介は透の頭を改めて見つめた。
「……てかお前、何だって頑なにその髪型に拘ってる訳?」
康介と透を含め、商店街を歩く男子生徒の一団は制服こそ同じであったが、それぞれの頭髪にはそれぞれの趣向が表れていた。
その中で、誰もが適度に髪を伸ばして整えている中で、透只一人が短く刈り揃えた坊主頭を晒していたのであった。
大まかな顔形と合わせれば、確かに胡瓜のようにも見えるその有様を指して、康介は尚も不満げに指摘する。
「折角髪型に制限が掛かってないってのに、んな如何にも『高校球児です』みたいな形して、何それ? 自分は真面目にやってますアピールか?」
「単にセットすんのが面倒臭えだけだって」
透は、実にあっけらかんとした口調で答えた。
「これなら汗かいてもすぐに拭き取れるし、風呂上がりでも放ったらかしでいいし、結構便利なんだもんよ、事実として。俺、何事も機能性重視で行くタイプだから」
「ずぼらなだけだろ、ただ単に……」
康介が溜息交じりに吐き出した嘆きは、辺りの喧騒に呑まれて忽ち消え失せたのであった。
ややあって、透がふと眼差しを持ち上げた。
「……っかし、疲れたな。半日も練習するなんて久し振りじゃね? いくら世の中選抜で盛り上がってる最中だからって、俺らまで一緒ンなって熱上げなくてもなぁ……」
透がまるで他人事のように文句を言うと、その隣を歩きながら康介が呆れた目を向ける。
「だから次の選抜には招かれるように、夏場に向けて努力しとくんだろ、今の内に」
そう答えてから、康介は視線を前に戻して鼻息を吐く。
自然と、彼は遠くを見据える眼差しを前方に送っていた。
「……どの道、気兼ねなく練習出来るのは今の内だ。次の夏休みに入りゃ、夏期講習だなんだで嫌でも忙しくなってくんだから」
「心置きなく部活に打ち込めんのは一年の時ぐらいだって?」
康介の言葉を継いだ後、透は不意に鼻先で一笑した。
「言うて、お前の場合、スポーツ推薦取る積もりでいんじゃねえのぉ? 夏の時点でベンチ入りしてたんだもんなぁ? 外野の守備練習も今じゃついででやってるようなもんだし、次の夏にゃ新たなエースが爆誕って事にもなんじゃね? で、そのまま出世街道を一直線と。いーなー、羨ましー」
流し目と共に何処か投げ遣りに遣された言葉に、康介はむっとした表情を浮かべる。
「推薦なんて、そう簡単に受けられるもんかよ」
「けど実際、うちからも毎年一人ぐらいはお誘いが掛かるって話だぞ。ほら、三年の瀬川さん。あの人に声が掛かってたんだって噂、お前も聞いた事あんだろ? 本人ははぐらかしてたけども」
「ああ……」
言われて、康介はふと視線を持ち上げた。
「成績良かったらしいからな、あの人。それで却って進路に悩む羽目ンなったらしい。何処の大学行ったかまでは知らんけど」
そう述懐した康介の横顔を、その時、透はじっと見つめた。
「……お前なら、いずれどっかに拾って貰えんじゃねえか? 割とマジに」
からかい半分の口調を収め、その時、素に近い表情で透は告げた。
ものの数秒間、両者の間に周囲の喧騒が過ぎる。
康介も真顔に戻って相手の言葉に耳を傾けていたが、しかし、ややあってから冷ややかな眼差しを送り返したのだった。
「……んな他人事みたいに言ってないで、お前の方こそ推薦貰えるよう頑張ったらどうだ? まずはマウンドに復帰して、抑えでも中継ぎでも……」
「馬鹿、俺ァ外野が気に入ってんだよ。打たれた時だけ対応してりゃいいんだから」
一転してさばさばした口調で切り返しながら、透は人差し指と中指を顔の横で振って見せた。
「ま、本当にお誘いが掛かるかどうかは別として、俺らが楽する為にも、お前は精々頑張ってくれや」
事も無げに吐き出された言葉に、康介はむず痒そうな表情を浮かべ、遂には相手から視線を外したのだった。
「……ったく、人の気も知らないで……」
苦々しげ、と言うよりはむしろ、それは何処か苦しげな物言いであった。
その間にも雑踏の人波は絶え間無く流れ、諸々の灯りは宵闇の中でその強さを刻々と増して行く。
夜の帳が、この日もまた辺りを覆い尽くそうとしていた。
いつもと何ら変わらず、残照が西の空に次第に吸い込まれようとする最中、駅前の商店街の一角で『彼ら』は互いに顔を合わせたのだった。
