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またもリッチな夜でした
その18
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そして辺りが宵闇にとっぷりと包まれた頃、美香は病院へと向かう市バスの、最後尾の席に腰を下ろしていたのであった。
昼前から降り続く雨は少し前から雨脚を途切れさせてはいたが、空には今も暗灰色の雲が一面に広がり、見上げる者の視線を無下に遮るのだった。
照明の灯された仄暗いバスの中に、乗客は美香のみである。土曜の夜、街の中心から次第に遠ざかるバスに新たに乗り込む乗客はおらず、まして終点の病院近くに差し掛かった頃には、同乗していた客も皆既に降車した後であった。
宅地沿いの幹線道路を走るバスの中で、美香はぼんやりと窓の外を見つめていた。
果たして、これから自分は何をする積もりでいるのだろうか。
美香は外の暗がりに重なって映る、自らの浮かない表情へと問い掛けた。
病院に着いた所で、そこにリウドルフがいるとは限らない。
全くの無駄足に終わってしまうかも知れないし、あの病院内に巣食う何らかの脅威にわざわざ自分から近付いて行く羽目になる。そもそも、あの人とて当の昔に事態の全容を掴んで解決に乗り出しているのかも判らないのだし、どの道、自分の行動は全くの無駄に終わるのかも知れない。
そこまで思いを巡らせて、美香は眉根を寄せた。
だとしても、このまま事態を放置しておいて良いものだろうか。
他ならぬ自分の不安や予感を誤魔化してまで。
道路に隣接する民家の疎らな明かりを眺めつつ、美香は予定を大まかに整理する。
取り敢えず病院までは行く。
そこにリウドルフがいれば、これまでの事情を説明して帰る。その際に何を言われても、電話に出ないそっちが悪いのだと啖呵の一つも切ってやろう。
だが……
だが、もし、その姿が見当たらなければ、さて、その時はどうしたものであろうか。
窓を向いたまま、美香は表情を曇らせた。
今一度、叔子の病室を覗いてみるべきだろうか。
自分が感じたものの正体を確かめに。
しかし、それが如何に危険な行為であるかは美香にも容易に察せられた。先のリウドルフの忠告ではないが、わざわざ自分から無謀な真似をするものではない。
然るに、あの病院には自分の弟も含めた多くの人々が入院しているのも動かし難い事実なのである。無防備な傷病者のすぐ隣で蠢く怪異を放置しておく事が得策か否かは、これもまた美香には容易く察せられたのであった。
結局、明確な答えの出ない鬱屈とした迷いを抱えつつ、少女は一人バスに揺られて夜道を進むのみであった。
宅地の灯りも途切れがちになり、バスはいよいよ病院へと続く坂道へと差し掛かる。今更新たに乗り込んで来る客の姿も無く、バスの薄暗い車内には黙々とハンドルを動かす運転手と、物憂げに外を眺める美香の二人が在るばかりであった。
そしてバスが坂の中程に差し掛かった頃、美香はふと眉を顰めた。
窓の外に臨む夜景、その只中に奇妙な影がちらついたように思えたのである。
病院へと続く坂の途中にも民家は並んでいたが、夜の闇に朧に浮かんだ、重なり合った屋根の輪郭の上を何か小さな影が飛び回っている。
既に日は落ちている筈だが、巣へと戻る烏か何かだろうか。
しかし、それにしては、あの飛び回り方は……
美香がそこまで訝った時、影は空へと舞い上がったのか、不意に姿を消した。
その数秒後、美香の頭上で硬質の音が鳴った。
バスの天井に、いや、走行する大型車両の屋根に『何か』がぶつかったのである。
予感と呼ぶよりは殆ど本能的な警戒を、美香は瞬時にして抱いていた。
直後、
「うわっ!?」
前方で運転手が狼狽した声を漏らし、マイクに拾われたそれは薄暗い車内に大きく鳴り響いた。
その運転手と同じ方向を、美香もすぐに凝視していた。
驚きと慄きに目を大きく見開いて。
『異形』がフロントガラスに取り付いていた。
丁度、濡れた壁面を這いずる蛞蝓のように、バスの大きなフロントガラスに体を斜めに貼り付かせて、黒衣の怪人が車内を覗き込んでいたのであった。辺りの暗がりよりも更に深い闇色の衣で全身を覆い、頭部と思しき場所には鮮やかな仮面を取り付けている。
紫と白の色彩の中で不気味な笑みを湛えた、あれは道化師の仮面だろうか。
美香が相手の姿を良く見定めようと目を細めた矢先、怪人の体をすっぽりと包む黒衣から黄色い光が漏れ出した。透明感の無い、発光する靄のような淀んだ光がフロントガラスを浸透して車内に入り込んで来る。
「……あっ……う……」
運転手の漏らした呻き声が、またもマイクを通して車内へ律儀に響いた。
それから殆ど間を置かず、運転手はハンドルに凭れ掛かるようにがっくりと首を落とし、突如として意識を失ったようであった。ハンドルに体が圧し掛かられた弾みでクラクションが鳴り、人気の無い夜の坂道に盛大に響き渡った。
同時に、人による操作を離れたバスは俄かに制御を失い、酩酊したように蛇行を始めたのであった。
座席から窓に押し付けられた美香は、驚愕と戦慄とを改めて面皮に立ち昇らせる。元々速度を落として勾配を上っていた筈のバスは、如何なる力が作用したのか、急に加速を付け始めて夜道を暴走した。車の往来が少ない道だからまだ良いようなものの、これではいずれ路肩に衝突するか、路面に横転するかのどちらかである。
然るに、座席に押し付けられるばかりの美香にはどうする事も出来ず、顔を強張らせる彼女の前で、フロントガラスに貼り付いた黒衣の怪人は嘲笑うような表情の仮面を薄暗い車内に据えていた。
車体が右方向に大きく逸れた。
美香の視界が、巨漢に殴り付けられたかのように激しく揺さぶられる。
……これは、死ぬ!?
