黒の瞳の覚醒者

番外編～フィオ・ソリチュード～

凄い

　港に着くと凄い数の人間が居た。こんなに多い人間を見るのは初めてかもしれない、全員が海を見たまま動かない。遠くの方に船が二つあるけど、一つは傾いて沈みかけてる。それなりに大きな船に見えるけど、それを傾かせて沈める事が出来る物が海に居るの？
「なっ！？」
　傾いた船の傍の海面から、物凄く太くて大きい奇妙な物が迫り上がってきた。あれがクラーケン？　あれは大きすぎる、私でもあれの排除は難しいかもしれない。ワタルも驚いて動かなくなってしまってる。迫り上がってきた物が傾いた船に巻き付いていって締め上げてる……程無くして締め上げられていた船は握り潰された。
「イヤァアアアアアアアアアアアアアアアアア！　テッド！　テッドォオー！　そんな、そんなの嫌よ、今日もいつも通りに帰って来るって言ってたのに…………」
　近くに居た女が悲鳴を上げてその場に座り込んだ。その女以外にも、同じ様に座り込んで泣いている人間が居る。あの船に大事な人が乗っていた？　それ以外の人間はさっきまで騒がしかったのに、誰一人声を発しなくなって固まってる。

「おいなんでクラーケンがこんな所に出るんだよ？　クラーケンが生息してるのはクロイツの南東の海域だろ？　こんな所に出るのはおかしいじゃないか！」
「俺が知るかよ！　それよりどうすんだよあれ、あいつもう一隻を潰したらこっちに来るんじゃないのか？」
　一人が喋り出したら一気に周りも騒ぎ出した。これは村や町を襲っている時にも見た、不安は伝染する。そんな事より――。
「ワタル、どうするの？　あれが居たら他国に行く船なんて出ない」
　たぶん私でも対処出来ない、陸の上なら少しは違うと思うけど、あれが居るのは海の中……水の中じゃ流石に普段通りの動きなんて出来ない。
　声を掛けたのにワタルは呆然として何も答えない。

「誰か！　誰か主人を！　アランを助けて！　お願い！　お願いします！　このままじゃアランが――」
　騒がしくしている人間の中でも、特に大きな声を上げている女が居た。その声に反応してワタルがその女の方を向いた。なんでそっちを見るの？　何を、考えてるの？
「無理だ！　あんな怪物の居る場所に行くなんて正気じゃない！　船を出したって握り潰されて終わりだ。俺はそんなの御免だ！　あの船だってもうすぐそうなる、悪いが諦めてくれ」
　当然の答えを返されて女が縋り付いていた男に突き放された。当たり前、あんな場所に行くなんて自殺行為、混ざり者の私でも対処出来ないんだから、普通の人間なら尚更。
「誰か！　船を出して、アランを助けてぇ…………」
　誰でも分かる事なのに、それでも女は周りに助けを求めてる。周りの人間は暗い表情をして女から顔を逸らしていく。誰もあの怪物は排除できない、どんなに求めても無駄――。
「チッ、ああー、もう！　クソ！　フィオ！　お前ならあの船まで俺を投げれるよな？」
　っ！？　ワタル？　助けるの？　あんな物が居る場所に行くの？
「投げれるけど、ワタル何する気？　リオの時とは違って知らない人でしょう？」
　そう、リオの時は違う。リオは特別だった、でもあの女は知らない相手のはず、ワタルが異界者だって知ったら蔑み、疎むような人間、そんな相手を助けるの？
「それでもこの中であれをどうにか出来そうなのは俺の能力位だろ、だからやる」
　ワタルの能力……雷の力、全力はまだ見た事が無いからどれ程の力なのかは分からない。本当にあれを倒せるの？
「知らない、関係ない人間でも？　それでもやるの？」
「ああ、逃げたいけど、逃げても苦しいんだ。だから後悔しないように行動する」
　逃げたいのにやる？　逃げても苦しい？　…………よく分からない、リオみたいに特別なら苦しいのも分かる。でも関係ない人間がどうなったってワタルには関係ないはずなのに。
「…………やっぱり変、リオと違って友達でもないのに…………勝算は？」
　大事なものを護るのは分かったけど、この行動は分からない。
「撃退くらい出来たらいいなぁ～…………」
　よく分からない理由の上にこんな答え、ワタルは馬鹿だ。でも――。
「…………はぁ～、帰ってきてよ」
　私も馬鹿だ。ワタルがあの時と同じ強い、諦めてない目をしてるから、本当になんとか出来るって、信じたいって思ってしまってる。リオに会っちゃ駄目なのにワタルまで居なくなったら、私はどうすればいいか分からなくなるだから絶対に帰ってきてほしい。
「よく聞こえなかったんだけど」
　絶対嘘、驚いた顔の後ににやけた顔になったから絶対に聞こえてた。言うの恥ずかしかったのに。
「…………二度は言わない」
　残念そうな顔をされた。
「全力でやったらどうなるか分からんから、上手く撃退出来ても動けなくなってたら迎えに来てくれ」
　やっぱり勝てる気でいる…………でも、私もそれを信じてる。ワタルは一度出来ないはずの事をやって見せてくれたから、だから今度も出来るって信じてる。
「年上のくせに世話が掛かる」

