黒の瞳の覚醒者

一条光

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十章~平穏な世界を求めて~

涙あふるる

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 雨? 雨が降っている。温かい雨が…………。他に存在を感じられない闇の中でそれだけを感じる……いや、違うか? 声も聞こえる気がする。悲しい、悲痛な叫び声だ。この声を聞いていると胸を締め付けられるようだ。叫ぶなら他所でやってくれないかなぁ、俺は今無性に疲れているんだ。何でこんなに疲れているのやら、誰も咎める者は居ないんだ。この闇の中に沈んでいたい、だから他所でやってほしい。
「――!」
 止めてくれ、そんなに悲しそうな声で叫ばれたら胸がざわざわする。俺は静かに眠っていたいだけなんだ。そっとしておいてくれ。泣いているのか? でも俺にはどうする事も出来ない。他所に行ってくれ、気になって眠れない。誰だこいつを泣かせたのは。縋りつくような、神にでも祈るような声が闇の中で木霊する。さっきから叫んでいるのは泣かした奴の名前か? 様子は分からんが聞こえる声は今にも崩れ落ちそうな様子を連想させる。こんなに呼ばれているんだから返事くらいしてやったらどうなんだ? んん? 声が遠退いて行く……静かになるのは望むところだが、妙に気になるな。声が聞こえなくなると共に温かい雨は止み、闇の中に俺の意識だけが残された。その意識も繋ぎ止めるものを失ったかのように霧散していく。意識が消える刹那に温かいものが頬を伝い、それを感じると空気に溶けるようにして意識を失った。
 戻っては途切れる意識、闇の中を揺蕩う。感覚は朧気で微睡の中にいるかのようで何もする気が起きない。そんな中曖昧な意識に響く穏やかで優しいがどこか憂いを帯びた声の『ずっと待っています』という言葉。これは俺へ向けられたものなんだろうか? 待っている……何を待っているんだろうか? ぼやけた意識では思考する事もままならない。声の主が待っているのが俺だとするならここに居続ける訳にはいかないんじゃないのか? 俺は、どうしてこんな場所に居るんだろう? ……エリュトロン……そうだ。奴と戦って――アリス! 治療を受けさせてやらないと! ぼやけた意識と記憶は一端を思い出した瞬間精彩を取り戻し俺を覚醒させた。俺は何をやっている! あれからどうなった? アリスは? 俺は、死んだのか? ならここに在る俺の意識は? 身体は……何も見えないが全身が痺れているような感覚が微かに感じられる。身体の感覚があるのなら生きている可能性はある。ならこれは夢の中なのか? 目覚めるにはどうしたらいい? 今がどうなっているのか知りたい。フィオは、アリスは、みんなは無事なのか? それを確かめる為にもこんな辛気臭い場所に居るのは勘弁だ。何で長い間微睡んでいたんだ! どうにか起きようと身体の感覚に集中してみたり大声で怒鳴ってみたりするが一向に目覚める気配はない。寝てる時に起きる事を悩むとは妙なものだ。…………声? この声、いつも聞き流していた『待っています』って言ってた人か? 誰だか知らないが待ってくれ! 俺を叩き起こしてくれ! 訴えに反応したかのように僅かな光が差した。それへ手を伸ばし掴んだ瞬間、白が弾けた。

 目覚めて最初に感じたのは強い光――いや、ただ単に眠りすぎて目が光を忘れてしまったのかもしれない。次に感じたのは右手には余る程大きくてな柔らかいが張りのある何かを掴んでいる感触、掴んでいる俺の手に誰かの手が添えられる。温かいこの手は――。
「待って……いま、した。でも遅いです。『ずっと待っています』なんて強がりを言いましたけど、不安で、苦しくて、押し潰されそうだったんですよ! どうしてワタルは危ない事ばかりするんですか……大事な人を失う苦しみも、失うかもしれないという恐怖や不安も、もう嫌です。こんなに怖い事、あと何回続くんですか? 傷付いて帰ってくるワタルを見るのは辛いです」
 光に目が慣れて焦点が合い飛び込んできた光景は、胸を鷲掴みにされてぽろぽろと涙を溢してこちらを見つめるリオの姿だった。添えられた手は小刻みに震えている。
「リオ……えっと、おはよう?」