窓ガラスへと体を再び押し付けられた美香が、錯乱気味に思った瞬間であった。
仮面の怪人が、フロントガラスから矢庭に飛び退いた。
それと入れ替わるようにしてバスのフロントガラスを打ち破り、誰かが車内へと飛び込んで来る。砕けた細かなガラス片が、きらきらと輝いた。
鮮やかな赤毛と緑色の術衣が車内の照明に照り返った。暴走するバスの真向かいからフロントガラスを蹴破って車内に入り込んだのは、美香の良く知る人物であった。
「はいはい、ちょいと失礼しますよ~」
揺れる車内で悠然と身を起こしたアレグラは、座席で項垂れる運転手を床に寝かせると、素早くハンドルを握った。
「止むを得ず急停車致しますのでしっかりお掴まり下さ~い、って、あら? 美香ッチじゃ~ん。どうしたの、また? 奇遇が続くねぇ」
鏡越しに唯一の乗客の姿を確認したアレグラは、爽やかに笑いながらバスの制動に入った。
暴走するバスは坂の緩いカーブに差し掛かったが、その上では二つの影が相対していた。
車体前方に佇む仮面の怪人から十歩程の距離を置いて、バスの屋根にリウドルフが立っていた。緑色の術衣を着込み、金色の蓬髪を風に乱れさせて、両の目に蒼い光を輝かせながら痩身の孤影は異形の痩身を睨み付ける。
黒衣の怪人は、道化師の仮面を傾げて見せた。
『なななななな』
『何だ、だだだ、おまおまま、お前?』
『人で、ででで、では、ではない』
『おおお、お前は、人間でではななない』
折り重なった声の向こうで、リウドルフは苛立たしげに目を細めた。
「……いいから黙って消え失せろ。『貴様ら』のような半端者は」
暴走するバスの動きをものともせず、二つの影は直立の姿勢で数瞬睨み合っていた。
『なななななな』
『何であれあれあれれれ』
『邪邪邪邪魔邪魔をすするなら』
『は排除すするる』
重なり合い篭り合った奇妙な声を漏らした直後、仮面の怪人は相対するリウドルフへと不意に飛び掛かった。
呼応するように、リウドルフもバスの屋根を蹴って飛び上がる。
正に一対の怪鳥の如く、二つの痩身は宵闇を背負うようにして暗い空へと飛翔し、互いに翳りの塊と化して正面から激突した。
甲高く澄んだ音が、刹那、夜の坂道に鳴り響いた。
あたかも夜の闇に見えざる亀裂が走り、その向こうより伝わって来たかのような、この世のものとは思えぬ程に透き通った儚い音が。
二つの影がバスの直上で交差した。
それぞれに直前の位置を入れ替わり、リウドルフは車体前方で身を起こす。術衣から覗く右腕は皮膚が弾け飛び、真っ黒な骨格が露わとなっていた。
そして彼の睨む先で、黒衣の怪人も緩々と背筋を伸ばした。
黒衣の輪郭を著しく損なわせて。
怪人の全身を覆う闇色の衣は左半身の半ば以上が今や失われ、さながら宵闇に食い破られたかのように消え失せていたのであった。
胴体の半分に空いた穴に流れ去る後ろの景色を垂れ流しながら、仮面の怪人はがくがくと全身を戦慄かせる。
『そ、そそそ、そっ……!』
『その力、からから……!』
『まさ、まさ、まさかかかか……!』
「その通り。『貴様ら』のような手合いが最も恐れる『場所』からの呼び声だ。往生際の悪い真似ばかりしとらんと、さっさとこちらへ渡って来いとのお達しだぞ」
つまらなそうに言いながら、リウドルフは骨化した右腕を眼前の異形へと向ける。骨の剥き出しとなった指先を起点に空間が振動した。
透き通った儚い音が夜気を再び震わせた。
遥けき彼方、常世の懐より溢れた黄泉の波動の断片が、現世の空気を打ち鳴らし標的へと真っ直ぐに突き進む。現世に在るべからざる、見えざる波動が衝突する間際、仮面の怪人はバスの屋根から飛び退ったが、黒衣に包まれた長躯の実に下半分が虚空へと消え去った。
然るに、それでも仮面の怪人は悶える事もせずに暗い空へと飛翔し坂道から急速に離れ行く。
その様子を仰いだリウドルフは、左の瞼をぴくりと動かした。
「……やはり『核』を潰さん事には大した痛手とはならんか……」
呟いたリウドルフの足元でバスは大きく減速した。
「よいしょお!」
運転席に腰掛けたアレグラが威勢良くハンドルを戻しながらブレーキを踏み付けると、一時は坂道を暴走していたバスも速度を大幅に落とし、程無くして路肩に無事停車したのであった。次いでエンジンを切った後、アレグラは運転席から後ろを振り返った。
「も大丈夫だよ~。いや~、結構危ない所だったねぇ」
「……ア、アレ姐……良かったー……」
脱力した美香は泣き顔が混ざったような微笑みを浮かべながら、最後尾の座席からよろよろと立ち上がる。
そこへ、先程アレグラが蹴破ったフロントガラスの裂け目からリウドルフが車内へと入り込んだ。
直後、彼は車内の照明に照らされる美香の姿に気付いて露骨に表情を歪める。
