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今宵もリッチな夜でした
その16
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今夜も辺りは静かであった。
四階の部屋から望める街並みはただ穏やかで、ぽつぽつと窓に明かりを灯した民家が遠くまで広がっている。
あの、ずっと遠方の光には、自分の家の明かりも混ざっているだろうか。
肩越しにベランダのガラス戸を眺めていた美香は、ややあってから顔を前へと戻した。
リビングの端、キッチンのすぐ前に置かれたテーブルの席の一つに腰を下ろしていた美香は、どうしようもない所在の無さに屈するように卓上に目を落とした。
その美香の前へ、その時、横合いから紅茶が差し出される。
美香が首を巡らせてみれば、彼女の左手にあのアレグラと呼ばれた赤毛の女が立ち、興味深そうにこちらを見下ろしていた。
「あ……どうも……」
首を横に向けたまま美香が会釈を返すと、アレグラは眼下でこじんまりとする少女を面白そうに見つめる。彼女は今キャミソールの上にパーカーを羽織り、下にはショートパンツを履いて服装に一応の取り繕いを見せていた。
「いやいやいや、もっとリラックスしたまえよ、君は。こんな広くもない部屋なんだしさぁ」
「……悪かったな、広くもなくてな。生憎と若い頃から住まいには拘らない性質なんだ。取り敢えず屋根が付いてて最低限の寝泊まりさえ出来ればそれでいい。大体そこを更に手狭にしてるのはお前だろうが」
テーブルを挟んで美香の向かいの席から、リウドルフが持論を差し込んだ。
その後、リウドルフはアレグラへと鋭く細めた目を向ける。
「……それで、俺は朝の出掛けに言ったよな? ゴミぐらいきちんと出しておけってな。で? 何だ、この有様は?」
言い捨てるなり、リウドルフはキッチンの壁際に置かれた幾つかのポリ袋を指し示したのだった。
途端、アレグラが視線を逸らして口先を尖らせる。
「だあって、気が付いたら収集車が出ちゃってたんだも~ん。スニーキングしてる最中に席を離れる訳にも行かないし……」
テーブルを軽く叩いて、リウドルフが言い募る。
「あのな! うちのゴミなんか九割九分お前が出してんだろうが! スナック菓子の袋とかペットボトルとか! 俺はメイク絡みの廃材しか出さないし、それも極力自分で捨てに行ってんだぞ! お前もいい加減、自分の面倒は自分で見るようにしろ!」
「は~い、以後気を付けま~す」
てんで気の無い返事を遣した後、アレグラは今もマスクで口元を覆っているリウドルフをちらと眺め遣る。
「んで~? 今一話が呑み込めないんだけど、結局何がどうなったって? どうしてそんな変質者みたいな格好してんのよ?」
「変質者とは何だ、変質者とは! 全く、どいつもこいつも……!」
憤然と反駁してから、リウドルフは頬の辺りを撫でる。
「……詳しい話をし始めると長くなる。その前にメイクを落として来るから少し待ってろ。何だか、何もかもが急に煩わしくなって来た」
「はいはい。手早く済ませてね~」
「……お前が言うな」
陽気に答えたアレグラへ捨て台詞を残すと、リウドルフは席を離れて玄関の横手にあるバスルームの方へと歩いて行った。
その背が見えなくなってから、アレグラは改めて美香を覗き込んだ。
「んで~? 君は誰だっけ?」
「……あ、私、青柳美香って言います。その、先生の学校の生徒で……」
美香がやや詰まり気味に答えると、アレグラはその横でにんまりと笑う。
「へえ~、美香ッチかぁ~……あたしはアレグラ。アレグラ・ジグモンディ。御覧の通り、あの手間の掛かる奴の同居人だよ」
「そ、そうなんですか……」
対応に苦慮して目を泳がせた後、美香は尚も隣に佇む大人の女性を見上げる。
「……それで、その、先生とはどういう……」
「ん~……まあ一応、従兄妹って事にしてあるけどね、表向きは」
「お、表向きは、ですか……」
「そうそう。これも一つの社交辞令って奴よ。エチケットだね、エチケット」
実に平然とアレグラは言ってのけたのであった。
その後、彼女は自身の横手で反応に一層苦慮し始めた少女へ、過分にからかいを込めた眼差しを送る。
「但~し、恋人とか愛人なんて線は全く無いのよ、これがまた。う~ん、残念だったねぇ」
「いえ、そんな積もりじゃ……」
耳まで赤くして顔を逸らした美香の肩を、アレグラは快活な笑顔を浮かべて幾度か叩いた。
「気にしない気にしない。結局、皆その辺りの所に興味を持つみたいだからさ~」
尚も恐縮する美香の横で、アレグラはふと息をつく。
「……そーね、何て説明したらいいのかね~……あいつが本当は医者だって話は聞いた?」
「……あ、はい」
問われて、また顔を上げた美香を、アレグラは優しげな面持ちで見下ろす。
