幻葬奇譚-mein unsterblich Alchimist-

ドブロクスキー

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渚のリッチな夜でした

その7

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 臨海学校最大の催しである遠泳が無事に終了を迎えると、参加者全員の顔からは自然と緊張も取れ、以前にも増して朗らかな空気が一同の間に漂い始めた。
 その後の予定も滞り無く進み、夏の日輪が海の向こうへと吸い込まれる頃、事実上最後のイベントとなるキャンプファイヤーの準備が始められたのであった。
 西日の差し込む砂浜の中央に太めの角材が運ばれ、格子状に積み上げられて行った。その周囲では幾つもの焚火台が運ばれ、薪の台座を取り囲むように設置されて行く。夕刻に浜辺でバーベキューを行なった後、夜の訪れと共にキャンプファイヤーが開催されると言うのが予定に沿った一連の流れであった。
 そして、その準備に美香もまた参加していた。
 美香の他にも他の班から回された何人かの生徒達が、砂浜にそれぞれが使う事となる焚火台を設置している。大まかに言って、生徒達はホテル内で食材の下準備と運び出しを行なう者達と、砂浜で会場の整備を行なう者達の二つに別れていたのであった。
 ひぐらしの鳴声が松林から波打ち際まで染み渡る中、焚火台の設置はほぼ完了し、後は教師達の幾人かがキャンプファイヤーの台座の組み立てに何やら各々のこだわりを晒し合うばかりとなった。
 割り振られた仕事も無事に終わり、美香は背筋を伸ばしながら夕時の海を眺めていた。
 黄昏時の海はいでおり、水平線に近付く太陽の輝きが穏やかな波をきらめかせる。絶えず揺らぎこそすれ黄昏の日差しを受けて輝く海原は巨大な宝石の板のようであり、さざなみの打ち寄せる音共々安らいだ気持ちを相対する者に与えるのだった。
 と、砂浜にたたずむ少女の背中に、その時真後ろから声が掛けられる。
「お疲れ様」
 不意に上がった声に美香が肩越しに振り返ってみれば、後ろに一人の少年が立っていた。
 同じクラスの男子生徒、宮沢亮一である。
「あ、どうも……」
 顔は向けながらも咄嗟とっさに目を逸らして、美香は余所余所しく対応した。例の病院での一件以来、美香にとっては何とも接し方に戸惑う相手ではあるのだが、肉親の死からもうじき一月ひとつきが経過しようと言う今、相手の態度も大分落ち着いたものに変わりつつあるのは事実であった。
 潮騒と斜陽を前にして、一組の影が並び立つ。
「……何か用?」
「いや、用って言うか……」
 及び腰に切り出した美香の隣で、亮一は照れたように頭をいた。
 それでも、彼は少しして顔を上げると、隣に立つ美香をじっと見つめる。
「お礼、まだきちんと言ってなかったからさ……ほら、この間の病院での事で」
「ああ……」
 おおむねそんな用件だろうと察してはいたが、美香は素直に感心した素振りを見せた。
 そんな美香の胸中を知ってか知らずか、亮一は少しはにかみながら言葉を続ける。
「あの時は、て言うかその後もだけど、はっきりお礼を言う機会が無かったから……叔子が死んですぐの時は俺も気が動転してたから……」
「うん……まあ、そりゃしょうがないんじゃない?」
 言い知れぬ不安を抱きつつ、美香はもっともらしくうなずいて見せた。
 他方、隣から亮一は美香の横顔をしっかりと見つめる。
「だから、その、有難う。今になって思い返すと、あの時、君が隣にいてくれなかったら、俺、きっと物凄いショックを独りで抱え込んでたと思う。多分、すぐには立ち直れなかったんじゃないかな……そばに、誰もいなかったら」
「いや……いやいや、あたし何にもしてないし! 何にも出来なかったし!」
