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フレンチでリッチな夜でした

その29

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 そして今、アレグラとベルナールは異なる場所の異なる立場で、今一度向き合ったのであった。
 個室の閉ざされた扉の向こうからは、相変わらず荒い足音が伝わって来たが、室内の二人は面持ちを全く変化させずに、ただ目前の相手のみを見据えていた。
 重々しい緘黙かんもくが、両者の間に降り積もった。
 扉のすぐ脇に掛けられたランプの炎だけが、両者の様子を見守っていた。
「ふん……」
 やがての末に、先に口を開いたのはベルナールであった。
「……なーにが他人の空似だよ……」
 鼻息をついて、彼は茶色の貫頭衣トゥニカの袖口から覗かせた手で額を押さえた。
 他方、窓辺の机の横で椅子に腰を落ち着けたアレグラは、焦げ付いた料理でも唐突に口中に放り込まれたかのように口元にしわを寄せた。
 そんな彼女を見下ろし、扉を背にして立ったベルナールは投げ遣りな口調で言う。
「あんた、最初っから周りを騙していたんだな……」
 責めると言うよりは、むしろひがむような口振りであった。
「あんたが大学を出てってから、俺もそれなりに調べてみたよ。けど、結局何にも出て来やしなかった。『アントワーヌ・ゼレーヌ』って名前の人物については、ついに」
 かつて使っていた偽名を出し抜けに持ち出され、アレグラはふと場違いな懐かしさを抱いた。
 他方、ベルナールはそんな感慨とは無縁であるらしく、少々苛立たしげに言葉を続ける。
「そりゃあ引っ掛からない訳だ。そんな人物はそもそも実在していなかったんだからな。教会にも役所にも出生届すら出されてなかった訳だ」
 そこまで言うとベルナールは不意に眉間を歪めた。
「……『人工生命体ホムンクルス』……錬金術によって生み出された『人造人間』……本当にそれがあんたの正体なのか?」
 押し殺した声によって紡がれる、それは真摯な問い掛けであった。
 相手の言葉の底に含まれるものを察してかアレグラはまぶたを一度閉ざし、おもむろに息を深く吸い込んだ。
 そして数秒の間を開けた後、彼女の目がゆっくりと開かれる。
「そんな話は根も葉も無い噂だ。ただの誤解だ。でっち上げだ」
 全くの無表情かつ白け切った口調で言ってのけると、アレグラは相手の顔を改めて見つめた。
「……とでも言えば、そちらの気が晴れるのか?」
「馬鹿にするな。そんな慰めにもならん事で……」
 気分をいちじるしく害した様子で、ベルナールは吐き捨てるように答えた。
 しかる後、彼は懐かしそうに目を細めて眼前の相手を見遣った。
「……でも変わらないんだな、そういう喋り方。学生を気取ってたあの頃と……」
 指摘を受けて、アレグラも椅子に座ったまま鼻息をついた。
「粗方調べが付いているのか? 私の、いや私達の足取りについては?」
「大体五年から十年程遅れて追跡して来たそうだ。あの団長の談によればな」
 ベルナールの回答に、アレグラは顔を横に逸らす。
「それ程熱烈に追い回される程、『あれ・・』が魅力的な人物であるとも思えんが……」
「いやいや、そうは思わない連中ばかりが、ここには集まってるみたいだぜ?」
 ベルナールは小首を傾げて見せた。
「およそ二百年前に活躍した偉大な錬金術師が没後も死霊と化して各地を徘徊している……こんな所に流されるまでそんな与太話は聞いた事も無かったが、聞いたとしてもすぐに忘れたろうが、一部の『業界』じゃ割と有名な逸話らしい。現にこうして大の大人が躍起になって追っ掛けてんだから」
「狙いはまたぞろ『不死の霊薬』か、はたまた『賢者の石』か……」
 アレグラが窓の外へと疲れた眼差しを向けるとベルナールは姿勢を正して答える。
「生憎そういう単語は聞いた憶えが無い。少なくともここの連中にはもっと別の狙いがあるらしい。そして……」
 ベルナールはそこで鼻から息を吸い、目の前に座る女性へと訴える。
「……それは恐らく、あんたの『出自』と密接に関係する事だ」
 促され、アレグラは顔を前に戻した。
 目の前に先程よりもわずかばかりの距離を詰めて、ベルナールが立っていた。その双眸そうぼうに郷愁にも似た光を宿らせて、彼は言う。
「昔の凄い魔法使いが創り出した人間以上の『存在』……ようやく合点が行ったよ。そんな相手でもなければ、俺がああもみっともなくされる訳が無いものな」
 そこでベルナールはふと鼻先で一笑した。
「いや、そっちからすりゃお笑いぐさだったかも知れないが、これでも腕っ節には結構自信があったんだ。もう五百年早く生まれてりゃあ、勇敢な騎士になって方々で武勲を挙げられたのにって常々残念に思うぐらいに」
「……十字軍の末路はいずれも悲惨なものだったそうだぞ?」
 しかしアレグラの淡白な指摘にも動じる事無く、ベルナールは真顔に戻って胸の内を吐露し続ける。
「本当、あの『決闘』は酷かったよな。まだ憶えてるか? あんな無様な負け方をしたのは後にも先にもあれだけだった」
 独語するようにそう言うと、ベルナールはやおら天井を見上げた。
「だから、あんたがいなくなった後で俺は色々と調べて、あちこちに聞いて回ったよ。けど、そっちの正体については何一つ掴めなかった。そんな徒労を繰り返すのにもいい加減疲れて、いつからか俺は何かの弾みで錯乱してただけなんじゃないかって、そう思うようになったんだ。あの『決闘』も何もかも、全部一人でそう思い込んでただけの都合の良い『妄想』だったんじゃないかって。あんたは結局、白昼夢みたいな『夢幻ゆめまぼろし』の産物だったんじゃないかってな……」
 顔を横に逸らし、何処か恥ずかしげに語る青年の姿をアレグラは椅子に座ったまま見上げていたのであった。
 初めて相対した時、因縁を付けて来た時のふてぶてしい口調とはまるで違う。
 これが、これこそがこの男の素顔なのだろうか。
 だとすれば、何が彼をここまで追い込んだのだろう。
 彼女がおもんぱかるようにいぶかった時、ベルナールは顔を前に戻した。
 今度は急に吹っ切れた様子で、決然たる強い意志の光が双眸そうぼうに瞬いていた。
「……だけど夢じゃなかったんだな」
 語尾のかすかに震える声でベルナールは言葉を吐き出した。
「夢じゃなかった。また、こうして会えたんだから……」
 相対する者の姿を視界一杯に捉えようとするかのように、青年は目を大きく見開いた。
 同時に彼は窓辺に座る赤毛の女へと向け、り足で距離を詰めて行く。
「嬉しいよ……」
 相手の声音の奥底に潜む不穏なものを感じ、アレグラは椅子の上でわずかに身を引いた。
「これで、これでようやくあの時の借りを返せるんだからな……!」
 切羽詰まったような声が若き修道士の口元から漏れ出た。
 直後、壁のランプに引き伸ばされたベルナールの影がアレグラの全身を覆い尽くした。
 椅子から咄嗟とっさに腰を浮かせて身構えようとした女の手首を、男の手が素早く押さえ付けた。
 揺れ動くアレグラの瞳にベルナールの張り詰めた面持ちが映り込む。
 そのベルナールの双眸そうぼうにも、映っていたのは突然の事に戸惑うアレグラのみであった。
 互いの息が掛からんばかりの距離で二人は見つめ合う。
 どちらも声を上げる間も設けられぬ、それは一瞬の出来事だった。
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