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第1奏──旅立ちの始奏曲 〜grave〜

旅立ちの始奏曲③

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「起きろっ!!このねぼすけのユーリっっ!!!」

大きな怒鳴り声は、ユーリが横になっているベッドを軋ませた。

「うーん……ヨハン……やめてよ……耳がキーンってするんだよぉ……」

少年──お兄ちゃんのヨハンの少し自分より低い怒鳴り声のせいで、耳が痛い。痛さで小さく呻きながら、声の主を見る。

夕日のような赤い目が、怒りに満ち溢れていてとても怖い。短く切られた、自分と同じ金色の髪の上にはいつもの赤い大きなベレー帽。白いシワのないカットソーの上に赤いチェックのコートのその格好は、まさにこれから出かけよう・・・・・、と言いたげだった。

対して。ボサボサの長い髪に、ヨレヨレの寝間着のまま、布団にくるまっているユーリの姿を見る。ヨハンはそんなだらしない姿の彼にはあ、と諦めたようにため息を吐く。

「まったく……いつもこうなんだから。寝起きの悪いユーを起こすぼくの気持ちも考えてよね」
「うーん……ねむい……おやすみ……」
「あのさ……」

また布団に潜り込むユーリの姿に、ヨハンの眉間にシワが刻まれる。

「昨日さんざん早く寝ろって言ったよね?曲を書くのは明るいうちにやれって、メリィにも言われなかった?」
「だって思いついちゃったもん。しょうがないじゃん。ヨハンだって~、わかるでしょ?思いついた時に書かないと、わすれちゃう」

自分は悪くありません、とケロッとした表情で答える。そんな反省をしないいつも通りの兄弟の姿に、ぴくりとヨハンの眉間にシワが寄る。

それに、とユーリは続ける。

「それにさむいからねえ。こんな早い時間に起きることもないよね?うーん、おやすみぃ……」

また、布団を被ろうとするユーリ。しかし。

「寝るなァーーーーー!!!」

ヨハンはそんな弟の布団をひっぺがし、無理やり現実に引き戻した。

「だから、ヨハンうるさいってば!!今からボクはねたいのに!」
「ユー……」

ここまで来たか、と少し諦めたように息を吐き、寝巻き姿の弟の姿を見る。

「……本当にもう、こうなるから嫌だって言ったのに。今日は何の日だかわかる?」
「んえ?」

呆けたように変な声をあげて、うーんとユーリは首をかしげる。うんうん唸っても思い出せない様子で、何かあったっけ?と兄に聞く。

「……バカだなあ」
「うん。わかんない。ごめんね」
「──今日は、誕生日の前の日だよ。明日ぼくらは14歳になる」
「へえ!?」
「本当に何も覚えてないんだ……」

そんな大事な日なのに、覚えていなかった弟の姿を見て、やれやれと首を振る。それに、とつけたす。

「今の時間に起こしてって言ったの、ユーだよ?ザックおじさんと一緒に、大きいイノシシ捕まえて、メリィを驚かすんだーって、言ったのユーじゃん」
「ほえ?」

ヨハンはベッドの壁の上に掛かっている時計を指し示す。時間は──5時。
それを見て、ようやくユーリは何かに気づいたのか、慌てた様子で身体を起こした。

「……わ、忘れてた!!」
「さっさと準備して。今ならまだ間に合うから。ぼくは自分の部屋で待ってるから、終わったら声かけて」
「うん!わかった!」

眉間のシワを寄せたまま、ヨハンはユーリの部屋の扉を空け、廊下に出ていった。

(何を着ようかな。いつもの服にしようかな?)

ユーリはクローゼットを開け、いつものお気に入りの、青いリボンのついた白いコートを手に取る。少しだけ悩み、トップスは薄めの白いチュニックに、ブラウンの長めの……ちょっとだけ動きやすいズボンを選んだ。

着替えが終わると鼻歌を歌いながら、鏡のある机に座り、ふわふわの長い髪をかしはじめた。思いついたフレーズは……まだ頭の中に残っている。

ねむれよあこよ ははのみむねで
ほしのゆめ ゆりかごはゆれる

どこかで聞いたことがあるような、優しい歌声。これを前に少しだけ歌った時は……の誰も聞いたことがない、と言っていた。

──お兄ちゃん、ヨハンを除いては。

(……ボクたち、島の外に出たことがないのに、メリィもザックおじさんも、誰も聞いたことがないなんて……)