「なら話も早い。あたしは専属の助手ってとこ。あいつもあっちをフラフラ、こっちをフラフラでまるで落ち着きが無いもんだから、他の人じゃ助手なんか務まんないのよ。本当、あちこちの戦地や被災地を巡り巡ったし」
「そうなんですか……」
「そうそう。何かに言っても、あれも一人じゃ大した事は出来ないからねぇ。あたしが傍にいてやらないと……」
俄然興味を引かれた美香の見上げる先でアレグラは過去を回想したのか、徐に目元を細めたのだった。
「だからまぁ家族なのには違い無いし、実際血縁でもあるんだけど、詰まる所は腐れ縁なんだよねぇ~、あいつとはさ。父娘っつったら擽ったいけど」
その時、何処か寂しげな光を瞬かせた相手の瞳を、美香は捉えていた。
然るにそれも束の間、アレグラは自身の傍らに今も座る少女を、茶色の双眸に打って変わって好奇の光を瞬かせて覗き込んだのだった。
「んで? んで君は、あいつとどういう関係にあるのかな~?」
「……え? や、そんな、私はただの……」
「ただの? ただの何かな~? そんな、『ただの』で片付くような子が、こうして部屋まで付いて来ちゃうもんかな~?」
「え……や、だから、私は……」
アレグラの、群からはぐれた子羊に狙いを定めた餓狼さながらの眼光に気圧され、美香は言葉を詰まらせたのだった。
「重要参考人だ、強いて言うならな」
何とも素っ気ない、実につまらなそうなその声はリビングの仕切りの向こうから届いた。
美香とアレグラが首を巡らせてみれば、廊下の奥から現れた黒い影が、丁度リビングに足を踏み入れた所であった。
「あ~ら、お早いお帰りですこと。もうちょっと時間を掛けて仮装を解いてくればいいのに」
「さっきと言ってる事が違うだろ……」
アレグラが不満げに軽口を遣すと、黒い影の塊は呆れた口調でぼやいた。
そのままフローリングを滑るようにして、否、実際に床の表面を滑って、黒い影はテーブルの方へと近付いて来る。
蛍光灯の白い光に浮かぶその姿を認めた瞬間、美香は下腹の奥深くを不意に鷲掴みにされたような感覚を味わったのだった。
『異形』が、彼女の前に在った。
剥き出しとなった黒い髑髏。
襤褸切れのような漆黒の衣を纏い、はだけた胸元には黒々とした胸骨が露わになっている。袖口や裾から覗くのは肉も皮も付いていない四肢の骨であり、それらを一切動かす事無く『それ』は足元から僅かに身を浮かせて、こちらへと近付いて来る。
思わず顔を強張らせた美香の前で、本来の姿を現したリウドルフは向かいの席へ再び腰を下ろしたのであった。
四階の部屋から望める街並みはただ穏やかで、ぽつぽつと窓に明かりを灯した民家が遠くまで広がっている。
あの、ずっと遠方の光には、自分の家の明かりも混ざっているだろうか。
肩越しにベランダのガラス戸を眺めていた美香は、ややあってから顔を前へと戻した。
リビングの端、キッチンのすぐ前に置かれたテーブルの席の一つに腰を下ろしていた美香は、どうしようもない所在の無さに屈するように卓上に目を落とした。
その美香の前へ、その時、横合いから紅茶が差し出される。
美香が首を巡らせてみれば、彼女の左手にあのアレグラと呼ばれた赤毛の女が立ち、興味深そうにこちらを見下ろしていた。
「あ……どうも……」
首を横に向けたまま美香が会釈を返すと、アレグラは眼下でこじんまりとする少女を面白そうに見つめる。彼女は今キャミソールの上にパーカーを羽織り、下にはショートパンツを履いて服装に一応の取り繕いを見せていた。
「いやいやいや、もっとリラックスしたまえよ、君は。こんな広くもない部屋なんだしさぁ」
「……悪かったな、広くもなくてな。生憎と若い頃から住まいには拘らない性質なんだ。取り敢えず屋根が付いてて最低限の寝泊まりさえ出来ればそれでいい。大体そこを更に手狭にしてるのはお前だろうが」
テーブルを挟んで美香の向かいの席から、リウドルフが持論を差し込んだ。
その後、リウドルフはアレグラへと鋭く細めた目を向ける。
「……それで、俺は朝の出掛けに言ったよな? ゴミぐらいきちんと出しておけってな。で? 何だ、この有様は?」
言い捨てるなり、リウドルフはキッチンの壁際に置かれた幾つかのポリ袋を指し示したのだった。
途端、アレグラが視線を逸らして口先を尖らせる。
「だあって、気が付いたら収集車が出ちゃってたんだも~ん。スニーキングしてる最中に席を離れる訳にも行かないし……」
テーブルを軽く叩いて、リウドルフが言い募る。
「あのな! うちのゴミなんか九割九分お前が出してんだろうが! スナック菓子の袋とかペットボトルとか! 俺はメイク絡みの廃材しか出さないし、それも極力自分で捨てに行ってんだぞ! お前もいい加減、自分の面倒は自分で見るようにしろ!」
「は~い、以後気を付けま~す」
てんで気の無い返事を遣した後、アレグラは今もマスクで口元を覆っているリウドルフをちらと眺め遣る。