「何でこんな時期のこんな時間に、こんな所にこんな奴がいるんだ!? 明後日から試験だろうが! 予習はどうした、予習は!?」
心底煩わしそうに咎めた相手へと、美香も一転して食って掛かる。
「センセこそ、こんな所で何やってんのよ!? いや、助かったけど。つか、今まで何度も電話掛けたんだから出てよ! そうすりゃあたしだってここまで出張って来なかったのに!」
「電話!? 知らんぞ、そんなの。俺は今しがたまで病院で脳動脈瘤のクリッピングに没頭してたんだ。昼前に急患で蜘蛛膜下出血の患者が運ばれて来てからずっと。外からの呼び出しなんか一々確認する間も無い程忙しかったんだ」
「何それ……」
相手のぞんざいながらも一応の筋の通った言い分に、美香は面白くもなさそうな表情を浮かべる。
その美香の前で、リウドルフは鼻息をついた。
「頭蓋も塞いで一息ついてた所を邪気を感じて見に来てみれば、まさかお前がいるとは……よくよく人の話を聞かない奴だな」
「今のあんたにゃ言われたかない。事情は判ったけども……」
不貞腐れたように反駁して、美香はぷいと顔を逸らした。
そんな両者を、傍らから、アレグラが意地の悪い笑みを浮かべて見比べる。
「まあまあ痴話喧嘩は後にして、取り敢えずこの人どうしよっか?」
リウドルフへと訊ねながら、アレグラはバスの通路に寝かされていた未だ意識を失っている運転手を指し示した。
「……誰と誰が何をしてるって?」
不満げに言い捨てながらもリウドルフは床に片膝を付くと、倒れた運転手の上体を起こしてホイールハウスに寄り掛からせたのであった。
「至近距離で活力吸収を食らったからな……だが生命力を根こそぎ吸い取られる程長々と浴びた訳でもない。貧血に近い症状で済んでいるようだが……」
リウドルフは双眸を蒼く光らせて運転手を凝視する。相手の肉体ではなく、魂や精気など人間の内側を走る力を透視する為に人ならざるものの眼差しは強さを増した。
その一方で彼は眉根を寄せる。
「……しかし妙だな。『奴ら』はこれまで、なるべく足の付かないよう立ち回って来た筈だ。それがこんな近場で獲物を漁るなど……さっきは故意に車を暴走させていたようだったし、騒ぎにでもなったらどう……」
リウドルフは、そこで顔を矢庭に跳ね上げた。
「いや、これは或いは……」
それまでよりも硬い声で独白するなりリウドルフは腰を上げると、そのままの勢いで傍らの助手へと言い付ける。
「通報は他に任せよう。運転手の衰弱の度合いもそこまで酷くはないし、どの道病院が目と鼻の先だ。俺達は戻るぞ。若しかすると、相手の視点誘導に乗せられたかも知れん」
「あいよ」
アレグラが頷いて見せると、リウドルフは美香へと首を巡らせた。
「で、お前はさっさと帰れ。何しに来たんだ、そもそも?」
「何しにって……!」
小手先で蝿でも追い払うように邪険に言われて、美香も憤りを露わにした。
「だから、あたし、センセに伝えようと思ったんだよ! 昨日病院に立ち寄った時、変な声が聞こえたの!」
「変な声?」
露骨に胡散臭そうにこちらを見遣る相手へ、美香は慌ただしく説明する。
「やァ、ほら、前にあたしが攫われた時、あの時に聞いたような霊的な声?、みたいな感じの奴を耳にする事があったの!」
「聞いた? お前が? 呼び掛けられた訳でもないのにか?」
リウドルフは得心した様子を尚も覗かせなかったが、美香も懸命に、半ばむきになって訴える。
「ほんとに聞いたんだってば! それに少し前から変なものを見るようになってたの。黄色い変な光……さっきもそう。あの『怪人』から黄色い光が滲み出てるのが見えて、街中でも病院でも同じようなのが見えた事があって、それで気になって……」
「あっちゃ~……」
帰宅した後になって他人の傘を差して来た事に気付いた時のような、悔恨を含んだ惚けた声が不意に差し挟まれた。空席の列を背にして懸命に説明した美香の斜交いで、アレグラが額を押さえて嘆息を漏らしたのであった。
「……やっぱ、『魔痕』の影響が出ちゃったねぇ……」
疲れた口調で言って、アレグラがリウドルフを眺め遣った。
そのリウドルフは口元をへの字に結んで、何やら苦々しげな眼差しを横へと逸らしていたのであった。
話の輪から俄かに外された美香は一人小首を傾げる。
「スシマタ?」
「いや何、偶にあるのよ、こういう事が」
美香の方へと首を巡らせたアレグラがやんわりと、何処か及び腰に言葉を掛けた。
「魔物の、特に歳経た妖魅から受けた傷ってのは体だけじゃなく、もっと深い所、その人の精神面や霊的な特性にまで影響を及ぼす事があるの。美香ッチの場合……」
「あっ……」
