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去年のリッチな夜でした

その4

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 果たしてその日も日は昇り、いつもと変わらぬ朝が訪れた。
 玄関に通じる廊下の仕切り戸に立って、スーツに身を固めたリウドルフは忌々しげにリビングを振り返る。
「だから最低限の整理だけは済ませておけよ! お前の私物の方がかさ張る物が多いんだから! 梱包材とかもまとめて集積所に出して置け!」
「は~い、粉骨砕身努力しま~す」
 はなはだ誠意に掛けた声が、リビングの窓辺から上がった。何処までやる気の篭っているかも怪しい返答を耳に入れるなり、リウドルフは渋面を深くする。
 八畳程の広さのリビングには現在、大小様々の段ボール箱が散乱していたのであった。床に乱雑に散らばった箱同士の隙間には把捉テープの切れ端やビニール袋が散らばり、正に足の踏み場も見当たらぬ有様である。
 そしてその散らかり放題のリビングの端で、下着姿の赤毛の女が床に腰を下ろし、目の前に置いたデスクトップパソコンとディスプレイに諸々もろもろの配線を施している最中であった。
「ん~、こんな事もあろうかと、変圧器を買い揃えといて正解だったかな~? 部屋のアンペアとの兼ね合いが気になるけど、その辺は後で管理会社に相談して……」
 何やらぶつぶつと呟きながら、アレグラ・ジグモンディは周りの散らかり具合を他所にパソコンのセットアップにいそしんでいる。あたかも、直下に糞尿を撒き散らしながら自分の巣の中だけは清潔を保とうとするはた迷惑な烏のように、赤毛の女は相棒とも呼べる自機の準備に余念が無い様子であった。
 その有様をしばし眺め、リウドルフは苦々しく念を押す。
「兎に角、夕方までに最低限、人が通れるだけのスペースは確保しておけよ。場合によっちゃ、この部屋に客を招く運びになるかも知れんのだからな」
「ふえ~い」
 たるんだ生返事を発した後、アレグラは段ボール箱の間からふと顔を起こした。
「んで、何つったっけ? その新しい『御目付け役』の人。東洋の名前って一度聞いただけじゃパッと憶えらんなくて」
「『月影司』。本名までは知らんがな」
 答えるのと一緒に、リウドルフはアレグラの方へ改めて顔を向ける。
「学校で当面の『職務』について説明を受けた後、今度は『国際託宣統括機関 I O S O 』の一員として懇親会を開く手筈になっている。恐らく何処かのレストランで会食って流れになるだろうが、その時にはお前もきちんと同席しろ。勿論もちろん、常識的な身形みなりでだ」
 リウドルフがしかつめらしい面持ちで通達すると、アレグラはやおら天井を仰いだ。
「へいへい、了解。付き添いとしての義務は果たしますよぉ~」
 億劫そうに答えた後、アレグラはふと目元を細める。
「でもさぁ~、んな堅苦しい挨拶を交わした所で、結局は長い付き合いにはなんないんじゃないのぉ~? 三年もしない内に、ま~たどっかへ引っ越す事ンなって」
「だからこそ、だ。短い付き合いだからって、人付き合いを御座なりにしていい理由にはならんだろ。俺だって、別に隣人を使い捨てにする積もりで放浪を重ねている訳じゃない。くまで人当たりは良く、えにしはその都度つど大切にしろと言う事だ」
 リウドルフがしんみりした口調で返すと、アレグラも幾度いくどうなずいて見せる。
「ああ、何かあったね、そういう言い回し。『イチゴが一円』だとか……」
「『一期一会』だな」
 訂正してから、リウドルフは元々細い肩をさらすくめた。
「どの道、これまで過ぎて行った歳月と比べれば、この先にけるどんな付き合いも短いものにしかならんのだろうし、それはもうどうしようもない。しかし、だからと言って、そこに価値が生じないという事にはならない。お前だって所帯を持った時に、変に後ろ向きな事ばかり考えてたんでもなかろうが」
「そりゃまこともっとも」
 うなずいて、アレグラはまた床に置かれたパソコンへと顔を戻したのであった。
「だったら、せめていい出会いが生まれるといいねぇ。色々と話し合えるお友達とか」
「そうだな。たまには、互いに愚痴をこぼし合えるような相手と出くわしたいもんだ」
 リウドルフは肩を落としたまま、おもむろに視線を持ち上げる。
「……ま、人生を変える程の出会いなんてのが、今更いまさら都合良く転がり込んで来るとも思えんが……」
 永き日々を歩んで来た者の漏らした嘆息は、さざなみのように刹那の狭間に溶けて消えて行く。『その日』も不死者達の庵は特段の変化を覗かせず、何処までも泰然と時の流れを漂うかのようであった。

