幻葬奇譚-mein unsterblich Alchimist-

ドブロクスキー

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またもリッチな夜でした

その1

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 あいつが最後に笑ったのは、あれはいつの頃だっただろう……




























 少々眩いばかりの白い一室であった。
 六畳程の間取りの個室には窓辺に医療用のベッドが置かれ、室内の照明と外からの柔らかな日差しを、真っ白な布団が吸い込んでいる。
 そこに、音となるものは一つも無かった。
 静けさが、静けさだけが真っ白に漂白され、何処いずこへともなく漂泊するかのような小さな密室を満たしていたのであった。
 静寂が全てを凝固させてどれ程かの時が過ぎた後、窓辺の向かいに設けられた扉が不意に開かれた。
 一人の少年が、白い個室に足を踏み入れた。
 十代の半ば辺りであろうか。
 頭髪に癖の目立つ事以外は然程さほどの特徴も見当たらぬ少年は、白い室内のたたえる眩さに一瞬だけ目を細めたものの、すぐに歩を踏み出した。
 揺らぎの欠けた白い空間にあって、唯一動的であると呼べる孤影が真っ直ぐに進んで行く。程無くして、少年はベッドのかたわらを通り過ぎ、青い空ののぞく窓の前で足を止めた。
 外に広がる景色はいつもと変わり無く、無数の屋根を何処までも並べる付近の住宅と、それらを切り分けて何処までも伸び行く道路とが、眼下には広がっていた。真昼の街並みに人の声は乏しく、ほぼ無音の景色が、一枚絵のような景観が窓枠に当てめられているかのようである。
 二呼吸程の間を置いて、して大きくもない手が窓枠へと伸びた。
 次いで、閉ざされた個室と静かなまま移ろい行く外界とを仕切る窓は開かれた。
 静かであった。
 辺りもまた、ひたぶるに静かであった。
 白昼に漂う空気は暑くも冷たくもなく、そこに在ると言う実感すらにわかには感じ取れない。まるで、周囲一帯が気付かぬ内に透明な樹脂に包まれてしまったかのような錯覚を与えるまでに、揺らぎと呼べるものがそこには欠けていたのである。
 開いた窓の隙間から、凝固したようにな街並みを少しの間眺めていた少年は、ややあって首を巡らせる。
 窓辺にたたずむ少年の右手、個室の隅に置かれたベッドの上には、一個の人影があったのだった。
 白い、真冬の雪のように白い布団に包まれて、一人の少女が眠りに就いていた。
 やや蒼褪あおざめた顔から意気を抜き、穏やかに眠り続ける少女は、左右のまぶたを深く閉ざしていた。
 大まかな顔形は、十歳を少々過ぎた辺りであろうか。
 静寂の満ちる個室の主たる少女を見つめる内、窓辺に立つ少年はその面持ちにいくらかのかげりをまとわせて行った。わずかに眉根を寄せ、少年は悔恨とも無念とも付かぬ表情を浮かべて、今も眠る少女を距離を隔てた場所から見つめ続けた。
 小さな部屋の外も内も何処も何処までも、全き空白のような静けさをたたえていた。街並みも、路肩の草木も、遥か頭上に広がる空すらも、その彩度を徐々に落として行くかのように。
 風が吹いた。
 出し抜けの事であった。
 窓辺に立った少年が、思わず目を細める。
 唐突に、それこそ何の前触れも無く、一陣の切り込むような風が色褪いろあせた外界から白亜の病室へと吹き込んだのである。それは一瞬の事であったのかも知れないし、数十秒もの時を経て起きた事であったかも知れなかった。
 とまれ、白昼の突風が過ぎ去って少ししてから少年はまぶたを再び持ち上げた。
 眼前に広がる光景に変化は無かった。窓の外の景色には何の差異も見当たらず、音の無い真昼の情景が広がるばかりである。
 だが直後、少年は弾かれたように顔を横手に向けた。
 呻きとも囁きとも付かぬかすかな声が、彼の右側から発せられたからである。
 湖面に張った薄氷が朝日を浴びて融解して行くように、それまで不動の静寂が満ち満ちていた白い個室に揺らぎが生じようとしていた。
 驚愕の面持ちを横手へ向けた少年の見つめる先、窓辺の端で眠り続けていた少女に変化が訪れた。
 睫毛と唇を幾度いくどか震わせた後、ベッドに寝かされていた少女はゆっくりと目を開いた。
 黒い双眸そうぼうが、白い光を反射して小さく輝く。
 弱い吐息が、薄く開かれた口元から漏れ出た。
 全身が硬化したかのようにたたずむ少年の横手で、ベッドに寝かされた少女は目を開くと、少しの間辺りへ視線を散らし、そして、こちらを食い入るように見つめる者の姿に気付いたのか、その眼差しを据えたのだった。
「……あ……」
 外の光を受けて、焦げ茶色に色付いた瞳がわずかに広がった。
「……来てたの?」
「……あ、ああ……ついさっき……」
 数秒遅れて少年は過分に揺らいだ声で答えると、覚束おぼつかないながらもせわしい足取りで、少女の寝かされたベッドの近くへと歩み寄った。
「……気が、付いたのか?」
「うん」
 少年の遣した質問に、少女はベッドの中でうなずいて見せた。
 その所作にも、顔色にも眼光にも、かげりと呼べるようなものは浮かんではいなかった。
 それを認めてか、少年も安堵の表情をのぞかせる。
「……良かった……何処か苦しい所は無いか? 痛むような所とかは?」
 間近に寄った少年の促すようなすがるような面持ちを仰向けに見上げて、少女は笑みを浮かべた。
「……ううん、別に。大丈夫だよ」
 そう言うと、少女は両肩を動かし、上体をベッドから持ち上げた。
「お、おい、あまり無理はするなよ。目が覚めたからって……」
 心配そうに呟いた少年の見つめる中で、少女はゆっくりと体を起こした。少年と同じく癖の目立つ髪が、腰の辺りまで垂れた。
 ベッドの脇から身を乗り出さんばかりにして不安げに見つめる少年の前で、少女は起き上がったのであった。
「大丈夫……大丈夫だよ……何だか凄くいい気分だから……」
 おぼろな白い光の満ちる室内で、少女は詠うように独白した。何処か小鳥の羽ばたきを思い起こさせるような、重さや残響に欠ける声であった。
 それから少女は、今もこちらへ不安げな眼差しを遣す少年へと首を巡らせる。
「……ありがとう、兄さん……」
 にっこりと、さながら蕾が緩やかに花弁を開いて行くように少女は笑った。
 漂白されたような白さをたたえる室内に、その笑顔は微細な揺らぎをもらたしたのだった。
 あたかも、氷解した湖面に広がるさざなみの如くに。

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