幻葬奇譚-mein unsterblich Alchimist-

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またもリッチな夜でした

その20

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 視界一面を覆っていたまばゆい光が消えると、美香の前には見覚えのある景色が広がっていた。
 ベージュの色彩から成る床と壁と天井。病院の一角であるらしき事は、美香にもすぐに察しが付いた。
 たたずむ美香を置いて、リウドルフとアレグラは土曜夕時のひっそりとした廊下を歩き始めた。
 穏やかな色調の屋内に足音だけが響き渡る。面会時間も終了が近付きつつある院内には人の声が今更あふれるはずも無く、夜のとばりの下がるのに呼応するかのように静寂が見えざる垂れ幕を下ろして行くかのようであった。
 先行する二人を追って足を踏み出した美香は、程無くして辺りを見回す。
「ここって……」
 来訪者にとっては一見何処も同じように見える建物内に、だが美香は些細な特徴を見出していた。
 収容人数が少ない分、静けさの際立つ空間。個人病室が並ぶ階である。
 言い知れぬ胸騒ぎを覚えた美香の前で、リウドルフとアレグラは黙々と足を運び、、間もなく一つの病室の前で立ち止まったのだった。
 即ち、『宮沢叔子様』とネームプレートが掲げられた一室の前で。
 おおむね察しを付けていた美香も、その時を前に、緊張した面持ちで唾を飲み下した。
 廊下と室内を仕切る扉の前に立ったリウドルフはノックもせず、出し抜けに扉を開け放った。
 室内を照らす白い光が、さっと廊下に漏れ出した。
 あふれ出すまばゆい程の光に小動こゆるぎもせず、リウドルフは開かれた個室へと足を踏み入れた。
「誰だ!?」
 誰何すいかの声が上がった。
 聞覚えのある少年の声に美香は驚くのと一緒に、戸口の脇で眉間を歪めたのであった。
 その美香の前で病室に踏み込んだリウドルフとアレグラを、敷居の向こうに立った宮沢亮一は過分に驚いた、そして怯えた表情で見つめていた。
 リウドルフは室内をぐるりと見回した。
 して広くもない個室内は整頓が行き届いているようで、非常に清楚な印象を見る者に与える。窓辺には青と白の紫陽花が花瓶に生けられていたが、日が経っているのか、何処か色褪いろあせた彩りを晒していた。
 そして、そのかたわら、窓辺に置かれたベッドには、本来そこにしているはずの患者の姿は無く、乱れたブランケットの隙間にしわだらけのシーツがのぞくのみであった。
「……『奴ら』は、何処へ行った?」
 そう訊ねて、リウドルフは蒼く底光りする瞳を目の前をさえぎるように立つ一人の少年へと向けた。
 その少年、亮一は質問を遣された途端に目を見張り、眼前を覆うようにたたずむ闖入者へ警戒の眼差しを送る。
「な、何の事だ? ここには、俺と妹の二人しか……」
「お前を顎先で扱って来た『連中』は、今しがた何処へ向かったのかと訊いている」
 硬く冷たい響きを含ませた声で、リウドルフは再び問うた。
 そのリウドルフへと亮一は問い返す。
「いきなり入って来て、何なんだあんたは? あんた学校の先生だろ? 何でこんな……」
「生憎と俺の本業は医者でな。悪性腫瘍を取り除いて周囲の被害を抑えるのも仕事の内だ。それに……」
 リウドルフは義眼の表に蒼白い光を立ち昇らせつつ、目の前に立つ亮一を、怯えをのぞかせながらも立ちはだかるようにたたずむ一人の少年を見据える。
「家族と連れ立っている訳でもなく、こんな時間のこんな所にお前が一人でいる事の方が余程不自然だ。そんなに妹が心配か?」
「あ、当たり前だ!」
 突っねるように答えた亮一を、リウドルフは対象を縫い付けるように凝視した。相手の胸の奥深くまでを透かして見るように、彼は両の義眼を相対する少年へぴたりと固定したのであった。
「……案じているのは本当に妹一人の事だけか? 本当は、常に目を光らせておかないと『奴ら』が何を仕出かすか判らないからではないのか?」
 途端、亮一は息を詰まらせたように黙り込んだ。
