幻葬奇譚-mein unsterblich Alchimist-

ドブロクスキー

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またもリッチな夜でした

その9

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 正午過ぎから広がり始めた雲が空をすっかり覆った頃、下校の時刻が訪れた。
 いつもと同じく教壇に立った司が、居並ぶ生徒達へと笑顔で呼び掛ける。
「しつこいようですが、早くに帰れるからと言って遊びに出たりしないように。今夜からしばらくは連日雨が降り続くそうなので、これも何かの巡り合わせと諦めて各自勉強に勤しみましょう。ではまた明日」
 最後の号令の掛けられた後、放課後特有の雑多なざわめきが教室をたちまち覆い尽くした。
 教室の前の方では、かばんを肩に担いだ男子生徒が一丸となって何やら話し合っている。
「どーする今日? 帰りどっか寄ってっか?」
「俺パス。傘持ってねえ」
「馬っ鹿、お前、いざとなったら雨なんか呑んで帰れよ、気合で」
「けど、寄ってくにしても駅前なんか見回りがいるかも知れないから駄目だろ? 遠出すんのもめんどくない? 気合は兎も角、財布の方がなぁ……」
「ああ、まあ……」
 取り留めの無い会話を続けていた男子達は、程無くして仲間の一人へと目を向ける。
「リョーイチは? さっきからずっと黙ってるけども?」
「えっ……?」
 唐突に周りから話を振られて、亮一は驚いた顔をのぞかせた。
 しかるに、それも一瞬の事で、彼はにやけた顔をすぐに作って周囲へと応対する。
「俺? やァ、付き合ってもいいけど、でも、どうしよっかな……確かに懐具合は厳しいし……」
「なーんだ、オメーもかよぉ」
 反応はすぐに返って来た。
「何かよー、皆つれねえのな」
「ま、そこはしょうがない。誰だって財布の中身は思うようには出来ないもんだ」
「うえっ、何か老けた事言ってるよ、コイツ」
「光陰も金銭も矢の如し。去ってく時はあっと言う間だろ」
「後ンなってから無駄遣いを嘆くのも一緒だしな」
 そしてまた締まりの無い会話を続けて行く男子の輪を、美香は机に頬杖を付いて眺めていた。
 彼女の見つめる先で、その少年はただ乾いた笑いを断続的に発していた。
 目の前の様子を見つめる内、少女の瞳の奥に数日前の景色が染料を流し込むように漂って来る。
「あー、億劫なお使いだったけど、最後は楽しくて良かったー」
 叔子の病室を後にしてすぐ、エレベーターの前で美香は事実楽しそうに述懐した。
「まあ、妹も今日は調子が良かったみたいだから……」
 その横で、見送りに付き合った亮一が、いささか気勢に欠ける声で言った。
「……でも、来てくれて良かったよ。叔子も人付き合いは随分と限られてるからさ。学校に行くのも滞りがちで、友達もずっと作れずにいたから……」
「そうなんだ……」
 うつむき加減で呟くように言った亮一を、美香は横合いから見つめた。
 西日が、廊下の広い明かり窓から差し込んで、床に菱形の陽だまりを作った。
 少しして美香は笑みを浮かべると、かたわらの亮一へと話し掛ける。
「じゃあさ、うちのバカが入院してる間、トシちゃんにも会いに行ってあげようか? 軽く顔を見せるだけでも、もしかしたら喜んでくれるかも知れないから」
「え……」
 出し抜けに提案を受けて、亮一は驚いた面持ちをのぞかせて美香を見た。
 美香は廊下の窓から差し込む斜陽を背にして、亮一へと更に訴え掛ける。
「いや、毎日は無理だけどさ、あと二回か三回ぐらい、弟の所に顔を出したついでに叔ちゃんに挨拶して行こうか? 普段あまり話し相手がいないなら」
「ああ、それは……」
 言われて、亮一も一度は顔を明るくした。
 しかるに間も無く、少年は面持ちに悲しげな色合いを上塗りすると、目の前の少女から顔を逸らしたのであった。
「御免……有難いけど、それは歓迎出来ない」
 表情と相違せぬ、苦しげな声が彼の口元から漏れ出た。
「今はまだ、あいつのそばにいてやらないで欲しいんだ……もう少し、もう少しして、あいつが完全に良くなったら、その時だったら……」