「んで~? 今一話が呑み込めないんだけど、結局何がどうなったって? どうしてそんな変質者みたいな格好してんのよ?」
「変質者とは何だ、変質者とは! 全く、どいつもこいつも……!」
憤然と反駁してから、リウドルフは頬の辺りを撫でる。
「……詳しい話をし始めると長くなる。その前にメイクを落として来るから少し待ってろ。何だか、何もかもが急に煩わしくなって来た」
「はいはい。手早く済ませてね~」
「……お前が言うな」
陽気に答えたアレグラへ捨て台詞を残すと、リウドルフは席を離れて玄関の横手にあるバスルームの方へと歩いて行った。
その背が見えなくなってから、アレグラは改めて美香を覗き込んだ。
「んで~? 君は誰だっけ?」
「……あ、私、青柳美香って言います。その、先生の学校の生徒で……」
美香がやや詰まり気味に答えると、アレグラはその横でにんまりと笑う。
「へえ~、美香ッチかぁ~……あたしはアレグラ。アレグラ・ジグモンディ。御覧の通り、あの手間の掛かる奴の同居人だよ」
「そ、そうなんですか……」
対応に苦慮して目を泳がせた後、美香は尚も隣に佇む大人の女性を見上げる。
「……それで、その、先生とはどういう……」
「ん~……まあ一応、従兄妹って事にしてあるけどね、表向きは」
「お、表向きは、ですか……」
「そうそう。これも一つの社交辞令って奴よ。エチケットだね、エチケット」
実に平然とアレグラは言ってのけたのであった。
その後、彼女は自身の横手で反応に一層苦慮し始めた少女へ、過分にからかいを込めた眼差しを送る。
「但~し、恋人とか愛人なんて線は全く無いのよ、これがまた。う~ん、残念だったねぇ」
「いえ、そんな積もりじゃ……」
耳まで赤くして顔を逸らした美香の肩を、アレグラは快活な笑顔を浮かべて幾度か叩いた。
「気にしない気にしない。結局、皆その辺りの所に興味を持つみたいだからさ~」
尚も恐縮する美香の横で、アレグラはふと息をつく。
「……そーね、何て説明したらいいのかね~……あいつが本当は医者だって話は聞いた?」
「……あ、はい」
問われて、また顔を上げた美香を、アレグラは優しげな面持ちで見下ろす。
「なら話も早い。あたしは専属の助手ってとこ。あいつもあっちをフラフラ、こっちをフラフラでまるで落ち着きが無いもんだから、他の人じゃ助手なんか務まんないのよ。本当、あちこちの戦地や被災地を巡り巡ったし」
「そうなんですか……」
「そうそう。何かに言っても、あれも一人じゃ大した事は出来ないからねぇ。あたしが傍にいてやらないと……」
俄然興味を引かれた美香の見上げる先でアレグラは過去を回想したのか、徐に目元を細めたのだった。
「だからまぁ家族なのには違い無いし、実際血縁でもあるんだけど、詰まる所は腐れ縁なんだよねぇ~、あいつとはさ。父娘っつったら擽ったいけど」
その時、何処か寂しげな光を瞬かせた相手の瞳を、美香は捉えていた。
然るにそれも束の間、アレグラは自身の傍らに今も座る少女を、茶色の双眸に打って変わって好奇の光を瞬かせて覗き込んだのだった。
「んで? んで君は、あいつとどういう関係にあるのかな~?」
「……え? や、そんな、私はただの……」
「ただの? ただの何かな~? そんな、『ただの』で片付くような子が、こうして部屋まで付いて来ちゃうもんかな~?」
「え……や、だから、私は……」
アレグラの、群からはぐれた子羊に狙いを定めた餓狼さながらの眼光に気圧され、美香は言葉を詰まらせたのだった。
「重要参考人だ、強いて言うならな」
何とも素っ気ない、実につまらなそうなその声はリビングの仕切りの向こうから届いた。
美香とアレグラが首を巡らせてみれば、廊下の奥から現れた黒い影が、丁度リビングに足を踏み入れた所であった。
「あ~ら、お早いお帰りですこと。もうちょっと時間を掛けて仮装を解いてくればいいのに」
「さっきと言ってる事が違うだろ……」
アレグラが不満げに軽口を遣すと、黒い影の塊は呆れた口調でぼやいた。
そのままフローリングを滑るようにして、否、実際に床の表面を滑って、黒い影はテーブルの方へと近付いて来る。
蛍光灯の白い光に浮かぶその姿を認めた瞬間、美香は下腹の奥深くを不意に鷲掴みにされたような感覚を味わったのだった。
『異形』が、彼女の前に在った。
剥き出しとなった黒い髑髏。
襤褸切れのような漆黒の衣を纏い、はだけた胸元には黒々とした胸骨が露わになっている。袖口や裾から覗くのは肉も皮も付いていない四肢の骨であり、それらを一切動かす事無く『それ』は足元から僅かに身を浮かせて、こちらへと近付いて来る。
思わず顔を強張らせた美香の前で、本来の姿を現したリウドルフは向かいの席へ再び腰を下ろしたのであった。
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