 情熱を含み出した少年の言葉が耳に入った途端、美香は自分の心臓が胸の内で跳ね上がったかのような錯覚に囚われた。
 戸惑いと若干の恐れすらにじませた美香が顔を向けた先で、亮一は斜陽に瞳を輝かせながら、とても優しげに謝意を伝える。
「そんな事無いよ。急に家族を亡くして途方に暮れてた時に、そばいてくれたってだけで、その時の事を憶えててくれてるって言うだけで、どんなに支えになったか……」
 そう告げた少年の眼差しには、明らかに感謝とは別の感情が揺れていた。
 わずかの曇りも、揺るぎも無い純真な眼差しであった。
 対して、そんな崇高な代物を唐突に遣された美香は、内心で錯乱に近い有様となっていた。
 え!? え、何これ!?
 ドッキリ!?
 周りで誰か仕組んでんじゃないの!?
 血の昇った頭で美香は辺りを見回したが、遠くから友人達が意地悪く見守っている様子も別段見受けられない。それどころか、周囲の様子はおおむね似たような有様であった。
 夕時の海を前にして、斜陽に照らされてたたずむ男女の姿が砂浜にちらほらと認められる。いずれもキャンプファイヤーと焚火台の設置に駆り出された生徒達であろうが、その準備も粗方終わった今、夕餉ゆうげの始まる直前の少しの間にそれぞれに憩いの場を設けているようであった。
 その内の一組に美香も知らぬ間に組み込まれていたのである。
 水平線に今にも触れようとする西日と、それを受けて輝く波間、そして穏やかに繰り返される潮騒は非の打ち所が無い抒情を、居合わせた少年少女達へ惜しみ無く提供していた。
 正しく一生の思い出ともなりかねない鮮やかさを以って。
 何やら泣き出したい気持ちに駆られて、美香はすがるように背後でキャンプファイヤーの調整を続けている教師達の方を見遣った。
 しかるにその教師達と言えば、組んだ薪の位置がどうだの、風向きに対する角度がああだのと内々で話し込むばかりで、付近の生徒達の様子などには一瞥もくれない有様であった。
 見て見ぬ振り、どころの話ではない。
『ま、場所が場所だけに仕方が無いか』
『この際、多少の振る舞いは大目に見てやる』
『精々羽目を外し過ぎるなよ』
 大人達が背中越しに遣す無言の通告が、美香の心境を更に切羽詰まったものへと変えたのであった。
 ちょ、ちょ、ちょ、何!?
 何何!? マジで何なの、この状況!?
 顔を完全に火照らせながらも、それでも美香は顔を戻すと、尚もこちらへ熱の篭った眼差しを送る亮一へと弁明する。
「いや! いや、あれは人として当たり前の事をしただけって言うか! と、兎に角、そんな感謝して貰う程の事じゃなくって、あ、ああ、あたしは別に……!」
 だが美香の必死の弁解も、目前の少年の深い所にはして届いていないようであった。亮一は元々の柔和な面持ちを崩さず、一方で何処か眩しげに、隣にたたずむ一人の少女を見つめ続けたのであった。
「いきなりこんな事言うのも変に思われるかも知れないけど、でも俺、結構助けられたと思うんだ。君のお陰でさ……」
 穏やかな潮騒が、逆に囃し立てるように美香の脳裏に反響した。
「いや、だから、その……あ、あたしは人間としてなすべき事を……」
 普段ならまず用いないであろう、いやに堅苦しい言葉が、錆び付いた機械の漏らすきしみようにみっともなく口元から漏れ出した。
 さりとて当の美香にそれを恥じ入る余裕は無い。
 ちょっと誰か助けてよぉ~!!
 声に出してそう叫んで今にもその場に座り込んで泣き喚きたくなる衝動に、美香は駆られたのであった。
 無論、そんな状態の彼女に気付くゆとりなどあるはずも無かった。
 古来より黄昏時には別の名が宛がわれて来た事を。
 昼と夜の境目となる時刻、光と闇が入り混じる境界となる時間帯は古くはこう呼ばれたのである。
 『逢魔時おうまがとき』と。
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