幻葬奇譚-mein unsterblich Alchimist-

ドブロクスキー

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今宵もリッチな夜でした

その24

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 空は茜色に染まり始めていた。
 踏切の手前で警報機が急くような警報音を立てている。
 遮断機の前でスポーツバッグを肩に掛けてたたずんでいた美香の背中に、その時後方から声が掛かる。
「先輩、どうしたんですか?」
 問われて、美香は肩越しに後ろを振り返った。
 彼女と同じく銘々にスポーツバッグを抱えた夏服姿の女子達が、そこに集まっていた。
「何だか、ぼーっとしちゃって、もしかして勉強疲れですか?」
「……うん。まあ、そんなとこ」
「受験まであと半年ぐらいですもんね。頑張って下さいよ」
 後輩の一人が遣した質問に美香が笑って答えると、他の部員達からも相次いで質問が寄せられる。
「そう言えば先輩、志望校はぼつぼつ決めたんですか?」
「うん、まあ……」
「私立? 公立? どっち受けるんですか?」
「公立……になるかな、多分」
「何処かの専門校とか?」
「ううん、普通校」
「やっぱり陸上が強い所ですか?」
「え……」
 最後に寄越された質問に、美香は顔を一瞬強張らせていた。
 他と同じく、恐らくは一切の他意が無いであろう問いに、美香は咄嗟とっさに何も答える事が出来ずにいたのだった。
 茜色の空の下、警報機の音が急かすように辺りに反響する。
 スターターピストルの乾いた音が、それを打ち消すかのように出し抜けに鳴り響いた。
 そして美香は走り出す。
 競技用の臙脂色のユニフォームに身を包み、少女は風を切り裂いてコースへ駆け出した。
 白い、何処までも白い空が頭上には広がっていた。辺りはさながら透明な液体にでも満たされているかのように静かで、空気のわずかな揺らぎすら音を成す事は無い。
 少々眩いまでに明るく、少々不安になる程に静かな場所を、美香は一人走っていたのだった。
 赤茶色のウレタントラックが長く伸びて、ずっと向こうで曲線を描いている。
 これまで、こんなコースをどれだけ駆け回っただろうか。
 最初の頃は本当に大勢の人達に囲まれて、まるで子犬の群のように、何も考えずにただ走り回っていた。
 走る事、思いのままに体を動かす事が単純に楽しかった所為もあった。
 ただ、そうした思いが湧くのもまた、自分の前を常に走る人の姿があったからそこだったのだろう。
 けれど……
 走り続ける最中に美香がふと表情を曇らせたのと一緒に、彼女の前方に複数の人影がぼんやりと浮かび上がる。
 白々とした光の中から浮かび上がったのは、ガラスのように透き通った数人の人影であった。どれも大雑把に輪郭を把握する事しか出来ない透明な何者かは、トラックの直線の中程に集まって、何やら話し込んでいるようである。
 ……何か、何か手立ては無いんですか?
 ……このままでは息子は……もう目を覚ましている事さえまれで……
 ……残念ながら神経膠腫グリオーマすでに脳幹に広く拡大しており、放射線や投薬による治療にも限界がありまして……
 ……箇所が箇所だけに、おいそれと切除する訳にも行かないのです……
 ……そんな……
 ……あの子はついこの間、十五歳になったばかりなんですよ? それが腫瘍だなんて……
 ……何分にも小児癌は進行が早く、我々としても出来る限りの手は尽くしたのですが、これ以上の事は……
 ……どうか、どうか治療を続けて下さい……
 ……どうか最後まで……
 ……お願いします……
 それが直接目にした光景であったのか、はたまた誰かから聞いた話の内容であったのかは、美香にも判然とはしなかった。
 入部してからずっと、自分の前を走っていた一人の上級生。
 気さくで、陽気で、そして眩しかった。
 常にこちらの先を行く『あの人』に、いつかは褒めて貰いたかった。
 ただ認めて欲しかった。
 対等に、親しく話し合える時が訪れて欲しかった。
 しかし、それは叶わなかった。
 永遠に叶わぬものとなってしまった。
 トラックの向こう、こちらが走った分だけ遠ざかる透明な人影を、美香はじっと見据える。
 いつの頃からであったろうか。
 仲間内でのお喋りが、次第に重荷に感じられるようになったのは。
 ただ無我夢中で体を動かしていた時期も過ぎ、未熟ながらも結果を求められるようになった頃、周囲に対して隔たりを感じ始めるようになったのは。
 いつの頃からであったろうか。
 自分の代わりに、後輩達が学校を代表して大会に臨むようになり、彼らの走る様子を遠くから眺めるようになったのは。
 いつの頃からであったろうか。
 それらの事柄が、一人になった途端ちくちくと胸に刺さるようになったのは。
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