アレグラの慮る眼差しに促されるようにして、美香は吃驚の声を小さく漏らすと自分の首筋を撫ぜた。既に跡形も無く消えているが、ここに魔性の牙を突き立てられたあの夜の出来事を、少女は咄嗟に思い返したのである。
他方、ばつが悪そうにアレグラは言葉を続ける。
「いや勿論、あたしらもそんな影響が出ないように治療には最善を尽くした積もりだったんだけどさ、やっぱ一筋縄では行かなかったって言うか、何でもそうだけど、影響を零に抑える、初めから何も起こらなかった事にするってのは難しいからねぇ……」
説明を受ける内、薄暗い車中で美香は俄然慌てふためいた。
「えっ!? え、何!? じゃあ医療ミス!? その内、牙がにょっきり伸びて血を吸いたくなったりすんの、あたし!? やだぁ!!」
「んな訳あるか!!」
リウドルフが憤然と声を上げた。
「治療は完璧に熟した! お前は百パーセント普通の、純粋な、他と変わらない人間だ! ただ単に、そういう影響され易い体質だったってだけの話だ! そこを更に矯正しようとすれば、最早治療行為ではなく人体改造の部類に手を染める事になる! 流石にそこまで人を弄る気にはなれん!」
半ば居直りのような釈明であった。
美香は口先を尖らせる。
「……まあ、形相が段々おかしくなってったりしなきゃいいんだけど……」
「影響を受けるのは感覚や感性の側面だけだ。肉体が歪に変質したりはしない。そこは保証する」
渋面を作って答えたリウドルフへと、アレグラは含みのある眼差しを寄せた。
「でもさぁ、そういう事情があったんだとすると、ちょっとした責任問題だよねぇ~、うちらにしても? 素気無い態度ばっか取ってて良いのかな~?」
「素っ気無いから何だ? どんな事情があろうと、学生の本分は飽くまで勉強だろうが」
尚も頑迷な態度を取り続ける男からアレグラは目を一度逸らすと、美香へとウインクして見せた。
然る後、彼女は粘り付くような口調で言葉を続ける。
「ンな事言ったってねぇ? 今更他人事と割り切って忘れろったって無理だし~、家族も入院してる先で起きた事でもあるんだしィ~、まして今のこの状況で一人で帰れったって難しいんじゃな~い? そっちのが大人として余っ程無責任なんじゃないのぉ~?」
路肩で停車しているバスの内に、破れたフロントガラスからひんやりとした夜気が入り込んで来る。空席の並ぶ車内には沈黙がひたぶるに沈殿し、光度の今一つ足りない照明が及び腰にそこを照らした。
リウドルフは目元を引き攣らせながら、自らの傍らに立つ忌々しい身内を睥睨した。
「……お前は一体どっちの味方だ?」
「乙女の味方」
「獅子身中の虫め……!」
「時の氏神と言って欲しいなぁ、そこは」
実にしれっと、アレグラは切り返して退けたのだった。
二呼吸程の間を置いてから、リウドルフは首を幾度か横に振った。
「……確かにこのまま夜道を一人で帰らせるのも良くはないか……せめて病院までは送ってやる」
実に億劫そうに折れた男の周りで、女二人はそれぞれに顔を見合わせてにやけた表情を浮かべたのであった。
だが気を落としたような素振りを覗かせたのも束の間、リウドルフは顔を上げると、それまでよりも厳しい眼差しを美香へと注いだ。
「しかし、これ以上首を突っ込むのであれば、恐らく最も見たくないだろう『もの』を見る破目にもなる。それだけは覚悟しておけ」
「……判った」
少し気圧されながらも、美香は首を縦に振った。
直後、車中に佇む三者の足元から、強い光が出し抜けに立ち昇った。バスの通路の一角に円形の光が現れ、その中に佇むリウドルフとアレグラ、そして美香に立ち所に輝きを帯びさせる。
驚いた顔を浮かべた美香の前で、リウドルフは依然として真摯な眼差しを中空に向けていた。
「さて、意地汚い泥亀を巣穴から引き摺り出す時が来たか……」
その呟きが耳に届いてすぐ、美香の視界は真っ白な光に塗りたくられた。
そしてバスの床から立ち昇る円形の光は、生じた時と同じく不意に途切れた。その時には、意識を失ったままの運転手を除いて、薄暗い車中からは一切の人影、人の気配は消失していたのであった。
夜陰が刻々とその濃さを増す中での事であった。
昼前から降り続く雨は少し前から雨脚を途切れさせてはいたが、空には今も暗灰色の雲が一面に広がり、見上げる者の視線を無下に遮るのだった。
照明の灯された仄暗いバスの中に、乗客は美香のみである。土曜の夜、街の中心から次第に遠ざかるバスに新たに乗り込む乗客はおらず、まして終点の病院近くに差し掛かった頃には、同乗していた客も皆既に降車した後であった。
宅地沿いの幹線道路を走るバスの中で、美香はぼんやりと窓の外を見つめていた。
果たして、これから自分は何をする積もりでいるのだろうか。
美香は外の暗がりに重なって映る、自らの浮かない表情へと問い掛けた。
