幻葬奇譚-mein unsterblich Alchimist-

ドブロクスキー

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今宵もリッチな夜でした

その9

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 その前夜、イヴァン・ペトローヴィチ・ヴォイニーツキー、即ちワーニャは数人の仲間と共にワンボックスカーへと荷物を積み込んでいた。
 蛍光灯がまばらに灯された地階の駐車場は薄暗く、入車路からかすかに届く街灯の光がいやにはっきりと輝いて見える。その中でワーニャは金属製の大きな、直方体のケースをワンボックスカーの後部座席へと積み込んだ。
 そうして一つ息をついた彼の後ろから、矢庭に声が投げ掛けられる。
「おい、お前ら何してる? 何処行く積もりだ?」
 ワンボックスカーの脇からワーニャが肩越しに振り返ってみれば、上階へ繋がる階段の方から、新たに一つの人影が近付いて来る所であった。
 壁際の蛍光灯に浮かぶその人影、ミーシャへと向けて、ワーニャは投げ遣りな口調で答える。
「見ての通りですよ。オトシマエってのを付けに行くんです」
 そう告げたワーニャの横で、仲間の一人が最後のケースをワンボックスカーへと積み込んだ。
 車の後方まで早足に近付いたミーシャは、剣呑な空気を発する部下達へと鋭い眼差しを向ける。
「そうやって吠えられるぐらいに回復したのはいいが、勝手な真似はするな。サーシャはまだ満足に起き上がる事も出来ないんだからな」
「それが気に食わねえんだよ……!」
 ワーニャは唐突に声を荒げた。
「こんなのってありか!? 何なんだよ、このザマぁよぉ!? 警察サツに追い回されたり、商売敵よそとドンパチやってこの体たらくってんなら判るしあきらめもつくけどよ、相手はたった一人だったろ!? それも、武器も持ってねえ素人一人だったじゃねえか! そんなのの前から皆で無様に逃げ帰って、へたばって、マジで洒落にもなんねぇよ!! あんた、よく涼しい顔してられんな!?」
 暗がりの中でもそれと判る程に顔を赤くしてまくし立てる彼の前で、ミーシャは眼光の鋭さは保ったまま穏やかな声で諭す。
「その意気込みだけは買うがな、威勢がいいだけじゃどうにもなんねえぞ。ありゃ面倒な相手だ。現に俺達が何をされたのか、何が起きたのかも未だにはっきりと判んねえんだ。サーシャもやっと寒気が治まった所だそうだし、我武者羅に向かってって、また同じ目に遭いてえのか?」
 ミーシャの低くした声に、ワンボックスカーの前に集う男達は面持ちを暗くする。
 その中で、ワーニャだけは尚も悔しげな表情を保つのだった。
「……あいつ、きっとあの時、風上からガスでも撒いたに違いねぇ。サーシャにしても何かの毒を打ち込まれたんだよ。きっとそうだ」
 自分に言い聞かせるように吐き捨てた後、ワーニャはむっくりと顔を上げた。
「いいさ……おいそれと近付けねえってんなら、それはそれでやりようがある。要は離れた場所から仕留めりゃいいだけの話だ」
「おい、今度の任務は標的の拉致だ。暗殺バラしじゃねえんだぞ……!」
 口調が次第に物騒になって行く後輩へ、ミーシャは眼光を鋭くするのと一緒に押し殺した声を上げた。
 そのミーシャへと、ワーニャは同じくらい鋭い眼差しを浴びせる。
らなきゃいいんだろ? 身動き取れねえようにして、さらやいいだけの話じゃねえか。手段なんか幾らでもあるぜ」
「馬鹿野郎、てめえ……!」
 場に何やら険悪な空気が漂い始めた時であった。
 地階の壁に、車の駆動音が出し抜けに反響する。
 そしてほとんど間を置かず、薄暗い駐車場に一台の黒い車が侵入したのであった。
 ワンボックスカーの周りにいたロシアン・マフィアの構成員は一斉に車の陰、あるいは手近な支柱の後ろへと身を隠し、銘々に拳銃を抜き放つ。
 元々ひんやりとしていた地階の空気に切れ込むような冷気が走る中で、白く眩いヘッドライトを灯した黒い高級車は駐車場の真ん中で停車した。次いで、ゆっくりと開かれた後部座席のドアの陰より、黒いスーツを着た男が物怖じもせずに外へ出て来る。
 ロシアン・マフィアの構成員達がそれぞれに視線と銃口を向ける中、彼らのねぐらに足を踏み入れた中村は、取り乱す素振りものぞかせずに一同へ話し掛ける。
「……サーシャに会いたい」
 薄暗い地階に、太い声は良く通った。
 入車路から、冷たい夜気が音も無く入り込んで来た。

