幻葬奇譚-mein unsterblich Alchimist-

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渚のリッチな夜でした

その18

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 少しの間、リウドルフはテーブルの横にたたずんでいた。
 顎先を引いて視線を下げ、卓上に片手を付いて何やら一人熟考している様子をのぞかせた彼はややあって顔を上げる。
「ここは外堀から埋めて行くか……」
 溜息交じりに、しかし同時に居直ったように彼は呟いた。
 そして間髪を入れず、リウドルフは窓辺で未だゲームに熱中しているアレグラへ半ば怒鳴り付けるように呼び掛ける。
「で、おい! そこのスーパー廃人偽神デミウルゴス! お前のウルトラスーパー廃スペックパソコンをちょっと貸せ! ほら!」
 言うが早いか、リウドルフは窓辺へと足音荒く進んで行く。
 対して、アレグラは凄まじく不満げな顔を向けた。
「ええ~!? 今折角敵の芋(※安全地帯に篭って狙撃を繰り返す鬱陶しいスナイパー)を潰した所で……」
「こっちのタブレットだと時間が掛かるんだ! 後に回せる事は後にしろ! 臨機応変、適材適所だ!」
 教室で普段見せるより余程教師らしい態度をのぞかせたリウドルフへ、美香もにわかに興味を惹かれて窓辺へと近付く。美香が腰を渋々上げたアレグラの後ろに立った時には、床に置かれた三枚の二十七インチ型ディスプレイの映し出す画像は別のものに切り替わっていた。
 おびただしい数の漢字の羅列が、マルチディスプレイにびっしりと表示されている。何か古びた和紙の表面に、筆によって書かれた無数の漢字が所々かすれながらも整然と並んでいた。
 さながら、歴史番組などでたまに目にする古代の経文のようである。目に飛び込んだ画像のあまりの細かさに、美香は軽い眩暈めまいまで引き起こしたのであった。
「な、何それ……?」
 呻くように呟いた美香の前で、アレグラに換わって床に腰を下ろしたリウドルフがマウスを動かしながら答える。
「二日前、役所の伝手つてを頼ってあの地域の古文書を回して貰えるよう手配した」
「『あの地域』って、臨海学校の?」
 美香が驚きと共に遣した問いに、リウドルフは背中越しにうなずいて見せた。
すでに電子化されているデータをあるだけ送って貰ったんだ。その時代時代の記録、つまり豪族、地頭、代官、大名、明治以降なら区長や市長と言った地元の有力者宛に出された書簡の全てをだ」
「何でも良いけど、人の物は大事に扱ってよね~」
 アレグラが若干の皮肉を込めて進言した先でリウドルフは一笑する。
「CPUをオーバークロックさせて使ってるような奴が、今さら大事も何も……」
 言いながら、画面に現れた小さなウインドウに何事かを打ち込むリウドルフへ美香は訊ねる。
「何始めるの?」
「画像解析ソフトの一種を使って、この文字列の中から特定の単語を洗い出す。時代を複数またぐ事になるから字体のバリエーションも当然増える事になるが、まあ最近の機械は優秀だからな、上手く判別を付けてくれるだろう」
「んで、何調べる積もりな訳ェ~?」
 アレグラがつまらなそうに訊いた先でリウドルフは短く答える。
「検索に掛ける単語は二つ。『大辺度おおべど神社』、そして『神体』だ。この二つの単語が近い間隔で並んでいるページを選抜して表示させる」
 そしてリウドルフはエンターキーを押し込んだ。
 数秒後、画面上に古文書の各ページがアイコン化されてずらりと並べられた。該当する単語を強調した赤く色付けされた箇所が、それらには細々こまごまと表示されていたのであった。
「処理が速いな。大したもんだ」
 リウドルフが珍しく感心した口振りで評すると、後ろでアレグラが自慢げに胸を反らした。
「そりゃあ、このあったくしがこだわりにこだわり抜いて組み上げた逸品中の逸品ですから~」
「持ち主に似なくて本当に良かった」
 相手の自画自賛を一言の下に切って捨てると、表情を固まらせたパソコン制作者の前で、その制作者は改めて画面をのぞき込んだ。
 リウドルフはマウスを幾度もクリックし、該当する単語が表示されたページを開いては文面に目を通して行く。