ユーリとヨハンには、血の繋がった家族がいなかった。ザックおじさん──ザガリアスが言うには、島の樹の近くで毛布にくるまれて、母を呼ぶように泣いていたところを見つけたという。

当時、自分たちの養母のメリィは自分たちと同じような生まれたばかりの子供を亡くしていたため、身寄りのない双子を引き取った──と、お酒の匂いをさせながらザガリアスは語ったのだった。

でも。

(……これ、ザックおじさんは大事に持っていなさいって言っていたけど、ボクたちのお母さんの形見なのかな)

鏡の前にいつも置いている銀色の腕輪を手に取り、眺める。

(いつ見てもきれいだけど、こんなにきれいなの、ボク……もってていいのかなあ)

鏡の前の自分の瞳と同じ、青空のような色を宿した宝石。それをくるりと包む、小さなバラの花と植物のツルのような装飾の、銀の腕輪。兄のヨハンも同じものを持っているが、宝石は彼の瞳と同じ夕焼け色だ。

(……まあいっか)

腕輪を腕に通し、金具をとめて身につけ、お気に入りの革の大きな肩掛けカバンを持ち、ユーリは扉を開けた。









「うっ、ぐッ……うぅ……!」

ヨハンの部屋に来たユーリは、絵の具のツンとする匂いの中で、ベッドの横でうずくまるヨハンをみつけた。

うう、とうめき声をあげながら、頭をおさえる彼の姿はではあったが、いつ見ても辛そうだ。

「……ヨハン?」
「……ユー……か……ごめん、治まるまで、まって」

ふーっ、と彼は息を吐いて、痛みに耐える。

「だいじょうぶ?おみず、もってこようか?」
「いい。お水、のんでも治らないから……」

ぶんぶん、とヨハンは首を横に振る。小さい頃からあるこの頭痛癖は、村のお医者さんにみせてもらったのに、原因はわからないまま。

ふと、頭をおさえるのをやめ、ヨハンはゆっくり深呼吸をした。少しだけ眉間のシワは薄くなり、目元も穏やかだ。

「……治まった。行こう」
「だいじょうぶ……?」
「ユーがいきたいっていうなら、お兄ちゃんとして行かないとでしょ?行こう」
「……うん」

ユーリは床に座るヨハンの手をとって起こし、朝食の美味しそうな匂いのする廊下へと足を運ぶのだった。

「そういえばさ、ヨハン」
「ん?」

歌うようにユーリはヨハンに聞く。

「おじさんがくれた本の中で、白いキレイな人って、いたっけ?」
「白い、綺麗な人……?」

うーん、とヨハンは首を傾げ、いや、と答えた。

「どうして、そんなこと聞くわけ?」
「あのねえ」

のんびりと、目を閉じて言葉を紡ぐ。目蓋まぶたに映るのは、さっき見た夢の光景。

「ゆめでね。白いキレイな、ツノとはねがついてる人がいてね。おまえをまってる、っていったの。でもさ、そんなキレイなひと、見たことないの」
「ふうん」

くるくると、ユーリは廊下で踊るように回る。金の髪がふわりと舞い上がる。

「ねえヨハン。このひと、さいきんさ、見るんだあ。でもね、こんなふうにはなしかけられたの、はじめてで。いつもはさ、キレイなおしろのなかの、大きなお花でいっぱいのところのおくで、すわってずーっとねてるの」

でも、今日は。ちがったの。なんにもないところで、うたったらいろいろでてきて、おっきな木とかでてきて、せかいがくずれたときに、とんできてくれたの。

と、ユーリがコロコロと歌うような口調で話終えると、少しだけいぶかしげに眉をひそめた。

「封印、かな……」
「なにかしってるの?」
「……いや、なんでもない」
「ヨハンもみるの、そういうゆめ?」
「ううん、ぼくはない。いや、でも……」

うんうんと唸るも、いや、気にしないで、と答える。

「ねー、ヨハン……そういうきになるようなことするの、よくないよー……」
「ごめんごめん。大丈夫だよ。じゃあ、メリィのパンを食べたら、おじさんと一緒に行こう」
「うん!」

こんがりと焼けたパンの匂いに誘われて、ユーリとヨハンは階段を降りていった。
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