幻葬奇譚-mein unsterblich Alchimist-

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フレンチでリッチな夜でした

その27

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 一方その頃、アレグラは一人、問題の修道院の一室に監禁されていたのであった。
 して広くもない、しかれども清楚なおもむきの部屋である。恐らくは普段は修道士にあてがわれた個室として、瞑想の場として活用されている生活空間であると思われた。
 その窓辺の席にアレグラは腰を下ろしていたのだった。
 テーブルの上には修道士の一人が持ち込んだ紅茶と菓子が置かれていたが、彼女は未だ手を付けずにいた。カップより立ち昇る湯気が薄暗い室内に音も無く漂う。
 ややあって鼻息をついた後、アレグラは周囲の様子を改めて見回した。
 簡素なベッドと机が置かれただけの室内は牢獄と呼ぶには穏やか過ぎる。
 しかし、ここは紛れも無い檻の中であった。
 前回、主と共に訪れた時には気付かなかったが、この修道院全体には強固な結界が密かに張り巡らされていたのであった。建物内に足を踏み入れてからこちら、リウドルフからは何の思念も届かず、こちらが送信した念も恐らく相手の下まで伝わってはいないだろう。
 少々不便な事になった、と彼女は面持ちを変えるでもなく気怠けだるげに感慨を抱いた。
 診療所より胸甲騎兵達に囲まれ、山裾の森の中へ連行される最中も、アレグラは離れた地に身を置くリウドルフと密かに連絡を取り合っていたのであった。
 現状を伝えた際、リウドルフから言い付けられた事は二つ。
 即ち、街を出るまでは大人しく従う事。
 人気ひとけの無い所まで出たら、しくは実際に危害を加えられそうになったなら審問官共を蹴散らして逃げおおせる事。
精々せいぜい暴れ過ぎんようにな』
 夜食の催促でも遣すかのように、緊張感のてんで欠けた様子で主は指示を送って来たのだった。
 しかるにアレグラは市街を遠く離れた現在も、異端審問官達の間に身を置き続けていたのであった。主との連絡が遮断されているとは言え他の力の行使に問題は無く、脱出する事自体は至極容易たやすい。
 それにもかかわらず彼女がこの場所に居残るのは、例の如何わしい騎士達の間に認められたベルナールの姿がどうにも気になったからであった。
 あいつはこんな所で、こんな連中に混じってまで一体何をしているのだろう?
 ただそれだけの疑問が、どうした訳か、彼女の積極的な行動を封じていたのであった。
 窓の外に目を遣れば、手に手にランタンを掲げた胸甲騎兵達が付近の森を巡回している様子が見受けられる。
 例の『獣』を警戒しての事であろうか。
 それにしては闇に覆われつつある夜の森を見回る彼らからは、そこまで強い緊張感がにじみ出ていないように思われる。
 少ししてアレグラは椅子の背もたれに寄り掛かった。
 いずれにせよ、もうじき主もここへ到着するだろう。
 事態に本格的に対処するのはそれからでも遅くはあるまい。
 その様に考えをまとめてアレグラは再び息をついた。
 一方、彼女の部屋から床板を一枚隔てた下では胸甲騎兵達が廊下を落ち着き無く歩き回っていた。静かな祈りの場にあっても尚完全武装の構えを解かない彼らは、修道士達と入れ替わるようにして院内を見回り、絶えず警戒を続けていた。
 そうした剣呑な集団の中心に立つのは体格の一際良い、豊かな顎髭あごひげを蓄えた壮年の男である。
「『来客』が常に正面から訪れるとは限らぬ。分けても此度こたびの客人はな。どんな些細な粗相も見せぬよう各自気を引き締めよ」
 ヴァンサン・ド・ルンは良く通る太い声で配下の者達へ命じた。
 赤い太陽は西の果てへと沈み、辺りは深い闇にいよいよ包まれようとしていた。