 背後の西日に輪郭を輝かせる美香の陰で、亮一は暗くなった顔の中で細い眼差しを足元へと向けていた。
 か細く歯切れの悪い言葉ではあったが、美香も鼻息をついて姿勢を戻す。
「……そっか、体調の方、あんまり良くないんだ……」
「うん……」
 亮一は顔を逸らしたまま、小さくうなずいた。
 その時、たたずむ二人の前で、エレベーターの扉が開いた。
 階下に続くエレベーターに乗り込みつつ、美香は廊下に依然たたずむ亮一へと笑い掛けた。
「御免。そっちの事情も知らずに余計な事言って。叔ちゃんが元気になったら教えてよ。退院祝いにでも駆け付けるからさ」
「うん……有難う」
 亮一が微笑を返してそう答えた後、エレベーターの扉は閉ざされた。
 差し込む西日を背に受けて、静けさの満ちる無人の廊下の只中で、小さな孤影はしばし立ち続けた。
 一階に下りた美香は病院の玄関口の方へと歩いていたが、その最中、廊下に所々置かれたベンチの一つにふと目を留めたのだった。
 緑色の術衣スクラブを着たまま、アレグラがベンチに一人腰を落ち着け、手元のスマートフォンを操作している。
 空になったバッグを抱え直し、美香は相手の前で足を止めた。
「お疲れ、アレねえ
「おっ、美香ッチ、今帰るとこ?」
「うん」
 スマートフォンから顔を上げたアレグラへ、美香はうなずいて見せた。
 その美香の前で、アレグラはベンチから腰を上げると、スマートフォンを握ったままおもむろに伸びをする。その際に突き出された胸の厚みに、美香は少し圧倒された。
 姿勢を戻しつつ、アレグラは愚痴めいた言葉を漏らす。
「いやぁ~、朝から忙しいよ、こっちは。内臓の縫合なんて久し振りにやったもんだから、肩凝っちゃってさぁ~。隣にゃ小うるさいのが控えてるし~」
「ああ、休憩中に水差しちゃった? 御免」
 美香がいささか気まずそうに言うと、アレグラは手にしたスマートフォンを一瞥してから笑顔をのぞかせた。
「いいっていいって。今さっきドン勝決めたトコだから。未練がましく暴言吐いて来る奴らを、気泡緩衝材プチプチ潰すみたいに通報してたトコ。働きながらでも二十四時間戦えますか~、ってのがあたしの座右の銘だから」
「あはは……」
 苦笑を浮かべた美香は、そこで目の前に立つ赤毛の女を改めて見つめる。
「でも、珍しいね。アレねえが出張して来るなんて」
「そ~なのよ~。今月に入ってから、あいつがやたらと鼻息荒くしてさ、人の首根っこ捕まえてマンションから連日無理矢理引きり出すのよ。『夏場にお前を部屋に残しとくと電気代が跳ね上がって敵わん!』、とか抜かしてさ。失礼な奴ゥ~」
 言って、アレグラは口先を尖らせると、細めた目をかたわらへ向けた。
 その向かいで美香はまたしても苦笑を浮かべたが、アレグラもすぐに顔を戻して眼前の少女を見遣る。
「ま、そっちもお疲れ様。暗くなんない内に帰んなよ」
「うん。それじゃ、また」
 笑顔で挨拶を返して、美香は廊下をロビーへと向けてまた歩き出した。
 しかるに数秒後、その背後からアレグラの声が掛かる。
「あ、御免御免。美香ッチってさぁ、弟君の御見舞に来てるんだっけ?」
 呼び止められた美香は、肩越しに振り返りざま首肯しゅこうする。
「うん、そうだけど」
「そっかぁ~……」
 美香のかえりみる先で、アレグラは何やら頬に手を当てて難しい表情を浮かべていた。
「どうかした?」
 不思議そうに見つめる美香へと、アレグラはそれまでよりも神妙な口調で答える。
「いや何、あいつがさっき言ってたのよ。今は出来るだけ、この病院には近付かない方がいいってね」
「え……」
 美香は、瞳をわずかに広げた。
 さり気無い、それはくまでさり気無い通告であった。
 その後、アレグラは頭をいて言葉を続ける。
「や、そんな事いきなり言われても困るよね~。家族が入院してんなら尚更。ま、あたしもあいつに、人を脅かすような事抜かしてないで何とかしろっつっとくわ。悪いね、変な事言って」
 少し不安げに後ろを見遣る美香の見つめる先で、アレグラは片目を閉じて詫びて見せた。
 担当医を呼び出すアナウンスが、人の減った廊下に良くね返った。
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