様々な飲食店が軒を連ねるありふれた横丁にて、リウドルフとアレグラは相対する三つの人影をそれぞれに見遣る。
即ち、月影司と、彼が連れた二人の子供達を。
「……また小っこいのを連れて来たな」
リウドルフは普段よりも更に気の抜けた表情を浮かべ、目の前に佇む二つの小さな人影を見つめた。
司の左右を囲うようにして、黒髪の女の子と金髪の男の子が、それぞれに所在無さそうに、それでいて訝る眼差しを面前に立つ『もの』へと注いでいる。自然と人目を引く鮮やかな髪を別にすれば、体格自体は何の変哲も無い五歳相当の子供である。瀟洒なスーツを着込んだ司に合わせてか、二人の子供もまた、それぞれの髪の色に合った色使いの、お洒落な子供服に袖を通していた。
その中心で、司がいつもと変わらぬにこやかな面持ちを保ちつつ、リウドルフとアレグラへ一礼する。
「どうもお待たせしました。この国では、親睦を深めるには、まずこうした場所を利用するものでして」
「何、酒が入れば話が弾むのは何処でも同じさ」
リウドルフがふと鼻息を吐いて答えると、その隣に並んだアレグラが、目の前に立つ二人の子供達へと笑顔で手を振って見せた。皺の目立つ安物のスーツを着た主の横で、赤のニットに黒のタイトスカートとタイツを合わせた出で立ちを晒した彼女は、何処までも陽気に笑い掛ける。
「宜しくね~、お供君達~」
そう挨拶を遣された向かいで、司の左側に寄り添っていた金髪の男の子が、上目遣いにおずおずと答える。
「……よ、よろしくね……おばさん……」
刹那、アレグラは笑顔を凝固させるのと一緒に、油が切れた人形のように全身を強張らせたのであった。
「……お、おばさ……?」
その有様を、リウドルフが傍らから呆れ顔で一瞥する。
「孫達に囲まれて、散々婆ちゃん婆ちゃん呼ばれて来た奴が、何を今更狼狽えてんだ……」
「……いや、それとこれとじゃ話は別って言うか……」
何やら口籠る同行者を置いて、リウドルフは先方の同行者たる二人の子供達へ改めて目を向ける。
「ふーん……」
相手の義眼の表に微かに滲んだ蒼白い光を認めてか、黒髪の女の子と金髪の男の子は揃って司の脚にしがみ付いた。
「……『无常狼』か。また随分と珍しい連中を連れて来たもんだ」
リウドルフが感心したように呟いた先で、黒髪の女の子がやおら司を見上げた。
「……爸爸、何この胡散臭い奴……?」
「ああ、だからこの人が……」
「胡散臭いのはお互い様だ」
咄嗟の対応に苦慮している司の前で、リウドルフが鼻息交じりに切り返した。
「俺も、世界中の胡散臭い奴らの中でも三本の指に入るぐらい胡散臭いという自覚はあるが、それにしたって希少性ではそっちが上だろう? 確か、公には絶滅した事になってたんじゃなかったか? 俺みたいな『死に損ない』が指摘するのも何だが」
リウドルフの言葉に、司の両脇を囲う二人の『子供』は僅かに目元を固くした。
そんな二人の頭上で、司は困った様子で笑い掛ける。
「まあまあ、店先で立ち話を続けるのも何ですし、そろそろ中に入りませんか?」
促されて、リウドルフも首肯する。
「だね。夜風も段々涼しくなって来た。続きは暖を取りながらにしよう」
それから程無くして、横丁の一角に屯していた一団は、串焼き屋の中へと相次いで入って行ったのであった。
辺りはすっかり暗くなり、路肩に掲げられた街灯が眩さを増して行く。仕事帰りの人々が織り成す雑踏の足音も、これから正に盛りを迎えようとしていた。
そうした表通りの人混みの中を、学生達の一団が歩いていた。
銘々にスポーツバッグを肩に掛け、制服姿で夜の商店街を進むのは少年達の一群である。特に急ぐでもなく歩を進める彼らは、談笑を続けながら夜の街を闊歩する。
その中にあって、康介はふと自分の頭に手を遣った。元々ナチュラルマッシュに纏められていた彼の髪は、汗を吸って随分と萎み、前髪に至っては額に貼り付いていたのだった。
今一つ締まらない自身の髪型を気にしていた康介ヘ、その時、他の仲間と話していた透が横合いから茶々を入れる。
「おいおいおいおい、何だか頭が茄子みてえンなってんぞ」
途端、康介はむっとした面持ちを相手の方へと向けた。
「何が茄子だ。誰が茄子だ。俺が茄子ならお前は胡瓜だよ」
