上 下
70 / 183
渚のリッチな夜でした

その12

しおりを挟む
 『彼女』がまだ幼かった頃、村にける楽しみと言えば、年に二三度開かれる縁日ぐらいのものであった。
 この日もまた『彼女』は父に肩車をされて、神社の境内を家族でそぞろ歩いていた。
 冬の寒い日であるにも関わらず、多くの人々が境内を往来していた。衣装こそ普段通りの簡素な着物であったが、道行く人は皆境内に連なる転び(※露天商)や小店を楽しそうにのぞくのだった。
 猿楽の笛の音が、かすかな潮騒と共に『彼女』の耳に届く。先程母に買って貰った飴の包み紙を右手にしっかりと握って、『彼女』は父の肩から祭りの様子を興味深げに眺めていた。
 境内は人いきれであふれていた。
「何だ、蒸し暑いいきれるぐらいだのう」
「そりゃ年初めじゃ沢山のえらい数の参拝客が来るら。カンナ、おとうにしっかり掴まっとれよ」
 父と母がそれぞれに言葉を掛ける中、『彼女』は興味津々の様子で境内を見回した。
 普段は別々に海に出ている男達も、この日ばかりは揃って同じ場所に出向いているようだった。祝い酒が回ったのか、陽気な声がお囃子の合間に伝わって来る。
「ああ、祭りはええなぁ、やっぱり」
「何だらしないぶしょったい事言うか。しゃんとせい、しゃんと」
「おめえこそ顔があけえさー。飲み過ぎだら、皆して」
「ああ、祝いの席だもんさー。少しちいっとばかり騒がしてくれ」
 通り過ぎる大人達は押し並べて陽気であった。
「やっぱし宮司ぐうじ様は賢いずない御方だ。あの方がいてくれりゃあ村も安泰だら」
「そうら。実際あの方が知恵さ巡らせてくれたお陰で、今日のこの祭りもあるようなもんじゃしな」
「『初恵比須えびす様』ってか。こうしてまつっとれば確かに祟りを為す事もあんめえ」
宮司ぐうじ様が付いとりゃあ尚更になぁ」
 そうしてどれ程か人波に流された末、『彼女』は境内の奥へ辿り着いた。
 岬の岸壁を背にして建つ一組の建物が参道の果てに鎮座していた。
 朱塗りの鮮やかな建物が『彼女』の瞳に映る。どちらも厚い屋根に覆われ、床は地面よりも大人の背丈の半分程も高く張られていた。
 その内の一つへと、『彼女』は程無く眼差しを据えた。
 建物のひさしの奥は薄暗く、昼間でも見通しがあまり利かなかったが、普段は閉ざされているはず御扉みとびらが開いている事に『彼女』は気が付いた。
 多くの人垣の向こうにのぞくその建物こそ、この神社の『神体』を安置する本殿である。
 開かれた御扉みとびらを背にして一人の男が立っていた。白い斎服に黒い冠を被った初老の男が、居並ぶ参拝客に向けて何やら祝詞のりとを唱えている。
 父の肩に乗ったままその様子を眺めていた『彼女』は、そこでふと神主の後ろに見える開かれた扉へと目を移したのだった。
 本殿の開かれた扉の向こうに、小さな桐の箱が置かれているのが目に留まった。
 小奇麗な、何処かくすぐったさすら感じる瀟洒しょうしゃな箱である。
 祝詞のりとを唱える神主の声が朗々と響く中、一陣の風が本殿の方から流れた。
 その最中に、『彼女』は何かかぐわしい匂いを嗅いだような気がした。
 これまで嗅いだ事も無い、はかなげで、しかし鮮やかな芳香。
 それを運んだ風も、まるでこの世ならぬ場所から吹き込んだかのようであった。
 境内の並木がざわざわと音を立てた。
 潮騒はその日もまた穏やかに繰り返された。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

401号室

ツヨシ
ホラー
その部屋は人が死ぬ

追っかけ

山吹
ホラー
小説を書いてみよう!という流れになって友達にどんなジャンルにしたらいいか聞いたらホラーがいいと言われたので生まれた作品です。ご愛読ありがとうございました。先生の次回作にご期待ください。

体育教師に目を付けられ、理不尽な体罰を受ける女の子

恩知らずなわんこ
現代文学
入学したばかりの女の子が体育の先生から理不尽な体罰をされてしまうお話です。

木の下闇(全9話・20,000字)

源公子
ホラー
神代から続く、ケヤキを御神木と仰ぐ大槻家の長男冬樹が死んだ。「樹の影に喰われた」と珠子の祖母で当主の栄は言う。影が人を喰うとは何なのか。取り残された妹の珠子は戸惑い恐れた……。

飢餓

すなみ やかり
ホラー
幼い頃、少年はすべてを耐えた。両親は借金の重圧に耐え切れず命をとうとしたが、医師に絶命された少年にはその後苦難が待っていた。盗みに手を染めてもなお、生きることの代償は重すぎた。 追い詰められた彼が選んだ最後の手段とは――「食べること」。 飢えと孤独がもたらした行為の果てに、少年は何を見出すのか___…

異邦人と祟られた一族

紫音
ホラー
古くから奇妙な祟りに見舞われる名家・白神家。その一族を救うことができるのは、異国の風貌を持つ不思議な少年・ギルバートだけだった。

保健室の秘密...

とんすけ
大衆娯楽
僕のクラスには、保健室に登校している「吉田さん」という女の子がいた。 吉田さんは目が大きくてとても可愛らしく、いつも艶々な髪をなびかせていた。 吉田さんはクラスにあまりなじめておらず、朝のHRが終わると帰りの時間まで保健室で過ごしていた。 僕は吉田さんと話したことはなかったけれど、大人っぽさと綺麗な容姿を持つ吉田さんに密かに惹かれていた。 そんな吉田さんには、ある噂があった。 「授業中に保健室に行けば、性処理をしてくれる子がいる」 それが吉田さんだと、男子の間で噂になっていた。

妊娠条令

あらら
ホラー
少子高齢化社会の中で政治家達は妊娠条令執行を強行する。

処理中です...