「っ！？　フィオ、やってくれ！」
　残った船を握り潰そうと海面から伸びてきた太くて大きいのを見て、ワタルが焦ったようにそう言った。
「投げるだけだから安全に行けるわけじゃないよ」
「分かってる！　いいからやってくれ！」
「ん」
　ワタルの手を掴んで振り回す。あの船に届かせないといけない、船からズレて海に落ちたりしたら……あんな物が居る海に落ちたら生きてられない。絶対に船の上に落ちる様に投げる。
「おい！　お前ら何やってんだ！？」
　煩いっ！　私たちを見た人間が騒ぎ始めた。邪魔しないで、失敗は許されない。
「おい！」
「っ！？　あ…………」
　急に後ろに居た男が近付いてきたから、思わずワタルの手を放してしまった。
「あ、ってなんじゃぁああああああああああああああああああああ」
　加減を間違えたかもしれない……兵士たちが任務に行く時に『がんばれよ～』って言いながら親指を立ててたのを思い出してやってみた。
　ワタルがどんどん遠くなっていって、後ろ向きのまま船に近付いていく――あ、向きを変えた。
「あぁ……」
　やっぱり加減を間違えてた。あのままじゃ海に落ちる、ワタルなんとかして船に落ちて――っ！？　ワタルが船を通り越しそうになった瞬間にさっきのとは別のやつが伸びて来て、ワタルはそれにぶつかって船に落ちた。
「…………ワタルはやっぱり運が良い」
「おいお前！　大人をあんな場所まで投げ飛ばすなんて普通のガキが出来る事じゃねぇ、それにその紅い瞳、お前混ざり者なんじゃないのか？」
「混ざり者！？」
「なんでこんな場所に化け物が！？」
　ガキ……化け物…………やっぱり普通の人間はこんなのばっかり、なんでワタルはこんなのを助けようとするの？
「あ～、でも町に居るって事は軍の所属なんじゃないのか？　だったら人間様の道具だろ？　さっき投げられた奴も混ざり者で、囮でもして漁船のやつ等を逃がすとかそんな感じじゃないのか？」
「でも混ざり者が一人で居るのはおかしくないか？　大抵は指示を出す兵士と一緒に行動してるって聞いた事があるぞ？」
　見張りが付くのは、問題を起こす可能性があるけど能力が高くて壊すのが惜しい物だけ、私は黙って従ってたから見張りなんて付いた事が無い。
「ならこいつって噂になってる盗賊なんじゃ――」
「煩い」
『っ！？　…………』
　殺気で威圧して黙らせた。ワタルが戦ってるのを見てるんだから邪魔しないで。

