幻葬奇譚-mein unsterblich Alchimist-

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渚のリッチな夜でした

その14

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 果たして売店の女将の言葉通り、そこに軒を連ねる家々はいずれも昼間から窓を固く閉ざしていたのであった。
 ペットボトルの水を一口含んで、美香は目の前に広がる街並みを見渡した。『院須磨いんすま村』と呼ばれる地域へ、美香は友人達と足を踏み入れていたのである。先の売店で教わった事は上手く伏せたまま、美香は上手く好奇心を煽るようにして友人達へこの村へ出向く事を了解させたのであった。
 制服の白いブラウスを昼前の日差しに輝かせて、六人から成る少女達の一団は小さな村と他所とを繋ぐ一筋の道の端に立っていた。
「……なーんか随分ひっそりしたトコだねぇ」
 美香の隣で顕子が額に手をかざして呟いた。
「……うん」
 うなずいて、美香は顎先を引いた。
 事実、目の前に広がる集落からは、それ自体は何の物音も発散させてはいなかった。道端に立つ美香の耳に届くのは、近くの雑木林から撒き散らされる蝉のけたたましい鳴き声と、遠く前方から伝わる潮騒の響きのみである。
 遠くから眺めていても道を行き交う人の姿はおろか、家々から顔をのぞかせた住民の影すら見当たらない。
 まるで全体が一枚の絵のような、背景だけが取り残されたような、そこは奇異な空間だった。家々の間を伸びる通りを歩きながら、少女達は森の奥まで迷い込んだ子兎のように何処か不安げに辺りを見回した。
「限界集落って奴かなぁ? けど、どの家も表札はきちんと掛かってんだよね」
 他に比べれば落ち着いた様子で、昭乃が疑問を口にした。
「まあ、漁によっては日が沈んでから出港する場合もあるんだろうし、今は皆して休んでるだけなのかも知れないけど……」
 そう言って眼鏡を直した昭乃の隣で、美香は尚も辺りに視線を散らした。
「……先生達が泊まってた旅館て、何処にあるんだろ?」
「さあ……民宿だったら見分けが付け難いし、派手な看板でも掲げてない限りは……」
 顕子がそこまで言った時、一行の前方に人影が差した。
 程無く、ー道路の曲がり角から姿を現したのは、白い半袖シャツを着た若い女であった。
 癖のある黒髪が夏の日差しにきらめく。
「あ……」
「あら……」
 そちらへと顔を向けた美香の見つめる先で、相手も少女達の一団に気付いたようだった。
 日差しの下に高く澄んだ声が通る。
「今日は、学生さん。わざわざこちらまで足を延ばして来たんですか?」
 そう挨拶して、若狭佳奈恵はにっこりと微笑んだ。
 動きと呼べるものを一切のぞかせぬ家々の壁に、おびただ数の蝉の声が反響して眩い日差しの下に鳴り響いた。
 それから数分後、美香達は集落の中心付近に建つ佳奈恵の民宿へ案内されたのだった。
 古い住宅を改築したと思しき、外観はこれと言って隣家と何の差異も見当たらぬ建物であった。
 その庭先へと、美香達は佳奈恵に導かれるままに進んだ。
 民宿の庭では丁度ちょうど、一人の青年が物干し台に洗濯物を掛けている最中さなかであった。海外の球団のロゴが刺繍された野球帽にTシャツ姿の、美香にとっては見覚えのある相手である。
 その青年、大久保晴人は、学生服姿の一団を先導して現れた佳奈恵を見て目を丸くする。
「どうしたの、ねえさん? 増田さんに行くって言ってたのに、またお客様?」
「まあ、お客様には違いないんだけど……」
 佳奈恵は少し困ったように笑った。
 それから美香達六人は、ひさしの影が覆う縁側にて銘々に腰を下ろしたのであった。
 日差しの下に次々と干され行く浴衣や手拭てぬぐいと言った洗濯物を見て、顕子がぽつりと呟く。
「流石に集落全体が活動を停止してるって訳でもないんだね。当たり前か」
 軒先に吊るされた水色の風鈴が、蝉時雨の上に涼やかな音色を響かせた。