「もう一度訊くが、『あいつら』の向かった先は何処だ? 隠そうとするのは勝手だが、今更大して意味の無い事だ。全ての病室の前に『ジィーガー』を刻んでおいた。よこしまなる存在が戸口に触れるようならすぐに反応して俺に知らせる。今さっき、ここから『あいつら』が慌てて出て行った時のようにな」
 リウドルフの淡々とした言葉に、亮一はただ気圧されていた。
「魔封じの効能のある呪具を配置出来れば話も早かったが、場所が場所であるだけに難しかった。全ての病室の前に祭壇を用意する訳にも行かんし……とは言え、結局は時間の問題に過ぎん」
 言いながら、リウドルフは怯える亮一をぎろりと睨んだ。
「言え。『奴ら』は何処へ向かった? 今度は誰を犠牲にしようと画策している? お前とお前の家族をもてあそんだように」
 刹那、亮一は、強張った面持ちの中で瞳を大円に見開いた。
 部屋の外でその言葉を耳にした美香も、また同様であった。
「叔ちゃんが……」
 先程からのリウドルフの言葉通り、病室に叔子の姿は見当たらなかった。実際の所、美香は先方の詳しい容体や病状などは知らなかったし、無礼に当たるものとえて訊ねもしなかったが、あの少女は訪問した時には常にとこに伏せていたのである。見舞に訪れた亮一を置いて、あの病弱そうな少女が一人で病室を後にするなどと言う真似が果たして出来るのであろうか。
「……そんな……まさかさらわれて……」
 美香が呻くように呟いた時、リウドルフの後ろからアレグラが声を上げる。
meinマイン・ Schöpferシャプファー、足元」
 促されてリウドルフは亮一の背後、ベッドの陰に目を落とした。
 次いで彼は黒い骨の剥き出しになった右手をおもむろに掲げると、逆手で手招きをするように指を動かした。
 間を空けず、まるで見えない糸に引かれるようにして、窓辺に置かれたベッドの足元から黒い塊がい出して来る。肩越しにそれをかえりみた亮一は、顔色すら即座に蒼褪あおざめさせて混乱と戦慄とを一層強めたようだった。
「慌てて物を隠す際には誰しも同じ場所を用いるようだな。テストの答案から如何わしい雑誌、果ては犯罪の証拠品に至るまで」
 言いながらリウドルフはやおら腰を曲げると、自分の足元まで引きられて来た黒い塊を持ち上げたのであった。
「あれは……」
 戸口の陰で美香が目を凝らした。
 リウドルフの掌中に収まっているのは、カーテン生地のような一面が真っ黒な布地である。そして、その中から骨だけの指に摘まみ上げられたのは、紫と白の鮮やかな仮面であった。
 ピエロ帽子を意識した装飾が額の周りを飾っている、道化師の仮面であった。
「えっ!?」
 戸口から思わず身を乗り出して、美香は驚きの声を上げた。
「それって、『怪人ファントム』の衣装!? どうしてここに……って」
 美香は語尾に掛けて言葉の勢いを落としつつ、リウドルフの手元から部屋の奥にたたずむ少年へとゆっくりと視線を移す。
 亮一もまた自身の目の前にさらけ出された『物』を認めて、驚きと怯えに色を失っていた。
 十歩程の距離を置いて立ち尽くす少年を、美香は力無く見つめる。
「まさか……」
 懸命に否定しようとする中で、だが、美香の脳裏には色々と蘇って来るものがあった。つい先日この病室を訪れた時に垣間見た、不気味な声と光。いや更にさかのぼれば、この少年が転校して来た初日にすでにその兆候は認められたのである。
 これまでの毎日、自分達のすぐ隣で何食わぬ顔をしながら日常生活を送る一方、亮一は市街を跳梁ちょうりょうして来たと言うのだろうか。
「え?……でも……?」
 そこで、美香は再び小首をかしげた。
 だが、もしそうであるなら、ここから叔子を連れ出したのは誰なのだろう。
 あの黒衣に身を包んでいた『誰か』が別に存在するという事なのだろうか。
 美香はおずおずとリウドルフの背中に問い掛ける。
「……『怪人ファントム』って、誰なの?」
「『亡霊ファントム』は『亡霊ファントム』だ。只のたちの悪い死に損ない。それ以外の何ものでもない」
 細い背中越しに答えた後、リウドルフは言葉を続ける。
「……いつからだ?」
 今も怯えた表情をのぞかせる亮一へと、貫くような眼差しを向けながら。
「一体いつからお前は『あれ』の言いなりになって来た? 一体どれだけ『奴ら』の為に『体』を提供し便宜を図って来たんだ? その都度、陰でどれ程の数の犠牲者が出ていたか、知らんはずもあるまい!?」