　船に巻き付こうとしてるやつに斬り付けてるけど、全然効いてない。あれで大丈夫――っ！？
『――――――！？』
　ワタルの剣が光ったと思ったら、変な鳴き声が響いて斬り付けられたやつが海に戻っていった。効いてる、ワタルは本当に怪物相手になんとかする。船の上が慌ただしくなって、船員がオールで漕ぎ始めた。帰ってくる、怪物相手に無事に逃げてく――っ！？
「そんな…………」
　船を囲む様に太くて大きいのが何本も海面から出てきた。ニ十本……なんで？　二つだけじゃなかったの？　出て来た内の一つが船に振り下ろされていく。駄目、あんなの全部に対処出来るはずない、どうにかしてあそこまで行ってワタルだけでも連れ帰――。
『――――！？』
「おい、なんだよありゃあ……物凄い音がした途端に船の上が光ったぞ！？」
「い、いや！　それどころじゃねぇよ！　クラーケンの足が千切れ飛んだぞ！？　船の上で何が起こってるんだ！？」
　足？　あれが足？　クラーケンは足がニ十本もあるの？　でも、そんな驚きなんかより――。
「凄い…………」
　あんな巨大なものをワタルは吹き飛ばした。勝てるんだ、あんな怪物相手に、行く前に聴いた時の答えは自信がなさそうな感じだったのに、今も襲ってきた足を二本吹き飛ばした。凄い、凄い！　これなら絶対に無事に帰ってくる。胸が凄くドキドキしてる。
　残った足も次々に船を襲おうとしたけど、それもワタルに吹き飛ばされていく、あと一本……残り一つになったところで足は海の中に消えた。逃げた？　どっちでもいい、ワタルが勝った。あんな物から船を護るなんて難しい事を遣って退けた。

『――――！』
　っ！？　そんな、勝ったのに――ワタルが今までのと違う細い足に絡み付かれて海へ落ちた。行かないと、ワタルが居なくなる……そんなの嫌っ！
「っ！？」
　海に飛び込もうとしたら、さっきと同じかそれ以上に海が光った。っ！？　ワタルが落ちた場所からは離れてるのに、飛び込もうとした場所から魚が浮いてきた。死んでる？　これだと私も海に入ったら危険、でもワタルを迎えにいかないといけないのに、どうしたら――海の中が光るのが止まった？　仕留めたの？　それとも…………迷ってられないっ！　覚悟を決めて、助走をつけて海へ飛び込んだ。
　大丈夫、害は無い。早くワタルの所へ。殆ど泳いだことが無いから中々進まなかった。それでもどうにか船の場所まで来た。
「ここだっ！　この下に落ちたんだっ！」
　船に乗ってる男が指差す場所に潜ってワタルを捜す。どこ？　どこに居るの？　もっと下へ。っ！　居たっ、もう何も巻き付いてないのにワタルは動かなくなって沈んでいってる。今行くから、だから死なないでっ！　まだ、もっと一緒に居たい――掴んだ、後は引き上げるだけ。
「ぷはぁっ、はぁ、はぁ、ワタル？　ワタルっ」
　息、してない。早く陸に戻って水を吐かせないと――船は？　……港に戻ろうとしてる、待っててくれてもいいのに、ワタルが助けたのにワタルは助けてくれないの？　――そんな事考えててもしょうがない、急いで戻らないと。

　港に着いてワタルを上に放り投げた。少し乱暴だけど、慣れない泳ぎで少し疲れたし、自分で掴まれないワタルを担いだままじゃ上がれない。
「はぁ、はぁ、はぁ、ワタル……」
　やっと上がれた。身体が重い、水の中はやっぱり動き辛い。手と膝を突いて荒い息を整える。水、吐かせないと――。
「回収ご苦労だったな、暫く寝ていろ」
「むぐぅっ！？」
　なに！？　周りの人間は怖がって離れていたはずなのに――放せっ！
「がはっ、このっ、大人しく寝てろ」
　後ろから掴みかかって口を塞いできてる奴に肘を当てたのに放さない。普通の人間じゃない？　――っ！？　これ、意識が……眠り薬？　寝たら駄目、まだ、ワタルが…………。