病院に着いた所で、そこにリウドルフがいるとは限らない。
全くの無駄足に終わってしまうかも知れないし、あの病院内に巣食う何らかの脅威にわざわざ自分から近付いて行く羽目になる。そもそも、あの人とて当の昔に事態の全容を掴んで解決に乗り出しているのかも判らないのだし、どの道、自分の行動は全くの無駄に終わるのかも知れない。
そこまで思いを巡らせて、美香は眉根を寄せた。
だとしても、このまま事態を放置しておいて良いものだろうか。
他ならぬ自分の不安や予感を誤魔化してまで。
道路に隣接する民家の疎らな明かりを眺めつつ、美香は予定を大まかに整理する。
取り敢えず病院までは行く。
そこにリウドルフがいれば、これまでの事情を説明して帰る。その際に何を言われても、電話に出ないそっちが悪いのだと啖呵の一つも切ってやろう。
だが……
だが、もし、その姿が見当たらなければ、さて、その時はどうしたものであろうか。
窓を向いたまま、美香は表情を曇らせた。
今一度、叔子の病室を覗いてみるべきだろうか。
自分が感じたものの正体を確かめに。
しかし、それが如何に危険な行為であるかは美香にも容易に察せられた。先のリウドルフの忠告ではないが、わざわざ自分から無謀な真似をするものではない。
然るに、あの病院には自分の弟も含めた多くの人々が入院しているのも動かし難い事実なのである。無防備な傷病者のすぐ隣で蠢く怪異を放置しておく事が得策か否かは、これもまた美香には容易く察せられたのであった。
結局、明確な答えの出ない鬱屈とした迷いを抱えつつ、少女は一人バスに揺られて夜道を進むのみであった。
宅地の灯りも途切れがちになり、バスはいよいよ病院へと続く坂道へと差し掛かる。今更新たに乗り込んで来る客の姿も無く、バスの薄暗い車内には黙々とハンドルを動かす運転手と、物憂げに外を眺める美香の二人が在るばかりであった。
そしてバスが坂の中程に差し掛かった頃、美香はふと眉を顰めた。
窓の外に臨む夜景、その只中に奇妙な影がちらついたように思えたのである。
病院へと続く坂の途中にも民家は並んでいたが、夜の闇に朧に浮かんだ、重なり合った屋根の輪郭の上を何か小さな影が飛び回っている。
既に日は落ちている筈だが、巣へと戻る烏か何かだろうか。
しかし、それにしては、あの飛び回り方は……
美香がそこまで訝った時、影は空へと舞い上がったのか、不意に姿を消した。
その数秒後、美香の頭上で硬質の音が鳴った。
バスの天井に、いや、走行する大型車両の屋根に『何か』がぶつかったのである。
予感と呼ぶよりは殆ど本能的な警戒を、美香は瞬時にして抱いていた。
直後、
「うわっ!?」
前方で運転手が狼狽した声を漏らし、マイクに拾われたそれは薄暗い車内に大きく鳴り響いた。
その運転手と同じ方向を、美香もすぐに凝視していた。
驚きと慄きに目を大きく見開いて。
『異形』がフロントガラスに取り付いていた。
丁度、濡れた壁面を這いずる蛞蝓のように、バスの大きなフロントガラスに体を斜めに貼り付かせて、黒衣の怪人が車内を覗き込んでいたのであった。辺りの暗がりよりも更に深い闇色の衣で全身を覆い、頭部と思しき場所には鮮やかな仮面を取り付けている。
紫と白の色彩の中で不気味な笑みを湛えた、あれは道化師の仮面だろうか。
美香が相手の姿を良く見定めようと目を細めた矢先、怪人の体をすっぽりと包む黒衣から黄色い光が漏れ出した。透明感の無い、発光する靄のような淀んだ光がフロントガラスを浸透して車内に入り込んで来る。
「……あっ……う……」
運転手の漏らした呻き声が、またもマイクを通して車内へ律儀に響いた。
それから殆ど間を置かず、運転手はハンドルに凭れ掛かるようにがっくりと首を落とし、突如として意識を失ったようであった。ハンドルに体が圧し掛かられた弾みでクラクションが鳴り、人気の無い夜の坂道に盛大に響き渡った。
同時に、人による操作を離れたバスは俄かに制御を失い、酩酊したように蛇行を始めたのであった。
座席から窓に押し付けられた美香は、驚愕と戦慄とを改めて面皮に立ち昇らせる。元々速度を落として勾配を上っていた筈のバスは、如何なる力が作用したのか、急に加速を付け始めて夜道を暴走した。車の往来が少ない道だからまだ良いようなものの、これではいずれ路肩に衝突するか、路面に横転するかのどちらかである。
然るに、座席に押し付けられるばかりの美香にはどうする事も出来ず、顔を強張らせる彼女の前で、フロントガラスに貼り付いた黒衣の怪人は嘲笑うような表情の仮面を薄暗い車内に据えていた。
車体が右方向に大きく逸れた。
美香の視界が、巨漢に殴り付けられたかのように激しく揺さぶられる。
……これは、死ぬ!?