 程無く、縁側の向こうから佳奈恵が盆を両手に現れる。良く冷えた麦茶の入ったグラスを小さな来客達に配ってから、民宿の主も縁側の端に腰を下ろした。
「先生方は早くに出発されたんだけど、皆さんもこれからお帰りになるの?」
「ええ。昼過ぎにバスで……」
 佳奈恵の質問に、美香はうなずいた。
 横座りで床に腰を落ち着けた佳奈恵は、縁側の端に並んで腰掛ける女子高生へと朗らかに話し掛ける。
「すると今は最後の思い出作りに? あちこちで記念写真を撮って回ってる最中さいちゅうかしら?」
「まあそんな感じで……」
 いささか歯切れ悪く、美香は肯定した。
 実際、他の班の生徒達は砂浜を始め、隣町の至る所でスマートフォンに写真を収め続けていた。誰も彼もが旅先での思い出を少しでも多く集める為に。
 それでも、こんな離れた場所までわざわざ足を運んだのは美香達の班のみであった。
 佳奈恵は居並ぶ少女達へと笑顔で呼び掛ける。
「でも、あまり遠くまで行かないで下さいね。特に岬の方。昔の防空壕があるのだけれど、岩盤がもろくなってて危ないから」
「防空壕……心霊写真撮れないかな……」
 右隣で不穏な呟きを発した昭乃へ、美香が呆れて口を挟む。
「今からじゃ行って帰って来るだけの時間も無いでしょうが。大体行くなっつわれてんのに」
「残念……」
 そう思ってんのはお前だけだ。
 本当に残念そうに口先を尖らせた昭乃を、美香は疲れた面持ちで流し見た。
 一同の頭上で風鈴がまた甲高い音を発した。
「けれど面白いお客様が泊まりに来られて、今年の夏は面白かった……」
 佳奈恵は横座りのまま姿勢を正し、庭先へと細めた目を向けた。
 まるで夏の間はこの先一人の宿泊客も訪れない事を、すでに確信しているかのような言葉であった。
 斜交いの位置で縁側に座った美香は奇異に思うのと一緒に、自分が腰を落ち着けている民宿の様子を改めて見回した。
 地価が低い事も手伝っているのだろうが、そこそこ広い敷地を持つ建物である。
 節電からか建物の内は何処も明かりが落とされており、廊下を始めとして各所にうっすらとかげりが堆積している。縁側のすぐ後ろは十畳程の座敷になっていたが、照明の消された中で無人の空間は余計に虚ろさを多くたたえたように見せ付けるのだった。
 たった二人だけで、この広々とした民宿を切り盛りして来たのだろうか。
 美香は麦茶を飲みながらぼんやりと考える。
 庭先では洗濯物を吊るし終えた晴人が、庭の植木に水を遣り始めていた。昨日一昨日とちらと見掛けただけの相手であるが、美香の方では顔を憶えていたのに対し、晴人の側では記憶に一々留めていないらしい。縁側に腰掛けた美香達へ話し掛ける事も無く、青年は淡々と作業を続けた。 
 潮騒と蝉の声を除けば何の物音も伝わらぬ中を、一組の男女だけが動的な気配を絶えず発散させている。まるで白昼に照らし出される影絵のように。
 その時、美香の左隣で顕子が矢庭に明るい声を上げる。
「御夫婦でここを経営してらっしゃるんですかぁ?」
 途端、佳奈恵はきょとんとした表情を浮かべ、庭先で如雨露じょうろを傾けていた晴人は手元が狂ったのか、おかしな角度で水を撒き散らした。
 数瞬の間、付近から発せられる蝉の声だけが間を満たした。
 ややあって、佳奈恵は縁側で姿勢を直しつつ苦笑交じりに言葉を返す。
「いや、あのね、私達は別に夫婦って訳じゃ……」
「ああ、じゃあまだ籍は入れてないって事で」
 屈託は無いが遠慮も無い口調で、顕子は推論を述べた。
 そこへ今度は庭先から抗議の声が上がる。
「生憎俺は今月の頭から、ここで雇われ始めただけのしがないバイトだよ。籍だの何だのと、そんな大それた……」
「え? でも将来的には……」
 今度は晴人の方を向いて尚も言葉を言葉を続けようとする顕子へ、佳奈恵が呼び掛ける。
「まあまあ、今の所は御期待には副えないけれど……」
「あんたもちょっと黙っときなって」
 顕子の隣から美香も釘を刺した。