うんざりした口調で言ってから、康介は透の頭を改めて見つめた。
「……てかお前、何だって頑なにその髪型に拘ってる訳?」
康介と透を含め、商店街を歩く男子生徒の一団は制服こそ同じであったが、それぞれの頭髪にはそれぞれの趣向が表れていた。
その中で、誰もが適度に髪を伸ばして整えている中で、透只一人が短く刈り揃えた坊主頭を晒していたのであった。
大まかな顔形と合わせれば、確かに胡瓜のようにも見えるその有様を指して、康介は尚も不満げに指摘する。
「折角髪型に制限が掛かってないってのに、んな如何にも『高校球児です』みたいな形して、何それ? 自分は真面目にやってますアピールか?」
「単にセットすんのが面倒臭えだけだって」
透は、実にあっけらかんとした口調で答えた。
「これなら汗かいてもすぐに拭き取れるし、風呂上がりでも放ったらかしでいいし、結構便利なんだもんよ、事実として。俺、何事も機能性重視で行くタイプだから」
「ずぼらなだけだろ、ただ単に……」
康介が溜息交じりに吐き出した嘆きは、辺りの喧騒に呑まれて忽ち消え失せたのであった。
ややあって、透がふと眼差しを持ち上げた。
「……っかし、疲れたな。半日も練習するなんて久し振りじゃね? いくら世の中選抜で盛り上がってる最中だからって、俺らまで一緒ンなって熱上げなくてもなぁ……」
透がまるで他人事のように文句を言うと、その隣を歩きながら康介が呆れた目を向ける。
「だから次の選抜には招かれるように、夏場に向けて努力しとくんだろ、今の内に」
そう答えてから、康介は視線を前に戻して鼻息を吐く。
自然と、彼は遠くを見据える眼差しを前方に送っていた。
「……どの道、気兼ねなく練習出来るのは今の内だ。次の夏休みに入りゃ、夏期講習だなんだで嫌でも忙しくなってくんだから」
「心置きなく部活に打ち込めんのは一年の時ぐらいだって?」
康介の言葉を継いだ後、透は不意に鼻先で一笑した。
「言うて、お前の場合、スポーツ推薦取る積もりでいんじゃねえのぉ? 夏の時点でベンチ入りしてたんだもんなぁ? 外野の守備練習も今じゃついででやってるようなもんだし、次の夏にゃ新たなエースが爆誕って事にもなんじゃね? で、そのまま出世街道を一直線と。いーなー、羨ましー」
流し目と共に何処か投げ遣りに遣された言葉に、康介はむっとした表情を浮かべる。
「推薦なんて、そう簡単に受けられるもんかよ」
「けど実際、うちからも毎年一人ぐらいはお誘いが掛かるって話だぞ。ほら、三年の瀬川さん。あの人に声が掛かってたんだって噂、お前も聞いた事あんだろ? 本人ははぐらかしてたけども」
「ああ……」
言われて、康介はふと視線を持ち上げた。
「成績良かったらしいからな、あの人。それで却って進路に悩む羽目ンなったらしい。何処の大学行ったかまでは知らんけど」
そう述懐した康介の横顔を、その時、透はじっと見つめた。
「……お前なら、いずれどっかに拾って貰えんじゃねえか? 割とマジに」
からかい半分の口調を収め、その時、素に近い表情で透は告げた。
ものの数秒間、両者の間に周囲の喧騒が過ぎる。
康介も真顔に戻って相手の言葉に耳を傾けていたが、しかし、ややあってから冷ややかな眼差しを送り返したのだった。
「……んな他人事みたいに言ってないで、お前の方こそ推薦貰えるよう頑張ったらどうだ? まずはマウンドに復帰して、抑えでも中継ぎでも……」
「馬鹿、俺ァ外野が気に入ってんだよ。打たれた時だけ対応してりゃいいんだから」
一転してさばさばした口調で切り返しながら、透は人差し指と中指を顔の横で振って見せた。
「ま、本当にお誘いが掛かるかどうかは別として、俺らが楽する為にも、お前は精々頑張ってくれや」
事も無げに吐き出された言葉に、康介はむず痒そうな表情を浮かべ、遂には相手から視線を外したのだった。
「……ったく、人の気も知らないで……」
苦々しげ、と言うよりはむしろ、それは何処か苦しげな物言いであった。
その間にも雑踏の人波は絶え間無く流れ、諸々の灯りは宵闇の中でその強さを刻々と増して行く。
夜の帳が、この日もまた辺りを覆い尽くそうとしていた。
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