窓ガラスへと体を再び押し付けられた美香が、錯乱気味に思った瞬間であった。
仮面の怪人が、フロントガラスから矢庭に飛び退いた。
それと入れ替わるようにしてバスのフロントガラスを打ち破り、誰かが車内へと飛び込んで来る。砕けた細かなガラス片が、きらきらと輝いた。
鮮やかな赤毛と緑色の術衣が車内の照明に照り返った。暴走するバスの真向かいからフロントガラスを蹴破って車内に入り込んだのは、美香の良く知る人物であった。
「はいはい、ちょいと失礼しますよ~」
揺れる車内で悠然と身を起こしたアレグラは、座席で項垂れる運転手を床に寝かせると、素早くハンドルを握った。
「止むを得ず急停車致しますのでしっかりお掴まり下さ~い、って、あら? 美香ッチじゃ~ん。どうしたの、また? 奇遇が続くねぇ」
鏡越しに唯一の乗客の姿を確認したアレグラは、爽やかに笑いながらバスの制動に入った。
暴走するバスは坂の緩いカーブに差し掛かったが、その上では二つの影が相対していた。
車体前方に佇む仮面の怪人から十歩程の距離を置いて、バスの屋根にリウドルフが立っていた。緑色の術衣を着込み、金色の蓬髪を風に乱れさせて、両の目に蒼い光を輝かせながら痩身の孤影は異形の痩身を睨み付ける。
黒衣の怪人は、道化師の仮面を傾げて見せた。
『なななななな』
『何だ、だだだ、おまおまま、お前?』
『人で、ででで、では、ではない』
『おおお、お前は、人間でではななない』
折り重なった声の向こうで、リウドルフは苛立たしげに目を細めた。
「……いいから黙って消え失せろ。『貴様ら』のような半端者は」
暴走するバスの動きをものともせず、二つの影は直立の姿勢で数瞬睨み合っていた。
『なななななな』
『何であれあれあれれれ』
『邪邪邪邪魔邪魔をすするなら』
『は排除すするる』
重なり合い篭り合った奇妙な声を漏らした直後、仮面の怪人は相対するリウドルフへと不意に飛び掛かった。
呼応するように、リウドルフもバスの屋根を蹴って飛び上がる。
正に一対の怪鳥の如く、二つの痩身は宵闇を背負うようにして暗い空へと飛翔し、互いに翳りの塊と化して正面から激突した。
甲高く澄んだ音が、刹那、夜の坂道に鳴り響いた。
あたかも夜の闇に見えざる亀裂が走り、その向こうより伝わって来たかのような、この世のものとは思えぬ程に透き通った儚い音が。
二つの影がバスの直上で交差した。
それぞれに直前の位置を入れ替わり、リウドルフは車体前方で身を起こす。術衣から覗く右腕は皮膚が弾け飛び、真っ黒な骨格が露わとなっていた。
そして彼の睨む先で、黒衣の怪人も緩々と背筋を伸ばした。
黒衣の輪郭を著しく損なわせて。
怪人の全身を覆う闇色の衣は左半身の半ば以上が今や失われ、さながら宵闇に食い破られたかのように消え失せていたのであった。
胴体の半分に空いた穴に流れ去る後ろの景色を垂れ流しながら、仮面の怪人はがくがくと全身を戦慄かせる。
『そ、そそそ、そっ……!』
『その力、からから……!』
『まさ、まさ、まさかかかか……!』
「その通り。『貴様ら』のような手合いが最も恐れる『場所』からの呼び声だ。往生際の悪い真似ばかりしとらんと、さっさとこちらへ渡って来いとのお達しだぞ」
つまらなそうに言いながら、リウドルフは骨化した右腕を眼前の異形へと向ける。骨の剥き出しとなった指先を起点に空間が振動した。
透き通った儚い音が夜気を再び震わせた。
遥けき彼方、常世の懐より溢れた黄泉の波動の断片が、現世の空気を打ち鳴らし標的へと真っ直ぐに突き進む。現世に在るべからざる、見えざる波動が衝突する間際、仮面の怪人はバスの屋根から飛び退ったが、黒衣に包まれた長躯の実に下半分が虚空へと消え去った。
然るに、それでも仮面の怪人は悶える事もせずに暗い空へと飛翔し坂道から急速に離れ行く。
その様子を仰いだリウドルフは、左の瞼をぴくりと動かした。
「……やはり『核』を潰さん事には大した痛手とはならんか……」
呟いたリウドルフの足元でバスは大きく減速した。
「よいしょお!」
運転席に腰掛けたアレグラが威勢良くハンドルを戻しながらブレーキを踏み付けると、一時は坂道を暴走していたバスも速度を大幅に落とし、程無くして路肩に無事停車したのであった。次いでエンジンを切った後、アレグラは運転席から後ろを振り返った。
「も大丈夫だよ~。いや~、結構危ない所だったねぇ」
「……ア、アレ姐……良かったー……」
脱力した美香は泣き顔が混ざったような微笑みを浮かべながら、最後尾の座席からよろよろと立ち上がる。