 すすけた窓ガラスから差し込む遠くの街の灯が、ほこりだらけの床をぼんやりと照らしている。すでにひと気の絶えて久しいホテルのロビーは椅子やテーブルが散乱し、色せてほころんだ表を薄暗い中に朧に浮かび上がらせていた。
 壁紙の破れた壁が四方を囲う中、比較的綺麗なソファに腰を下ろした中村と彼の部下二人は、静まり返ったロビーの片隅で先方の到着を待っていた。
 しばらくして向かいの壁に設置されたエレベーターの扉が開き、その中から仲間に支えられてサーシャが姿を現した。
 さながら全ラウンドを戦い抜いたボクサーのようにサーシャの顔は憔悴しょうすいし切り、頭髪も乱れたままで、それでもミーシャに支えられた彼は中村達の下へと進んで来る。まだ満足に動き回れる状態ではないようだが、相手方に必要以上に低く見られたくないのだろう。
 ご苦労な事だな、と中村は覚束おぼつかない足取りでこちらへ向かって来るサーシャを仰ぎ見つつ、同情のような感慨を抱いたのだった。
 程無くしてサーシャは向かいのソファに腰を下ろし、彼の配下が周囲を固める。
 何やら物々しい雰囲気の中、無法者達による二度目の会合は人知れず始まったのだった。
「大丈夫ですか、サーシャさん。必要ならこちらで闇医者を手配しますが……」
 中村の言葉にサーシャは疲れた顔を上げ、次いで首を横に振った。
「ダイジョウブ……です。だいぶヨくなりました」
 明かりも火の気も無い、それでいてだだっ広い空間ではその相貌は余計に疲弊しているように見える。軍人崩れの屈強な男が弱々しく答えるのを、中村は複雑な面持ちで眺めていたが、それも束の間、彼は本題に入るべく切り出した。
「先日はとんだ災難だったようですね。ただ不幸中の幸いと言うべきか、警察に足が付いた様子は無さそうです。今は静かに体勢を立て直した方がいいでしょう。標的の動きに関しては、こちらからも随時お伝えしますから」
「それは、どうも……」
 やつれた面持ちの中で、しかしサーシャは疑念の光を双眸そうぼうに灯した。この世界で相手がわざわざ親切を示す時、それは即ち、こちら側の弱みを掴んでいる時に他ならない事を彼は熟知していたからである。
 サーシャの見つめる前で、中村は周囲を囲う他の男達を見回す。
「それにしても結構な被害を受けたようだ。聞けば相手は一人だけだったという。一体何があったんですか、あの晩に? こちらも詳しい所は掴んでいなくてね」
 何処か品定めをするような中村の眼差しを受けて、ワーニャを始めとする周囲の男達はにわかに気色ばんだ様子をのぞかせる。相手の遣す言葉は断片的にしかかいせないものの、目前の男が少なくとも敬意を抱いてはいないであろう事を彼らもまた察したのである。
 周りの部下達の様子を目端でちらと一瞥してから、サーシャはやや歯切れ悪く答える。
「ナニも……そんなややこしいコトがあったワケではありません。ただ、こちらのコウドウにマズいトコロがあって、ケッカ、トりニガすコトになったと、そう、アシナみをウマくソロえるコトがデキなかったと、そういうコトです」
成程なるほど
 一応納得した素振りを見せてから中村は広い肩を揺らして少し前屈みの姿勢を取ると、相対するサーシャの顔をじっと見つめた。
「ところで、こちらもただ待っているだけでは退屈だったのでね、あれこれと調べさせて貰いましたよ。あなた方の事もそうですが、こうまでして付け狙う相手についても……」
 サーシャがまぶたをぴくりと動かした。
 いつしか微笑も消し、真顔で相手をじっと見つめて中村は言葉を続ける。
「……うちの国には『蛇の道は蛇』ってことわざがあるもんでね、同業者の思い付きそうな事というのは、こちらにとっても察し易いものなんですよ。あんた方の組織が血眼になって一人の男を追っ掛けてる。それだけの値打ちがそいつにはある……となれば、考えられるのはそいつが組織の弱みを握ってるか、さもなきゃ非常に有力な金蔓かねづるだって事だ。この業界で巨額の金に結び付くと言えば、まず麻薬クスリ……」
 最後の単語を、中村はえて重々しい口調で吐き出した。
「そこまで考えてから改めて調べさせたんですよ。ヤク絡みのシノギについて海外の動向って奴をね。そしたらまあ、これがボロボロと出て来るんですなぁ」
 サーシャの横でミーシャが彼へと何やら耳打ちをしたが、中村は構わず言葉を続ける。