「やはり頻度は少ないが、定期的に神体を新しくしたむねをその時々の名主なぬし郡代ぐんだいに伝えている。神体を改める度に何らかの祭事を執り行なう訳だから地域の責任者に報告を出すはずだと思っていたが、それがおよそ三四十年ごとの行事となっているようだ。流石に何を神体としたかまではしたためられていないが、最後の奉納を行なったのはいつだ?」
 何やら親の留守中に書斎へ忍び込むような背徳感すれすれの好奇心を抱いて、美香も画面を注視する。
 幾度か画面が切り替わった後、リウドルフはマウスを止めた。
「……ここが最後のページか……直近に記された年号は……」
 床に胡坐あぐらをかいた上で足に頬杖を付き、随分と猫背になった姿勢でリウドルフは画面を凝視した。その後ろで美香もアレグラも、それぞれの眼差しを三つの画面に向けた。
 蝉の声が窓越しに少しの間、部屋の中に広がった沈黙を満たした。
 ややあってアレグラが左のディスプレイを指差す。
「ああ、今のがそうだったんじゃない。寛政かんせい何年とかそっちに出てたよ」
 促されて、リウドルフは画面を少し巻き戻した。ディスプレイ全面をびっしりと覆う草書体の文字列の一角へ、じきに彼は目を留めた。
 後ろから眺める美香にはとんと見分けが付かなかったが、リウドルフは得心した様子で幾度かうなずいた。
「これか。寛政かんせい九年十月……これがあの神社が神体を奉納したとの最後の記述に一番近い表記のようだ」
寛政かんせい九年……」
 美香が視線を持ち上げた前で、リウドルフも同じく宙を見上げる。
「西暦に換算すると千七百……九十七年だな。一七九七年、およそ二百年前を最後に、あの神社は御神体を改めていない事になる。その後の記録、取り分け幕末動乱期の記録に穴が無ければの話だが」
 そう呟くと、リウドルフはまたうつむき加減で画面を見つめた。
「それでも大政奉還後の市町村の記録にも、あの神社が神体を新たに奉納したとの記述は無い。大体、地方の一神社が同じ神体をどれだけ長い間まつろうが一々目くじらを立てる奴もいないだろうし、わざわざ気に留める者も恐らくいなかったんだろう。ひょっとするとそんな事に注意を向けてるのは、日本で唯一俺だけなのかも知れんな」
 自嘲気味に呟いた相手の背を、美香はいささか不安げに見つめた。
「その神社って、やっぱり臨海学校で行った先にあった奴? どうしてそんなにその神社にこだわるのよ?」
 リウドルフは視線はディスプレイに据えたまま、頭をいた。
「そもそもあすこの沼津っておっさんが、患者の容体も聞かずに引き取るなんて抜かし出すから、俺も要らん詮索を始める羽目に陥ったんだ。神社の様式に興味があったのも事実だが、あの宮司ぐうじがあの村で一体何をしてるのか、保険として一通り調べておく必要がある」
「それで御神体の記録を調べた訳? でも何で?」
 美香からすれば化学式の羅列を普段眺めるのと同じく、つるつるに磨き上げられた壁面を登攀とうはんするような、取っ掛かりも見出せない疑問だらけの話であった。
 リウドルフの義眼の奥に蒼白い光がかすかに瞬いた。
「あの院須磨いんすま村の大辺度おおべど神社って所、航海の守り神である住吉三神をまつっていると言っていたんだが、あれは恐らく嘘、と言うか言い訳だな。多分あの神社は、地域に古くから伝わる土着の信仰の拠り所なんだろう。祭事を含めた様々な儀式を行なう施設としての役割も果たしているのかも知れん。要するに、出雲や伊勢のような大手から見れば、自分達が広めている神道の様式からはちょっと外れる真似をしている所って訳だ」
 未だ要領を得られない美香へと答えながら、リウドルフは首を幾度か解きほぐした。
勿論もちろんその事自体は責められるべき事でも何でもない。だが少なくとも今の神主は、自分達の信仰を表沙汰にしたくないようだ。だからこちらのお粗末な揺さ振りにも過剰に反応した」
 美香が小首を傾げる前で、リウドルフは画面を見据える目をおもむろに細めた。
 の地を去る直前、境内で沼津と話し込んだ時の事を彼は回想していたのである。
 眩い日差しの下で行なわれた束の間の問答を。
 こちらからすれば、ちょっとした虚仮威こけおどし程度の引っ掛けであったのだが。
 全く、住吉三神をまつる日本全国津々浦々の神社が、こぞって花菱紋を掲げている訳でもないだろうに。