そこへ、先程アレグラが蹴破ったフロントガラスの裂け目からリウドルフが車内へと入り込んだ。
直後、彼は車内の照明に照らされる美香の姿に気付いて露骨に表情を歪める。
「何でこんな時期のこんな時間に、こんな所にこんな奴がいるんだ!? 明後日から試験だろうが! 予習はどうした、予習は!?」
心底煩わしそうに咎めた相手へと、美香も一転して食って掛かる。
「センセこそ、こんな所で何やってんのよ!? いや、助かったけど。つか、今まで何度も電話掛けたんだから出てよ! そうすりゃあたしだってここまで出張って来なかったのに!」
「電話!? 知らんぞ、そんなの。俺は今しがたまで病院で脳動脈瘤のクリッピングに没頭してたんだ。昼前に急患で蜘蛛膜下出血の患者が運ばれて来てからずっと。外からの呼び出しなんか一々確認する間も無い程忙しかったんだ」
「何それ……」
相手のぞんざいながらも一応の筋の通った言い分に、美香は面白くもなさそうな表情を浮かべる。
その美香の前で、リウドルフは鼻息をついた。
「頭蓋も塞いで一息ついてた所を邪気を感じて見に来てみれば、まさかお前がいるとは……よくよく人の話を聞かない奴だな」
「今のあんたにゃ言われたかない。事情は判ったけども……」
不貞腐れたように反駁して、美香はぷいと顔を逸らした。
そんな両者を、傍らから、アレグラが意地の悪い笑みを浮かべて見比べる。
「まあまあ痴話喧嘩は後にして、取り敢えずこの人どうしよっか?」
リウドルフへと訊ねながら、アレグラはバスの通路に寝かされていた未だ意識を失っている運転手を指し示した。
「……誰と誰が何をしてるって?」
不満げに言い捨てながらもリウドルフは床に片膝を付くと、倒れた運転手の上体を起こしてホイールハウスに寄り掛からせたのであった。
「至近距離で活力吸収を食らったからな……だが生命力を根こそぎ吸い取られる程長々と浴びた訳でもない。貧血に近い症状で済んでいるようだが……」
リウドルフは双眸を蒼く光らせて運転手を凝視する。相手の肉体ではなく、魂や精気など人間の内側を走る力を透視する為に人ならざるものの眼差しは強さを増した。
その一方で彼は眉根を寄せる。
「……しかし妙だな。『奴ら』はこれまで、なるべく足の付かないよう立ち回って来た筈だ。それがこんな近場で獲物を漁るなど……さっきは故意に車を暴走させていたようだったし、騒ぎにでもなったらどう……」
リウドルフは、そこで顔を矢庭に跳ね上げた。
「いや、これは或いは……」
それまでよりも硬い声で独白するなりリウドルフは腰を上げると、そのままの勢いで傍らの助手へと言い付ける。
「通報は他に任せよう。運転手の衰弱の度合いもそこまで酷くはないし、どの道病院が目と鼻の先だ。俺達は戻るぞ。若しかすると、相手の視点誘導に乗せられたかも知れん」
「あいよ」
アレグラが頷いて見せると、リウドルフは美香へと首を巡らせた。
「で、お前はさっさと帰れ。何しに来たんだ、そもそも?」
「何しにって……!」
小手先で蝿でも追い払うように邪険に言われて、美香も憤りを露わにした。
「だから、あたし、センセに伝えようと思ったんだよ! 昨日病院に立ち寄った時、変な声が聞こえたの!」
「変な声?」
露骨に胡散臭そうにこちらを見遣る相手へ、美香は慌ただしく説明する。
「やァ、ほら、前にあたしが攫われた時、あの時に聞いたような霊的な声?、みたいな感じの奴を耳にする事があったの!」
「聞いた? お前が? 呼び掛けられた訳でもないのにか?」
リウドルフは得心した様子を尚も覗かせなかったが、美香も懸命に、半ばむきになって訴える。
「ほんとに聞いたんだってば! それに少し前から変なものを見るようになってたの。黄色い変な光……さっきもそう。あの『怪人』から黄色い光が滲み出てるのが見えて、街中でも病院でも同じようなのが見えた事があって、それで気になって……」
「あっちゃ~……」
帰宅した後になって他人の傘を差して来た事に気付いた時のような、悔恨を含んだ惚けた声が不意に差し挟まれた。空席の列を背にして懸命に説明した美香の斜交いで、アレグラが額を押さえて嘆息を漏らしたのであった。
「……やっぱ、『魔痕』の影響が出ちゃったねぇ……」
疲れた口調で言って、アレグラがリウドルフを眺め遣った。
そのリウドルフは口元をへの字に結んで、何やら苦々しげな眼差しを横へと逸らしていたのであった。
話の輪から俄かに外された美香は一人小首を傾げる。
「スシマタ?」
「いや何、偶にあるのよ、こういう事が」