 最後のくだりに掛けては、追及者の口調は随分と強いものに変わっていた。それは相手の詭弁を許さぬ叱咤でもあったし、取りも直さず実直な発言を求める督促でもあった。
 相対した亮一は張り詰めた面持ちの中で、自身の不安や後ろめたさを脇に追い遣るように慌ただしい口調で答える。
「『あいつ』は、『あいつ』は約束してくれたんだ!! 妹を助けたければ、自分の言う通りにしろって!! そうすれば叔子の体調も回復させて、また他所へ行くって!! 自分はただ休める場所を探していただけなんだって!! 決して誰も傷付けないし、勿論もちろん殺しもしない!! 叔子の治療と新たな宿主を探すのに必要な力を大勢から少しずつ集めて来るだけだって、そう言って……だから俺はこんな衣装まで用意して……!」
 最後の辺りに至っては、被告人の物言いは随分と弱々しいものへ代わっていた。それは、ろくに見知らぬながらも全てを掴んでいるかのように振る舞う相手の追及に怯えた為でもあったし、また、それによって呼び起こされた自身の後ろめたさが作用した為でもあるようだった。
 しかるに、亮一の訴えをリウドルフは目を細めて受け流す。
「そんな胡散臭い口約束だったら、ついさっき提案者自身がふいにし掛けたぞ。そこの坂道を来たバスの運転手を憑り殺し、道を塞ぐ程の大事故を起こそうとしていたのだからな」
 告げられた途端、亮一はにわかに目を見張った。
 驚きを露わにした相手の向かいで、リウドルフは骨となった右手の親指で後ろにたたずむ美香を指し示した。
「事故、いや事件そのものは未然に防いだが、バスの運転手とそこのおっちょこちょいが危うく死ぬ所だった。じきに警察も駆け付けて来るだろう。大した人道主義だな」
 その宣告を追うように、窓の外からパトカーのサイレンの音が近付いて来る。
 亮一は、半ば愕然とした面持ちで唇を震わせる。
「……そんな……どうしてそんな事……」
「恐らくは近場で目立つ事故を発生させて、院内の注意がそちらへ向いた隙に新たな犠牲者へ近付く算段だったのだろう。これまで誰も殺さず、目立たぬよう振る舞って来たのも、単に追手が掛かるのを防ぐ為に過ぎない。あんな『もの』に慈悲や慈愛などがわずかたりとも存在すると思うか?」
 リウドルフは険悪ですらある口調で告げると、亮一を改めて見据えた。
「まだ判らないか? それとも判らない振りをしているのか? いずれにせよお前は捨てられたのだ。いや、『奴ら』には初めから誰かの命や望みを拾ってやる積もりなど……」
 そこまで言った時、リウドルフは鋭い眼差しを矢庭に横へと逸らしたのだった。
「あいつら……また面倒な相手を次の宿主しゅくしゅに定めたものだな……!」
 言葉の終わりを打ち消すようにして、リウドルフの足元を中心に、光が円形に立ち昇り始める。
「あっ……」
 美香が声を漏らした時には、彼女の視界はまばゆい光に塞がれたのであった。
 しかる後、美香がまぶたを再び上げた時には、個室にたたずんでいた一同は、病院の別の場所へと転移していた。
 同じくベージュの床と壁と天井が何処までも続く通路である。
 だが、そこには機械の駆動音が満ちていた。壁や天井に点々と配された空気清浄機が、辺りを見回す美香の耳元へ低い稼働音を休み無く送り続ける。
「ここは……」
 首を左右に巡らせる美香の前で、リウドルフは廊下の前方へと歩を踏み出した。
「そこから離れろ、『亡霊ガイスト』!! そも、ここは『貴様ら』のような輩が徘徊して良い場所ではない!!」
 肌を刺すような強く鋭い声が、ベージュの通路の奥にまで響き渡った。
 思わず肩をすくめてしまった美香は、それでも制止の声が向けられた先に目を移す。
 だが、そこで美香はまたも虹彩を大きく押し広げたのだった。
 彼女達から二十歩程度の距離を置いて、一個の小さな人影が通路の端にたたずんでいた。
 只一人、たった一人で、その小さな体躯の持ち主は何処かの病室の前に立っていたのだった。
 美香も良く知る少女、宮沢叔子がたった一人で。
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