幻葬奇譚-mein unsterblich Alchimist-

ドブロクスキー

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今宵もリッチな夜でした

その7

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『十一歳、男子! 他と同じく、配給の帰りに巻き込まれたそうです!』
『両親の方は跡形も無かったそうで……』
『心拍数、134! 頻脈ひんみゃくを起こしてるな、こりゃ……!』
『全身のおよそ六割に第三度火傷!』
『脱水が酷い! リンゲル液をもっと回すように言え!』
『気道損傷の恐れあり! 苦しそうだ! 人工呼吸器を持って来い!』
『駄目です! 全て使用中!』
『心拍数が低下し始めました! 血圧も!』
『くそっ! 強心剤の用意! おい、リンゲルはどうした!?』
『血圧、尚も低下中!』
『呼吸が弱まって……!』
『だから、呼吸器を……!』
『心拍数が……!』
『リンゲル……!』
『心音……心音が……!』
『駄目だ……!』

 頭上に広がる空は、何処までも青かった。
 若干黒ずんでさえいるような澄んだ蒼穹の下を、乾いた風が駆け抜ける。
 静寂の満ちる瓦礫の山が、辺り一帯を覆っていた。
 未来永劫変わる事の無いようにすら思える、静謐せいひつと不動。
 この二つだけが、『そこ』には存在した。
 足元にうずたかく積もった瓦礫は、そのことごとくが建造物の残骸であった。砕けたコンクリートや石材、ひしゃげた鉄骨などが地べたを覆い隠し、細かな凹凸を作りながら何処までも散乱している。
 灰色の粉塵の降り積もった瓦礫の山には、元の居住地の面影を忍ばせる残骸も所々散見される。椅子やテーブルなどの家具の欠片は無論の事、陶片や紙の束、引き裂かれた衣類、潰れた自転車や丸焦げになった自動車など、かつての生活の断片が無造作に撒き散らされ、誰の目に触れる事も無いまま放置されていたのであった。
 その只中に一つの、一つきりの人影が在った。
 瓦礫の只中にたたずむ孤影は、ひたぶるに天上を仰ぎ見ていた。
 小さな浮浪雲が、南の空の端に浮かんでいた。
 そこへ、
「こちらに御出おいででしたか」
 若い女の声が、唐突に場に流れた。
「散策ですか? そこらに不発弾が埋もれていないとも限りませんが……」
 頭上を仰いでいた孤影は、姿勢はそのままに背後の相手へと答える。
「問題無い。いっそ世界中の爆弾が俺を目掛けて降ってくればいい……」
 数秒の間が生まれた。
「……それで、こちらに何か御用でも?」
 ややあって背後から遣された女の声に、孤影は顔を前へと戻してつまらなそうに答える。
「別に……ただ、少し外の空気を吸いたいと思っただけだ」
「またいつもの『気分の問題』とかいう奴ですか?」
「そういう事だ」
 素気無く答える誰かへ、女の声は尚も呼び掛ける。
「ですが、そろそろキャンプラーガの方へ戻って下さい。救急搬送の数は落ち着きましたが、隣接する地区からの避難民が間も無く到着する予定だそうです。他の医師達も慌ただしくなっています」
「……判った」
 答えた後、瓦礫の山の只中に立っていた孤影は、ふと腰を曲げて足元へと手を伸ばした。
 程無くして、やぶれてすすけた熊の縫い包みが、建物の残骸の中から拾い上げられた。およそ半身を引き裂かれて綿の飛び出した縫い包みは、それでも誰かのお気に入りであったのだろう。右の耳に小さなリボンが結ばれていた。
 思い出の残骸か、残骸の思い出か、手元の遺品を見遣りつつ、廃墟に立つ孤影は背中越しに訊ねる。
「……で、どのぐらいの数に上りそうだ?」
「連絡では二百名弱、およそ五十世帯程が到着予定だと……」
「そっちじゃない。『お見送り』の方だ」
 素っ気無い指摘の後に、再び数秒の空白が差し挟まれた。
「……今朝から数えて、先程で二十三人です」
「そうか……」
 やや硬さを増した声で遣された回答の後、孤影は手にした遺物を再び足元へと置いた。
 わずかに項垂れた姿勢で、孤影は瓦礫の上にじっとたたずむ。
「泣いているのですか?」
「……それが出来ないのが唯一の救いではないかと、時折思う事がある」
 それから、彼は顔の向きを水平へと戻した。
 一面の瓦礫が、大規模な破壊の跡が、根絶の試みの結果が、眼前に広がっていた。
 見る者の意識を貫くまでにきつく焼き付けられた破壊と静寂、ただそれのみがそこに広がっていたのであった。
「……どうして……」
 ささやくように呟いて、孤影はまた天を仰いだ。
「……どうして、こんな事を続けていられる……」
 乾いた独白が、乾いた風に乗って瓦礫の平野を吹き抜けて行く。
 頭上に広がる空は、何処までもただ青かった。
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