 同じ頃、月影司もまた洗面所の鏡の前で身嗜みだしなみを整えている所であった。
 主の端正な面持ちとたがわず、着込んだスーツには僅かな染みも皺も見当たらず、目の前の洗面台もまたそれ自体が光を放たんばかりに清潔に保たれていた。
 そうしてネクタイの角度を整えた後、司は姿勢を正して息をく。
 頭髪はすでに丁寧に撫で付けられ、学者風の丸眼鏡の下では鋭い煌めきを放つ双眸が洗面台の照明をね返していた。
 刃の如く切れ味を帯びた、それは決然たる意志の宿る眼光であった。
「いよいよ、か……」
 鋭い眼差しと共に、彼がそう独白した時の事であった。
爸爸バーバ! 爸爸バーバ!」
 甲高い声が、洗面所の向こうから飛び込んで来た。
 一転して眉根を寄せた司の下に、間を置かず小さな人影が飛び込んで来た。
 長身の司に比べて随分と小柄な、五歳児程の背丈の持ち主である。照明の光に鮮やかに輝く金色の髪をなびかせたその小兵の人影は、司の膝の辺りにしがみ付いて彼を見上げた。
爸爸バーバ! 『ヘイ』が! 『ヘイ』がまた僕のウインナー取ったぁー!」
 瑠璃色の瞳から涙をあふれさせて訴えるのは、今にもけそうなまでにきらめく金髪を持つ男の子であった。幼さを過分に残した丸い顔を紅潮させ、自身の足元で泣きじゃくる男の子を見下ろして、司は直前までの意気をすっかり抜かれたていにわかに肩を落としたのであった。
 そして、
「『黑爪ヘイジュア』っ!! いい加減、『明牙ミンヤ』に意地悪するのはめなさい!!」
 居間へと戻るなり、司は叱咤の声を上げた。
 広々とした、卓球台を置いても尚余裕が出来る程の広い居間には、食器棚を背にして楕円形のテーブルが置かれている。テーブルには向かい合わせに三つの椅子が一対二になるよう配されていたが、現在そこに腰掛けているのは一人だけであった。
 二つ並べられた側の椅子の一つにちょこんと腰を下ろし、卓上に置かれたプレートの上で口元をもぐもぐと動かしているのは、つややかな黒髪を垂らした小さな女の子である。こちらもやはり丸みを帯びた顔立ちで、しかるにその頬を膨らませながら、椅子に座った黒髪の女の子は近付いて来る司へと瑠璃色の瞳を向けた。
「なぁによぉー、爸爸バーバ。『ヘイ』悪くないもん。『ミン』がぐずぐず食べてるから手伝ってあげようと思っただけだもん」
「あのタコさんウインナー、最後にゆっくり食べようと思ってたのにぃ~!」
 自身の足元で心底悔しそうに唸る金髪の男の子を一瞥いちべつしてから、司は改めて黒髪の女の子へ非難の眼差しを向ける。
「同意も無しに霊留ヒトの物を盗るんじゃない! いつも言ってるだろう!」
 他方、黒髪の女の子はわざとらしく視線を逸らした。
「だあって、『ミン』の同意なんか待ってたら日が暮れちゃうんだもん。いつまで経ってもおどおどしてるんだから」
「『ヘイ』がせっかちなだけだい!」
 涙ながらに言い捨てた金髪の男の子の下へ片膝を付き、司はテーブルの上に置かれていたテッシュケースを取ると、相手の目元を手早く拭いてやる。
 その最中、彼は過分に湿り気を帯びた溜息を漏らしたのだった。
「……全く、山奥でそろって鼻を鳴らしていた頃が懐かしいよ。あの時は互いに相手をかばい合う、本当に仲の良い姉弟だったのに……」
「急に昔話なんか始めないでよ、爸爸バーバ。あたし達だっていつまでも子供じゃないもん」
 また頬を膨らませて、黒髪の女の子は反駁はんばくした。
 一方の司は金髪の男の子の顔を拭い終え、緩やかに膝を伸ばす。
「なら、頑張って『子供じゃない』所を見せておくれ。私はこれから出掛けるから、留守中はくれぐれも仲良くしてるんだよ? 『ヘイ』も自分が食べちゃった分は、『ミン』に新しく御飯を作ってあげなさい。でないと、『ヘイ』の分の御飯はもう作ってあげないよ」
「やだぁ~! 爸爸バーバの作ってくれる御飯が一番美味しいんだもん!」
 黒髪の女の子が首を左右に激しく振って嫌がると、司は尚も真摯しんしに語り掛ける。
「いつも言っているだろう? 何事にも『埋め合わせ』は必要だし、絶対に生じるものなんだ。まずは自分の身の回りをしっかりしなくちゃ。『ヘイ』だって、『ミン』や私に嫌われたくはないだろう?」
「……判ったよぉー」
 頬を再度膨らませて、黒髪の女の子は渋々とうなずいた。
 そんな相手へと、司はくまで物腰柔らかに告げる。
「じゃあ、留守の間の事は任せたから」
「はーい」
「はい……」
 黒髪の女の子と金髪の男の子が共にうなずく向かいで、司もようやく微笑を浮かべたのだった。
 そんな司を見上げて、金髪の男の子がおずおずと口を開く。
「……爸爸バーバ、お掃除とお洗濯が終わったら、また『お散歩』に行ってもいーい?」
 司は相好を崩したまま、腰を曲げて子供達の頭をでた。
「いいよ。でも、日が暮れる前に戻っておいで。今日は大事な日だからね、『お客様』に皆で会いに行くんだ」
「……『お客様』?」
 小首をかしげて呟いた黒髪の女の子へ、司は目を向ける。
「そう。『私達』にとって大切な『お客様』だ」
 その瞳の表に、わずかに鋭さを増した光を乗せながら。
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