「もうざっと四十年以上昔から、海外の麻薬カルテルが一人の男の行方をこぞって捜してる……メキシコやコロンビアは言うに及ばす、タイやミャンマー、そちらで言えばアルバニアやセルビアに天下のシチリア……そしてあんた達だ。いつまで隠し通す積もりだったか知らんが、隠し切れる筈が無いわな、こんな事」
 言いながら中村はソファから更に身を乗り出し、息も掛からんばかりにサーシャへと四角い顔を近付けた。夜の暗がりの中で顔の半分を影に染め、中村は瞳を底光りさせて目の前の同業者を見据える。
「……なあ、あんた、うちらも暴対法やら少子化やらで年々息苦しい状況に追い込まれちゃいるが、ずっと今のままでいたいと思ってる訳じゃないんだ。現状を打開出来る見通しが表れたんなら、誰だってそれに賭けてみようって気を起こす。そうだろ?」
「……ナニを、イいたい?」
 険しい面持ちを浮かべてたずねたサーシャへと、中村は威圧するようにゆっくりと告げる。
「俺達にも一枚噛ませろって事さ」
 そうして今にも噛み付かんばかりに十秒程も相手の目をのぞき込んだ後、中村はソファの背もたれへと勿体もったい振って寄り掛かったのであった。
 沈黙と静寂が、寂れたロビーに沈降した。
 外の道路を通り過ぎる車のヘッドライトが窓から時折差し込んで、ほこりだらけの床を淡く照らし出す。
 たっぷり四十秒程も経ってから、サーシャは重々しく口を開いた。
「……あれは、おマエタチのテにオえるシロモノではない……」
「これはこれは、何を仰るやら……」
 中村が鼻先で笑い飛ばすと、サーシャは眉間にしわを寄せて何も知り得ぬ者を睨んだ。
「あれがホントウはナンなのか、ワレワレにもワカらない。タシかなコトは、あれがずっとムカシから、セカイのあちこちをテンテンとワタりアルいてキたというコトだけだ。アラワれてはキえる……ずっとそのクりカエしだったそうだ」
「そりゃすげぇな。幽霊でも追っ掛けてるってのか、お前ら」
 軽口を叩いてすぐ、中村はまたソファから身を乗り出した。
「おい、もう少しましな嘘をつけよ。あのリウ何とかってのは凄腕の薬剤師か化学者で、これまでにない薬の製法を知ってるんだろ? でなけりゃ、お前らがこうまでして一人の人間を追い掛け回す筈が無い。どんな美味しい話が裏には隠されてるんだ?」
「こちらにはカギられたジョウホウしかアタえられていない。それはそちらもオナじだろう」
 表情に疲労の色はたたえつつ、それでもサーシャは揺るがずに答える。
「ワレワレにヨコされたのは、リウドルフ、いや、こんなナマエなどジッサイにはイミがナいのだろうが、あのヒョウテキをラチするようにとのシジのみだ。キいたハナシでは、トクベツなコウカのあるクスリをセイゾウデキる、セカイでただヒトリのジンブツだという」
「やっぱり麻薬か」
 中村が安心したようにも軽蔑したようにも取れる笑みを浮かべる向かいで、サーシャは険しい面持ちを依然保っていた。
「ムカシ、キーウにいたコロ、イチドだけ『あれ』のウワサをキいたコトがある……そのトキ、『あれ』は『コシチェイ』とヨばれていた」
「何だ、そりゃ?」
「シぬコトのないバケモノだ」
 首を傾げた中村へ答えた後、サーシャはおもむろに自分の頬を撫でた。
 数日の内に急激に張りの失せた皮膚を指でなぞり、次いで彼は物憂げに、あるいは忌々しげに言葉を吐き出す。
「オレもそんなウワサバナシはシンじていなかった……シンじてはいなかったが……あれは……あれは……」
 呟くように言って、サーシャは顔を逸らした。
 そうして黙り込んだマフィアの部隊長へ、中村は呆気とあざけりの混在する眼差しを向ける。
「おいおい、勘弁しろよ。話がやっと常識的になって来たと思ったら、これだ。そんな幽霊だか妖怪だかがどうやって薬を作れるんだ? お前らこそおかしな薬でもやってんじゃないのか?」
 中村の遣した皮肉に、しかしサーシャは反発する事もせず、顔を逸らしたままやはり独白するように言葉を漏らす。
「……だが、あれはヒトにエイエンのイノチをアタえるという……」
「……何?」
 中村が眉をひそめた先で、サーシャは沈黙した。
 ロビーに再び静寂が裾野を広げる。
 遠くで鳴らされた車のクラクションが、ひっそりとした空間にかすかに染み渡った。
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