 建物正面ファサードのすぐ後ろに設けられた聖堂にて、ヴァンサンは配下の者達へ指示を飛ばしていたが、ややあってから広い空間の壁際に一人たたずむ修道士の姿を目端に留め、そちらへと首を巡らせた。
「ベルナールか。どうした? そんな所にたたずんで?」
 呼び掛けられたベルナールは、黒い修道服スカプラリオから覗かせた顔をうつむかせた。
「……いえ、こうも慌ただしくては自室にいても落ち着かないもので……」
「ふむ、確かに貴様らはこうした場に居合わせる機会は少ないであろうからな。本来の勤めを考えれば至極当然の話だが」
 騎兵隊の長は顎髭あごひげを撫でると、かたわらに立つ青年を大らかな眼差しで捉えた。
「それにしても市中の案内、真に御苦労であった。貴様の速やかな誘導があればこそ、こちらの行動も最大の効果を上げる事が出来たのだ」
「いえ……」
 依然としてうつむいたまま、ベルナールは瞳を逸らした。
 そんな相手を見下ろし、ヴァンサンは得意げに言葉を続ける。
「古来より兵は神速を貴ぶものだ。迅速な行動は何にも勝る武器となる。この度にせよ、の狡猾無比な魔術師の機先を制する事に成功した。彼奴きゃつの『最高傑作』とされる『作例』すら手中に収める事まで叶ったのは僥倖ぎょうこうと呼ぶには余りに過ぎたる成果であった」
 そこでベルナールは急に顔を上げた。
「『彼女』を、これからどうする積もりなのですか?」
「無論交渉の材料として最大限利用させて貰う」
「ですが、それでは……!」
 平然と言い切ったヴァンサンの前でベルナールは目元を歪めた。
「何だ、随分と不服そうだな……」
 相手の咄嗟とっさの反応を見て取るなり、ヴァンサンは右の眉を持ち上げた。
 しかる後、彼は顎髭あごひげの先端を指先でまとめながら鼻息交じりに述懐する。
「ふむ……確かに白昼の市井に堂々と押し入り、民家の一つを荒らし回った挙句、衆人環視の下で家人を連れ去ったのでは悪辣あくらつそしりは免れまいかな。『異端』を許さぬと言う教義の後ろ盾はあったにせよ」
「そうです。まるで人身売買を生業とする群盗のような手口ですね」
 他人事のように言い放ったヴァンサンへと、ベルナールは控え目ながらも非難の言葉を発した。
「何分にもこちらは全体の成り行きを聞かされておりませんでしたので、よもや昼日中の街中まちなかであんな無茶な真似を始めるとは思いも寄らず……」
「だが極めて大きな一手となった。そこは疑いようも無かろう」
 固い声でぼそりと指摘すると、ヴァンサンはかたわらの青年をぎろりと睨んだ。何処か大型の肉食魚を連想させる目であった。
「それに貴様も師より知らされていよう? 我らが追う者の実体を。彼奴きゃつらはすでに『人』ではない。いや、あの女に関しては初めから、か……」
 ベルナールはそこでまぶたをぴくりと震わせた。
 それには構わず、ヴァンサンは厳めしい顔付きで言葉を続ける。
「我が騎士団もいにしえの協定にのっとり、世に跋扈ばっこする『魔』を打ち払う役目を負って来た。その我らでさえ彼奴きゃつらの正確な足取りを掴む事は容易ではなかった。『其処そこ』に確かに居たらしいとの証拠を得られるのは、いつも相手が立ち去った『後』になってからだ。そうした中で、これは正に千載一遇の好機であった」
にわかには信じ難い話でしたが……」
 呻くように言った後、ベルナールは足元に目を落とした。
「……『彼女』はあれで、本当に『人間ヒト』ではないのですか?」
「稀代の錬金術師が創り上げた『人工生命体ホムンクルス』。師の弁によれば、人業ひとわざを超えた至高の領域に在る傑作であるらしい。私如きに詳しい所は判らぬが、例の魔術師と共に過去に幾度いくどか目撃されたとの報告は受けた事がある」
 奥歯を噛み合わせる軋んだ音がベルナールの口元から漏れ出た。
 一方でヴァンサンは鼻先で不意に一笑した。
りとて所詮はしゅの御手を離れた所で偽りの生を受けた『紛い物』
の生命であるに過ぎん。いや、我らとてそれは同じなのであろうが、その中でも更に『異端』と呼べる存在ではあろうな」
「でも……」
 ベルナールはそこで顔を上げた。