 その直後、一同の頭上で、風鈴が強い音色を奏でた。
 一陣の風が、民宿の庭先を通り抜けた。
「御免下さい」
 朗々とした太い声が、不意に庭先に飛び込んで来たのはその時であった。
「はい。どうぞお入り下さい」
 それまでより高い声を上げて、佳奈恵が縁側から腰を上げた。
 間も無く、庭先に新たな人影が近付いて来る。
 徐々に大きくなるその姿を認めて、美香は思わず眉をひそめていた。
 古風な出で立ちの人物であった。今にも輝き出さんばかりの白い着物をまとい、鮮やかな紫色の袴を履いた初老の男が、民宿の庭に歩いて来る。
 歳は、およそ五十代半ばと言った所であろうか。白いものの目立ち始めた頭髪を後ろへと丁寧に撫で付け、その姿勢は飽くまでも毅然としていた。洋装であれば誰もが素直に紳士と評するような、清潔な威厳を携えた人物である。
 和風の装束からして何らかの神職に就いている人物なのだろうか。
 美香を始め縁側の少女達がそれぞれに推察する中、現れた人物は彼女らへと目を留めた。
「これはこれは、来客がおありでしたかな?」
 その質問は、佳奈恵へと向けられたものであった。
 縁側から急ぎ庭先へと降りた佳奈恵は、装束の男へ会釈する。
「はい。先日から隣町にお泊りの学生さん達で……」
成程なるほど。こちらが……」
 何やら合点が行った様子で、装束の男は美香達へと一礼する。美香達も慌てて、半ばウェーブのようになりながら縁側にてそれぞれに頭を下げたのだった。
 そして美香が頭を上げた時、くだんの装束の男は佳奈恵と向かい合っていた。
「それで若狭さん、お忙しい所を済まないが、また折り入ってお話をしたいのです。後程、神社の方へ来て頂けますか?」
「構いませんが、それを伝えにわざわざ御足労を?」
「何、村の様子を見回るのも仕事の内ですよ」
 佳奈恵の言葉に、装束の男は微笑をのぞかせた。
 と、そこへ、別の声が出し抜けに投げ掛けられる。
「待ってよ、ねえさん。何か用があるんだったら、俺も行く」
 晴人が如雨露を下ろして口を挟んだのだった。何処か不安げな表情をたたえて、彼は装束の男と向かい合う佳奈恵へと眼差しを注いでいた。
 佳奈恵も、困ったように相手を見遣る。
「でも、晴君……」
「君には土台関わりの無い事だ、大久保君」
 佳奈恵の言葉をさえぎって、装束の男が声を上げた。
 そば眺めていた美香も思わず首をすくめてしまうような、険しいものを含んだ物言いであった。刺々しいと評しても差し支えないまでの、鋭い声を男は矢庭に発したのだった。
 さながら、蚊帳の内に入り込んだ羽虫でも追い払うかのように邪険に。
 装束の男は晴人の方へ半身を向けながら、声と同様の厳しい眼差しを離れて立つ青年へと据えた。
「人にはそれぞれ役割があるものだ。土地にその身を根差しているのなら尚更の事。君は君の役目を果たし給え。客が去ったとは言え、旅館の仕事など常に色々とあるのだろう? それと、人と話す時にはまず被り物を脱ぎ給え!」
 紳士然とした男は、今は厳めしい教師のような口調で晴人を諭した。その瞳の内に憤怒とも異なる激情の光を瞬かせながら。
「全く……!」
 男の非難めいた言葉の後を、佳奈恵が苦しげに続ける。
「晴君、悪いんだけど、お風呂の掃除とか、台所の掃除とかしておいて頂戴。そう遅くならない内に帰るから……」
「うん……」
 遅ればせながら帽子を取った晴人は、何やら気勢を削がれた様子でうなずいた。
 その後、佳奈恵は縁側の方にも顔を向ける。
「申し訳ありませんが、皆さんもそろそろ……」
 美香は縁側から慌てて立ち上がり、ぺこりと一礼する。
「はい。そろそろおいとまさせて頂きます。お邪魔しました」
「お邪魔しました」
「御馳走様でした」
 にわかに気まずくなった空気の中、他の少女達も相次いで謝礼を述べた。
 蝉の声が、急速に静かになり行く庭を埋め尽くす。
 日差しは、ただ燦々と降り注いだ。
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