 落ち着かせようと普通に努めたつもりだったんだが、大粒の涙が止め処なく溢れ続ける。相当に心配させてしまったようだ。胸を掴む右手に重ねられた手は指先が白くなる程に俺の手を握り締めている。
「んに!? リオさんリオさん、結構痛いんですが」
 何が気に入らなかったのか空いている方の手で俺の頬を摘まみ引っ張り上げた。参ったなぁ、生きてたんだからいいじゃないか、では済みそうにない。悲しませ苦しませたんだから流すつもりはないが……無言でぽろぽろと涙を溢されるとどうしていいか分からない。
「自分がどれだけ眠っていたか分かってますか? 『おはよう』なんて簡単な挨拶ももう出来なかったかもしれないんですよ? いつ目覚めるとも分からない状態で、もしかしたら一生そのままだった可能性だって……そんな状態で一月半、一月半も眠っていたんですよ! こんなに近くに居てもワタルは何の反応もしてくれない。触れ合っていても恥ずかしそうに困る事もない。ワタルの仕草が……ワタルらしさが全く感じられない。分かるのは生きてくれているという体温だけ、それすら失われていくかもしれないと思うと、怖くて、怖くて恐くて――」
 一月半……それほど長く眠っていたのか。いや、レベルの上がった能力の反動にしてはマシな方か? こうして生きて五体満足な――ひ、左手が生えてる!? 治療が間に合ったのか? とはいえ痺れが残っている。動かそうとしてみるが碌に動きもしない。リハビリで治るといいが…………。
「ごめんな。俺は随分とみんなを苦しめたんだな。本当にごめん。でも、言い訳をさせてもらえるなら、俺も怖かった。フィオを失う事が、みんなを失う事が、帰る場所を失う事が、だから戦う以外の選択肢は選ばなかった。あの場で倒しておかないとあの化け物がここに来てた。本当は引き出した能力で格好良く勝って帰るつもりだったんだけど、笑って帰って来て、絶対に守るからって安心させたかったのに……ごめんな、リオ、こんなに悲しませて……抱き締める事も儘ならないのか」
 左手は動かず右手も痺れが酷くて思った通りには動いてくれず身体を起こすだけで精一杯だった。それを察してリオの方から優しく抱きしめてくれた。
「本当に、本当に怖かった。ワタル、おかえりなさい。そしてありがとう、私たちを守る為に頑張ってくれたんですよね? なのに私は何もしてあげられなくて」
「そんな事ないって、リオが待っててくれるから、帰る場所があるから頑張れたんだって……それにこうしてくれると凄く落ち着く。ありがとう。それで、俺が寝てる間どうなってたのか聞かせて欲しいんだけど……フィオはどうなった? アリスは? 魔物の群れは?」
「フィオちゃんもアリスちゃんも無事ですよ。魔物の結界が消えた後麗奈とナハトさんがワタル達を見つけてすぐにセラフィアさん達と合流したそうです。でもフィオちゃんの治療の後で大怪我の二人を完治させるのは難しく、腕の接合と簡単な応急処置の後こちらに戻ってきたんです。戻ってからは治癒能力者を集めて全力で治してもらいましたけど、ワタルの場合は能力を使った負荷もあって身体がボロボロだったから能力を使っても完全に治すまで随分と時間が掛かったんですよ」
 そっか……完治はしてるのか。なら身体が上手く動かせないのは能力の弊害か。壊れる事なんか気にする余裕なく普段やってた以上の強化を強いたからなぁ。本当に死んだと思ったし生きてるだけでも感謝すべきか。
「フィオは? 心配して傍を離れないイメージがあるんだけど」
「ふふふ、寂しいんですか?」
「まぁ……それもあるけど無事な姿を見たいってところかな。アリスも酷い怪我だったし、無事って聞いてもやっぱり確認したい」
「フィオちゃん達は今は見回りをしている方の護衛をしています」
「見回り?」
「ワタルが眠ってる間に魔物の侵攻は王都の目前にまで迫ったんです。それを阻む為にユウヤ君とアヤノちゃん、その類似の能力者や岩石を操る方々が巨大な防壁を築いたんです。ただ、能力に関する物を弱化させる魔物が居るみたいで、破壊されやすいので定期的に見回りをして修復しないと駄目なんです」
 能力に関する物を弱くする? それだとまるでエリュトロンの結界の中じゃないか。俺は倒せなかったのか? ……いや、ここに帰って来てるって事は奴を倒して結界が消えたからだ。あれは倒した。なら……類似の力を持った奴が他にも居るって事なのか?