「それでも、このような遣り口は……!」
「どうした? 嫌に食い下がるではないか?」
 こちらをめ上げる若き修道士を、壮年の騎士団長は首をかしいでわずらわしげに見下ろした。
「それ程までに市井の評価と言う奴が気に掛かるのか? だが、その市井の者共が貴様に何をしてくれた? かつて貴様の実家に、そして今も、どういう評価を下してくれたのだ?」
 姿勢を変えた拍子に、ヴァンサンが腰にいた剣がかちゃりと音を立てた。
「貴様にも判っているはずだ。我々の目指すものが。目指すべき『所』が」
 咄嗟とっさに言葉に詰まったベルナールを尚も見下ろしたヴァンサンの双眸そうぼうに、強い輝きが矢庭に灯った。
「師の教えを受けるまでもなく貴様とて判っていよう。正統な教義を如何に護り貫こうとも歪んで行く世相が。周囲を巻き込んで腐り行く輩に対し、何の是非も示そうとはなさらない『しゅ』の御様子が。我らがいくこいねがおうとも、何の加護も降りて来ない世の実情が」
 刺々しくも苦々しい口調で、壮年の騎士団長は詰め寄るように言った。
 しかる後、ヴァンサンは怯えの色を覗かせ始めたベルナールへ居直ったように威圧的な言葉を吐き付ける。
成程なるほど、我らの行ない自体は確かに人の『道』に外れるやも知れぬ。しかし、そもそもその『人道』なる代物が、世の成り立ち自体が発祥の時点からすでに『歪んで』いたとしたらどうなる? その事実に気付いた者が極わずかであるのなら、その者達は『異端』と呼ばれ蔑まれねばならぬのか?」
 言いながら、ヴァンサンは右の腰に吊るしたマスケット銃の銃身を握り締めた。
「『異端』を定義するのであれば、今のこの世界こそが『異端』そのものなのだ。そんな不完全な器の中で作り上げられた諸々の戒律や教義になど、何処まで尊重すべき点があるか。所詮は神の名を騙るもののしもべが押し付けた下らぬかせに過ぎん。そうした信念に沿ったからこそ、本来『異端』とされる貴様にもこうして目を掛けているのだからな」
 相手の弁に対して、と言うよりは相対する者の眼光からあふれ出る異様な雰囲気に気圧されて、ベルナールは間近から何を言う事も叶わずにいた。
 広い肩幅を縮ませたようにすら見える青年を、ヴァンサンは蛇が獲物を吞み込もうとするようにして見下ろす。
「だが、我らにとっては醜悪な監獄に過ぎぬ腐敗した世界であろうと、何も知らずに暮らす者共の間に根付いた『常識』とやらには未だ相応の力が宿っているのも事実。取り分け、家柄に対する種々の眼差しにはな」
 ヴァンサンがそう言った途端、ベルナールは顔を大きく歪ませた。
 対するヴァンサンの視線には、鋭利なものが急に混ざり始めた。
「末子であろうと一門の未来を背負う立場であるに相違は無いはずだ。父祖の犯した過ちを正すのも子のすべからく為すべき勤めである」
 厳めしい口調で彼がそう言った時、両者の前方で正面玄関の扉が開いた。
 次いで薄く開かれた扉の向こうより一人の胸甲騎兵が院内に入ると、礼拝堂の中程に立つヴァンサンの下へと足早に駆け寄って来る。
「閣下……」
「……来たか」
 部下の耳打ちを受けて、ヴァンサンは小さく首肯しゅこうした。
 そして彼は厳めしい顔にわずかな緊張を乗せ、重々しい一歩を玄関の方へと踏み出したのであった。
 別れ際、ヴァンサンは背中越しにベルナールへと通告する。
「この一件が我らの願い通りに収まった暁には、カミュ家の扱いに対し大司教へ口利きをしてやれん事も無い。古い教義を掴み損ねた結果の零落であろうと、我らにとっては市井の些事さじと何ら変わらぬ話だ。貴様が我らと共に『真なる世界』へ至る道を開く為に働くのであれば、かつてのあやまちも取るに足らん問題といずれなるだろう」
 一方的に言い捨てて、ヴァンサンは扉へと向かった。
 次第に遠ざかるその背を見据えながら、しかしベルナールは最後まで何を言い返す事も叶わぬ様子であった。
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