美香の方へと首を巡らせたアレグラがやんわりと、何処か及び腰に言葉を掛けた。
「魔物の、特に歳経た妖魅から受けた傷ってのは体だけじゃなく、もっと深い所、その人の精神面や霊的な特性にまで影響を及ぼす事があるの。美香ッチの場合……」
「あっ……」
アレグラの慮る眼差しに促されるようにして、美香は吃驚の声を小さく漏らすと自分の首筋を撫ぜた。既に跡形も無く消えているが、ここに魔性の牙を突き立てられたあの夜の出来事を、少女は咄嗟に思い返したのである。
他方、ばつが悪そうにアレグラは言葉を続ける。
「いや勿論、あたしらもそんな影響が出ないように治療には最善を尽くした積もりだったんだけどさ、やっぱ一筋縄では行かなかったって言うか、何でもそうだけど、影響を零に抑える、初めから何も起こらなかった事にするってのは難しいからねぇ……」
説明を受ける内、薄暗い車中で美香は俄然慌てふためいた。
「えっ!? え、何!? じゃあ医療ミス!? その内、牙がにょっきり伸びて血を吸いたくなったりすんの、あたし!? やだぁ!!」
「んな訳あるか!!」
リウドルフが憤然と声を上げた。
「治療は完璧に熟した! お前は百パーセント普通の、純粋な、他と変わらない人間だ! ただ単に、そういう影響され易い体質だったってだけの話だ! そこを更に矯正しようとすれば、最早治療行為ではなく人体改造の部類に手を染める事になる! 流石にそこまで人を弄る気にはなれん!」
半ば居直りのような釈明であった。
美香は口先を尖らせる。
「……まあ、形相が段々おかしくなってったりしなきゃいいんだけど……」
「影響を受けるのは感覚や感性の側面だけだ。肉体が歪に変質したりはしない。そこは保証する」
渋面を作って答えたリウドルフへと、アレグラは含みのある眼差しを寄せた。
「でもさぁ、そういう事情があったんだとすると、ちょっとした責任問題だよねぇ~、うちらにしても? 素気無い態度ばっか取ってて良いのかな~?」
「素っ気無いから何だ? どんな事情があろうと、学生の本分は飽くまで勉強だろうが」
尚も頑迷な態度を取り続ける男からアレグラは目を一度逸らすと、美香へとウインクして見せた。
然る後、彼女は粘り付くような口調で言葉を続ける。
「ンな事言ったってねぇ? 今更他人事と割り切って忘れろったって無理だし~、家族も入院してる先で起きた事でもあるんだしィ~、まして今のこの状況で一人で帰れったって難しいんじゃな~い? そっちのが大人として余っ程無責任なんじゃないのぉ~?」
路肩で停車しているバスの内に、破れたフロントガラスからひんやりとした夜気が入り込んで来る。空席の並ぶ車内には沈黙がひたぶるに沈殿し、光度の今一つ足りない照明が及び腰にそこを照らした。
リウドルフは目元を引き攣らせながら、自らの傍らに立つ忌々しい身内を睥睨した。
「……お前は一体どっちの味方だ?」
「乙女の味方」
「獅子身中の虫め……!」
「時の氏神と言って欲しいなぁ、そこは」
実にしれっと、アレグラは切り返して退けたのだった。
二呼吸程の間を置いてから、リウドルフは首を幾度か横に振った。
「……確かにこのまま夜道を一人で帰らせるのも良くはないか……せめて病院までは送ってやる」
実に億劫そうに折れた男の周りで、女二人はそれぞれに顔を見合わせてにやけた表情を浮かべたのであった。
だが気を落としたような素振りを覗かせたのも束の間、リウドルフは顔を上げると、それまでよりも厳しい眼差しを美香へと注いだ。
「しかし、これ以上首を突っ込むのであれば、恐らく最も見たくないだろう『もの』を見る破目にもなる。それだけは覚悟しておけ」
「……判った」
少し気圧されながらも、美香は首を縦に振った。
直後、車中に佇む三者の足元から、強い光が出し抜けに立ち昇った。バスの通路の一角に円形の光が現れ、その中に佇むリウドルフとアレグラ、そして美香に立ち所に輝きを帯びさせる。
驚いた顔を浮かべた美香の前で、リウドルフは依然として真摯な眼差しを中空に向けていた。
「さて、意地汚い泥亀を巣穴から引き摺り出す時が来たか……」
その呟きが耳に届いてすぐ、美香の視界は真っ白な光に塗りたくられた。
そしてバスの床から立ち昇る円形の光は、生じた時と同じく不意に途切れた。その時には、意識を失ったままの運転手を除いて、薄暗い車中からは一切の人影、人の気配は消失していたのであった。
夜陰が刻々とその濃さを増す中での事であった。
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