 あの時付けた難癖に、だからどうした、三神に対する信仰は家紋や神社の名前で評価されるべきものでもあるまい、などと言い返して来たならこちらもあぶり出すのに苦労しただろうが、先方にもそこまでの余裕は無かったらしい。事前の遣り取りから下手な言い逃れをすれば余計にまずい事態を招きかねないとの警戒があったのやも知れぬが、同時に、多少の不審を抱かれても包み隠しておきたい事柄があったが故の反応だったやも知れぬ。
 とまれ、ディスプレイに映し出された古文書を尚も見つめつつ、リウドルフは言葉を続ける。
「あの神社、いやあの院須磨いんすま村が本当に信仰している神は『恵比須エビス』なんだ」
「エビス?」
 その単語を聞いた刹那、美香は狐に抓まれたような顔をした。
「……って言うと、あのビールになってる神様?」
 次いで美香が連想したのは、釣竿を担いで鯛を抱えた恰幅の良い男の姿であった。商標の都合も無論あるのだろうが、見るからに陽気な人懐っこい笑顔を浮かべた親しみ易そうな神様であったように思える。父の陽介が好んで飲んでいる銘柄の為か、他の神々よりイメージを起こし易い身近な神と言えた。
 彼女の隣でアレグラも弾んだ声を上げる。
「あれ美味しいよねぇ~。やっぱ喉越しが違うよ、喉越しが。ふちが少し焦げるぐらいまで炙った鱏鰭エイヒレかじりながら一杯やると、もう最高~!、って感じで……」
「そうだな。それで溜まった空き缶を自分で捨てに行ってくれたら尚最高だな」
 日々のゴミ出し担当者が投げ遣りな調子で背中越しに指摘すると、アレグラはまたもや面皮を凝固させた。
 それから美香の方へと半身を向けて、リウドルフは説明する。
「ビールのイラストもそうだが、一般的なイメージは七福神図に描かれた陽気なおっさんだろう。だが、この神は地域によって様々な姿を取る。今言ったイメージのまま商売繁盛の神として崇める地域もあれば、鯨なんかの大型海洋生物を『えびす神』と呼ぶ所もある。そして土地によっては、浜に打ち上げられた『もの・・』を『恵比須エビス』と呼んでまつる場合もあるんだ」
 相手の説明を聞く内、美香もリウドルフの顔をじっと見つめていた。
 穏やかな口調で、リウドルフは言葉を続ける。
「『寄り神』信仰と呼ぶそうだがな。果て無い海の彼方、あるいは誰にも見通せぬ深い水底みなそこもまた『常世とこよ』の入口であり、そこから『現世うつしよ』との境界である砂浜に打ち寄せられた『もの・・』は、それが神意を宿していると神職者に感じ取れたのなら信仰の対象とするに充分足るらしい。石や木片、海藻、時には何かの水死体であっても……」
「死体……?」
 美香が強張った表情で呟いた時、一同の後ろで呼び鈴の音が出し抜けに鳴った。
 心臓を一際激しく脈打たせた少女の横で、アレグラが音源へと歩み寄って行く。
「はいは~い」
 程無く玄関へと繋がる扉の脇に設置されたドアホンの前に立って、アレグラが微妙に気の抜けた陽気な声を上げた。
 時間にしておよそ二十秒程、マンションの玄関に立っているのだろう誰かと言葉を交わしたアレグラは、パソコンの前でしかつめらしい面持ちを保つリウドルフへと首を巡らせた。
「え~、リウドルフ・クリスタラー陛下猊下げいか閣下机下きか、大体こんな感じで恐れ入っちゃった人が下に来てま~す。是非とも尊師にお目通りを願いたいって~」
「何だそりゃ……」
 露骨に面倒臭そうに、リウドルフは渋い面持ちをドアホンの方へ向ける。
「訪問販売だったらこないだ素顔を見せて追っ払ったんだが……また来たのか」
 ぶつくさと呟きながらもリウドルフは腰を上げ、ドアホンの前に移動した。パソコンの前に一人たたずむ美香が眺める先で、リウドルフは下の階の誰かと二三の言葉を交わしたようだった。
 それから数分後、リウドルフの部屋の扉は今一度開かれた。
 リビングに新たに現れた人物を認めて、美香は驚きに目を見張る。
 今日は野球帽を前後逆に被り、Tシャツにジーンズの姿でその青年は海辺の町から遠く離れた場所に姿を見せたのだった。
 アレグラに案内された大久保晴人は、リビングの奥にたたずむリウドルフへと深く一礼した。
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