「王様は兵に出撃準備をさせてたはずだろ? 魔物を殲滅しないのか? エリュトロンと戦った森でナハトと紅月が削っているし花粉の効果で倒しやすくなってるはずだろ?」
「それが……花粉の効果は殆ど表れていないそうです。それに数も尋常じゃなく地平の彼方まで魔物が犇めいているってフィオちゃんが言っていました。だから防壁の上から少しずつ数を減らしているというのが現状です」
「花粉まで駄目なのか。魔物にとって花粉がネックなんだから対策も予備を用意してるか。原因の特定を出来たりは?」
「魔物の数は数千万を超えているんじゃないかとも言われてるんです。その中から探し当てるのは難しいみたいです」
「っ!? なんだこの音はっ」
 突如として警報のように鐘が激しく鳴らされた次の瞬間、落雷のような轟音と腹の底に響くような爆発音、そして金属板を細かい物が叩くような音が同時に王都中を支配した。雷に爆発、その上雹でも降ってんのか!? 建物が破壊されるのではないかという程に降雹音が鳴り響く。雪対策で王都の建物にはミスリル製の仮設テントが建物を覆うように設置してあるとはいえ、こんなに激しく降り注いでたらすぐにぶっ壊れるんじゃないのか?
「この音は異形の巨人の投石を麗奈たちが防いでいるんですよ。最近はこれが日に何度かあるんです。飛んできた岩の殆どは大防壁を越える前に細かく破壊されてるんですけど、たまに防壁を越えて来る物があってそれは上空で破壊するから破片が降ってくるんです。危険なので住人は王城か整備された地下通路に避難してるんです」
「ヘカトンケイルか。はぁ……死にかけて目覚めてみれば、この国苦難に見舞われ過ぎだろう。っとに、休む暇もない。他に壁を越えて侵入して来る物は?」
「量産型の白いディアボロスというのが空を飛んで防壁を超えようとするそうですけど、自衛隊の方たちも手伝ってくださってどうにか全て撃ち落として防壁内には侵入させないように皆さん頑張ってくださってます」
 今すぐにどうこうなるって訳じゃないみたいだがそんなに時間はないだろうな。身体を本調子に戻したところでどれ程戦えるか分からないが、大切なものがここに在るんだから出来る事はやらないとな。
「戦う気、なんですね…………」
「あ~、うん。大事なものがあるんだからやれる事はやっとかないとね。そんな訳でリハビリ手伝ってくれない?」
「…………」
「リオ? リオさーん? 怒ってる?」
 黙り込んだリオは静かにこちらを見つめるだけで返事をしてくれない。やっと目覚めたばかりでまた戦おうと思ってるなんてやっぱり怒るか……さっき泣かせたばかりなのにまた繰り返しになるかなぁ。でも、何もしない後悔はもう味わいたくない。大切な人を泣かせたとしても命を懸けて守り抜きたい。
「怒っては、ないです。ワタルが戦うのは私たちが大切だからだって分かってますから、ワタルに想ってもらえるのは凄く嬉しいんです。でも、ワタルが怪我をするのは辛いんです」
 俺を抱きしめる力が強くなりリオの震えが直に伝わってくる。俺がリオやみんなを想うようにリオも俺を想ってくれてるんだよな……安心させたいけど、またあんな物が出てくれば死の危険が伴う。それを分かってるから心配されてるんだし、どうすればいいのか。
「……約束、してください」
「約束?」
「どんな事があっても私たちの居る所へ帰ってくるって、どんな事の為でも命を、生きる事を諦めないって」
「……約束するよ。俺が帰ってきたい場所はここだから」
「言葉だけじゃダメ、です。証明してください。私を想ってる、求めてくれてるって」
 恥じらいに頬を染めつつもこちらから視線を外さず真っ直ぐに見つめられる。色々な感情が見え隠れする瞳に俺が居る。これってそういう事? ……心臓が跳ねる。いつの間にか石の雨が収まり静けさを取り戻した室内に俺たちの心音だけが聞こえる。力の入らない右手をリオの背に回してゆっくりと顔を近付けていく。
「リオ――」
「ただいま」
「ふぃ、フィオ!? み、見回りは?」
「フィオちゃん!? お、おかえりなさい……早いんですね、今日は」
 さぁいよいよといったタイミングで部屋の扉が開きフィオが現れた。気持ちが高まりお互いしか見えていなかっただけに俺とリオは二人してしどろもどろになってしまった。リオは誤魔化すように苦笑しているが俺は動揺し過ぎて顔が引き攣っている。無事な姿を確認できたのは本当に嬉しいんだが、タイミングが悪過ぎる。フィオはといえば、ぽかんとこちらを見つめたまま固まっている。
「フィオ? ――ぐはっ!? い、いきなり飛び付くなよ」
 声を掛けた瞬間弾かれたように俺目掛けて飛び込んできてリオごと抱きしめられベッドへと押し倒された。勢いが付き過ぎて殆ど体当たりみたいなものだ。俺へ顔をこすり付け小さくすすり泣く声が聞こえ始め、感情を溢れさせるようにそれは次第に大きくなり声を上げての大泣きへと変わっていった。落ち着かせようとどうにか動く右手で優しく頭を撫でたり背中を摩ってみるものの、泣き声は大きくなるばかりで城中に響きそうな勢いだ。泣かれるかなとは予想していたがここまでとは思っていなかったためおろおろと狼狽えまくり、どうしたものかとリオへと視線を送る。
「落ち着くまでこうしてあげてください。張りつめていたものがワタルが目覚めてくれたことで切れちゃったんだと思います。フィオちゃんとナハトさんは腕が切断されて傷を負った、本当にボロボロのワタルを見ているから私たちよりもずっと衝撃を受けてたと思うんです。それなのに、ずっと傍に居たいのを必死に我慢して必要だからと魔物の脅威と戦ってくれていたんです」
「ごめんな、フィオ。俺はもう大丈夫だから、ちゃんと生きてるから」
「あや、まるの……私、ごめ、ごめんなさい。ごめんなさい」
 ふるふると首を振って更に涙を溢れさせるフィオの顔は既にくしゃくしゃだ。これも自分のせいだと思うと罪悪感という棘に刺されているようで胸が痛む。
「可愛い顔が台無しだぞ。ほら、涙拭いて。なんでフィオが謝るんだ? お前は悪い所なんて一つもないぞ」
 服の袖で涙に濡れた顔を拭うも次から次へと大粒の涙が溢れて濡らし止まる気配がない。大切だと言いながらこんなに泣かせて……俺は愚か者だ。
「ワタルを守れなかった。一緒に戦えなかった。一緒に居たのに、アリスに託すしか出来なかった」
「そんな事ないって、フィオはよくやってくれたよ。俺の怪我は誰のせいでもない。敢えて言えば自業自得だし――」
「フィオっ、ワタルに何かあったのか!? っ! 起きてる……ワタルが、目を覚ましてる」
 フィオの泣き声を聞きつけてナハトが最初に駆け付け、それに続くように婚約者全員が部屋に押しかけて目覚めている俺を見つけては涙を流しながら駆け寄ってくる。これは……参ったな、全員を泣かしてしまった。目覚めてくれた事への嬉し泣きだと言われたがみんなが落ち着くまではしばらく時間が掛かり、ようやく泣き止んだ後は無茶をしたということで全員からお説教されてしまった。説教中、これも想われてるからだよなぁと実感して妙に嬉しくなったのは秘密だ。
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